美恵が頭を冷やそうと階下へ降りたときだった。
NAOとなつきがふたりそろってコンピュータと睨めっこしてるのを見つけたのは。
「あれ、お揃いでどうしたの?」
不思議そうに声をかけた美恵に対し、NAOは振り向くと、一言、いった。
「宝探し」
「――?」
画面をみたままでなつきが口を開く。
「情報化が進んだのはひとえにネットワークのおかげよ。それを使わない手はないわ」
なんのことかわからず上から画面を覗き込むと、検索中だった。
キーワード入力。
偽りの過去。
・・・おいおい・・・
「まさか、それで見つかると思ってるの?」
あきれたといった顔で美恵がいうと、ふたりは同時に振り向いた。
「藁でも縋る思いって言葉が、日本にはあるでしょ」
そういって再び視線を画面に戻したのはなつき。
「解答が得られなくてもヒントくらいはあるかもしれません。何かの引用とか」
たしかにありえる、と美恵は思った。
なにしろ、知識だけはやたらと豊富な人物である。
というと「知識だけ〜!?」と、再び理事長ファンの非難を買いそうだが。
「いいかもしれない。で、なんか収穫はあった?」
「いま検索中。あ、待って」
ふっと画面の配色が変わった。
一瞬暗くなって、次に検索結果が表示される。
数件ヒットした。が、それは図書名だった。
「これにヒントがあるとか!?」
少し興奮気味に美恵がいったが、それとは対照的になつきは首を振る。
「駄目だ。失敗」
「なんで?」
「そんなありふれた解答は用意されてないよ、きっと」
「そうですねぇ・・・・そのままタイトルなんて少し芸がなさすぎます」
「でも、そのために検索してたんでしょう?」
意味がわからず美恵は首を捻る。そんな彼女の前でNAOはほぅとため息をついた。
「だから、わらにもすがる、なんですよ、美恵さん」
わかるようでわからない理由だった。
納得しかねる美恵の前で、なつきは検索画面を初期状態に戻すと、隣に置いてあった黒いカバンを取り上げて立ち上がり、その視線をNAOへと向けた。
「さてお嬢さん。これからどうしようか」
苦笑混じりにいって、返事を求める。NAOは腕を組んで、そうですねぇ・・・と考える。
「一緒に探してるんだ」
美恵が聞くと、ふたりは一瞬顔を見合わせ、同時に首を振った。
「違うよ」
それで今度は美恵がため息をついた。
「なんっかわかんないなぁ。協力体制に入ったんじゃないの」
「微妙に違うかな」
なつきが軽く笑った。
「ふたりとも行きたいって気持ちは同じだから、自然にいろいろ考えを話すようになったんだけど別に協力とか意識してない。ただ一緒にやってるだけ。とくになにかを一緒にやろうねっていってるわけでもないんだよ。ね、NAOさん」
「ええ。そうです。もう女子高校生はとっくに卒業しましたから、そういう意味ではお互い好き勝手やってて、その上でたまたま一緒にいるって感じです」
女子高校生・・・。
その発言に美恵は笑い出す。
「なんとなくわかったよ。要するにフリーってことだね。でも日本にはこういう諺もあるよ。3人寄れば文殊の知恵って。あたしも混ぜてもらっていい?」
ふたりはビックリしたように美恵をみた。
「だってもうとっくに、参加決定でしょう?」
「そうだけど。謎は解けてないし。あたしも気になるもん。一緒に解かせてよ」
「それは・・・いいけど・・・・」
NAOもあぜんとしつつ、コクリと頷く。
「たしかに考える頭は、多いに越したことはありませんし」
「じゃあ、決定ね。一緒に行こうね、修学旅行」
その言葉に、ふたりは力強く頷いたのだった。
「うんっ!」
そうして3人は即席のチームを結成し、とりあえず今後の相談をしようということで外へと出た。
図書館内は、声を出すには適さない場所だ。
外に出ると日差しが強く、肌がジリジリと焦げる気がした。
いままで冷房の効いた部屋にいたために、余計暑く感じられる。
空がぼかしのない青をしている。雲が影を落とす。
セミの声が重なって聴こえて、夏に効果音を加えていた。
「暑いねぇ」
だれともなく、そんな声が漏れた。
「でも夏っていいですよね。汗ばんだ肌ってファンデが落ちるから困るんですけど、亜熱帯気候ってものすごく生命ってものを感じるんです。ジャングルの奥地とか、下手に飾ることをしないでただ無造作に生えている植物って、華やかに美しくて、毒のような魅力で他の虫たちを惹きつけて、生きている。力強いっていうか、生命の美しさっていうのを感じます」
NAOの言葉を美恵が無造作に受け取った。
「太陽ってさ、地球の母のような存在かもね。よくすべての生命は海から生まれたっていわれるから、生命の母親を海って呼ぶことあるけど」
そこでなつきが嬉しそうにいう。
「フランス語で、母って言葉と海って言葉、発音がとても似ているのよ」
「へえ、そうなんだ」
美恵が感心したようにいって、話を続けた。
「うん、だからね、たしかに生命は海から生まれたのかもしれないけど、地球っていう惑星そのものは、太陽の恵みを浴びて生きているんだよね。そう思うと、地球の母は太陽かなって」
「面白いね、その話」
なつきはまぶしそうに太陽をみつめた。手をかざして直射日光を避けながら。
「だとすれば、夏は母親の愛を存分に感じられる季節なんだね、地球は、喜んでいるのかな」
「その嬉しさが、その上で生きる者にも伝わるのかしら」
「だから夏が好きなんだとしたら、私はしっかり、地球ッ子だわぁ」
NAOのその表現が可笑しくて、ふたりは笑い出す。
「え?なに?なんですか??」
「ん。可愛いなぁって思って」
「え!?」
なんのことかわからず動揺するNAOだった。
「この間は美馬さんにも笑われるし、おっかしいなぁ・・・」
ぼやくようにそういったその声に、なつきは多少驚いたようだ。
「美馬さんって、あの美馬さん?」
「はい」
「会ったの?」
「ええ、先日ちょうどバラ園の傍で・・・・そう、このベンチに座っていたの」
ちょうど同じ場所に差し掛かっていた。
この日もあのときと変わらない場所に、ベンチが置かれている。
つい先日のことなのに、ここで彼と会話したなんて、嘘のようだ。
いまはすっきりとした空間が広がっているばかりで、もう過去はそこにはない。
そう、それが当然のこと。過去は決して残ったりしない。
たしかにかつては現実であるけれど、過去になった瞬間、それは蜃気楼のように捕まえられなくなるのだった。
「そうだ」
ベンチに腰掛けながら、美恵が思い出したと言ったように口を開いた。
「いいこと教えてあげるね。アルディ学園に伝わる伝説のひとつ」
「なになに?」
「なんですか?」
ふたりは興味深そうに美恵の方を向いた。
「あのね、このバラ園には伝説があるのよ。満月の夜、男女が偶然出会うと彼らは恋に落ち、永遠の幸せを約束されるという、とってもロマンティックな伝説がね。素敵でしょう?」
じぃっと聞いていたNAOがほぉっと感嘆にも似たため息をついた。
「すごい・・・ぜひ叶えてみたいわぁ・・・」
なつきはふっと笑って、空を、見上げる。
「すごい乙女チックだね。でもたしかに叶ったら素敵だ・・・美恵さん、試したことある?」
美恵は笑って首を振る。
「あまりそういう意図的なんじゃ駄目なのよ。この伝説を叶えようって思ってそこへ行く時点で、もう偶然から外れちゃうの。だから相手ばかりじゃなくて、自分も無意識じゃなきゃ、意味がないんだ」
「けっこう条件きついね」
皮肉げな感じの口調でいって、なつきは苦笑した。
「仕方ないか。永遠の幸せなんてもんがついてるんじゃね。そう簡単にはいかないってか」
「なんだぁ、残念〜」
「あれ、NAOちゃん、試す気だった?」
からかうようにそう聞くと、NAOは間髪いれずに頷いた。
「勿論ですっ!」
「ふふ、残念」
そんなことを話しているとき、遠くから、見知った人物が歩いてくるのが目に入った。
珍しく、ひとりである。
「あれ、イツキじゃない?」
美恵の声につられて、NAOとなつきもその方向に目をやった。
するとたしかに、イツキがこちらに向かって歩いてくるところだった。
色の抜けたジーンズに、ラフにまとった袖なしのシャツ、意外に太い首が剥き出しにみえる。男性らしいがっしりした肩、筋肉質の二の腕、どちらも程よく日焼けしてまぶしいくらいきれいだった。
やがて彼は、3人の姿に気づくと、ニコッと笑って挨拶した。
「どうしたんだい、こんなところで」
わずかに汗ばんだ額に、褐色のクセ髪がくるっと巻いて垂れていて、その下から覗く瞳は、屈託のない茶色。そこに夏のように新鮮な光が浮かんで、やさしく3人をみてゆれる。
「いまね、編入生のふたりに、バラ園の伝説について話していたところなの」
美恵がそういうと、へえ、とイツキはつぶやいた。そして、かすかに笑った。
「永遠の幸せってやつだろ。たしかに魅力的は魅力的だけど、ちょっと無理があるかな」
その言葉に、NAOはえっと声をたてる。あわてて口をおさえたが、そのときにはバッチリ彼と目が合っていて、彼はそんな彼女にやさしいほほえみを返した。
「どうしてか、聞きたいって、顔に書いてある」
それであわてて頬を両手でおさえると、それをみて彼はクスッと笑った。
「う・そ」
「・・・・」
う。からかわれた。思わずむっとして彼をみると、イツキはそれまでとは違った、少し自嘲的なほほえみを浮かべていた。
「最近思うことだけど」
目を伏せるようにして、彼はゆっくりと話し出した。
「永遠と幸せは両立しないんじゃないかってさ。どちらもずいぶんあいまいな言葉だから、それが本当にあるのかさえはっきりとはいえないけど、幸せは有限の中にこそみつけられる、期間限定品のようなものじゃないかな。そして永遠なんてものは存在しないで、そこにあるのは永遠を望むほどの強い願いなんだ。永遠にこうしていたい。永遠に忘れない。永遠に愛している・・・・どれも全部、それくらい強く激しく、その時間を焼き付けておきたいっていう比喩だよ。永遠なんてないって知ってるからこそ、いえる言葉だ。本当はみんな、ちゃんと知ってるんだよ。だからそこに夢をみるんじゃないかなって、オレは最近思ったりする。そのときはたしかにその気持ちに嘘はなくても、人の心は変わっていくものだしね」
彼の言葉には重みがあった。それはたぶん、彼の経験から生まれる重みなのだろう。
そしてそれを言葉になおせる彼は、とても凄い人だと、3人は思った。
経験など、だれにでもできる。その経験を、どう生かせるか、そこから何を学ぶか、それをどんなふうに人に伝えるか、それがきっと、大事なのだ。だとすれば彼は、なんて優しく人にそれを伝える人なのだろう。その瞳はいまはすこし切なげに細められているけれど、その姿さえ、とても、やさしい。
3人はかみしめるようにその言葉を聞いていた。
心の深い部分にまで沈み込んで、そのまま何事もなかったかのように溶け合ってしまうような言葉だった。何も残らない。でもそこにある。空気のようにやさしくて、でもなくせないもの。それを彼にもらった気がした。
やがてなつきが、ぽつり、つぶやいた。
「でもそれじゃ・・・寂しいわ。何もかもが変わっていくなんて・・・そりゃあ確かに永遠は極端だと思うけれど・・・」
イツキは顔をあげると、ふっと、ほほえんだ。ふわっと空気が揺れた気がした。
「そんなこと、ないよ。時間は神様のくれた贈り物だもの」
わずかに、眉をひそめる。
「おくりもの?」
「そうだよ」
優しい茶色の瞳に慈しむような淡い光が浮かんで、なつきの視線をとらえた。
「いつまでも同じ状況の中にいたら、気が狂ってしまう。息のできないほどのかなしみや喪失を味わって、その中に埋もれていたら、やがて呼吸さえも止まってしまう。でもそうはならない。人の心は変わるから、そして先へと進む力を持っているからね。想い出という名のアルバムに、やがてしまう事ができるようになる。なつきさん、変化は忘却じゃないよ、ちゃんと覚えている、その上に重ねていくだけだもの。そう思えば、寂しいなんてことないよね、それよりは、そんな自分を褒めてあげなきゃ、ちゃんと前へ進んでいる、自分自身をさ」
夏のようにジリジリと胸を焼いた。その言葉の熱さが。
どんな経験をすればこんなふうにいえるようになるのか、想像さえつかない。でもたしかに彼はそれを乗り越えて、今自分で言ったことを受け止めて、ここにこうして立っているのだ。
そう思うと、目の前でほほえんでいる彼に惹かれずにはいられなかった。その優しさと強さに、どうしようもないくらい、惹かれた。
「あ・・・ありがとう・・・」
声が震える。イツキはクスッと笑った。その表情に、それまでなつきを縛っていた呪縛のようなものが解けた気がした。可愛い弟のような彼。無邪気な笑み。いままでの大人びた表情をきれいにぬぐって、屈託なく、笑う彼。
「なんでお礼をいうの。オレはただ、自分の思うことをいっただけだよ」
NAOは言葉もなくぶるんぶるんと首を振った。
「すごい・・・です・・・」
それ以上、何もいえなかった。美恵はといえば、その言葉に到達するまでの彼の心を思って、胸を痛めていた。イツキが、それに気づく。そして、ほほえむ。
そんな顔をしないで、大丈夫だから。
彼のやさしい声が視線を通して聞こえるような気がした。
「そういえば、伝説なら、面白いのがもうひとつあるよ」
それぞれの理由で黙り込む3人の前で、話題を変えるように、イツキがそういった。
美恵が不思議そうな顔で聞き返す。
「どんなの?」
イツキは意味深な笑みを浮かべた。
「開かずの扉の話」
初耳だった。
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