徒然乱れ書き日記

10月
  

2005年10月31日(月)
不幸な話

最近ついてない。
「赤ずきんチャチャ(彩花みん)の8巻から13巻までを中古で購入したら、なんと12巻と13巻だけ中身が「こっちむいてみい子
(おのえりこ)の7巻と10巻だった。酷い!売った人が間違えたのか(故意かしら?)、店の人が間違えたのか知らないが、酷い!
おかげで家には、「赤ずきんチャチャ」の12,13巻のカバーと、カバーの無い「こっちむいてみい子」が2冊ある。でも、こっちむいて
みい子が意外に面白かったので、まあ良しとする。

一昨日は、夜車を運転中、長い直線道路の向こうから走ってきた原付のライトがワザとかネジが緩んでたのか知らないが、やたら
ピカピカキラキラ点滅するような感じで、見ないようにしてたのに目立つからつい見てしまったら、案の定酔ってしまった。乗ってたのは
おばちゃんだったから、車体の揺れの所為でライトまで揺れてたのかもしれないけど、とにかくわたしはその光に惑わされて、家まで
残り300メートル程の距離を、吐き気と戦いながら帰ることになった。家に着いてからも、吐き気と頭痛は治まらず、早々と寝るハメに。
何かの呪いだろうか?
元来わたしは、光の刺激に弱い。太陽も苦手だ。眩し過ぎるからだ。蛍光灯も苦手だ。同じく眩しいからだ。頭と目が痛くなるのだ。
だから、コンビニによってはやたらに眩しいタイプのを使ってるので、夜は店を選んで行くようにしている。家でも、色を見なきゃならない
作業意外は白熱灯等を使っている。何年か前に、ポケットモンスターのアニメを見ていた子供が、光の刺激により体調を悪くした事件が
あったが、もしわたしがそれを見ていたのなら、間違いなく気持ち悪くなったに違いないと思う。
(が、ポケモンは愛すべき存在です。)

それからもう一つ。好きになってはいけない相手を好きになってしまったこと。と書くと、わたしを知っている人は意外に思うかもしれない
(そういう事言うようになったのか!という様な意味で)、詳しい事情を話せば多分意外じゃないと思うと思う。こればっかりは、詳細は
ここには書けないのだけど。今のところ2人にしか言ってないけど、2人共とても理解ある友人なので、引きもせず聞いてくれて、少しだけ
共感もしてくれた。ありがとう!
これは初恋と言っても過言では無い。23にもなって何を言うか!とも思うが、今までのは恋では無かった、と思う程なのだ。まるで
ストーカー。半分不幸で半分楽しい。
ただ、最近同級生が続々結婚してるので、そういうのを聞くと、またしても「わたしは人生のどっか分岐点で、道の選択を間違えたのだ」
という不安に捕らわれて悲しくなる。わたしが理想の葬式の計画を立てることに夢中になったり、報われない思いに枕を濡らしたりしてる
間に、みんなは幸せになって行くんだな、と思うと・・・  みんなの思う幸せは別に羨ましくないけど、自分の道が正しいのか間違ってる
のかどうか、が不安でたまらない。と言った所で、性格上他の道は無理だとも思うし。楽しいし、他の人よりやりたいこと沢山やれてると
思うし、世間的に間違ってようが無かろうが、良いのだけど。と、思いながら悩む自分が嫌い。バカ!
叶姉妹の様
(な精神を持って)に生きてみたい。他人に対して奔放に振舞ったりしてみたい。今生でのわたしの性格では、死ぬまで
出来ない行為の一つだ。来世ではそういう人になりたい。

2005年10月23日(日)
雑念を捨てる決意表明
今日は以前に仕立てを頼んだ着物を取りに行ってきた。友達が運転してくれてる車内で、わたしは自分がどれだけ雑念にまみれて
生きてるのか、またそれ故に迷いが無い生き方にとても憧れているのだ、そして、そういう風に生きていない自分が嫌だ。と思っている
ということについて熱弁させてもらった。その結果、よい具合に慰め励ましてもらってよい気分。最近はこの精神状態をなんとかしよう
と、お経や仏教の勉強を始めたりしてみたことも相まって、かなり前向きな気持ちになれた。全ては定め。わたしは迷ってる訳では
ないのだ。全部がわたしに与えられたものだから、全部もらっとけば良い。雑念に惑わされてる暇は無い。わたし頑張る!

それはさておき、出来上がった着物を家で着てみたのだけど、悔しいことにわたしよりお母さんに良く似合う。淋しいけど、歳くってからも
着られる柄ってことなんだ、と前向きに考えて喜んだ。わたしにも一応似合ってるからいいもんね。
今回は、黒
(がメイン)と白と藤色のストライプの着物で、裏は青にしてもらった。めちゃくちゃ渋い。黒に青って組み合わせは初めてだ。
来年の3月に文楽を見に行く予定があるので、その時に着る約束をした。

以前に、お葬式のことについて書いたが、今日の車内でも、19日に別の友達と会った時にも、わたしは理想の葬式についての話を
させてもらった。何故なら、わたしの理想の葬式には、親しい友人達の協力が必要だからだ。
細かいことはまだ決めてないのだが、葬式で「棺の中に参列者が順番に花を入れて行く」というのを何度か見たことがあるが、それを
踏まえて、わたしは参列者に、わたしに捧げたい本を入れてもらいたいと思っている。わたしが死んだと知らせが入ったら、わたしの
友人たちは、自分の本棚に向かうか本屋に向かうかして欲しい。でも急に言われても困るだろうから、前もってこういうプランがあること
を知らせておいて、本をなんとなく選んでおいてもらうのだ。誰がどんな本を持ってくるのか楽しみでならない。まだ死にたくは無いけど、
自分の葬式は楽しみだ。因みに、19日に会った友達は、太宰治の「斜陽」を、今日会った友達は「加山又造の5万円する画集」
入れてくれるのだそうだ。これを読んでいる、遥cpが死んだ時には葬式に行こうと思ってくれる友人知人の皆さん、本を選んでおいて
くださいね。鍵付きの日記帳とかはやめてください。燃えるもの限定です。
骨になった暁には、墓石の下ではなく、椿の木
(わたしの為に買って来てください)の苗の根元に埋めて欲しいな。横に板で「遥の墓」
と書いてください。わたしの魂は椿の木に吸収されて、ずっと後には妖木となり、道路の拡張工事などで切り倒そうとした作業員が次々
怪死、なんていう伝説の元になってみたい。

人生とは、如何に生きるかではないと思うのだ。わたしにとって人生は、自分の理想の死に方
(葬式含む)が似合う人間になるための
過程だ。だから、如何に死ぬかということだ。だからわたしは、みんなが喜んで棺に本を入れてくれる女になりたい。その前に
わたしは本の下敷きになって死にたい。「バカだね、あんなに本を溜め込むからだよ・・・」「でも、さぞかし幸せでしょうね」と言って
もらいたい。死ぬ時も、天に召す時も
(つまり棺の中でも)本にまみれる事になる。きっと本当に幸せだと思う。
今現在のわたしの部屋は天井までの本棚が壁1.5面分あり、しかもわたしはその下で寝ているので、地震でも来たら簡単に実現して
しまいそうでちょっと心配。まだ死ぬわけにはいかない。もっと本にまみれるに相応しい人間になるまでは。
2005年10月12日(水)
かっこいい台詞

お尻にできものが出来てとっても痛い。虫刺されだと思ってたんだけど、どうも違うみたいだ。座っても寝ても痛くて、とっても惨め。
更に最近は、この先に対する不安感とか、何がしたいんだかよくわからなくなってしまっている所為で出てきた喪失感とか、その他
自分に対する漠然とした反省の気持ち等
(と、おしりのできもの)の所為で、とても暗くもやもやした精神状態にあるので、少しでも
気分を盛り上げようと、かっこいい台詞について考えてみた。
まず、わたしの言ってみたい台詞を考える前に、何ヶ月か前の「なかなか聞けない台詞」にまつわるエピソードを紹介したい。
わたしの友達が、ちょっと不幸な恋愛をしてて、その相手の男からこんなこと言われた、という報告のメールが来たのだが、その男の
台詞が、まるで新條まゆ
(少女コミック系の漫画家。ちょっとした問題児)の漫画に出てくる強気な男(主人公)が言うような台詞だった
もので、友達には悪いがわたしは大笑いさせてもらった。具体的には、友達に悪いので書きませんが、確実に新條さんの漫画で
読んだことある台詞でした。本当にそんなこと言う人いるんだ!と思った。

別に上の人の台詞は言ってみたいと思わないけれど、わたしは結構
無意識に(女なのに)プレイボーイ的な発言が多いらしく、一部の
女子に好評だ。先程も、わたしのことを乙女チックな根暗だと言った友人とメールしてたんだけど、友達が「遥cpのことを寝る前に考え
てたら、夢に遥cpが出てきた」と言うので、「古来から日本では、夢に誰かが出てくるというのは、自分がその人のことを思っているから
ではなく、その相手が自分のことを思っているからだ、と考えられてきた訳だから(古文の授業等で習った)、わたしがあんたのことを
考えてたんでしょうよ。」と、平安の歌人
(♂)のような事を書いて送ったら、とても喜ばれてメールを保護された。他にもわたしのプレイ
ボーイ的発言は、友人たちによればたくさんあるのだけど、恥ずかしいので書きません。わざとの時は良いけど、無意識は恥ずかしい。
わたしは男に生まれるべきだったのでしょうか?このことだけではないが、最近は「わたしは道を間違えたのではないか」と思う瞬間が
多々ある。とても不安です。

わたしは武士的発言にもとても惹かれるものがあるなぁ、と日ごろから思っているのだけど、この間自分でも武士的発言をしていたことに
気付いた。わたしの先生にちょっと無理な仕事を頼まれたりした時に、間にあうかな〜無理っぽいな〜とか考えつつも口では「先生が
やれと言うならやりますよ。」と言っていたのだ。こういう頼まれごとはしょっちゅうで、その度にわたしはこう答えていたので、割と頻繁に
武士になっていたようだ。自分が仕える人の命令は絶対。アシスタントともあろう者が、先生の指令をこなせなくてどうする!頼んで良い?
ではなく、やれ!と言ってください、先生。という無意識の心意気に、ちょっと酔いしれた。しかも、何とかこなしちゃうところがまた、素敵
だなあと我ながら思うのだ。できればこの台詞、片膝ついて言ってみたいが、現代にはそぐわないだろうからやらない。きっと引かれて
しまう。

言ってみたい台詞は、たくさんあったと思うのだけど、忘れてしまった。今度からメモするようにしよう。
葬式を思い通りに演出したいわたしとしては、自分の人生の最後の言葉もかっこよく決めたい。葬式に思いを巡らすと共に、最後の言葉
についても普段から、何て言おうか考えているが、なかなか考えがまとまらない。永遠の課題だ。

2005年10月7日(金)
どうにも

風光るがおもしろい。最新巻の18巻まで読んでしまったのでつまらない。続きが気になる。
しかし、この漫画、最後はどうやって終わるんだろう。どこで終わりになるんだろう。沖田さんが死ぬまでなのか、新撰組が無くなるまでか。
そうとう計画立てて描かれてると思うので、この先の予定ももう決まってるのだろう。いいな、作者は。先を知っててさ。
この先、実際の新撰組の顛末は分かってる訳だから、漫画を読んでいても「この人殺されちゃうしな〜。」とか、「いつまでもこのメンバーで
楽しくやっていたい・・・」とか思ってしまう。土方さん恰好いいしね。

ところで、わたしも今修行中でありまして、何の修行かは言いませんが
(別に言えない内容では無いですが)、武士のように自分に厳しく
頑張ろうと決心しました。持てる力を全て出し切ることをここに誓います。
さて、さっきテレビを見ていたら、ミスチルが映っていた。よく芸能人の女が、「私ミスチルの桜井さんの大ファンなんですよー」と言うのを
聞くが、今日の映像を見てわたしは気が付いた。桜井さんと、B'zの稲葉さんは似ているが、その延長線上にバカリズムのマスノさんが
いるということに。前の二人は全然わたしの好みではないが
(偉そうに言ってごめんなさい)、わたしはマスノさん路線の顔が大好きなの
だ。他に芸能人で挙げるなら、アンタッチャブルの山崎さん、東京03の豊本さん、元ノンキースの白川さん、劇団ひとり、それから、元
CASCADEで、現アタックハウスのMAKKOが、その線上にいる。一人を除いて全員芸人だというところに、趣味の偏りが見受けられて
恥ずかしい。友達にこのことを話したところ、「どういう顔が好き?」と聞かれたときに答え易いように、その人たちの系統の顔を何と読ん
だら良いか考えよう、ということになって、一生懸命考えた結果「女装の似合うカニ顔」ということになった。果たして伝わるだろうか。
わたしは女装が似合う顔の人が好きなのだ。きつく断っておくが、決して「女装が趣味の男」という意味ではない。女装癖があっても
いいが、似合ってなければ興味ない。アンタッチャブルの山崎さんは似合わないと思うが、他の人はきっと似合う。実際似合ってた人も
いるし。この中だったら、マスノさん(の顔)が一番好きだ。次は白川さんで、次はまっこうだ。以前、地元の電車に乗っていたとき、どっか
の高校の制服を着た男子が白川さんにそっくりで、思わずふらふらと後をつけた事もある。わたしって気持ち悪い!ストーカーみたい。

ストーカーといえば、1年くらい前に近所のドラッグストアに行ったら、高校の同級生
(女)がいた。その子は凄く見た目が綺麗で、でも
性格的にはわたしと合うタイプではなかったので親しくなったりはしなかったけど、本当に綺麗なのでよく遠くから眺めてたのだ。この
時点でもなんかわたし、気持ち悪いけれども、その店でその子を見かけたとき、自分がが超いいかげんな恰好をしていたこともあるが、
久しぶりに見たその子がますます綺麗になっていたため、眩しすぎて声も掛けられず、でも見たいから、棚の影からこそこそと後を
つけたことがある。その時は見れたことで浮かれてたけど、家に帰って落ち着いてみたら、やっぱりわたしって気持ち悪いな、と思った。
でも綺麗なものは見ていたいんだもの。8月だかの日記にも書いたように、わたしは綺麗なものを見たい欲求が人一倍強いと思うのだ。
甲子太郎か、わたしは!
やっぱりわたしは邪念の塊だ。巡礼の旅にでも出た方が良いかもしれない。でも梨もぎのほうが行きたい。おなか一杯梨食べたい!

2005年10月6日(木)
乙女チックな根暗

「最近のわたしの日記が暗いと、友人に言われた。わたしは根暗だからね。」と、別のメイド系(どんな系統だ!)の友人に話したところ、
「あんたの根暗は乙女チックだから良いのだ」ということを言われた。一体乙女チックな根暗ってどんなんだ!でもちょっと嬉しい。
しかし、わたしは暗い日記書いたつもりは全く無いんだけどな。常にわたしはポジティブな根暗だから。

最近、渡辺多恵子「風光る」を読み返している。わたしが散々「風光る」をすすめてた友達が、ようやく買ったというので、わたしも
引っ張り出してみたのだ。ちょっと軽く読むだけのつもりが、ついつい読みふけってしまい、連日寝不足。だって面白いんだもの。
そもそもは新撰組
(風光るでは新選組)のことなんて殆ど知らなかったのだけど、この漫画ではまって新撰組関連本も買い集める
始末。そういう本も面白いんだけど、事実は事実だからそれ以上どうしようもないけど、やっぱり漫画が一番面白い。「風光る」が
しっかり娯楽作品として仕上がってるからだ。いろんな楽しい要素がうまく詰め込まれて、まとめられてて凄いよね。漫画としてとても
完成度が高いと思う。余分なこと考えないで読めるからもう夢中ですよ。要らないところに引っかからないで済む。
わたしは女郎好きなので、そういった面からも「風光る」は興味深い漫画だ。明里さん素敵。昨日は山南さん切腹で大泣きしました。
作者の渡辺さんは、去年大河ドラマでやっていた「新撰組!」に凄く不満があったようで、かなり毒づいてましたが、わたしは
「新撰組!」の山南さん切腹のシーンは好きでした。というより、明里さんが良かった。単純に鈴木砂羽さんが良かったとも言えるが。
「風光る」の明里さんより、砂羽さんの明里さんのほうが、実際の遊女に近い感じがする。わたしも本物の遊女に会ったこと無いから
知らないが。それ以外は余り面白くなかったかな。三谷さんにしては娯楽性が低いというか。香取慎吾性は高かったけどね。出演者も
豪華だったし。なんかもったいない。

わたしも武士になりたいな。そうでなければ坊様になりたい。他のことには惑わされず、ただ一つ信じたもに向かっていけるのって
羨ましい。わたしの煩悩は108どころではない気がする。惑わされてばかりだ。「風光る」を読むと、毎回とっても反省させられる。
何故わたしはこんなにも惑わされてばかりなのかと。やりたいことがたくさんあって、それで定めきれないのはまだ良いとして、それ
以外のことに引きずられて、ぐずぐずしてるのは嫌だ。しかし、わたしには沖田さんや土方さんや神谷さんのように、誰か一人を心に
決めてついて行くというのは性格的に無理だ。今日までの日記を読めば多少は分かってもらえると思うが。だから、やっぱり仏教
にでもはまってみようか。他の宗教には全く興味無いし。それとも大自然にすがるべきか。また丹頂鶴を見に行くか。でも、何か有る
ものに縋るよりも何も無いということに縋った方がわたしは救われるんでしょうか。本当に、本気で救いを求めてるわけじゃないんだよ。
救われる、という体験がしてみたいのだ。でも、人ではわたしを受け止めきれないらしいから。やっぱ仏様かな。

「風光る」はまだ連載中で、わたしは雑誌の方も買ってるんだけど、まだ完結してない面白い漫画をコミックスで読むのって辛い。先が
気になって仕方ないのに、まだ読めないのだから。もっと長く読みたいけど、早く終わって欲しいとも思ってしまう。
今は買って読んでるのは「風光る」の載ってるフラワーズのみだが、去年は、「月下の君」と「私のメガネ君」と「キス・絶交・キス」いう
漫画が読みたいが為に、チーズというバカ雑誌を買っていた。これ以外の漫画はわたしのこのみでは全く無く、どうしようもない感じ
なんだけどこの3つにとってもはまってしまって大変でした。でも漫画の続きを楽しみに雑誌を買い続けるのって楽しかった。そんで、
また何か他の雑誌買ってみようかな。と思って本屋に行ったのに、結局新撰組関連の本を買ってしまった。情けない。

2005年10月5日(水)
変なブレス

この間の日曜日、いつもは見てないのだが「堂本兄弟」とかいう番組をたまたま見ていた。その日は総集編みたいなのをやっていた。
その中で、堂本剛のほうが椎名林檎の「ここでキスして。」を歌っていたのだが、そのブレスの位置がとても気になった。そもそもの
歌い方自体が椎名林檎まんま、という感じだったが、言葉の途中で息を吸うのが気になって気になって。尤も、林檎さん本人も
「♪キ V スして〜」と歌っているけどさ。
別に堂本さんに限った事ではないのだけど、言葉を意味も無く切って歌う人がわたしは好きではない。大事にしてない感じがする。
1年くらい前に、名前は忘れたが、目の不自由な少年シンガーが「竹田の子守唄」を歌ったのを聞いたのだが、その時も呼吸の
位置が歌を台無しにしていた。その他は良かったので、もったいない!世の中の歌を歌うことを仕事にしている方、ブレスの位置に
気をつけよう。中学校の吹奏楽部員程度でも、ブレスの位置には気を使っているのだからね。出来るでしょう、それくらい。

今日、本屋で立ち読みしてたら、11月に「春の祭典」の初演版を日本で初めてやる公演があるという情報を見つけた。とっても見たい
けど兵庫でしかやらないのだ。兵庫まで行けないよ・・・なぜせめて東京でやってくれないのか!
ストラヴィンスキーの3大バレエは、ぜひ全部生で見てみたい。映像では、火の鳥とペトルーシュカは見たが、春祭だけ見たことが
無いのだ。見たいみたい。ストラヴィンスキーのバレエを日本でやることさえ珍しいから。でも休みもお金も無いわたしには、兵庫は
外国の様に遠い。

2005年10月2日(日)
欲しい
今、欲しくて仕方が無いものがある。正確には、物では無いのだが、とにかく手に入れたいものがある。
一日中そのことばかり考えて、それが手に入ったらこんな感じかな?とか、こんなことをしたいとか、妄想を炸裂させている。
何かを欲しい、とか、好き、と思う気持ちと言うのは、同じことだと思うが、「好き」という感情の方が、世間での評価は高い様に思う。
好き、は純粋で、欲しい、は邪な気持ちと捉えられがちだと思う。だが、わたしは同じ事と考える。わたしにとって、「好き」という感情
は、割と邪悪なものだ。他の人のことは知らないが、自分の中にある「好き」という感情は、自分で感じて余り心地良い物でないのだ。
わたしの性格のパターンの所為かも知れない。初期段階の「好き」は、確かに純粋かもしれないが、そのうち確実にそうでなくなる。
自分の感情に嫌気がさしてしまうのだ。何人かの友人に力説したことがあるが、松浦亜弥の「ね〜え」という歌の中に、
「♪すーこしでも気をひきたい 純情な乙女心〜」という詞があるが、わたしにはどうしても、「気をひきたい」という感情が、純情なもの
とは思えない。あややの「気をひきたい」は、かわいくて純情な乙女的感情かもしれないが、わたしの「気をひきたい」は、執念に近い。
間違っても可愛くはないし、純情ではなく、超邪悪な感情だ。あの歌が出た時には驚いたもん。
わたしの感情がそういう仕組みになってる以上、わたしは他人と幸せに生きて行く、ということが出来ないのではないかと心配している。
そういうことを考え出すと、根暗なわたしはすぐに沼に嵌ってしまい、あがれなくなってしまうので、そうなる前にゆうこりんや美輪明宏や
インリンや乙葉等の、わたしを救ってくれるとわたしが勝手に信じている人たちのことを考えるようにしている。

一度で良いから、自分に揺ぎ無い自信というものを持ってみたい。そうしたら、どんだけ余分なことを考えずに生きていけることか。

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