いて、鳴いて、啼いて

 まるで夢でも見ていたかのように、目覚めた。
 最初に美女丸が。
 続いて、ルイ、NAO、明美の順番に。
 そして最後に、なつきが。
 アンドリューは、笑顔でみんなを迎えた。

「おはよう」

 さっきまでの異様な雰囲気は、消えていた。
 あるのは、現実感。
 自分のからだも、こころも、自分のものだと思える、そんな当たり前のことに、いまはほっとできた。

「気分は、どう?」
「ん・・・」

 明美は、苦笑いした。

「悪くはないんだけど、奇妙な、というか、超アリエナイ夢を見ちゃった」

 そういうと、NAOが驚いた顔をした。

「明美さんもですか?実は私も…」

 ルイは何も言わない。

「NAOさんは、どんな夢?」
「えっと、それは・・・」

 NAOは口ごもる。

「明美さん、先にどうぞ」
「え!あたしは、あまりにあり得なすぎて、口にも出したくないっていうか」

 なつきは、ぼんやりと、いった。

「わたしはなーんも、覚えてないなあ。夢もみずに眠ってたみたい」

 その言葉に、ほっとする明美とNAOだった。

「と、とにかく、アリエナイから、夢なのよ。で、ここはどこだっけ」

 記憶を振り払おうとするかのように、明美はアンドリューをみた。
 しかし、直後、気がついた。

「シャルルは!?」
「そういえば、姿がありませんね…」

 明美とNAOの言葉に、なつきは首をかしげる。

「だって彼は、まだ戻ってきてないでしょう?」
「いや」

 それまで黙って様子をみていた美女丸が、考えるような顔つきで言った。

「たしかにあいつ、いたぜ」
「ルイさん、何か知ってるの?」

 口を開こうとしないルイに、なつきは問うた。
 ルイは謎めいたほほえみを浮かべた。

「さあ。わたしも眠っていたみたいだし」
「本当にいたの?」
「それは、そうねえ。肉体は、あったかもしれないわねえ」
「ーーどういう意味かしら」
「あなたがいう「彼」の定義が、曖昧だったから」

 クスッと目だけで笑う。

「えーい、そんなことはどうでもいいのよ!」

 痺れを切らしたように、明美が言った。

「ちょっと、リュー、あんたずっと起きてたのなら、なんか知ってるんでしょ?」

 ほとんど首を絞めかねんばかりに、アンドリューを問い詰める。
 彼は少し逡巡していたようだったが、やがて何かを決めたのか、顔を上げると、まっすぐに明美を見た。

「気のせいだよ」
「はあ!?」
「アッキ、夢を見てたんだよ。シャルルはもうずっと戻ってきていないよ」

 さすがに、みんな不審げな顔になった。

「オレもみた気がしたが? もっといえば、和矢と美恵も、戻ってきたんじゃなかったか」

 美女丸が言えば、

「あたしも、かなりリアルに記憶が」

 とNAO。続いて、明美も断言する。

「絶対いたわよ! お兄ちゃんも、美恵ちゃんも!」

 しかしアンドリューは、きっぱりと言った。

「それは全部、夢だよ。僕はずっと起きていたもの。みんな疲れていたから、幸福な夢を見たんだよ」

 女性陣にしては、そうかもしれないが、美女丸は、微妙な表情をした。
 アンドリューはダメ押しにかかる。

「だって、本当にいたなら、みんな見てるはずでしょう? でも、なつきさんは見てないっていってるし、ルイさんも…」
「ーーええ、そうね。わたしはアンドリュー君に一票」

 ルイは組んでいた腕をほどきながら、さりげなく髪をかきあげた。

「みんな、ちょっと混乱してるみたいだし。夢と現実の区別が、ここではつきにくいのかもしれない」

 美女丸が、渋々といった感じで、うなずいた。

「ま、いま彼らがいないのは事実だし、いたかいないかをここで議論するのは不毛だ。少し状況を整理して、これからすべきことを考えようぜ」

 明美もNAOも、釈然としない様子ではあったが、美女丸の言葉はもっともに思えたので、反論しなかった。

「それで?」

 明美は、ほっと息をつきながら言った。

「ここは、どこなのよ。あたしたちは、何をしてんの?」

 実際、すぐには思い出せなかった。
 あまりに夢の記憶が濃密すぎて。その前のことが、むしろ夢のように思えてしまう。

「たしか、明美さんとなつきさんを探しに、ここに来たような気がします」

 NAOの記憶は、だいぶ昔まで遡っていた。
 しかし、皆の記憶を引きよせるきっかけにはなった。

「そうだ美女兄! 怪我してない!!!???」

 明美の脳裏に、血に染まった美女丸が浮かび上がった。

「いや」

 しかし、目の前にいる美女丸は、いたって健康体だった。

「あれも・・・夢だったのね・・・・」

 明美は、胸をなでおろす。こればかりは夢でよかったと、心から思えた。

「じゃあ、崩れ落ちたのも、夢だったんでしょうか」

 NAOが、やはりほっとした表情で、そう言った。
 言われて、たしかに塔が崩壊したのだったと、そこにいた者たちは、思い出した。

「かもしれないし、そうじゃないかもしれない…」

 なつきは、つぶやくように言った。
 どこか遠いところを見ているような表情だった。

「怖いものね、記憶があるのに、それが現実なのか夢なのかわからないなんて。まるでだれかに、この世界には、たしかなものなんて何もないんだよって、思わされているみたい」

 その言葉を肯定するように、その瞬間、まばゆいばかりの光が、空間の一点からあふれた。
 呆然とする皆の前で、空間にピリピリと亀裂が生じ、そこから、泣き叫ぶ赤ちゃんが姿を見せる。
 何かの力に守られているかのように、その赤ちゃんは、宙を泳ぐように移動していたが、やがてルイの目の前でとまった。
 ルイは一瞬、驚いたような表情をしたが、すぐにほほえむと、腕を伸ばし、その赤ちゃんを受け取った。
 それを見届けたかのように、不思議な力は消え、ルイは赤ちゃんの重さを感じることができた。
 そして同時に、けたたましい泣き声が、響き渡った。
 全身全霊で泣いているかのような、凄まじいパワーだった。

「うるさーーーーーーーーーーーーーーい!!!!」

 隣にいた明美が、たまらず耳を塞いだ。
 そりゃ、赤ちゃんは可愛い。けれども、泣き声は、ほとんど凶器だ。

「な、なんなのいったい?!」

 なつきも、耳を塞ぎながら、赤ちゃんを見つめる。

「どこから来たのよ。ていうか、誰の子供!?」
「まさか、理事長・・・とか?」
「いやーーーーー!!!!!」

 NAOのつぶやきに、明美が悲鳴をあげた。

「ちょっと、それは無理があるんじゃない」

 呆れたといった様子で、なつきは息をつく。

「だいいち、母親は誰」
「わたしかも!?」

 立ち直りの早い明美が、目をキラキラさせて手を挙げた。

「へえ? 心当たりがあるのか」

 面白がって、美女丸がそのセリフに、乗る。
 明美はピタリと動きを止め、必死に記憶を呼び覚まそうとしたが、どんなに深くまで自分の中を探し回っても、そんなものは存在しなかった。

「覚えてはいないけど・・・」

 しかし、彼女は諦めなかった。

「もしかして、私の知らないあいだに、彼が夜這いを」
「ハイストップ!」

 なつきは、ゲンナリした声を出す。

「男ならね、まあ、そういう言い訳も、なきにしもあらず、だけど。じゃあなに? この子は、彼が産んだとでも?」

 そう言われて、ようやく明美は、母親ということは、その子を産んだ女性なのだ、と気がついた。
 それくらい動揺していたようだった。

「あははははは。やあねえ。冗談に決まってるじゃない。この重苦しい雰囲気を、少しでも和らげようと思ったのよう」

 とりあえず、そういって彼女はごまかしたが、内心では、けっこう落ち込んでいた。
 本気で1パーセントくらいは、自分の子供かもしれないと、思っていたのだった。

「それよりも、もし母親がこの中にいるのなら、彼女がいちばん怪しいでしょ」

 なつきの視線は、自然にルイへと向いた。

「どうして彼女の前で止まったの」
「たしかに、そうですよね」

 NAOが同意して、ルイに訊く。

「その子を、知っているんですか?」

 ルイは、困ったような顔をした。

「たぶん、としかいいようが…」
「でも心当たりはあるんですね?」
「まあ。それなりには」
「あなたの子、とか言わないわよね?」

 なつきの言葉に、ルイは意味深な笑みを浮かべた。

「そうだっていったら、父親を問い詰められるのかしら」
「ーーーー?!!」
「誰か知りたぁい?」
「・・・・・・」

 誰も言葉を見つけることができず、沈黙が重い。

「おい、これかけてやれよ」

 美女丸が、自分の上着を脱いで、ルイに渡した。
 言われてみると、赤ちゃんは、生まれたままの姿だった。

「ありがと」

 ルイは、美女丸の上着に赤ちゃんをくるんだ。

「もしかして、マリウス・・・とか」

 その言葉に、皆の顔がいっせいに、アンドリューを向いた。
 そして、そのまま流れるように、赤ちゃんの方へ。
 しばらく見つめたあと、はじめに声を出したのは、明美だった。

「さらさらの白金の髪・・・・。頬のカーブも、どこか似ているような」

 頭を撫でながら、言う。

「オレたちは、成長したマリウスしか知らないが、たしかもともとはこれくらいなんだよな・・・」

 美女丸がつぶやくと、NAOも頷いた。

「雰囲気も、似ている気がします。言われてみると、いまここにいる赤ちゃんなんて、マリウス君以外にはいないとさえ思えてきました」
「ーーマリウス。僕だよ。わかる?」

 アンドリューが近づいて、そう呼ぶと、一瞬だけ、彼の方を向いた気がした。

「きっと、そうだよ。元に戻ったんだ!」

 嬉しそうに言って、アンドリューはニコニコとマリウスをみつめた。

「こんなにちっちゃかったんだね。かわいいなあ」
「悠長なこと言ってる場合じゃないよ」

 思いのほか、厳しい声がした。
 顔をあげると、ルイの険しい表情にぶつかった。

「ルイさん?」
「わたしも、この子はマリウスだと思う。でも、この泣き叫び方って、尋常じゃないわ。どうしてこんなに泣いているの……。どうして、こんなに、苦しそうなの……」
「もしかして、おむつを変えて欲しいとか・・・・、あるいは、ミルクが欲しいとか」

 妹の面倒をよく見てきたNAOは、赤ちゃんには詳しかった。

「でも、おむつ・・・してないし。ミルクなんて、ここにはないし」
「・・・・そう、ですね。母乳が出る人もいないだろうし」

 NAOはさらりとすごい台詞を吐くと、悩みこんだ。
 そのとき、明美のつぶやくような声がした。

「きっと、シャルルがいないからよ・・・」

 彼女に視線が集まった。

「だって、わたしがこの子だったら、泣くもの。こんなふうに大きくなって、分別がつくようになっていなけりゃ、絶対に泣いているもの。シャルルがいなくて、泣いているのよ」

 はっとした顔で、アンドリューは明美を見た。
 彼女は、泣きそうな顔をしていた。

「ん・・・・かもしれないね」

 ルイは、効果がないとわかりつつ、マリウスをあやしながら、言う。

「大人になると、我慢するクセがついてしまう。でも、この子には、そんな必要ないもの、ね。・・・・大好きな人に会えない、それは十分に、泣く理由になるのね」

 まるで、忘れていたとでも言うような、しみじみとした声だった。

「明美が分別があるかは別として」

 美女丸が、小さく笑う。

「ちょっと、それどういう」
「いいぜ」
「ーーーー、え?」

 虚をつかれて、明美は美女丸を見返した。
 美女丸は、腕を伸ばして、ぽんぽんと2回、明美のあたまをやさしくたたいた。

「泣けよ。好きなだけ」
「・・・・・・・やだ」

 言うそばから、涙がこぼれた。
 あとからあとから、止めようもなく頬を伝い、唇の端にしょっぱい味がする。
 美女丸は腕を伸ばし、明美を引き寄せると、胸に抱いた。
 ここまで泣き言一ついわないで頑張ってきた彼女が、本当の妹のように、愛しかった。

「・・・・・・」

 そんなふたりを、微笑ましく見守る目もあったけれど、複雑な想いを隠しきれず、目を背ける者もいた。
 わかっている。あれは家族愛なのだと。兄が妹を愛するのと同じなのだと。
 それでも、目にした光景は、理性を飛び越えて、感情を刺激する。
 だから、見たくなかった。
 冷静な自分でありたかった。
 こんなワガママな感情を、受け入れたくはなかった。
 ルイの言う通りなのだろう。
 年とともに、我慢することばかり、上手になる。
 もしマリウスのように、心の赴くままに泣くことができたら、どれだけ気持ちがいいことか。
 しかし、そう思うそばから、そんなことはないと否定する自分もいた。
 自分を律することができる、それは感情のままに生きるよりも、ずっと誇り高いはずだ、と。
 そしてまた、ここにはいない人を思い浮かべた。
 少しだけ、心が軽くなったような気がした。













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