kon.3 カミーユ・サン=サーンス「動物の謝肉祭」  
                        Camille Saint-Sa
ёns 「Carnival of the animals」



謝肉祭とは、キリスト教の祭りのひとつで、謝肉祭期間は、仮面劇が行われたり音楽会を開いたり、お祭り騒ぎが許されていた。

1886年、サン=サーンス(当時51歳)はオーストリアのクルディムという町で静養していた。サン=サーンスの滞在中に謝肉祭があり、そこでサン=サーンスの

友人が主催でマルディグラ(謝肉祭の最終日)のコンサートが行われることになった。サーンスは、そのコンサートで演奏する為に、この「動物の謝肉祭」を作曲

したのだが、友人の音楽家達で演奏する為に書いたので、編成が変わっている。

2台のピアノ、ヴァイオリン2、ビオラ1、チェロ1、コントラバス1、フルート1、ピッコロ1(フルートの持ち替えだったかな?)、クラリネット1、木琴1、グラスハーモニカ1、

という、「2台のピアノを中心とした室内楽編成」といった感じが、オリジナルの編成だそうだ。しかし、現在では、オーケストラ編成で演奏することも多い。その場合は、

オリジナルの弦楽5部(第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)のパートを、オケの弦セクション全員で演奏する。

因みに、ピアノソロ用(連弾用もあった気がする。)の楽譜も出てますね。


 
グラスハーモニカ → 水盤上(絵で見ると、カップのような形)のガラスを大きさの順にならべ、中心に軸を通し(横向きにつなげる)、それを回転

                 させながらぬれた指で触ると音が出る、という楽器。見た目はオルガンのようで、足踏みペダルみたいなものも付いてる。

                 現在は、めんどくさいからなのか分からないが、チェレスタやグロッケンシュピールで代用している。ということです。



この曲は、田舎町のコンサートで仲間内で楽しむためだけに作られた作品なので、サン=サーンスとしては、軽い気持ちで作ったらしい。また、いろいろな作曲家の

作品のパロディがたくさん組み込まれている為、それらの作曲家からの批判を恐れて、「動物の謝肉祭」を世に発表するつもりは無かったらしい。自分でも作品を

余り高く評価していなかった。しかし、後に、サン=サーンスの遺言に従って、サーンスの死の翌年に出版された。但し、完全なオリジナルで、真面目に書いた

自信作「白鳥」のみ、生前に出版された。


全14曲解説


序奏と獅子王の行進
Introduction and
       Royal March of the Lion

Introdaction et
    Marche royale du Lion
アンダンテ・マエストーソ
  →アレグロ・ノントロッポ 
     → ピウ・アレグロ
ハ長調
   → イ短調

4/4
短い序奏の後、ライオンの王様が入場してくる。
ピアノでのファンファーレ風序奏の後に現れるのが、
ライオンの主題。
原曲は、ピアノ2台と弦楽5部による。
雌鶏と雄鶏
Hens and Cocks / Poules et Coqs
アレグロ・モデラート ハ長調

4/4
鶏の夫婦が口げんかをしながら登場する。
原曲はピアノ2台とクラリネット、ヴィオラ、ヴァイオリン2。
らば
Wild Asses 
Hemiones(Animaux Veloces)
プレスト・フリオーソ ハ短調

4/4
らば(注1)が登場し、跳ね回る。
原曲は、ピアノ2台のみ。

Tortoises / Tortues
アンダンテ・マエストーソ 変ロ長調

とってもスローな亀が登場。この最初のテーマは、
オッフェンバックのオペラ「天国と地獄」の中の「カンカン」
のメロディ。しかし、「亀」では、本家のテンポより凄く遅い
テンポにしてある。亀の「のろまさ」を強調するために。
原曲は、第1ピアノと弦楽5部。

The Elephant / L'Elephant
アレグレット・ポンポーソ 変ホ長調

3/8
おどけが象のワルツ。中間部のメロディは、ベルリオーズ
の「ファウストの劫罰」の中の「妖精の踊り」と、
メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」の「スケルツォ」を
借りていて、それを原曲より低い音で演奏し、象の雰囲気
を出している。
カンガルー
Kangaroos / Kangourous
モデラート ハ短調

4/4
カンガルーが2、3回跳ねては立ち止まる、を繰り返す。
テンポはモデラートに指定されているが、アッチェレしたり
リタルダンドしたりと、揺れる。
跳ねている時は4/4拍子だが、立ち止まっている時は
3/4に変わる。
原曲はピアノ2台。しかし、2台が6小節ずつ交代で演奏
するようになっている。2匹のカンガルーを表している。
のかもしれないらしい。
水族館
The Aquarium / Aquarium
アンダンティーノ イ短調

4/4
水槽の中の気泡がはじける様子を描いた曲。水槽の中
には、熱帯魚などが泳ぎまわっている。
原曲はフルートとグラスハーモニカ、ピアノ2台と弦楽4部
(弦バス抜き)で演奏される。
ペダルを踏んだピアノの高音域が、気泡をあらわす。

耳の長い登場人物
Personages With Long Ears
Personnages a longues oreilles

テンポ・アド・リビウム イ短調

3/4
耳の長い登場人物とは、ロバのこと。
ただ、ロバには「のろま、まぬけ」などの意味もあり、
この曲でサン=サーンスは、自分の曲を悪く言う音楽
評論家たちのことをロバに喩えて皮肉を言っている。
だからタイトルはずばりロバと言わず、耳の長い・・・と
なっている。遊びで書いた曲だからね。
原曲はヴァイオリン2。
森の奥のカッコウ
The Cuckoo  
Le coucou au fond des bois
アンダンテ 嬰ハ短調
 →ホ短調

3/4
森の奥から響いてくる郭公(カッコウ)の鳴き声。
1本調子な鳴き声をクラリネットが担当する。
原曲はクラリネットとピアノ2。
10 大きな鳥籠
The Aviary / Volieres
モデラート・グラツィオーソ ヘ長調

3/4
動物園にある大きな鳥籠(鳥小屋か?)で何種類もの
鳥が囀っている。
原曲はフルート、ピアノ2、弦楽5部。
11 ピアニスト
Pianists / Pianistes
アレグロ・モデラート ハ長調

4/4
ピアニスト(勿論人間)すらも動物に入れてしまう。
練習曲風の曲を何度も何度も繰り返すが、途中で
ピアノの先生の怒鳴る声が遮る。機械の様に面白みの
無いピアノ演奏を皮肉っている。サン=サーンスも
練習曲は嫌いなのかな。やっぱり。
12 化石
Fossilis / Fossiles
アレグロ・リディアロ ト短調

2/2
夜中の博物館の中で化石が動き出す様子をあらわす。
実はこの化石は人間の骨の化石、つまり骸骨が踊り出す。
サーンスは、聞き古された音楽も、音楽に於いての化石で
ある、と皮肉る。とは言え、古いものの中にも良いものは
たくさんある。一番最初に出てくるメロディは自作曲
「交響詩・死の舞踏」、次にキラキラ星、月の光、三匹の
盲ねずみ、フレール・ジャック、などのフランスの童謡や
民謡、次にロッシーニの「セヴィリアの理髪師」のロジーナ
のアリア「今の歌声」がフーガの様に絡み合う。
原曲は、クラリネット、シロフォン(木琴大活躍の曲)、
ピアノ2、弦楽5部。
13 白鳥
The Swan / Le Cygne
アンダンテ・グラツィオーソ ト長調

6/4
この組曲の中で一番有名な曲。単独でもよく取り上げ
られる。2台のピアノがアルペジオで湖面をあらわし、
チェロが優雅に泳ぐ白鳥をあらわす。
コンサートなどでは、チェロの代わりにヴァイオリンや
フルートなど、他の楽器でも演奏したり、ピアノの代わりに
ハープが伴奏をつとめるバージョンも聴いたことある。
原曲はピアノ2とチェロのみ。
14 終曲
Finale / Final
モルト・アレグロ ハ短調

4/4
いよいよフィナーレ。
今まで出てきた動物たちが再び登場して、華やかに
カーニバルが終わる。グランドフィナーレなので、原曲
でも演奏者全員総出演だが、フルートのみピッコロに
持ち替える。メロディでも前に登場したメロディが再び
登場。途中にオッフェンバックの「天国と地獄」の
フィナーレのメロディも登場。




1835年 10月9日 パリ 〜 1921年 12月16日 アルジェ



フランスの作曲家、ピアノ、オルガン奏者。

サン=サーンスの母親のおばのシャルロット・マソンに、2歳半の時からピアノを習う。サン=サーンスは音感がとてもよかったらしく、3歳の時にはすでに

ピアノ曲を作曲していた(どんな曲なんでしょうね?自分の3歳半の時のことを考えると恐ろしい!)。

10歳の時には、ピアニストとして正式にデビュー。1848年(13歳)、パリ国立音楽院に入学する。18歳の時に「交響曲第1番」、24歳の時に「第2番」を書く。

61〜65年、ニデルメイエール学校で教師として働く。71年には、フランスの作曲家の新作を披露、演奏する為に「国民音楽協会(Societe Nationale de Musique)」

という協会を仲間と共に設立。自分の作品は勿論、シャブリエ、ドビュッシー、デュカス、フォーレ、フランク、ラヴェルなどの作品を初演し、世間に紹介する活動

をした。

88年に母親が死ぬと、サン=サーンスは長期の演奏旅行や、休暇の旅行にばかり出かけるようになる、ロシアに行った時には、チャイコフスキーと知り合った。

フランスでの人気はすでに衰えていたがイギリスやアメリカでは評価され、ロンドンのフィルハーモニック協会の依頼を受けて、1886年「交響曲第3番{オルガン付き}」

を書き、ケンブリッジとオックスフォードの名誉博士の称号も授与された。その後、エドワード7世の戴冠式の行進曲も作曲した。


サン=サーンスは、バッハやベートーヴェンや、メンデルスゾーンやシューマンの影響を受けているらしい。また、当時のフランスでは、オペラやサロン音楽が全盛

だったが、そういった当時のフランス音楽の伝統の影響も受けている。

サン=サーンスは、作曲・演奏の他にも、シャンパルティエ、ラモー、リュリなどの楽譜を校訂したり、音楽評論もした。また、古代ローマ劇場の装飾や、ポンペイ、

ナポリの壁画に描かれた楽器に関する著書の出版もし、音楽以外でも、詩や芝居の作品まである。仕事以外では、天文学や音響学、哲学などにも興味を持った

教養人だった。