の前の静けさ

 そこには、見慣れた顔ぶれがあった。

「お兄ちゃん!?」
「よお。久しぶり」
「なっ、なによそのあっさりした挨拶は・・・」

 和矢はクスっと笑った。

「オレがいなくて、淋しかったか?」

 からかうような光を、その黒い瞳に浮かべて、妹をみつめる。

「まったくしょうがないな」

 近づいて、明美の頭を、くしゃり、となでた。
 屈みこんで、目の高さをあわせて。

「ほら、よく顔を見せろよ」
「・・・・・・さびしくなんて、なかったもん」

 ふ、と目を細めて、ほほえんだ。

「そっか」
「馬鹿…」

 そんな再会を、美恵はとてもほほえましい気持ちで、けれども多少複雑な気持ちで、みていた。

(あんなに甘い目をしなくても・・・・妹に・・・)

 しかしそれは、彼女の思い込みである。
 和矢の優しさは、誤解を招きやすいから。

「あれ、薫ー?!」

 ルイがびっくりして、ローズを見た。

「カオル? 誰だそれは」
「あ。ごめんなさい。人違い」

 和矢とピーターの前例があるので、すでにこれくらいでは驚かなくなっていた。

「知り合いとよく似ていたので。貴女は?」
「わたしはローズ。おまえは?」
「あたしはルイ。和矢たちの連れ」
「カズヤ、か…」

 ローズは、ジロリと和矢を見た。

「いまだに信じられんな。たしかにピーターではないんだろうが、なんでこんなに似てるんだ?!」
「それはこっちが聞きたいよ」

 苦笑しつつ、和矢はローズの視線を受け止めた。

「えっ、なになに、お兄ちゃん、薫といい雰囲気じゃない〜〜〜」

 明美はふたりが見つめ合っている(ように彼女には見えた)のをみて、ニヤニヤした。

「たく、おまえはどれだけ人の話を聞かないんだ」

 美女丸が、あきれたといった声を出す。

「たった今、名乗ったばかりだろ」
「ん。カオルじゃないよね。雰囲気が、全然違うもの」

 アンドリューには、和矢とピーターほどには、ふたりが似てはみえなかった。

「すごく、女性的だし」

 本人がいたら、命がなくなるようなことを平気で口にする。

「ジョセイテキ?」

 ローズが奇妙な顔をした。

「女が女性的なのは当然ではないか」
「まあ、そうとも限らないというか…」

 もごもごと言いにくそうに、けれども発音良くNAOはつぶやく。

「この世界ではどうかわからないけど」
「ではカオルとやらは、男性的なのか?」

 素朴な疑問に、しかし、同意するものはいなかった。
 だれもそんなことは、思っていなかった。

「まー、見た目はアレだけど、彼女の場合は、男性的というより大雑把だよねえ」

 そう明美が評すれば

「でもお嬢様だよね。いろいろな仕草が、時々、はっとするくらい」

 と、アンドリュー。続いて美女丸は

「あいつは、単に酒好きの女好きだろ」
「えーーー。女好き?!」
「男を口説いてるの、みたことないぜ?」
「そりゃそうだけどさあ」
「女子高のノリだよ。それくらいフツーだよ」
「えっ? 美恵ちゃんもそうなの?」
「あたしは違うけど。むしろ憧れる方が好きだし。男装の麗人は、女子高のアイドルなんだよ」
「ほら、男装ってくらいだから、女性が前提なんだよ。だって男性なら女装になるじゃん?」
「つか、何の話になってる?」
「いやだから、薫が女装好き、じゃなかった、男装好きって」
「そうだっけ? 男装っていうか、いつもジーンズにシャツとかだけど、それって最近は女でも普通じゃない?」
「あー、あの長身が、きっと男性的なんだよ」
「いやそれは、単に身長が高いっていう身体的な特徴でしょう」
「つまり薫は、酒好きで女好きで、大雑把で長身で、スカート嫌いなただのお嬢様ってこと?」

 なつきはあまり薫を知らないので、皆の意見を総合してみただけなのだが、その言葉に、皆がいっせいに吹き出した。

「エクセレント」

 明美が少し気取っていう。

「すごい、そのとおりだ」
「なつきさんってば、天才だわ」
「いや・・・そんなにウケられる覚えはないんだが」

 彼らの反応に、なつきの方が戸惑った。

「ついでに、暴力女だと加えれば、完璧かも」

 明美がくふふと笑った。
 アンドリューがフォローする。

「だったら、天才ヴァイオリニストの肩書きもないと」
「・・・でもさっきのに、そのふたつを付け加えると、もはや意味不明になるのではないでしょうか」

 少し冷静なNAOが突っ込んだが、面白ければもういいや的なノリには勝てなかった。
 こうして、薫の形容詞が出来上がったわけだが、ローズには完全についていけない世界だった。

「おまえの連れとやらは、少し頭がいかれているのか?」

 和矢に真剣に問いかけたのも、仕方ないといえよう。

「・・・・少しじゃないかもしれないな」

 ひそかにローズにそう答えた和矢を責められるものはいない。

「ところで、どうしておまえら、ここにいた?」

 薫談義も一段落したころ、おもむろに美女丸が訊いた。

「特に理由はないけど」
「たまたまってことはないだろ」
「いや、あるよ」

 和矢はごく自然に答えた。

「しいて言えばなんとなく?」

 美恵が補足したが、曖昧さが増しただけだった。

「おまえは? どうしてここに来たんだ?」

 逆に和矢が問い返す。

「オレたちは、ルイがここだっていうから」

 名前を呼ばれて、ルイはくるりと振り向いた。

「なに?」
「ここに来た理由を聞かれたから。オレもまだ聞いてないし、そろそろ説明しろよ」

 そういわれても、ルイには返す言葉がなかった。
 理由がないわけでもないが、あるわけでもない。

「・・・しいて言えば、なんとなく?」
「あたしと同じだ」

 美恵が笑った。

「おまえら。この状況で、なんとなくとか、たまたまとか、そんな適当なのかよ」

 美女丸は頭を抱え込みたくなる。

「だって何もわからないんだから。天性の勘に頼る以外にないじゃない」
「そうだよ、美女丸。むかしから、勘は女のほうが鋭いんだよ。浮気だってすぐ見抜くし」
「だよね。これは女性に与えられた特権よね。男は黙って従うべし」

 ルイが強気の発言をした。それに同意するかのように(?)、マリウスがうきゃきゃと笑った。
 それではじめて、美恵はマリウスに気がづいた。

「えーーー。なにこの子、カワイィーーー。どうしたの? 誰の子?」
「ーーシャルル」
「えーーーー!???」

 なつきの冗談に、美恵は悲鳴のような声を出す。

「マジ?! いつの間に。ていうか、相手はだれよ?」
「それは言えないな」

 ルイもつい、調子を合わせてしまった。

「アルディ学園のトップシークレットなのよ。絶対誰にも言っちゃダメだよ」

 面白そうだったので、明美もこの嘘に、乗ることにした。

「くふふ。相手はお兄ちゃんだったりして」

 ぐふぁっ・・・・。
 思わぬカウンターだった。
 いつのまにそんなことが・・・。
 ていうか、たとえそうでも、子供ができるわけが・・・・?
 いやでも、しかし、相手はあのシャルルなのだ。
 不可能を可能にする男なのだ。
 たとえ太陽が・・・の名台詞を掲げる以上、間違いはないはずだ。
 てことは、これは単なる過ちではなくて、予定通りということになる。
 ありえないことではなかった。(いや、ありえないから)

「わかったわ」

 何も分かってはいなかった。

「誰にも言わない。約束する」

「・・・本人にも、言わないほうがいいと思うわ」

 なつきは、そういうのがやっとだった。
 誰も止めてくれないどころか、ここまでひどい展開になるとは、彼女にしても予想外だった。

「・・・・・・・」

 一応、和矢の耳にも、会話は届いていた。
 しかし、彼の正常な神経は、この会話を処理できなかった。
 そのため、脳にまでは届かなかった。正確には、届かせないことにした。

「そんなことより」

 異様な雰囲気を断ち切るかのように、和矢は言った。

「おまえも聞いただろ。あいつの伝言。どうする、これから」
「助けに行く・・・と言いたいが」

 美女丸は、苦笑いする。

「どこに行けばいいのか、どうすればいけるのか、それがわからなきゃ話にならんな」
「同感」

 和矢はため息をつき、相棒のことを思い出す。
 おまえ、いまどこで何をしてるんだ?
 大丈夫なのか?
 無理してないか?
 ・・・・元気でいるか?
 とめどなく沸き起こる不安に精神が揺らぎそうだった。
 自分の甘さを感じる。
 彼がいないことで、ここまで不安になる自分。
 いつも頼ってばかりじゃ、駄目だ。

「大丈夫か?」

 気づけば、ローズが心配そうに見ていた。

「おまえ、顔色悪いぞ。座っていたほうがいい」

 そういって、彼の手首をつかみ、引っ張る。
 それは何気ない仕草だったが、彼は驚きを隠せなかった。
 まるで自分の弱さを見抜かれたような気がして。

「いいよ!!」

 だから思わず、手を振りほどいた。
 力いっぱい。
 ローズは怪訝な顔をした。

「変だぞ、おまえ。」
「平気だから。」
「どこが?!」

 ローズは立ち上がり、彼と目線をあわせた。

「いま自分がどんな顔をしてるか、見せてやろうか」

 そう言うなり、再び彼の手首をつかむと、グイグイと引っ張っていく。

「ちょっとお兄ちゃん、どこいくの?」

 明美の声が聞こえたが、和矢だって、わからない。

「おい、離せよ。」
「いいから、来い!!」

 そういって彼が連れて行かれたのは、近くにあった泉だった。
 グイっと頭を押し付けられる。
 顔が水面につく寸前で、力が弱まった。

「ほら、みろ。自分の顔を」

 はっとして、和矢は目を見開く。
 そこには、水面に映った、もうひとりの自分がいた。

「どんな顔に見える?」
「・・・・最低」
「あとは?」
「・・・・サイアク」
「ほかには?」

 ローズは、執拗に問い質し、やがて言葉が出尽くすと、最後に力を込めて、彼を水の中におしつけた。

「ーーーー!!??」
「頭を冷やせよ。少しはマシになる」

 やがて顔をあげた和矢は、目が覚めたように、瞬きした。
 水を滴らせた彼を見て、ローズは愉快そうに笑った。

「似合うな」

 くせっ毛の黒髪も、いまはしっとりと水を含んで、まっすぐ伸びている。
 どこか懐かしむように、ローズは目を細めた。

「ほんとおまえは・・・・あいつにそっくりだな」

 だから、どうしても構ってしまう。
 放っておけなくなってしまう。
 もう彼は別人なのだと、わかっているのだけれど、それでも錯覚してしまう。
 気になってしまう。ほとんど条件反射のようなものだった。

「ひとつ聞いてもいいか…」

 濡れて額に纏いつく髪をかきあげながら、和矢は遠慮がちに言った。

「なんだ?」
「ピーターを好きな理由」
「何?」

 ローズは腕組みをし、むん、と悩んだ。
 しかし結論が出るのに、それほど時間はかからなかった。

「我が道を行くところが、いちばん好きだ」

 凛とした瞳で、和矢に告げる。

「だれに遠慮もしない。むろん、わたしにも。あいつのそういう態度が、わたしを安心させるんだ」
「それって、単にわがままってことだろ」
「我儘か! 大いに結構じゃないか」

 満足げにローズは笑う。

「我が侭に生きることが、どれほど大変かおまえは知らんのか」
「大変なのは、周囲だ。まわりを巻き込んで、振り回して、ボロボロにしちまうことだって」
「たとえそうだとしても」

 軽やかな声だった。

「それはあいつの責任ではないぞ。振り回される方に問題がある」

 和矢は信じられないといった顔をした。
 しかし彼女の言葉は、確信に満ちていた。

「何を感じるのか、何を言うのか、何をするのか、すべては自己責任でしかない。振り回されるのであれば、それは振り回される者の問題なのだ。おまえはそうは思わないのか?」

 和矢は、頷くことができなかった。
 けれども、否定することもまた、できなかった。
 そんな彼を、ローズはじっとみていたが、やがて目を伏せるようにして、言った。

「ああ、今はっきりわかった。おまえはあいつとは違うな。」

 そのときはじめて、彼女は和矢とピーターを切り離すことができた。

「姿かたちはそっくりでも。中身が、全然違う。」

 それでも、と彼女は思う。
 自分に刃を向けたそのとき、たしかにそこに、彼と似た精神を感じた。
 あれが和矢だったというのなら、彼のどこかに、それは存在しているということだった。

「まあいい。もうどちらでも」

 彼女はそれ以上、考えるのをやめた。
 彼がピーターでない以上、興味を持ち続けるのは難しい。

「戻るぞ。おまえの仲間とやらが、待ってるんだろ」

 和矢は黙って頷いた。
 けれども、すぐに立ち止まると、泉へと戻った。

「おい?」

 あっけにとられる彼女の目の前で、彼は泉に飛び込んだ。
 大きな水飛沫が、ローズの視界に広がる。
 やがて限界とでもいうように、水面から顔を出した。

「あたしは・・・・そこまで頭を冷やせとは、言ってないぞ」
「ちょっと、水浴びしたい気分だったんだ」

 そういって、まぶしそうに空を見上げた。
 額から頬にかけて、雫が伝った。

「気持ちいいぜ」

 全身ずぶ濡れ。服を着たまま。

「先に戻っててよ。すぐ行くからさ」

 ローズは、うなずくかわりに、軽く手をあげて歩き出す。
 そんな彼女の後ろ姿を見送ったあと、和矢はもう一度、潜った。
 水圧が、彼の意識に触れ、自分の存在を知らしめる。
 ここに障害物があるということ。
 流れをせき止めるものがあるのだ、と水は認識しているのだろうか。
 だとすれば、いつまで気づかない振りをしたところで、意味がない。
 自分ひとりが隠れているつもりで、実は丸見えなんて状態は、恥ずかしすぎるから。
 彼もまた、いつまでも潜っているわけにはいかなかった。
 自分のなすべきことがある。

「さて、と…」

 淵にたどり着くと、力を込めて、自分を持ち上げた。
 肌に纏いつく衣類が邪魔で、シャツを脱ぐ。

「仕切り直しだな」

 まずは、着替えを取りに行こう。
 ここから基地までは、すぐだ。

「んーーーーーーーー」

 空に向かって、伸びをした。
 縮こまっていた筋肉に、ピリピリと刺激を感じる。
 これくらいがちょうどいい、と彼は思った。
 心地よさよりも、痛みが欲しかった。












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