の繭

「おにい・・・ちゃん・・?」

 明美はぼうぜんとつぶやいた。
 すぐ目の前に、はるか遠くにいるはずの兄の姿が見える。
 そしてそのすぐそばには

「――シャルル…」

 なつきの声は、心なしか震えているようだった。
 けれども、そんなことにさえ気づかずに、明美は目の前の光景に意識を奪われていた。
 まばゆい光の繭のなかに、もうひとつの世界がみえる。
 そこには大切な家族と、愛しい人と、仲間たちがいて、ひとりのひとを囲んでいた。
 シャルルが膝をついて、抱きかかえるように支えている。
 その顔がみえた瞬間、明美は信じられないといった声を出した。

「薫・・・・っ?!」

 美女丸は黙って立っていた。
 無理やり扉をこじ開けて、塔の中へと入った。
 鍵がかかっていたわけではない。
 まるで何らかの力が加わったせいで、扉が歪んでいるようだった。
 あるいは、時空が。
 そう考えて、美女丸は自分の考えを否定する。
 どこぞの科学オタクでもあるまいし、そんなことはどうでもいい。

「ねえっ、美女兄!!」

 切羽詰った明美の声に振り向くと、彼女の目から大粒の涙がこぼれていた。
 一瞬、胸を突かれた。

「わがままいわないから!もうなんでも美女兄の言うこと聞くから!だからお願い。この先に行きたいの。どうすればいいの。どうすればあっちに行けるの。ねえお願いよ、美女兄。あたしに教えて・・・」
「明美・・・」

 美女丸は唇をかんでうつむく。
 いくらそうしてあげたくても、彼自身、その方法がわからない。

「アッキ・・・駄目だよ・・・・そんなふうに言っちゃ・・・・」

 美女丸さんだって、同じ気持ちなんだから。
 アンドリューがなだめるように明美の肩を抱いた。
 明美はたまらず、アンドリューにしがみついた。
 彼は優しく彼女の涙を受け止めて微笑む。

「泣かないで、アッキ。大丈夫だよ。みんな、一生懸命想ってるんだ。その気持ちが届かない世界なんて、絶対神様は認めないもの」

 神様―――。
 なつきは、アンドリューの言葉を反芻した。

「そう、ね・・・・あなた、すごいわ」

 ひとりごとのようにつぶやいた。アンドリューは自分に向けての言葉とは気づかずに、ただ明美の頭を撫でていた。
 なつきは失笑して、無造作に、視線をNAOへと流す。
 そして彼女が、まっすぐに美女丸をみつめているのに気づいた。
 心配そうな眼を向けて。
 美女丸は、皆に背を向けるようにして立っている。
 光の繭は少し小さくなったようだ。

「早くしないと・・・」

 NAOの唇がそう動いた。けれどもそれが言葉になる前に、グラリと大きな振動が塔を襲った。
 皆のバランスがいっせいに崩れる。

「なつき!!」

 美女丸はとっさに、いちばん近くにいた彼女の腕をつかんだ。

「光が」

 繭は心臓の鼓動のように脈打っていた。
 ドクン、ドクンと大きくなっては小さくなり、萎んでは膨張し、不安定さを増していく。
 振動はさらに激しくなり、立っていることができずにしりもちをついた。
 パリンと硝子の割れる音がする。
 開け放たれた窓からは、風が乱暴に入り込んで気持ちまでも掻き乱す。

「きゃああああああああ」

 塔を支えていた柱の一本が、真ん中からガクンと折れて倒れてきた。
 そのちょうど真下で、NAOが逃げることもできずに膝を突いて頭を抱えている。

「NAOちゃん!!!!」

 なつきの悲鳴が響くのと、美女丸が飛び込むのとがほぼ同時だった。
 直後、鈍い音が響いた。
 NAOのからだに痛みはない。
 そのかわりに、重さを感じて眼をあけると、息が触れそうな距離に美女丸の端整な顔があった。
 赤く血に染まった、彼の顔が。

「・・・・・・・・・」

 割れた額から、ドクドクと血が零れて、目と目の間を伝っている。
 苦痛に歪みながらも、片目だけをなんとか開けて、NAOをみつめていた瞳は、こんなときなのにひどく穏やかだった。

「怪我・・・・・ないか・・・・?」

 大きな手が伸びてきて、確認するかのようにNAOの額に触れる。
 前髪をかきあげるようにして、顔をのぞきこんで、頬とか、唇とか、耳の下に触れて、彼女に少しも傷がついていないのを確認すると、満足げにほほえんだ。

「――――よかった」

 そしてふぅっと目を閉じた。途端に彼の体重がすべて彼女の上にかかってきて、NAOは彼が意識を失ったことを知る。
 NAOは混乱する。
 血まみれに倒れた美女丸。その原因は自分にある。
 その事実が彼女から逃げるという意志を奪っていた。
 柱は今度は明美とアンドリューのいる場所へ、バランスを崩しかけている。
 NAOはぼんやりとその様子をみつめていた。
 危ないと叫ぶ事さえ思いつかなかった。
 それよりは、物凄く理不尽な怒りを感じて、いまこの場所でこんなことをしている自分に、何も出来ないでいる自分に、こんなことをさせている誰かに、頭がおかしくなりそうなくらいの憤りを感じて、ほとんど自暴自棄に彼らの方へ突進した。
 つまり、倒れかかっている柱のその下へ。

「NAOさんっ!危ないよ!!」

 何度も転びながら、それでもなんとかふたりのもとへたどり着いて、かばうというよりは、挑みかかるように両手を広げた。

「なんなのよ一体!!!倒れたいなら倒れなさいよね!!あたしは逃げも隠れもしないんだからーーーーー」
「無茶なことしないで――――早くどけて、NAOさんっ!」

 柱は、彼女の言葉を宣戦布告とでも受け取ったかのように、遠慮も容赦もなく崩れ落ちた。
 美女丸の怒鳴り声が聞こえたような気がした。

 おまえは馬鹿か!?




――ほっといてよ・・・・





≫BACK