現代を照射する

「大人に面白いマンガ」10冊

テーマは高齢化、家族、障害者、歴史・・・

雑誌「望星」1998年12月号掲載:

(東海教育研究所:発行)


「面白くなければマンガではない」と言った人があるが、けだし名言である。
しかしさて、どんなマンガが面白いのかとなると、十人十色であって客観的基準など
存在しない。マンガも小説や映画の世界と同じで、個人の関心と趣向の世界に属する。
ただ、「大人に」推薦できる作品となると、自ずと限定される。何といっても、内容
・形式ともに映画や小説にも優るとも劣らない一定水準のマンガ表現の独自性をもって
いることである。だから活字の補助的役割を担ったようなものや、もともと映画やアニ
メであるもののダイジェストみたいなマンガも駄目である。次に、人生経験豊かな
「大人」の知的関心を刺激しうるだけの作者自身の思想性(人生や人間や歴史をみる
確かな目)をもったものでなければならない。昔なら小説や映画に向っていた優れた
才能が、いまマンガに向っている時代である。面白いマンガが次々に産み出されてい
るが、ここで紹介するのは、ストーリー・マンガの中で私の好みと読書経験に基づく
ほんの一部の作品であることをお断りしておきたい。

つげ義春「無能の人」
つげ義春は、その深い思索的な内容の不思議な魅力ゆえに時を超えて読まれ続けて
いるマンガ家の一人である。八十年代に描かれた「石屋シリーズ」の連作「無能の人」
では、つげ義春の思索はついに「人間の死に様」というその極点に達した感があり、
鬼気迫るものがある。主人公が近くの多摩川 の河原から拾ってきた売れるはずもない
石に名付けられる「孤舟」「怒」「泪」といった言葉が、主人公の心情をよく表して
いる。世俗的な価値を疾うに否定している主人公にとって、石が売れるかどうかはどう
でもよいことであって、石はむしろ無価値なものの象徴としてただあるがままに存在
しているだけである。そして人生も石と同じようものではないのか。だから、主人公
は妻に「役立たずの無能の人」と軽蔑されても、それを黙って受け容れるのである。
死は人生の価値の究極的な否定である。死を思いきり無様に描くことによって、世俗
の生に執着する煩悩を徹底的に否定し、物欲や名誉や富を剥ぎ取ったところにある
「生そのもの」を作者は肯定するのである。

谷口ジロー「犬を飼う」
最近、「坊っちゃんの時代」で明治時代の精神風土描いて一躍脚光を浴びた谷口
ジローである。「犬を飼う」は、作者自身と思われる男が、犬を飼うために郊外に
引越した時に始まる。それから十四年、タムタムと名付けられた犬は、その寿命の
最後を迎える。老衰のために日々弱々しくなっていくタムタムを精一杯看護する夫
妻の愛情と、それに応えるかのように最後の最後まで力の限り生きようとする犬の
凄絶な生命力と、そして遂に力尽きと息途絶えてしまった愛犬の死に寄せる夫妻の
悲痛な哀切とが、実に感動的に描かれる。
「生きるという事、死ぬという事、人の死も犬の死も同じだった。」と作者の言う
ように、日一日と老衰していく犬の物言えぬ苦しみとそれを精一杯看護する夫妻の
労苦と悲しみを通して、このマンガは、本格的な高齢化社会の到来を迎えて、誰しも
避けて通れない身近な家族の寝たきり老人や痴呆性老人、あるいは末期ガン患者の
ホスピスのあり方について、多くの示唆を与えてくれる。

近藤ようこ「アネモネ駅」
平凡な日常性の中の心理ドラマを静かに淡々と描く女流マンガ家の代表者の一人が
近藤ようこであろう。この作品は、幾つかの家族心理ドラマを集めたものである。中
でも、両親の離婚によって子供が受ける心の傷を描いたものが多い。離婚した母親と
その娘が心理的にぎくしゃくして行く様子を描いた冒頭の「似蛾蜂」、夫が他に女性
をつくって離婚話を持ち出したことで幼い娘を連れて実家に帰ってしまったが、夫が
女性と分かれて再び詫びてきた時に苦悩しながらも娘のために夫を受け容れ再出発し
ようと決意する最後の「アネモネ駅」、いずれも離婚とそれが子供に及ぼす心理的影
響を静かに淡々と描いたものである。近藤ようこのマンガは、人生の裏悲しさや孤独
や悪意のない傷つけあいを描くが、読んだ後は人間の善意と優しさに救われるのである。

山本おさむ「どんぐりの家」
近年、障害者問題に取り組む特異なマンガ家である。この作品は、埼玉県に実在す
る聾重複障害者の共同作業所「どんぐりの家」に取材し、自らもその活動の一端に参
加した作者が人間の尊厳と生きることの意味を問いかけた感動的な作品である。
行政や政治の光の当たらないところで、障害者たちがどのような現実を生きている
のか、その家族や教育に携わる人々がどれほどの犠牲を強いられ、どんな苦闘を続け
ているのかを、この作品は重度障害者の一人一人の個性的な「生きる努力」と、その
親たち、教師たちの共同作業所造りに汗と涙で奮闘する過程を通して描いている。
教師や親の言うことを理解できなくて自傷行為に走ってしまう子供を前に、「むし
ろ理解できないのは教師や親の側ではないのか?」という作者の「共生」への視点に
は共感させられる。

里中満智子「鶴亀ワルツ」
マンガ世代は早、五十代に達しており、遠からず老人ホームや老人家庭を主題とす
る「老人マンガ」が大いに読まれる日が来るかも知れない。
この作品は、「これからは老人もマンガを読む時代になる」と言う作者が、「老人
マンガ」に先鞭をつけた新しい試みのマンガである。舞台は、伊豆の温泉町にある民
間の老人介護施設、「鶴亀ハウス」である。ここでは、様々な人生を生き、それぞれ
に家族の事情を抱えた老人たちが共同生活を送っている。それぞれが苦い過去を引き
摺りながらも、残りの人生を自分なりに精一杯生きようとする。老人ホームでも恋愛
も喧嘩もあるし、見栄からつく嘘もあれば誠実な人間的触れ合いもある。新しい出会
いや別れがあり、喜びと悲しみが交差する。ともかく六十年、七十年と人生を経験し
た人たちばかりであるから、彼らの述懐や人生訓には説得力があるのだ。

坂口 尚「あっかんべエ一休」
この作品は、間違いなくマンガ家、坂口尚が自らの命と引き換えに後世に残した渾
身のライフ・ワ−クである。この大河ロマンは、足利幕府全盛期の華やかな貴族文化
とその対極にある戦乱や庶民の困窮と悲惨の両面を身をもって体験した一休の宗教者
としての生涯を通して実に見事に歴史の実相を描き切っている。
「有漏地より 無漏地に帰る 一休み 雨降らば降れ 風ふかば吹け」
この歌こそ、「一休」の由来であり、彼の悟りの境地でもある。一休は放浪の果て
に泉州堺の町に「集雲庵」なる粗末な庵を結び、名誉や富や体裁に囚われない自由奔
放な生活を送る。それが世間の目には「風狂」と映る。一休の「風狂なる」生涯は、
その特異な出自と、宗教者としての人間愛と、戦乱と民衆の困窮が絶え間なく打ち続
く時代状況の三つの要素を掛け合わせたところに、「あまりにも人間的な」、そして
「あまりにも純粋な」一休宗純の「風狂なる」生涯が形成されたのである。

勝鹿北星・浦沢直樹「MASTERキートン」
このマンガの面白さの一つは、普段はいかにも頼りなさそうで、平凡な男が、事に
あたっては超人的なヒ−ロ−に変身し、敵の攻撃を巧みに回避し、問題を解決すると
いうところにある。二つ目に、この作品の魅力として、豊富な考古学の知識が至る所
に散りばめられている点を挙げることが出来る。三つ目に、このマンガを面白くして
いるのは、世界各地の名所・旧跡巡りはもちろん、辺境の地やヨ−ロッパ各地の片田
舎の風景にも接することが出来るということである。しかも、その描写は極めて正確
で、実にうまいのである。
尚、もう一つ付け加えるとすれば、主人公の生きる姿勢、人生観には共感を覚える。
慌てず、騒がず、自分流の悠然たる生き方、失われゆく美しいものへの、あるいは自
然への優しい思い、極めて魅力的な人間が、ここには描かれている。

安彦良和「虹色のトロツキー」
舞台は、旧満州。物語は、昭和十三年、その首都であった新京(現在の長春)の郊外
に新設された建国大学に、日蒙二世の主人公ウンボルトが関東軍参謀の辻政信に連れら
れて入学するところから始まる。満州事変の首謀者として知られる石原莞爾や関東軍参
謀長の東条英機やその部下の甘粕正彦ら実在の錚々たる歴史上の人物や事件が描かれ、
当時の都市、建築物が実に正確に描かれているが、作者は「この物語はフィクション」
だと言う。確かに最後にノモンハンでのソ連軍との戦闘で倒れるまでの主人公の愛と
苦悩の物語はフィクションであろうが、大筋は歴史的事実に基づいている。主人公を日蒙
二世に設定したことによって自らの批判的立場を確保し得た作者の巧みさと歴史を見る
目の確かさには感心させられる。トロツキーは、満州国の影の支配者たちがその影響を
恐れた幻の登場人物であるが、作者の真意は、恐らく満州国そのものが日本の軍国主義
が追いかけた虹のような存在であったというところにある。

諸星大二郎「暗黒神話」
彼の作品の特徴は、古代史を神話や宗教や伝説と関連づけながら巧みな物語を、それ
もSF的要素とミステリー的要素を多分に盛り込んで構成してあるところにある。その
ため、マンガの中では飛びぬけて文字情報の多い諸星作品であるにもかかわらず、つい
読者は惹きつけられてしまう。物語は、何故か縄文土器に魅せられた武少年の日本古代
史への冒険譚という形をとっているが、主題は『古事記』や『日本書記』に登場する神
話の解釈、中でも暗黒神とされるスサノオを一つの天体現象の象徴と解釈する点にある。
武少年とヤマトタケルは、「別べつの時空間に同時に 存在する同じひとりの人間である」
という意表をつく仕掛けになっている。この仕掛けは、神話の世界に読者を誘い入れ、
古代の神話世界を現在に蘇らせるマンガ的・SF的手法としては面白い。

御厨さと美「裂けた旅券」
その多彩な内容と随所に散りばめられたその会話の洗練された表現において、「大人」
にもとても面白い作品の一つである。内容的には、政治経済やビジネスに関する情報を
取り扱ったものから、日仏、日欧の比較文化論、人間愛を中心にした人生論など多彩で
ある。
主人公羅毛豪介は、ヨーロッパを渡り歩いて十五年の職業不定の日本人、古びた旅券
だけを商売道具に活動する何でも屋である。「 国際警察24時」では、パリ郊外にあ
る「国際刑事警察機構」の本部に日本の警察庁から派遣された警部とともに日本赤軍と
思われる日本赤師団の誘拐事件をテ−マに豪介とマレッタの活躍が描かれる。マレッタ
はもと「ブローニュの森の女」であったのだが、警察署長の依頼で豪介が保護すること
になった少女で、これ以後豪介と父娘のような関係のパートナーとなる。「一匹狼」の
活躍という比較的単純になりがちなこの種の物語に、厚みと彩りを加えたのがマレッタ
の存在で、人間の自立や異文化理解といった人生論的、文化論的思想を語る場が設定さ
れたことが、この作品を一層良質な作品にしている。


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