城壁は崩れ、砂のように流れた。
しかしそれは崩壊というものとは違った。
偽りの姿を捨て、あるべき姿へと、戻ったにすぎない。
城も塔も、写像のようなものだった。
そこにあるものの一部を、映し出し、象徴化し、具体化したもの。それがいままでそこに存在していた「城」という名のものだった。
奥に眠っているものは、これくらいのことで目覚めたりすることはない。
けれども入り口は開かれた。
瓦礫を受け取って、しずしずと飲み込んでいく。
まるで幻のように吸い込まれていき、何も残らない。
音も、光も、波動も、その眠りの前では取るに足らないものでしかなかった。
最初に目を覚ましたのはアンドリューだった。
頭がぼぅっとしていたが、特に痛いところもなく、ゆっくりと起き上がってあたりを見回す。
自分と並ぶようにして明美が、少し離れたところに美女丸とNAO、そしてなつきが倒れるように寝ているのをみつけた彼は、ようやくいままでのことを思い出した。
改めて自分のからだを確認してみるが、怪我をしている様子はない。
それは他のメンバーを見ても同じで、苦しそうな者はいなかった。
眠っているだけのようだ。
いちばん近くにいた明美からは、すうすうと寝息が聞こえてきて、表情も穏やかにみえた。
そのことにひとまずほっとしながらも、わけがわからずに、アンドリューは皆を起さないように美女丸のもとへと行こうとした。
ひどい怪我をしているはずだった。
みんなを踏んだりしないように気をつけて、薄闇の中をゆっくりと歩いていく。
(いったいここは、どこなんだろう)
部屋というのはわかる。アンドリューの部屋より、少し狭い程度だ。光がどこから漏れているのかはわからないが、視界が闇で閉ざされない程度には明るかった。
立ち止まって、よく観察してみる。
歩くとカツンカツンと音が響いて、壁にも反響した。すべて石でできているようだった。
(シャルルがいたらなぁ・・・)
いったい何度、そう思ったことだろう。そして同時に訪れる自己嫌悪。気づけば、こうしてシャルルに頼っている。そんな自分にうんざりした。
けれどももしいま、ここに彼がいたならば、事細かに説明してくれるに違いないのだ。たとえば、この鉱石の名前だとか、成分だとか、あるいは建築様式だとか、聞いてもわからないことばかりだが、不思議と彼の説明を聞くのはきらいではなかった。
そのとき、僅かに光の濃度が増した気がして振り向くと、石の壁に、一枚の肖像画が掛けてあった。
なにげなく目をやって、思わず声を出す。
「うそっ・・・・・・!?」
背中まで伸ばした白金の髪、憂いを帯びた青灰の瞳、優美なほほえみ、そこに描かれていたのは、どうみてもその、シャルル本人だったのだ。
「・・・・えっ・・・・・なんで・・・・・」
もしここが、地球ならば話はわからないでもない。彼は世界中で有名だし、彼の熱狂的なファンが、その肖像を描かせて(もちろん本人の許可なく)飾っていたとしても、考えられない話ではないだろう。
けれども、ここが地球ではないということを、そのときアンドリューは忘れていなかった。
なのにどうして、いったい誰が何の目的で、そもそもどうしてシャルルを知ってるんだろう?
アンドリューは目をこすってみた。瞬きもしてみた。もしかして、あまりに彼を思う気持ちが強すぎて、幻影をみているだけかもしれないと思ったのだ。
しかし何度見直しても、その肖像に変化はなかった。
「・・・・別人かな・・・・・・・カズヤのそっくりさんがいるんだし、これも誰かシャルルによく似た人かもしれない・・・・・・・うん・・・・・きっとそうだ・・・」
誰に言うともなしに、声に出していった。自分に確認させるかのように、一言一言、はっきりと区切る。
「そうだよ・・・・よくみれば微妙に違う気がするもの・・・・・・こんなふうにほほえんだりなんて滅多にしないし・・・・・・・・髪だってここまで長くしたのはみたことないし・・・・・だいいちこの衣装・・・・・絶対シャルルの趣味じゃない」
肖像画の中の人物は、妖精を思わせるかのような薄い布を何枚も纏っていた。ちょうど、十二単のように、裾や襟元が鮮やかなグラデーションになっている。色は青。薄いものから濃いものまで、自然の纏う青がそこにはあった。
「なにぶつぶついってるの?」
「うわっ」
突然背後から声をかけられて、アンドリューは飛び上がりそうになった。
「なあに。失礼しちゃうわね。わたしは幽霊?傷つくなぁ」
「す、すみません・・・・突然だったから」
「ふふ、冗談よ。何みてたの?」
そういってひょっこり顔を出したのは、なつきだった。アンドリューの右隣に並ぶようにして立っている。
そして壁の方に目をやった彼女は、ほとんどさっきのアンドリューと同じ反応を示した。
「うっそ・・・・・?!」
しかし違ったのは、その後の行動だった。つまり、しばらくの間みつめたあと、つかつかとその肖像画に近づき、持って帰ろうとしたのだ。
「なつきさんっ!!!???」
アンドリューがあわてて止めに入る。
「誰のものかもわからないのに、駄目ですよ、泥棒になっちゃいます」
なつきは恨めしそうにアンドリューをみていった。
「んもう。こんなときにまでそんなこと。いいじゃないの。一枚欲しいんだもの」
「だいたい、それ、シャルルじゃないですよ!」
「え?うそ?本人じゃない」
アンドリューは、断言していった。
「違います」
彼にしても、確信があったわけではないが、いまは彼女の行動を止めるのが先だ。それに、こうして近くで見ると、やはりどこか違うような気がした。
「オジの僕が言うんですから、間違いありません。これはシャルルじゃないです!」
そこまで言われれば、なつきとしても信じるしかない。なにしろ、つきあっている年数が違いすぎる。
「・・・目の保養になるんだけどな。まあいいわ。それで? アンドリュー君」
なつきはぐいっと顔を彼に近づけた。その迫力に、たじろぎつつ、なんでしょうと答えたアンドリューに、なつきはずばりと聞いた。
「じゃあいったい、これは誰なの」
「・・・・さあ?」
ずいっと顔を覗き込む。
「でも理事長とは別人なんでしょう?ってことは、彼以外の誰か、ということよね?」
「はあ・・・・まあ・・・そうなりますね・・・」
「だから、それは誰と聞いてるの」
「分かりませんよ」
アンドリューはなんとかなつきを押しのけながら、一息ついた。
「僕にわかるわけないでしょう。でもシャルルじゃないんです。だいいち、アルディ家じゃなくこんな場所に、こんな絵があるわけない」
もっともな説明だった。それにしても・・・。なつきはもう一度まじまじとみる。ではいったいこれは誰なのだろう。そして何のためにこんなところに飾ってあるのだろう。他にはないのだろうか。
そう思ってふと反対側をみるのと、アンドリューが口を開くのがほぼ同時だった。
「それより美女丸さんのところに」
はっとして、なつきの視線が動く。
「そうよ。彼、すごい怪我を」
あわててふたりで駆け寄って、美女丸のもとへと行くと、よく眠っていた。痛そうな表情はしていない。ふたりは起さないように気をつけながら、一通り上から下までながめた。怪我をしてる様子はない。
「そんなはずないよ。たしかに額からも血が―――」
しかし、彼の顔には髪一筋ほどの傷もなく、シャープな輪郭を描いた頬には、うっすらと赤味さえさしている。とてもけが人にはみえない。
アンドリューとなつきは顔を見合わせた。
「どうなってるの?」
お手上げのポーズを取りながら、なつきはふと背面をみる。
そこに、もう一枚の肖像画があった。
「ね、みて・・・」
アンドリューも同じ方を向く。そして、信じられないといったように目を見開いた。
「なん・・・で・・・・・・」
その反応に、なつきは驚いて訊いた。
「さっきと同じ人でしょ?――髪を染めたみたいだけど」
描かれていたのは、もう一枚の絵と同じ顔立ちをしていて、けれども髪の色だけが違った人物。明るく輝く見事な金髪で、纏っているのは、静かな感じのする黄金の衣。
「・・・・・よくみてください・・・・・良く似ているけれど・・・・・・・性別が、違う」
ゆっくりと近づきながら、アンドリューはつぶやいた。
いわれてみれば、たしかに先ほどの人物とは違い、胸元がふくらんでいる。
表情もやさしく、静かで、どこか哀しげだった。
「だったら双子かな・・・・・よく似ているわ」
アンドリューはまだその絵に見入っていた。
「どうかした?」
固まったように動かない彼を不審に思い、なつきが尋ねる。
「ちょっと・・・・・・知り合いに似ていて」
「知り合い?って、親戚とか?」
「実際に僕とは血がつながってないけれど。・・・シャルルのイトコで、シャルルによく似ていた女性
です」
「その人が似てるの?この女性に?」
「ええ・・・・・とても」
本当によく似ていた。というか、アンドリューにはこれが本人でないとは思えなかった。シャルルの時は、まだどこか違うと思える部分があったのだが、この絵に関して言えば、まさに、本人そのもの、いや、それ以上といってもいい。姿形はもちろんのこと、彼女のもつ雰囲気とか、心の在り方とか、そんな目にみえないものこそが、彼女自身でしかない。
「ますますわからないわねぇ。この場所がいったいなんなのか」
大きく伸びのポーズをしながら、なつきはそういって、肩の関節をグルリと回した。
「でも、ま。みんな無事でなにより、かな」
アンドリューは視線を彼女に向けると、そうですね、といって小さく微笑んだ。
そしてそのまま、明美をみる。彼女はまだ気持ち良さそうに眠っていた。NAOも、起きる気配はない。美女丸も、怪我こそしていないものの、精神が休養を求めているといった様子で、深い眠りに落ちているようだ。
ひとりひとりを確認して、アンドリューは最後になつきへと視線を戻した。
「もうすこしこのまま、眠らせておきましょう。そのあいだ」
「探検」
「え?」
「探検しようかって、言ったの」
いたずらっこのようにほほえむなつきに、アンドリューはかなわないなといって笑う。
「どうして僕の言いたいことがわかったんですか」
「それは簡単よ」
ニッと笑んで、なつきは自分を指差して答えた。
「わたしも、同じ気持ちだから」
そして眠る美女丸をみながら、付け足した。
――鬼の居ぬ間のナントヤラ・・・・ってね(笑)
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