「マンガ談話室」(読者の便りから)


これまで読者の方から寄せられた便りの中から,

それぞれに参考になる意見やアドバイス等を、

ご本人の許可を得て公開します。マンガについ

ての議論や研究が深まるきっかけになればと思い

ます。

また、マンガに関する自由な投稿を募集します。



  1. K-Hさん
    E-mail;K-H@ip.kuec.kyoto-u.ac.jp

     まんがのホームページ楽しく読ませて頂きました。
    といっても、読んだことのあるいくつかだけですが。(読んだことの
    ないのは先入観無しで読みたいので。)
    どれが名作かという点では個人的主観が入ると思いますが、選ばれ
    ているのが比較的メジャーなものであるのは少し残念な気がします。
    もっとマイナーなものにも名作はたくさんあると思うのですが。わた
    しはあんまり青年誌などを読みませんので、そこらへんはなんともい
    えませんが、たとえば少女まんがで選ばれているのはまさに大御所と
    いったかんじのひとばかりで、それはそれでいいのだけど、もっと多
    彩なものになったらいいなあとおもいます。
    でもじゃあどんなのが…といわれると、すごく個人的になってしま
    います。漫画の読み方にはやっぱり偏りがありますね。ただそれを覚
    悟であげるとすれば、森川久美の「南京路に花吹雪」(これで’南京
    ロードに花吹雪’と読みます)はやっぱり名作のような気がします。
    あのテーマをやるというのもすごいけれど、説得力というより現実感
    のある人物描写、構成は、すごいものがあるとおもいます。少女まん
    が特有の’あまさ’は否めませんが、最初から最後まで、ドミノ倒し
    のように展開する物語は十分に引き付ける力をもっていると思います。
    「南京…」に限らず森川さんのすごいところは、話に傍流があるとい
    うか、2重3重にもいろいろなことが重なって、話ができているという
    ことです。小説だったら当たり前のことかも知れませんが、漫画では主
    人公側からのみ薄っぺらく話が進んでいくことが多いような気がしますが
    (偏見と言ってくださってもけっこうです)、森川さんの作品では様々な
    人の思惑や事態がはねかえり、はねかえって因果関係をなして話を構成し
    ており、それがあの重厚な物語を作っているように思えます。ほかの人の
    作品でももちろんそういう要素は必ずありますが、森川さんほど視点が固
    定されないと言うのもめずらしのではないでしょうか。
    抑えたセリフまわし、物語の一部となっている、精密な風景等々、数え
    あげると好なところはきりがないですが、ただ、極限まで、余計なものを
    切り落としているのと、独特のセリフ書きのため(ト書き風セリフが多い)、
    なれない人は読みにくいかもしれません。ただ読みなれるとセリフが多い、
    内容が薄めのまんが(これは慣れであって内容の善し悪しとは関係ないです。)
    は逆に読みにくくなってしまいます。ただ最近の森川さんの作品もそういう
    傾向がなきにしもあらずですが。

    さて、「南京路に花吹雪」ですが、作者は森川久美で、最初は、白泉社の
    花とゆめコミックからでました。(確か全4巻。)れは今は絶版になってい
    るので、古本屋にならあるかもしれません。次に角川の、あすかコミックス
    から森川久美全集のなかとしてでました。これは本屋には置いてないと思い
    ますが、取り寄せができると思います。(まさか絶版してはないだろう…)
    これは全3巻で全集としては第2巻〜4巻にあたるはずです。一番手に入りや
    すいのは、最近、白泉社から出た文庫本でしょう。これは全3巻で「南京〜」
    の前の話にあたる「蘇州夜曲」も収録し*います。話はかわりますが、私も古本
    屋がすきなので、高月さんが古本屋で捜す、と聞いてうれしかったです。中に
    は古本屋はちょっと…という人がいますからね。いちばんのメリットは安いと
    ころですが、手に入りにくいものが、みつけられるというのも、魅力かも。
    先日も、姉が絶版になり、かつ全集に入らなかった森川久美の「アルカディア
    の道」
    をやっと見つけたと思ったら、それは1巻で、まだ続きがあったのです。
    こんどは2巻を探さなくては…。(みつけるまで何巻あるかもわからなかった
    のです。)
    既にご存知かとかと思って、粗筋も書きませんでしたが、「南京〜」は日中
    戦争前夜から、戦争中にかけての上海が舞台で、ありていにいってしまえば
    (あらすじは、自分の作品解釈がでるのでまちがってないか不安)、戦争を
    とめようとしてできなかった人たちのはなしです。「蘇州夜曲」のつづき、と
    いうことになっていますが、「蘇州夜曲」は前半は良いけど、後半はちょっと…
    というのが私の正直な感想です。(話が少女漫画的あまさにおちいっている。)
    でも、ほんとうに「南京〜」とその続編「shang-hai 1945」は秀作だと思います。
    「shang-hai〜」は最初小学舘のプチフラワーコミックスから、あとで角川の全集
    (第5、6巻)から、各々全2巻で、でました。古本屋にはあるでしょう。
    南京路をすすめたのは、もちろん私が少女マンがのなかでいちばんおもしろい
    とおもっているからなのですが、それとともに、あまりとり上げられることが
    ないというのがあるからです。最近まんがも認められてきて、いろいろな本や
    特集がありますが、その中でとり上げられることはめったにありません。自分
    が好きでもほかのひとがすきとは限りませんが、気を配っていると、褒められ
    たりしていることありますから、そういうときはやっぱりいいよねとおもいま
    す。発表時にはかなりの人気だったそうですし。(こんな重い話なのに、主人
    公にピンク色の声があがったというのは、ちょっと信じられないがどうやら
    本当らしい。)でもこの作品のよさは時代に全く関係ないものだとおもいます。
    それだけに最近とり上げられないのがとても残念です。
    森川さんはほかの作品もなかなかの出来だとおもいます。森川さん自身の作品
    のピーク(画力、話、せりふ等がいちばんうまくなったとき)は「南京〜」のあと
    「セルロイドドリーミング」とか「アルカディアの道」あたりのような気がしま
    すが、「南京〜」はそれとは関係なくそれだけ独立した秀作だと思います。
    ほんとうは森川さん以外の人のも読んでいるのですが、ほかの人は有名だし、
    あえて私が言うこともないかな、とおもいます。あえて言うとすれば、鳥図明児
    (ととあける)の「虹神殿」
    でしょうか。これは「南京〜」以上にマイナーです
    が、良い作品です。新書館のグレープフルーツコミックスからハードカヴァー3巻、
    またはソフト全1巻(まとめたもの。こういうのが出ているからには、けっこう
    人気はあったようだ。)ででていましたが、もう絶版になっています。よかった
    ら、古本屋でさがしてみてください。
    鳥図明児さんについては、くわしくかかれたホームページをみつけたので、あと
    でアドレスをかきます。「虹神殿」は南の発展途上国の有力家の跡取り息子が、
    自分の国を先進国の「経済的な植民地」にさせないようがんばるはなし。(あー、
    こういうと全然ちがうはなしになってしまう。もっといいはなしです。)
    話は変わりますが、私はいまのところ浦沢直樹では「モンスター」がいちばん
    好きです。恐くて最初読んだときは、寝られなかったぐらいです。あと、萩尾望都
    は余り読んだことがないのですが、「残酷な神が支配する」は文句無しにおもしろいと思います。
    これもなかなかこわいですが。友達に、恐いよー、読まないほうがいいよー、
    でもやっぱり続きを読みたくなるほどおもしろいんだよー、と、すごく意地悪な
    ことを言っていたら、よせばいいのに、結局よんで、はまってしまいました。そ
    の子も恐がっていました。
    恐いものといえば(この二つはホラーではないですが)、今市子さんの「百鬼
    夜行抄」
    もおすすめです。最近でたなかではいちばんのお気に入りかもしれませ
    ん。朝日ソノラマの眠れぬ夜の奇妙な話コミック(名前違ったらごめんなさい)
    から3巻まで出ています。本が舞台の妖怪もの(?)なのですが、絵がきれい
    で、話にもどことなく茶目っけがあります。はっきり言ってマイナーですが、
    最近評判といえば評判。(マイナーのわりには、よく雑誌とかで紹介されている。)
    こんど わかつきめぐみさんの「So what?」が白泉社から文庫で出たので、少し
    幸せ。この話にも妖怪(というよりもののけ?)みたいなのがでてきますが、わか
    つきさんのすごいところは、そんな話でも、すごく日常というものが感じられると
    いうことです。この話はSFの賞をとったらしいですが。

    では、ごきげんよう。

  2. K-M (1997年2月15日掲載)
     E-mail:k-M@rf.tokimec.co.jp/

     「天上の虹」の評論を読ませて頂きました。私は本作品を読んでいないので
    内容については何とも言えません。ただ、冒頭の「少女マンガの読みにくさ」
    については私も同意見です。

     故手塚治虫先生曰く「マンガは象形文字である」

     私のマンガの読み方はまさにこの一言に尽きます。マンガを一字一句丁寧に
    読む人がいますが私にはどうも真似ができません。とにかく見たまんまに記憶し
    ストーリを把握しています。もちろん吹き出しの文字を全く読まないということは
    ありませんが、ストーリーに関係ない台詞なんかは自然にスポイルしていくことが
    できます。逆に言うとそれは一緒に絵があるから可能なのです。ビジュアルによる
    情報があるからこそ、文字情報に頼らずとも内容を把握することができます。
     私の持論ですが、良いマンガとは絵と台詞が相互に内容を組み立てており、映画
    を見ているように読めるもの、と思っています。そんなマンガでストーリが面白け
    ればそれは最高のマンガと言えます。
     文字情報にその内容を頼らなければ成り立たない蘊蓄マンガは私にとってつまら
    ないマンガに分類されるはずですが「美味しんぼ」なんか結構楽しんで読んでいる
    ので私の持論もいい加減なところがありますね。

     さて話がそれましたが「少女マンガの読みにくさ」です。高月さんのおっしゃる
    通り、登場人物の判別の難しい少女マンガは私のマンガの読み方に向かないのは
    言うまでもないでしょう。
     それ以上に私が常々思うのは、少女マンガにはストーリーの複雑な作品が多いと
    いう点です。例えば、今回高月さんが評論された「天上の虹」、源氏物語を題材と
    したマンガ(大和和紀「あさきゆめみし」)、フランス革命を背景とした「ベルサ
    イユのバラ」
    、聖徳太子を題材としたもの(山岸涼子「日出処の天子」)等々。
    私はこれらのマンガを読んでいないので偉そうなことは言えませんが、題材からし
    て複雑な物語に少女マンガに不可欠な恋愛ストーリーを盛り込むのですからその複雑
    さといったら想像するだけで恐ろしい......。つまり内容が複雑なだけに文字
    による説明に頼らざるを得なくなってしまう訳です(十分偉そうなことを言っていま
    すね)。
     ですから、画像は一瞥するだけで物語りを理解していく云々、という読みかた
    は正解ではないでしょうか。

     さて、最近は経済的、時間的制約によりマンガを読む量が激減しています。
    週刊誌はコンビニの立ち読みしたり、電車で隣の人が読んでいるのに便乗させて
    もらっています。立ち読みは良いのですが、電車で読んでいる人の読むスピード
    が遅いのには閉口しています。他人のものを勝手に読んでいるので強いことは言え
    ませんが台詞の無いページに数十秒もかけられ、1つのマンガが終わらないうちに
    自分の降りる駅についてしまうことが多々あります。そのたびに続きを読むため
    その雑誌を買ってしまいます。だったら最初から人のマンガを読むな!と言いたい
    ところですがやっぱり目に付いてしまうんですよね。マンガってやつは.....
     それでは、また。

    高月より:「少女マンガの読みづらさ」、私だけでないことが分って安心しました。
    電車の中の微笑ましい”読書術”、つい笑ってしまいました。私も経験があります。
    また、マンガにまつわる愉快なエピソ−ドがあったら教えて下さい。

     

  3. K-M (1997年1月28日掲載)
    E-mail:k-M@rf.tokimec.co.jp

     こんにちは、門倉です。「裂けたパスポート」掲載の件、連絡頂きまして
    有り難うございました。
     「裂けたパスポート」の評論を読ませて頂きました。私も初めて読んだ
    ときから「これはすごいマンガだ!」と思い、友達に宣伝していましたが今一
    受け入れられませんでした。
     最近、過去のマンガがデラックス版で復刻されている中、本作品が出版
    されていないところを見ると、業界での評価もそれほど高くなかったという
    ことでしょうか? 

       最初に兄が買ってきた単行本を読んだのが確か高校在学中で、最終巻を
    読んだのは浪人中と記憶しています。私の人生で一番多感なしかも不安定
    な次期に読んだせいでしょうか、豪助の生き方に共感を覚え、いつか自分も
    海外へ出て仕事をしたいと思っていました(結局実現しなかった)。
    それでも多少生き方に影響を受けたのは事実でしょう。

     話の内容については既に高月さんが全話の解説までつけてしまっているの
    であえて話すことではありません。私も本作品の終わり方については納得が
    いかなかったのを覚えています。はっきり終わったということがわからず
    7巻を読み終わり、8巻の発売を心待ちにしていたところ、兄から終了した
    ことを聞き唖然としました。

     ところで最終回の解説に「大佐がアメリカ人女性を道ずれに自殺を図る」
    とありましたが、私の記憶では大佐はアメリカ人要人の娘である女性に近づき
    情報を得て保身を図ろうとしたのではなかったでしょうか?間違っていたら
    すいません。

     さて作者の御厨さと美氏のことですが私もその後氏の作品は読んでいませ
    んが週刊プレーボーイ誌上で連載されていた「ケンタウルスの伝説」は氏の
    作品ではなかったかと記憶しています。時期的には「裂けたパスポート」と
    オーバーラップもしくは多少後であると思います。それを実証する証拠として
    「ケンタウルスの伝説」中、バイクが高速道路(多分東名)を疾走する場面
    で高速バスの窓からバイクを眺める豪助とマレッタの顔が描かれていました。
     そのほかSFアニメビデオ「ノ−ラ」のキャラクターデザインを手がけて
    おられましたが、たしかそれは84〜5年頃ではなかったかと思います。
    私の記憶では「ノ−ラ」という主人公の少女がマレッタそっくりでした。
    出版元はポニーキャニオンです。その後「ロック ミー ノーラ」という続編が
    出ていたので多少人気はあったのでしょう。
     いずれにしてもあれだけの作品を描ける作者がその後世に出ていないのは
    何とも残念です。

     今後も高月さんの評論に期待します。
     雁谷哲 作/池上遼一 画「男組」を取り上げて頂けないでしょうか?
    個人的に思い入れのある一作なので....
     

     先日横浜にあるマンガ喫茶に行ってきました。そこには1万5千冊のマンガがあり
    料金体系も良心的です。暇な休日には最高ですね。結婚を機に自分の蔵書(500冊
    くらい)を全部売り払ってしまった私にとっては天国のようなところです。(でも
    「裂けたパスポート」は置いてありませんでした)

    「男組」、分かりました。でも少し待って下さい。
    春休みに、出来ればと思います。


                           

  4. S-Nさん(明治大学2年)1997/1/16掲載
    E-mail: S-N@network.or.jp

    はじめまして。僕は手塚治虫大ファンの大学2年生です。漫画、コミックのファン
    のホームページというのは結構多いですが、このような捉え方をしているページはあ
    まりなく、なかなか面白いと思います。
     藤子不二雄のまんが道の紹介のなかで「そのうち続編が描かれるに違いない」とあ
    りますが、続編はもう書かれています。げんざい『F.F.ランドスペシャル』という名
    で中央公論社から藤子不二雄全集がでていますが、その中にまんが道の第2部がおさ
    められています。ただ第2部といっても全集の本の大きさで2冊だけです。それを読
    んで頂ければわかると思いますが、本当は第1部?の「未完」で終わりのつもりだっ
    たようです(手塚治虫の自伝『ガチャボイ一代記』では「未完-手塚治虫という人は
    、げんにまだ、生きているというはなしですから!」という風に結んでありますが、
    藤子不二雄もおなじようなつもりだったのではないでしょうか)。短いですが読む価
    値はあると思います。ただしこれにはちゃんと完と書いてあります。

     紹介してほしい漫画を二つあげたいと思います。『ゴルゴ13』と藤子・F・不二雄
    「SF短編集」です。ゴルゴ13は思想性はほとんどゼロですが、世界情勢などについてす
    ごく勉強になります。SF短編集のほうは物事の見方がずいぶん変わります。藤子・F
    ・不二雄=ドラえもん・子供まんがという見方も変わると思います。

     あと会議室のようなもので意見をもっと募集されたらどうでしょうか。お忙しいと
    は思いますが、面白いページなのでこれからもがんばって下さい。

  5. K-Yさん(東京大学教養学部文科I類二年)
    e-MAIL: K-Y@komaba.ecc.u-tokyo.ac.jp
      http://www.komaba.ecc.u-tokyo.ac.jp

    本日、ホームページに立ちより、楽しく読ませていただきました。
    一漫画読みとして、「漫画はもっと評価されるべきだ」と常々思って来たのですが、
    そういう思いを抱く人がここにもいたんだなあ、と嬉しく思いました。
    ラインナップに加えて欲しい作品がいくつかあるので、若干の解説(ひいきのひきたおし)
    つきでお送りします。
    まず一般に、ギャグ漫画がほとんど紹介されていない。ただ、これはページの方向性から
    考えてやむをえない、とも言えるのでひとまずおきましょう。ギャグ漫画以外でも、「この
    作品を読まずして」という作品がいくつか抜けているような気がします。(あくまで個人的
    な好みですが)ざっと、「紹介して欲しい」漫画をリストアップします。

    宮崎駿「風の谷のナウシカ」
    <解説> 日本随一の映像作家・宮崎駿の唯一の長編コミック。
    映画に比べ深みを増した世界で繰り広げられる壮大なストーリーを通じ、
    混沌の現代を生きるための、絶対的な生の肯定のメッセージが描かれる。

    大島弓子 「綿の国星」「秋日子かく語りき」
    <解説> 彼女の作品どれをとってみても、その作品を読むものを癒してくれる不思
    議なダイナミックさを持ち、彼女の視点は、現実の世界を魅力溢れたもの
    に変質させる。

    高野文子 「棒が一本」
    <解説> 精神的に、ものすごく高い次元で安定している作品。
    静けさのうちに、限りないエネルギーを秘めた、「静穏」とでも表現すべ
    きその作品を包む空気は、読者の心にしみとおる。

    岡崎京子 「pink」
    <解説> 岡崎京子の素晴らしさについては語る必要がなさそうですので、特には解
    説しませんが、一般的な評価からも、個人的な好みからも、彼女の最高傑
    作はこの作品だと思います。

    安達哲 「さくらの唄」「キラキラ!」
    <解説> 岡崎京子や山本直樹に似た、「通俗を描き切ってその奥に潜む何かを描く」
    漫画家。深さでは「さくらの唄」を、爽快さでは「キラキラ!」が秀逸。

    他にも好きな作品はあるのですが、一般的な評価を勝ちとるのは難しそう、という判断の
    下、割愛します。とりあえず上にあげた作品は是非、貴ページに加えて下さい。では。

  6. O・EIKOさん(大学職員)
    E-mail:O-E@.ac.jp/

    今後、「ベルサイユのばら」も登場するとあって、興奮しております。何を隠そう史学科
    を目指したのは、ベルばらの影響なのです。
     私のお薦めですが、(ご存じの節はとばして下さい)

     里中満智子「天上の虹」 持統天皇物語だが、万葉集の歌を作者が解釈することによって、ストーリーを作っている。

     山岸良子「日出処の天子」・・・言わずもがな、です。

     大和和紀「あさきゆめみし」・・源氏物語の新解釈です。女性の夢をうまく絵にしています。

         いずれも古代史なのですが、ストーリー作成力においてのオリジナリティは,群を抜いてい
    ると思います。その点では池田理代子もしかり・・ですね。
     私事で恐縮ですが私も日本古代史が大好きなので娘(2歳)には古事記から取ってきて
    「咲耶」と名付けてしまいました。海彦、山彦の母の「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」
    から取ったのですが、ある人に「静岡市の守護神です」とご指摘を受け、意外と言えば意外で
    ございました。
    メールのついでに、もう一つおすすめは

     榛野ななえ作の“Papa told me”です。

    集英社のヤング・ユーという月刊本で今も連載中です。コミックスは現在17巻まででてい
    ます。確か2年くらい前に漫画の賞(講談社だったかな?)を受賞しました。私はたまたま見る
    機会があったのですが、この頃の漫画には珍しくフェアリーなストーリーです。小学生の少女と
    若いやもめのハンサムな父の日常ですが、両者の心情がとてもよく描かれていると思いました。
    もっとも、男性が読んだときどんな反応かは二分されると思います。ウチでは義弟(夫の弟)
    が全巻揃えているにもかかわらず、夫は全く面白くないといっています。きっと少女や女性の理
    想の男性像、父親像なので、実際のチチ・オットとしては面白くないのでしょう。私は、作者の
    実体験がベースにあるんじゃないかなあなどと想像してます。
    ハハとしての観察ですが、娘(2歳)は出先でアンパンマンのイラストを見つけるとものすご
    く反応します。家ではアンパンマンの物がないので、情報が事前に無いにも関わらず、ものすご
    い喜びようです。オバQにしろ、ドラえもんにしろ、子供のアイドルになるには何らかの不文律
    があるのですね。・・・漫画の話しだときりがなくなりますが、このへんで。

  7. O・EIKOさん(1996年12月5日)

    「ベルばら」の解説を読みました。大変に鋭いチェックをなさっているのに驚きました。
     私が知っている限りでは、ベルばらを執筆した当時、池田理代子さんは若干23歳です。膨大な
    資料を読みまくったそうです。ご本人がいつか書いていたのですが、当時、女性漫画家はまだまだ
    認められておらず、出版社からもワンパターンの「学園もの」「恋愛もの」を求められ、つくづく
    嫌気がさしていたそうです。連載当時もしばらくは「歴史物はヒットしない」と版元からは邪険に
    され、何度も圧力をかけられたそうですが、読者の熱い支持に支えられ、さらに「オスカル助命嘆
    願運動」まで起き、まさに今で言う“双方向”の連載だったようです。特にご本人はオスカルの死
    で終わりとしたかったようですが、強い要望があってアントワネットとフェルゼンの最後まで描い
    たようです。(今の大学生を見てみると、果たしてこれだけの卒論を書けるかどうか。もし書いて
    いれば即修士号ものでしょう。)

     というバックがあって考えてみますと、少女漫画の定番としてアントワネットとフェルゼンはやっ
    ぱりストーリーの中では“恋愛もの”としてはずせません。また、オスカルが自分のアイデンティ
    ティに目覚めるきっかけといい、真の幸福はどこにあるのか・・と苦悩する背景にあるのはやはり
    フェルゼンの存在が大きいと思います。個人的にはフェルゼンってあまり賢そうではないので好き
    ではないのですが。

     また、連載当時はちょうどベトナム戦争終結時、国内では学生運動直後と言う事情から、若い作者
    が何らかの影響を受けていたのではないかとも考えます。故にオスカルは“男装の女性”でなくては
    ならなかったと思います。
    なあんて小難しいことを云わなくても華麗な世界と美男美女、お姫様の
    そろっているだけで、ヒットは間違いない作品ですね。
     私が初めて目にしたのは9歳の時、あのときの感動は20年以上経っても忘れられません。(蛇足
    ですがビートルズのアビーロードを聞いたときも同じようにビックリしました。)
     池田理代子さんは昨年音大入試にチャレンジして合格し、話題の人ですが、ホントに羨ましい生き方
    をしていると思います。

     以前「ベルばら」の足跡を訪ねたくてパリの革命博物館とコンシェルジェリーに行ってみま
    した。日本との文化・思想の違いがまずショックでした。アントワネットとルイ16世の手紙をみると、
    ごくごく普通の人たちですし、きっと時代が読めなかった不幸だったのだ、という感が強かったです。
     作者が心を動かされたことがよくわかりました。しかし、同時に展示してある当時の風刺画や王家を
    皮肉った絵柄の食器などをみると、庶民の憎しみ・苦しみの強さにこれまた驚きを隠せませんでした。
    日本の歴史でもここまで君主に対して憎しみを露にしたことがあるでしょうか? もちろん何時の時代
    も弾圧された人々の悲劇はあるのですが、風土の違いというのか今に連なる曖昧さというのか、特に
    天皇に対して無条件に抵抗しない国民性はすごく珍しいですね。
     天皇制と云えば、前におすすめした里中満智子の「天上の虹」も古代天皇制の
    系図と万葉集からストーリーを構築している大変な力作です。
     筆者の里中さんはこの頃各種委員などを頼まれて、忙しいらしく途中で連載がストップしたままなの
    が残念です。
       ところで毎回挿し絵が入っていますが、ご自分で書いていらっしゃるのでしょうか?

    [そうです。何もないよりは下手な絵でもアクセントがあっていいだろうと、マウスで描いています(高月)]

  8. I-Sさん(36歳)
     e-mail: i-S@po.cisnet.or.jp
    -映像時代と青少年-をサイバー聴講して

    私は、36歳の男性です。はっきりと言って私は、マンガを読むが好きではありませんで
    した。マンガを読むためには

    (1)イメージを膨らませないと読み進めない。
       いつでも部分であり、前景であり、背景であり、拡大図であり、縮小図である。
    描かれていない部分の方が多いのであり、それは読者の想像に委ねられる。
    (2)読者の想像力を働かせないと読めない。
       コマからコマへの展開の部分に、必ず時間的経過があり、それは一瞬のこともあれば
    1日か1週間か1年かのこともある。コマに描かれない空白の時間も、それは読者の
    想像に委ねられる。

    今考えると私は、イメージの膨らませ方がへたで右脳(イメージ脳)を使う訓練を怠った
    ような気がして残念です。潜在能力を自然と無意識に引き出す手段であったかもしれない。
    たしかに私の長女(5歳)が2歳のころから絵本を見だしたのですが、正確にいえば私が
    読んで聞かせてあげたのですが,耳から入る情報と絵を見ながら彼女自身の中でイメ−ジを
    膨らませているのが時間の経過とともに感じれられました。 あれはね... なんよと私に教
    えてくれます。
    ではサイバー時代を生き抜くには、

    (1)GUI(グラフィカルユーザーインタフェース)を多様したイメージと音と文字の組み合
    わせによる主張を制作できる能力が必要
    (2)潜在能力の開発(想像力)
    これには、三十なかばでマンガをを読んでイメージの膨らませる訓練することだと感じた。

     

  9. M-Nさん
    M-N@tamacc.chuo-u.ac.jp
    http://www2.gol.com/users/ohtsuka/index.html

    はじめまして。
    面白く読ませてもらいました。まんが書評のページって、結構マニアックなものが多い中、
    このページは比較的僕と読書傾向が似通っていて、言っていることがよく分かりました。
    ただ思うのですが、塀内夏子の『勝利の朝』。なにをもってよいまんがといわれるのでしょう
    か。あのまんがが提示する問題は僕も十分認識していますが、果たしてまんがとして面白いで
    しょうか。また、まんがであれを語る必要はあるでしょうか。逆に言えば、まんがで語ることに
    よって問題意識が薄れてしまう可能性はないでしょうか。あのまんがを読んだどれだけの人が、
    冤罪について真剣に考えたか分かりませんが、恐らく多くの人が、あのまんがをフィクションと
    して捉えたのではないでしょうか。
    そう考えたとき、果たしてあのまんがが提起した問題は、本当に読者に伝わったかと言えば、
    伝わっていないような気がするし、その意味ではあのまんがは失敗なのではないでしょうか。
    また、まんが道についてですが、あのまんがが戦後まんが史の資料的価値を備えたまんがであ
    り、同時に戦後史の貴重な史料にもなり得ることには賛同します。しかしあのまんがには大きな
    見落としがないでしょうか。手塚を頂点とする日の当たる道を歩いたまんがばかりが語られ、そ
    の一方で手塚に対するアンチテーゼとして登場した劇画にはほとんど触れられない。その意味で
    は非常に片手落ちであり、資料的価値を見出すとき、非常に恣意的な回顧録であることを忘れた
    はならないと思います。ただ、まんがとしてはとても面白いことは間違いないですよね。
    「緋が走る」についてですが、これを「夏子の酒」と一緒にするのは納得できません。確かに
    焼き物という一見まんがと相いれない伝統芸能をテーマにとり、その緻密な知識なども盛り込ま
    れて入るものの、「夏子の酒」が、純粋に避け作りにかける夏子の姿を描いたものであったのに
    対し、こちらはつねに勝負事が付きまとい、どうもうっとおしい。果たして焼き物の世界にあれ
    だけコンテスト的なことがあるのかどうか疑問だし、勝負することが話の中心になってしまい、
    何のために焼き物を取り上げたのか分からなくなっている。勝負を通して精神的、技術的な成長
    があるからまだいいが、そうでなければ「おいしんぼ」となんら変わらない駄作になる危険性を
    持っている。
     ドラえもんに関して一言。ドラえもんは僕もよく読んだし、大好きです。ただ、児童まんがと
    して稀少価値だったから、そしてテレビ放映されたから、だけでは、国民的まんがとなったこと
    の説明としては、説得力を書くように思います。もう少し説明が欲しいのですが。
     山本直樹について。山本直樹の作品世界は仮想現実であるということですが、僕は、まんがは
    すべて仮想現実だと思います。そして、仮想現実は結局のところ仮想である以上虚構にすぎない
    とも思っています。又、「古い大人の〜」と書いてありましたが、果たして有害コミック批判は
    言われるような「古い大人」からだけのものだったのでしょうか。僕は相当にはまんがは好きで
    すが、やはりあの時期の性的表現の行きすぎは憂慮と言うか、嫌悪を感じていた一人です。
    今一つ。性的なものが加わることで、まんがが文化として確立したとありましたが、では性的
    表現を伴わない表現活動は文化ではないのでしょうか。
    自分の意見を述べることなく、疑問や批判めいたことばかり書いたことをおわびします。もし
    宜しければ、今日の質問に答えてください。
    僕は今、友達のホームページにまんがに関して好き勝手なことを書かせてもらっています。
    よかったら読んで、ご感想をお寄せください。もちろん批判反論も大歓迎です。

  10. SKAZUさん
    E-mail:skazu@.or.jp

    ホームページを拝見させていただきました。
    私は今35歳で二人の子供の父親です。私も少年誌ととも成長してきました一人です。確かに
    「漫画なんて」という考えを持った方がいらっしゃいますが、すべてがたかが漫画というような
    作品ばかりではありません。子供心にワクワクしたり勇気づけられるようなすばらしい作品も数
    多くあります。今、情報が氾濫している中でどれを子供達に与えるかがこれからの周りの大人達
    の責任であり課題ではないでしょうか?
    子供達の知識の吸収力は凄い物です。漫画を規制するのではなく、選択できるような環境を
    作っていきたいものです。
    これからもすばらしい研究をお続けください。

  11. I-Kさん(市民・元郵便局長)

    「何故まんがを読むのか」を聴講して

    当方、昭和一桁の人間、「マンガ即低俗」の時代背景のもと、感性を養い磨くことを残念ながら
    封じられて育った世代である。
    もちろんその頃でもまんがを愛し熱中していた人が存在したことは承知しているし、その積み重
    ねが現代の隆盛をもたらし、市民権を得ているなどという段階がとっくに過ぎていることも感じて
    はいたが、大学で研究対象になっていることには、やはり胸中唸ってしまうところがある。
    講義中掲出された作家については、新しい知識として興味をもって聴いたし、92年度の調査の
    結果として、全書籍14億冊発行中、マンガ本が5億冊と知らされて驚いた。
    良いマンガ、悪いマンガの分類も分かり易く、基準とする明確な思想性、テ−マの一貫性、絵の
    芸術性など、他の文芸作品の評価にも通ずることがよく理解できた。
    しかしマンガの刹那性、極端なデフォルメなどに接すると、文字を媒体とする文芸作品とは全く
    異質のもの、つまり「読む」ではなく「見る」を感じ、つい文字離れに結びつけてしまう。
    資料によれば、「マンガとアニメは世界に通じる新しい文学形式」だという。ここまできたら、
    文学にすり寄っていくことなどなかろうと思う。芸術の新しいジャンルとして立場を鮮明にすべき
    であろう。


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