守る心の色

「アンドリュー君ってさ」

 なつきの言葉は、唐突であったのにも関わらず、とても自然な響きをもっていた。

「とても優しい目をするよね、――明美さんをみるとき、とくに」

 細い道を、アンドリューと並んで歩きながら、なんでもなさそうなことのように言う。

「そうですか?」
「ええ」

 すっと視線を彼に向け、彼女はほほえんだ。

「大切なんだなって、こっちにまで伝わってくるようで、ときどき見ているあたしの方が照れちゃうくらい」

 からかうように言うと、アンドリューは頬を赤らめた。

「そんなこと・・・・ないですよ」

 白皙の肌がうっすらと染まる様子は、それだけで可愛い。
 この年頃の男の子に、可愛い、はないと思ったが、それでもその表現がいちばんぴったりだった。
 童顔のせいだろうか、彼はずいぶん実年齢よりもあどけなくみえる。

「なつきさんこそ」

 思わず見惚れていたなつきの前で、突然、アンドリューはそういって彼女をみた。

「え?」
「いま、ぼくをみていた表情が、とても優しかったですよ」

 一瞬、反応が遅れた。からかわれていると気づいたのは、彼がクスッと笑った後で。

「ちょっとーーー。大人をからかうもんじゃないの!」

 らしくなく、大声を出したのは、照れ隠しも含まれていた。
 アンドリューは、ニコリと笑う。

「本当にそう思ったんですから、仕方ないです」

 まったく近頃のガキは・・・と、さっき彼を子供扱いしたことを後悔するなつきだった。
 でもたぶん、無意識なのだろう。どちらのときでも。大人びた台詞も、少年のような無邪気さも、意図してコントロールしているわけではなくて、彼の中に矛盾なく存在しているのだ。
 それはすごい魅力だった。なつきはそれを伝えたくて、口を開いた。

「アンドリュー君って、すごいよね」

 単刀直入。飾り気なんてひとつもなし。実に彼女らしい言葉だった。
 が、言われた方があっけにとられるのも無理はない。

「はい?」
「だから、すごい魅力だよねっていったの」

 同じ言葉を繰り返すなつきに、アンドリューはまるます困惑する。

「あの。ちょっと話の流れがわからないんですけど・・・・なにが、どうなって、すごいなんですか」
「ああ、ごめんごめん」

 それではじめてなつきは、自分の言葉が突然すぎたことに気がついた。

「癖なんだ。わたし、思ったことをすぐ口に出しちゃうのよ。とくに、好きとか、すごいとか、そういうのって思うと同時に、どうしても相手に伝えたくなっちゃって。やっぱりなんでも言わないと伝わらないじゃない?だからね、せっかくのいいことは、ひとつ残らず全部相手に知っていて欲しいの。・・・わがままね」

 最後に付け加えたのは、説明しているうちに、そんな自分に苦笑してしまったからだった。
 いまに気づいたことじゃないけれど、改めて口にすると、どこかしら恥ずかしいものがある。
 けれども、アンドリューはそんな彼女を尊敬の眼差しで見返した。

「勇気あるんだ・・・なつきさん」

 なつきは笑いながら首を振る。

「いいのよ。フォローしてくれなくても」
「ううん。ぼく、いま本当に貴女のこと、それこそすごいなぁって思いました。見習いたいくらい」
「なあにいってるのよ」

 多少の照れ隠しもあってか、彼女の言葉は少しぶっきらぼうだった。

「あなたの素直さにはかなわないわ。・・・本当に、そのときに必要な一言を、正しく言うことができるのって、すごい才能だと思う。真似できない」

 アンドリューは、驚いたようになつきをみた。
 いままでそんなふうに言われたことは、一度もなかった。
 たいてい、優秀な兄達と比べられては、遠まわしに、あるいは直接的にイヤミを言われるのが常である。
 あるいは、優秀すぎる甥と。こちらの場合は、比較対象にさえならないのだけれども。やっかいなことに、容姿が似通っているものだから、変に誤解されるのだ。

「でも、ぼくは・・・・」

 彼は、下を向いた。比べられるのには慣れている。それに自分でもわかっていることだから、最近では何を言われてもほとんど気にならなかった。
 それでも・・・、絶対にかなわない存在であると、突きつけられるという事実に変わりはない。
 もしこの気持ちさえなかったなら、彼と似ていることに、劣等感を感じることはなかっただろうけれども、男として、かなわないと感じるとき、彼を大好きな気持ちそのままに、嫉妬している自分がいることに、気づかないわけにはいかなかった。
 なつきが、どうしたのと目で尋ねてくる。アンドリューは一瞬、彼女に聞いてもらいたい衝動に駆られたが、結局、黙って首を振っただけだった。

「そう?」

 こんな気持ちは、間違っている。自分でさえそう思うことを、人に言うべきではない。それは、慰めを欲しているだけではないか。アンドリューはそこまで自分を惨めにはしたくなかった。そんなことないよと、優しく言われれば、かえって自己嫌悪が深まるだけだ。

「なつきさん」

 そう言って、気持ちのもやもやを振り払うかのように首を振ると、顔をあげた。

「ありがとうございます」

 ちょっとだけの笑顔。心から笑えない自分に嘲りを感じつつも、そんな気配ひとつみせずにほほえんだ。

「ぼくもいつか貴女のように、自分の気持ちを伝えられるように頑張ります」

 なつきは、一瞬驚いた表情を見せたが、それ以上を尋ねることもなく、ん、と頷いた。

「よくわかんないけど、大丈夫よ。頑張らなくてもね、本当に強く思っていることって、伝えずにはいられないものだから・・・・そういうときが、きっとくると思うわ。だからのんびり待ってなさい」

 彼女らしい言葉に、今度こそアンドリューはにっこり頷いた。
 もともと、物事を重く、深く考えるのはガラじゃない。

「そうですね。なんかそんな気がしてきました。ぼくって単純かな」
「あら。それも美徳のひとつじゃない」
「否定されないのは複雑だなぁ・・・」

 軽口をたたきながら、ふと、彼、のことを思い出す。
 決して口数の多くない彼のことを。そのせいでいつも周りから誤解を受け、それさえ思惑通りとばかりに冷ややかなほほ笑みを浮かべる彼のことを。
 アンドリューは、彼のいいところも悪いところもいっぱい知っていた。
 それをすべてひっくるめて、彼のことが大好きだった。
 けれども最近、思うのだ。彼はときどき、意図的に悪い面ばかりを、誇張してみせてはいないだろうかと。
 自分といるときの彼は、とても自然だと思う。わがままだし、意地悪だけれど、それはあるがままの彼の姿で、だからときどき優しかったりして、アンドリューを驚かせる。彼の愛情表現はひどくわかりにくいけれども、それは決して故意的ではなくて、単に彼が不器用だからであって、それも彼の個性のひとつだと、長く付き合っているうちにわかるようになった。
 だからこそ、アンドリューは思った。
 逆だ、と。
 なつきがいうことと、ちょうど反対に、彼は思いが強ければ強いほど口には出さないのではないかと。
 あふれそうになればなるほど、それを無理やり閉じ込めようとする。
 昔からそうだったかはわからないけれど、少なくともいまは、そうして本当の心をどこかに潜ませてしまっているように思えてならない。
 アンドリューはそうすることのできる彼の精神を尊敬し、同時にその姿を哀しいと思った。
 なつきの言う通り、本当に強く思ったら、口に出したいと思うのが普通なのだ。それをしないでいることは、思う以上に辛い作業に違いない。吐き出したいものを吐き出せないもどかしさ、そういったものを彼は感じたりはしないのだろうか?・・・・・

「――くん、アンドリュー君!」

 名前を呼ばれてはっと我に返った。みればなつきが心配そうにアンドリューの顔をのぞきこんでいた。

「なんかさっきから変よ。どうかした?」
「いえ・・・すみません、ちょっとぼーっとしてて」

 ごまかすようにいって、いまはそんなことを考えている場合ではないと、改めて自分に言い聞かせる。

「あら、ちょっとあっちの方明るくない?」

 声につられて視線を向けると、たしかに、遠くの方で闇の濃度が薄れていた。

「行ってみましょう」

 そういってふたりは足をはやめた。
 そのときアンドリューの中には、まださっきの考えが消えずにあった。
 いまは考えても仕方がないけれど、いつか本人に聞いてみたいと思う。

(素直に答えてくれるわけはないだろうけど―――)

 アンドリューはニヤリと笑んだ。

(一瞬でも、ポーカーフェイスを崩せればよしとしよう)






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