キャットポリス執念日記


6月

2006年6月29日(木)
デスノート・前編

今日、デスノートを見てきた。漫画とはかなり違った感じになっていた。それはそれで、まあ面白かった。
前編はLが死ぬところまでかと勝手に予想して見てたんだけど、Lとライトが出会ったところで終わった。後編で話は完結するわけだから、
多分漫画とはだいぶ違った話になるんだろう。だから、映画版デスノートがよい作品かどうかの判断は後編を見るまで下せない。

内容はともかくとして、藤原竜也いいなあ。でも、昔の方が神がかったような美しさがあったなあ。
しかし、一番の収穫は、L役の方である。松山ケンイチという方だそうだ。家に帰ってきて調べてみたところ、普段はあんな髪型
(L役の時の)
では無いらしく、だいぶ印象が違ったが、彼のLはとても美しかった。惚れたぜ!ZOKKON!
更に調べたところ、彼は映画「NANA」に、シン役で出ていたことが判明。わたしは映画は見てないんだけど、今日映画を見る前に、一緒に
行った友達と、「NANAの中で誰が
(男)一番好きか」という話題で盛り上がったのだが、わたしはシンが一番好きなのだ。そういう話をした
直後にLを見たものだから、なんか運命を感じずにはいられない。女装が似合いそうな感じの人だし。女装が似合う人好きのわたしには
ピンとくるものがあった。

Lの素敵さは、話し出したら尽きないので置いておいて、全体的にもうちょっと凝った創りにして欲しかったかな。せっかくの世界観だから。
それに、わたしは、ライトとLの大学の入学式のシーンが好きなので、そこが省かれてたのが悲しかった。
後は、リュークはCGで、声は中村獅童なのだが、どうもイメージに合わない。獅童さんの声を使いたいなら、リュークはCGにせずに獅童
さんにメイクをしてやったらよかったのに。あの人ならできるのに。CGでやるなら他の人の声が良い。

漫画を読んでないと理解しづらそうな感じだったけど、わたしは読んだのでそこそこ楽しかった。まだ終わってないから分からないけどね。
でも、一番面白かったのは一番最後だ。最後にリュークが「デスノートの本当の結末を教えてあげよう」とか言って、後編の予告をするのだ
けど、画面に「後編、11月公開予定!」と、ドーンと出たら、映画を見ていた周りの人たちが「11月だって」「11月だって」「11月・・」とざわざわ
していたこと。みんな確認してる〜!と思って、楽しかった。
でも、死神が律儀に教えてくれるかしら。嘘言ってるかもしれないよ。わたしは信じない!Lの言うことしか信じない!

2006年6月21日(水)
Oh〜JIGOKU!

などと、楽しげに言ってみても地獄は地獄。
このまま行くと間違いなく地獄に堕ちるな〜と思うけれど、もうどうしようもない。なんせわたしの精神構造がそういう風になってるから。
地獄といっても、別に悪いことしてるから死んだら地獄に行かされるな、ということではなく・・・ 天国に行く自信は1%もないけどさ・・・・
そういう地獄でなくて、釜ゆで地獄とか、針地獄、とかみたいな、苦しい場所から抜け出せないという意味での地獄。
昔はただただバカなだけだったのに、どこからこんな、バカな上にめんどくさい女になってしまったのか、甚だ疑問。

何にも惑わされないで生きて行きたい。迷っても、それを表に出さないでいられる強さが欲しいです。これも七夕にお願いしようかしら。
ただ、自分が絶対だと思えることに向かって上昇したい。そういう意味での心の平安、安定感が欲しい。
千代の富士になりたい。武士になりたい。全てを吸収しても揺らがない芯が欲しい。わたしって、なんて自分というものの無い人間なんだろう。
この間、20年以上の付き合いの友達が、「遥と会って話を聞くたびに、自分は何て俗っぽいんだろう、と思って悔しくなる。」というようなことを
わたしに言った。わたしからみたら、あんたの方が浮世離れしているのに。わたしのほうが、イライラするくらいどうってことないのに。俗っぽい
のも好きだけどさ。わたしの場合、どうってことない俗っぽさ。あ、将来、わたしの日記(ノートの方の)が発見されて、平成の日記文学として
世に広まる際には、タイトルは「どうってことない俗っぽさ」にしてもらおう。ノートの表紙に書いておこう。
わたしも、雲の上の存在とまでは行かないまでも、浮世離れした、なんか常人ではないような人になってみたいけど
(そんで叶姉妹のように
奔放な態度をとってみたい)
、やっぱりわたしは地面にめり込むくらい地上に堕ちてるな・・ 仕方ないか。
周りがどんなに凄くても、幸せそうでも、それに心乱されること無くいたいのに、周りが凄いがために、いちいち影響されてしまう自分が
すげえ下らなく思えて仕方が無い。そんでいろんなことが手一杯。毎日寝不足。脳みそが酸欠。毎日命がけで仕事から帰ってくるハメに。
なんせ、仕事場は山の上なもので、わたしの超虚弱耳
(多分三半規管か鼓膜)は、毎日通ってるっていうのに慣れることは無く、本当に
毎日帰りは地形の高低差のせいで耳が痛い。酷い耳鳴りと、めちゃくちゃ狭いところに閉じ込められたみたいな空気の威圧感が同時に
襲ってくる。更に、何故か鼻も詰まる。これも上のとは関係なく地獄。2つ目の地獄。超地味。

2006年6月19日(月)
アメリカの子供はみんなミッキーが好き

今日は本当に本当に久しぶりの何も無い休日だった。半年ぶりくらいかな。
ここんとこ仕事
(犬の)が休みの日は、旅行かバレエ関係の用事が入っていて、それも遊んでるみたいなもんだから休みには違いない
んだけど、発表会なんていつもの数倍疲れるし、丸1日潰れるし。旅行だって、その時ははしゃいでるから気付きにくいけど、やっぱ疲れるし。
楽しいんだけどね。でもやっぱりそれでは体に限界が来るわけで。
ここのところ、眠いのに眠れない感じになっていたので、さすがにヤバイなと思ってたんだよ。
だから、今回の休日には本当に救われた。思い切り漫画を読んだり、よく寝たりなだけだけど。

午後にはふらふらと街へ出かけていってみたり。平日の昼間にも関わらず
(1時ごろ)、結構人がふらふらしてることにびっくりした。
いつものようにブックオフに行った。ここにも大人がたくさんいた。大学生とかかな?でも、こんなに漫画が好きな大人がいっぱいいるんだ〜
なんて感動したりした。良い国にうまれたよ、わたし。そんで、「悪魔
(デイモス)の花嫁」の持ってなかった巻を全部買って帰った。

その行き帰りに車の中で聞いてたCDに「ミッキーマウスマーチ」の英語版と「エレクトリカルパレード」が入っていた。これは、この曲をきく
時はいつものことなんだけど、どうも涙が出て困る。なんか、ああ、アメリカの子供はみんなミッキーが好きなんだなーと、妙に感慨にふけって
しまうからだ。頭の中には、「I love MICKEY!」と口々に言う子供たちが見えているのだ。エレクトリカルパレードのタンタラランタンタンタラ
ララララというメロディを聞いただけで、あの完成された世界が蘇るから。ディズニーの魔力は本当に凄いから。わたしもその魔法にかけられた
内の一人だから。人を夢中にさせるパワーというものの凄さに、思わず涙がこぼれるのだ。
ただ、わたしはミッキーよりもドナルドのほうが好きだけどね。

2006年6月18日(日)
めがね

さっきスタメン見てたら、メガネ男子が今ブームで、メガネ男子が好きな女子を「メガネ萌ちゃん」と呼ぶ。というのをやっていた。
わたしは眼鏡かけてる人が好きだ。昔から。おそらく幼稚園のころから。別に男に限ったことではない。
とにかく眼鏡の似合う人を眺めるのが好きだ。岬に立って、海に向かって叫んでも良いくらい好きだ。
でも、メガネ萌ちゃんと違うのは、「メガネを掛けてる時とそうでない時のギャップがたまらない」わけではない点だ。
わたしは、24時間どんな時でもかけていて欲しい。だって素敵だから。取ったらもったいないもん。
それに、伊達眼鏡では駄目だ。「目が悪い」ということが先ず魅力的なんだから。

うちの家系は、白内障の家系だ。視力自体は別に悪くない。わたしなんて、いまだに両目とも1.5だ。目に悪そうな生活スタイルを
ずっと続けているっていうのに、目が悪くなる兆候すらない。残念である。
しかし、今こんなに目が良いってことは、老眼はめちゃくちゃ早く来るだろう。
それが今から楽しみである。

2006年6月16日(金)
寝不足・・

次回の自由漫画党のテーマが、日渡早紀「ぼくの地球を守って」なので、昨日読み直そうと思い立ち、1巻から読み始めた。
読み始めた時間は夜12時ちょっと前。読んで行く内にとまらなくなり、気付けばもう朝6時。全21巻を読みきってしまった。
それも、とても丁寧に。
お陰で寝不足。今日ももちろん8時から仕事だったし。3時まで働いて、4時半から8時までお稽古だったし。
バカだよ、わたし。
しかもね、昨日ぼく地球を読む前には、ハンター×ハンター16、17巻を読んでたさ。そんで、今日のお稽古帰りにブックオフに行って、
18巻を買おうと思ったさ。そしたら18巻だけないので、どうしても今日読みたいので、となりの本屋さんに行って18巻と、ついでにコナン
最新巻
(54巻)も買ってきたさ。今日も寝られないよ・・・  タモリ倶楽部も検索ちゃんも見たいのに・・・

何年か前に、夜寝る前にちょっとだけ漫画読もう、と思っただけだったはずなのに、気付いたら朝6時(この時も!)。読んだ漫画は、
スラムダンク全31巻+タッチ全26巻。計57冊。その時は8時に起きればよかったので、2時間ほど寝たのだが、8時に目覚まし鳴って
起きようと思っても目が開かない。眠くて、ではなく、目が張り付いて開かない、という事態!その後1時間くらいかけて少しずつ開いたから
良いけど、このまま目が開かなくなるかと思ってビビッた。やっぱ、漫画ばっかり読んでる悪い子にはバチが当たるかと。当時20歳だけれど。
漫画が好き過ぎて、このごろでは「わたしの前世は漫画だったんではなかろうか?」という気さえする。漫画家ではなくて、、漫画。
貸本漫画あたり。水木しげるの。

前世といえば、ぼく地球に戻るけど、「ぼくの地球を守って」って、凄く素敵なタイトルだと思う。漫画の完成度も高いんだけれど、それを置い
といて、単純に基本のストーリーとこのタイトルだけ見ても、凄く良いタイトルだと思う。わたしにとっておもしろい漫画、良い漫画はたくさん
あるけれど、良いタイトルとなるとそうそうあるもんではない。殆どが中レベルのタイトルだ。
ぼく地球について語りたいことはいっぱいあるけど、それは、この先「漫画に挑む」用にとっておくこととする。
その他に良いタイトルだな、と思うものには、山岸凉子さんの「日出処の天子」が挙げられる。元々は厩戸王子が考えた、とも言えるけれど。
でも、これを選んだ山岸凉子さんのセンスは素敵だ。劇団ひとりの「影日向に咲く」と同じくらい素晴らしい。タイトルだけでも、2時間くらい
楽しめる。
他にも良いタイトルの漫画を挙げたいけれど、本棚の前に行って見ないとでてこないや。後で見てこよう。
下らなくて素敵、っていうのもいっぱいあるけれど。少年三白眼とか。

ワールドカップ興味ない。弟が試合を録画してて詰まんない。迷惑。相撲の方が面白い。
なんて書いたら、日本中のサッカーファンに狙われるかもね。
いいもんね、わたしなんてあんたたちが知らない凄い人、いっぱい知ってんだからね!千代の富士とか。・・・・みんな知ってるか・・・
この間の検索ちゃんで、次長課長の井上さんが、「井上にとって、超人
(手の届かない、雲の上の存在、という意味)って誰?」と聞かれて
千代の富士とか」って答えてたくらいだからね。

2006年6月15日(木)
発表会

この間の土曜日に、わたしが生徒で行ってる教室の発表会は終わったが、今度はわたしが教えている教室の発表会に向けてのお稽古が
一昨日の火曜日から始まった。今回は大人クラスの4人が、初めて発表会に参加するのでとっても楽しみだ。
本人たちはとても緊張していて、「無理だよ〜」とか弱気なことを言っているけれど、わたし
(と先生)は一人でウキウキニヤニヤしている。

今回は10周年なので、定番のレパートリー「ハンガリー舞曲集」をやる。わたしは19番、大人クラスは20番を踊る。
わたしはこういう民族系の踊りが好きなので、個人的にもとっても楽しい。
それ以外には、わたしは小学生4人組に「愛のあいさつ」で作品を作った。こっちはまだ練習には入っていないけれど、すごく気に入っている。
それから、今年もまたわたしはソロを創らなくては成らなくなった。ので、今回は「江戸川乱歩」をテーマに創ろうかと思っている。
思っているけれどちっともはかどらない。妄想ばかりが先走る。

今度の七夕には、短冊に「冷静さと才能をください」って書こう。

2006年6月12日(月)
週刊ブックレビュー

昨日の週刊ブックレビューで、ついにこの時が訪れた。
落語家の立川談四楼さんという人が、劇団ひとりの「陰日向に咲く」を、一番のお勧め本に選んだのだ!
といっても、実はわたしまだ読んでない。川島さん
(劇団ひとり)は大好きなんだけど、ちょっと乗り遅れちゃったら、なんか買うの恥ずかしく
なっちゃって、タイミングを逃しっぱなし。こんなことなら誰より先に買ってくればよかったよ。
他のゲストに、古美術鑑定家の中島誠之助さんもいて、中島さんも褒めていたので、わたしは川島さんでもなければ読んでもいないのに、
とっても嬉しかった。
落語家に褒められるって、凄いと思うんだよね。
あともう一人のゲストは、歌人の林あまりさんという女性で、この人が「《影日向に咲く》というタイトルが素晴らしい!」と褒めていて、他の2人も
その通り!と言っていたんだけれど、わたしもそれには賛成したい。だって、なんかツボを付いた良いタイトルだと思うから。

川島さんがこんなに認められる日が来るなんて・・ スープレックス時代は気持ち悪いばかりだったのに・・ 
次はバカリズムの升野さんの番だな。マスノさんのブログ
(妄想によるOL日記)、毎日読んでるし。凄く面白い。わたしが認めただけのこと
はある。どの日記より面白い。悔しいことにわたしの日記よりも・・・    がんばろ。

2006年6月11日(日)
カバエワとまたしても音楽

さっきテレビを見ていたら(や、今も見てるんだけど)、フロムAかタウンワークかなんかのCMに、ロシアの元新体操女王、カバエワ選手
出ていた。新体操の演技をしながら仕事探し雑誌を読むと言う内容。最後はおなじみのポーズで仕事を見つけた模様。
こんなところでお目にかかるとは、びっくり。太ってなくてよかったよ〜。
カバエワ選手はやっぱり、わたしにとってスターだからね。千代の富士には敵わないけどさ。

わたしは今まで、メンコン
(メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトホ短調)のCDを5種類持っていたんだけど、最近の自己内クラシック
ブームに浮かれて、別の演奏家のCDが欲しくなって、1週間ほど前にCD屋さんに行きました。
そこで、2枚CD買ったんだけれど、その内の1枚が「10大協奏曲全集」というもので、ヴァイオリンだけでなく、ピアノ協奏曲も含めて10曲を
まとめたもの。5枚組み。
チャイコフスキー
(1番)、ラフマニノフ(2番)、グリーグ(1番)、ショパン(1番)、ベートーヴェン(5番・皇帝)、シューマン(イ短調)、のピアノ
協奏曲
。と、メンコン、ベートーヴェン
(ニ長調)、チャイコフスキー(ニ長調)、ブラームス(ニ長調)ヴァイオリン協奏曲。というラインナップ。
この、「10大協奏曲」というくくりは、このCDの企画での名前なのだろうか?それとも一般的にもいわれてるくくりなんだろうか?あんまり
聞いたことないけど。
しかし、CD屋さんでも、このCDでも、協奏曲の中ではピアノコンチェルトのほうがいつも先にある。ピアノコンチェルトのほうが人気ってこと?
わたしはPコンも好きだけれど、その3倍くらいヴァイオリン協奏曲のほうが好きだな〜。どんどん言葉が省略されていくな〜。
昨日の日記も、曲を知らない人にはまるっきり意味の分からない文だな〜。

2006年6月10日(土)
音楽月間

今月は、音楽月間か!?と言う感じ。

今日は発表会があった。地元でじゃ無いので
(隣の市)、誰が見に来る訳でもなかったので、そういう意味では気楽だったけれど、
でも体力的にはハードな踊りばかりできつかった。Kちゃん、わざわざ「見にいけない」と連絡してくれてありがとう。気にかけてくれて
うれしいです。てへ。
で、そんなことよりも今日のメインは別にある。発表会終わってから猛ダッシュで地元に帰って、地元のホールで見た、ヴァイオリニストの
千住真理子さんのリサイタルだ。今回は、ヴァイオリンソナタなどはいれずに、小品だけで構成されたリサイタルだった。演目は、
バッハ「アヴェ・マリア」、シューベルト「アヴェ・マリア」、バッハ「2つのメヌエット」、ヘンデル「ラルゴ」、ベートーヴェン「ロマンス第1番」
ヴィターリ「シャコンヌ」。エルガー「愛のあいさつ」、リスト「愛の夢」、フォーレ「夢のあとに」、シューマン「トロイメライ」、サラサーテ
「プライェーラ」「サパテアード」、ドヴォルザーク「我が母の教え給いし歌」、モンティ「チャルダッシュ」。アンコールでドヴォルザークの
「ユーモレスク」、千住明
(真理子さんの兄。顔がよく似ている)「雪の女王のテーマ」

ヴァイオリンって、本当に凄い楽器だと思った。他の楽器も勿論色々な表情を出せるけれど、ヴァイオリンが一番ではないかと思う。
それに、音の質感のせいか、ヴァイオリンの音は何か1本筋の通ったというか、しなやかで強い感じがするのだ。喩えるなら、ヴァイオリン
は村主さんで、ピアノは荒川さん。といった感じ。どっちが優れてるとかいうレベルではなく、好みの問題であるけれど、わたしは
この、ヴァイオリンのしなやかでいて強い音が大好きだ。因みに、千住さんもストラディバリウスをもっている
(「おしゃべりなアマデウス」の中の
「ヴァイオリンの名器」のところに書くの忘れたので後から付け足した。大幅に書き加えたのでまた読んでおいてね)

そんで、千住さんの音は、凄く女らしい感じがした。特に、チャルダッシュは、わたしは今まで男のヴァイオリニストの演奏しか聴いたこと
がなかったのだが、千住さんの演奏は凄く女らしかった。踊るジプシー女が見て取れた。実際、わたしのダンスの先生がこの曲で踊った
ことがあるのだけれど、先生も千住さんのチャルダッシュで踊ったらもっと素敵に踊れたんじゃないかな、と思った。この曲が終わらなければ
良いのに、と本気で思った。素敵だった。意見を述べると、早くなったところのあとの少々ゆっくりな部分、チャーンチャーンチャチャン
ランランラン チャーンチャララララーンの部分を、もっとゆっくりやって欲しい。それから、CDに入ってた方の演奏では、早くなったところの
2番目のフレーズ、タラララララララタラララララララタララララララララーンの部分の、1音1音がはっきり聞こえる演奏がわたしは好みなので
そこが、もったいない。偉そう!わたし。生では気にならなかったけれど。

他の曲も素敵だったんだけれど、個人的に特筆すべきは、バッハの「2つのメヌエット」とシューマンの「トロイメライ」だ。
バッハのほうは、先ず曲が単純
(構成が)でいい(2つのメヌエットは、その通り2曲のメヌエットを1曲にした曲。その内の1曲は超有名な
タン・タラララ ラン・タンタン・・というあれだ。伝わったかな)
。これまたわたしが敬愛しているミュージシャンである小島麻由美さんという
方が、マイネームイズブルーというアルバムを出した時、その中の1曲「Study in A minor」
(練習曲イ短調という意味)というピアノ曲について
「凄く技巧的な曲も好きだけれど
(小島さんはピアノを弾くので、ピアノの話ですが)、昔習ったチェルニーや、バイエルにあるような、単純な
ワルツなんかが大好きで、この曲を作った」と言っていたことを思い出した
(小島さんは歌手です。念のため)
わたしも常日頃から、単純、簡潔、必要最小限、が何より素敵だと思うから当時もこの言葉に大いにうなずいたのだけれど、「2つのメヌエット」
を聞いて、またしてもうなずいたのだ。凄くシンプルなんだけれど、これ以上何も必要なく、きちんと完成している。音楽に限らず、
そういう作品を作るのって凄く難しいと思う。わたしも、踊りを造るにしても、衣装や染めにしても、こういう日記にしても、余分なものを
ゴチャゴチャ付け加えてしまう性質なので美しくないなあ。と反省する。
で、「2つのメヌエット」はいくら完結しているからといって、演奏しなければ意味は無く、それを千住さんが本当にきれいな音で弾いたもの
だから、なんか心にダイレクトに来た。泣けた。
「トロイメライ」に関しては、実はわたし、好きじゃない曲だったのだ。もともと「トロイメライ」はピアノ曲だが、なんかわたしの趣味にあわず、
聞いてみても「う〜ん・・?なんかな〜」という感じだった。シューマンは好きだけど、トロイメライは好きじゃない
(趣味に合わない、という
気がするのは、柊あおい「星の瞳のシルエット」のせいかもしれない。)
。と思っていたんだけれど、千住さんがヴァイオリンで弾くトロイメライ
をきいたら、本当に美しくて、シューマンが本当にやりたかったトロイメライはこうじゃないのかな?と思ったほど。きっとさ、実際には
シューマンはピアノでやるのが最高、と思ってるだろうけれどう。そう↑思いたくなるほどだった。トロイメライって、こんなに素敵な曲だった
のか!と。わたしの好みには合った。
他のヴァイオリニストと比べると、技術的にはもっと凄い人はいると思うけれど、それでもやっぱり綺麗だった。
時々ヴィヴラートが変
(わたしの好みじゃない)だったりもしたけれど。
感動したわたしは、終演後千住さんのCDを購入し、サイン会に参加した。サインがこんなに嬉しいものだったなんて!こんなことなら、昔
同じホールに由紀さおり、安田祥子姉妹が来た時にもサインもらっとけば良かった。同じように終演後にサイン会やってたから。あの
コンサートも素晴らしかった。
わたしは生まれてこのかた、千住さん以外に直接サインをもらったのは、他に漫画家の新條まゆさんだけだ。これはべつに新條さんの
ファンだからではなく、当時のわたしは少コミを愛読しており、その少コミの企画で全国で少コミ漫画家のサイン会が行われ、わたしが
行けるところにきたのが新條さんだっただけだ。本当は篠原千絵さんや、さいとうちほさんが好きなんだよ〜。
まあ、もらってよかったけど。それなりに嬉しいけれど。
わたしは今まで、特に千住さんのファンなわけでもなく、CDももってなかったんだけど。
サイン会には、大勢の人が並んでいた。たった一人の人がこんなに人を夢中にさせるなんて凄い。
現代の歌手の方たちは、もっと大勢の観客を動員する。勿論本人の歌なり演奏なり、キャラなりの魅力が一番の要因であることは
間違いないけれど、現代のバンドなんかも含めた歌手の方たちのあり方は、本人だけでなりたってるわけではない。それはそれで
素敵な人もたくさんいるよ。わたしだって、好きなバンドのライブを見に、仙台や大阪まで行ったことあるし。そういう楽しみも欲しい。
でも、クラシックの音楽家たちは、本当に自分の力で成り立ってる感じがして、凄くかっこいい。クラシックの世界にも商業的戦略とか
勿論あるけどさ、コンサートでは、本当にたった一人の人が1つの楽器でこれだけのことをする、ということが感動である。
これだからクラシックは止められないんだ。


しかしね、千住さん、化粧っ気無さ過ぎ。ステージの上では顔がぼやけるのに、ほぼすっぴん状態だった。色が無いの。口紅すらなし。
や、塗ってたのかもしれないけど。

2006年6月5日(月)
音楽家になりたい

「音楽に挑む」と「漫画に挑む」の「おしゃべりなアマデウス」のページのせいで、またしても音楽家になりたくなってしまった。一時は
指揮者になりたいと本気で思っていたんだけれど、バレエがやめられず、今に至る。

本当は、今からでもヴァイオリンを習ってみたいんだけれども、時間的にも金銭的にも余裕がないので当分無理かなぁ。しかたがないので、
ちっとも上手くないピアノを再開してみた。楽器演奏も体が資本である。ピアノや弦・打楽器は当然腕の筋肉が必要になる。それ以外の楽器
でも、吹くものなら腹筋が絶対必要だ。わたしは吹奏楽部
(でホルン)だったけれど、文化部ということで軽く見られていたが、筋トレはかなり
きついものだった。わたしたちのような平凡な学校でさえそうなんだから、吹奏楽の強豪校はいったいどんな練習をしてるんだろう。あの頃は
腹筋うっすらと割れてたもの。勿論、ダンスにも腹筋は不可欠だから、今もがんばってはいるものの、若さからくるパワーを失ってしまった為
か、あそこまでは出来ない。

わたしはスポーツは基本的に苦手だしへたくそだ。だから余りスポーツの楽しみというのが分からない。逆に、スポーツのみやってきた人には
文化部的楽しみ、ワクワク感、快感はなかなか分かってもらえない。
(両方得意、好きという人もいるだろうけど。そういう人が羨ましい。)
吹奏楽部在籍中の、パート練習から、初めて全体で曲を合わせて演奏した時の快感はいまだに忘れられない。そこから練習を重ねて、
コンクールなどで本当にメンバーが一体となった時の感動も凄い。演奏が終わって、袖にはけた直後からみんな泣いてたもん。こればかりは
体験した人にしか分かるまい。
ダンスでの、舞台の上での快感というもの
(ダンスに限らず、演奏やスポーツでも)も、体験した人にしか分からないだろう。わたしはそんなに
大きな舞台に立ってるわけじゃないけれど、芸能人が一度引退してもまた帰ってくる人が多い理由が良く分かる。病みつきに成るのだ。
今度、うちの教室の大人クラスの人たちも、初めて発表会に参加することになった。是非この感動を味わってもらいたい。

更に範囲を絞って言えば、チームで行うものっていろいろあるけれど、吹奏楽・オーケストラ・アンサンブルは勿論のこと、スポーツでも、
新体操の団体演技、シンクロのソロ以外の演技などでの、大勢で何か一つの作品を作り上げる、という感動は、本当に病みつきになる。
野球とかもチームだけれど、「作品を作り上げる」という要素が無いので、生まれ変わってもわたしはやりたいとは思えないのだ。
体操・新体操等の「作品を作る系」のスポーツなら、団体でなくても、生まれ変わったらやってみたい。でも、生まれ変わったら、
ヴァイオリニストにも成ってみたい。ピアニストにもなってみたい。クラシックバレエのダンサーにもなってみたい。劇団四季系のダンサー
にもなってみたい。宝塚にも憧れる。何かの職人にもなってみたい。小説家にもなってみたい。
来世への夢は膨らむばかりである。

2006年6月2日(金)
裏切りの日

今日は、織田信長が自害した日。つまり明智光秀が主君を裏切って天下を取った日。だから裏切りの日だと。今日の朝、ラジオで言ってた。
わたしは明智光秀が好きなので、万歳!と叫んでも良いのだが、この間の「100人の偉人」という番組で、日本人が一番好きな歴史上の人物
は織田信長だったから、そんなこと叫んだら危ないからやめておく。

本を読みたい気分が最高潮。基本的にわたしは毎日本を読みたいんだけれど、1日に読める本の量(仕事とかその他の用事とかから見て)を
上回る量の本を読みたくなってしまっている。今現在、漫画を除いて6冊の本を同時進行で読んでいる。
@夏目漱石「坊っちゃん」 A金田一春彦「ことばの歳時記」 Bコナン・ドイル「緋色の研究」 C横溝正史「悪霊島(下)」 D江戸川乱歩
「黒蜥蜴」 E水木しげる「あの世の辞典」  である。どれもこれも素敵。タイトルだけでため息が出る。

本を読むということは、なんて素晴らしいことなんだろうね。わたし字が読めてよかったよ。日本国の教育に感謝するよ。
本は捨てられないから、たまる一方だ。それに伴い本棚も増える一方。
だから、わたしは、本棚の下敷きになって死にたい。全然「だから」になってないけど。
本(棚)の下敷きになって死ぬなら本望である。たくさん溜め込んだ甲斐があるってもんだ。そうでなければ、土佐犬に噛まれて死にたい。
望んでないのに土佐犬に噛まれて死んだ人には不謹慎だし申し訳ないけれど、わたしは憧れる。動物は大好きだし、偉大だから。
ただ、わたしを噛んだことによって、その犬が処分されたり酷い仕打ちを受けるのは困るから、その時の為に意思表明書を持ち歩こうかしら。

どう死ぬにしろ、死んだ後はもちろん怨霊になるのだけれど。

  

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