浮島地区から望む開発工学部と富士山

(どこに富士山があるのだ?)

東海大学開発工学部は、沼津の中心部より15キロほどの郊外、愛鷹山の
中腹、海抜280メ−トルのところにある。従って、天気のよい日には、沼津
はもとより隣の富士市からも白亜の大学の校舎を眺めることが出来るが、もち
ろん、天気の悪い日には、霞の中か雲の中である。因みに大学の所在地は、沼
津市西野字霞という。
どうしてこんな山の上に大学の校舎が建ったのかというと、それは「松」と
密接に関係がある。大学の創立者が「松前」といい、この地を視察した時に、
地元の人たちの守護神ともいうべき、「ヌタバ(ノタバともいう)の松」とい
う実に立派な堂々とした松があったので、それが気に入ってこの地に大学を創
ることになったのだという伝説が言い伝えられている。
大学の下にある地域は、浮島地区と呼ばれ、多くの学生たちがこの地域に下
宿している。昔は、文字通り、浮島沼に浮かぶ島のような地域だったのだそう
である。それが嘘でないことは、私も20数年前に体験した。私が初めてこの
校舎に赴任した昭和49年(1974年)の7月7日に「七夕豪雨」というの
があって、本当に浮島沼が再現されたことがあった。東海道線の走る原地区と
この浮島地区の間が実際に湖になってしまって、地元の人がボ−トで行き来し
たのをこの眼で見たのである。その時は、もちろん大学も3日間、休校になっ
たほどである。現在の浮島沼は、写真でご覧の通り、稲田となり、そうでない
ところは、一面の葦の原である。野鳥観察にはもってこいの場所である。


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