やかな静止

 固唾を飲んでその沈黙を見守っていた。
 心臓の停止したひとりの女性を囲むようにして。
 誰も何も言葉がなかった。
 最後に合流したルイも、その雰囲気から事情を察し、沈痛な面持ちで立ち尽くしている。
 和矢が何かを言いかけて、やめる。
 美恵は唇をかんで、泣き出さないでいるのが精一杯だった。
 そしてシャルルは、ただひとりかがみこんで、じっと彼女をみつめていた。
 何も言わない。
 もちろん、彼女は彼の患者ではないし、この状況に彼の担う責任はなかった。
 あのときこうしていれば、こんなことにはならなかったのに・・・・などと、意味のない後悔をするほど彼は自分を知らないわけではない。
 全ての結果を受け入れる、その覚悟がなくてどうして医者という立場を続けられよう。
 それに今回は、彼女を救うために来たわけではなかった。
 自分の予定を狂わせてまで、何かをしたいという想いに、いまは必要性を感じたくない。
 それでも彼は、違和感を感じずにはいられなかった。
 言葉では説明できない類の、直感にも似た違和感。
 本当に彼女は死んでいるのか?
 冷静にそう問う自分の声に耳を傾けると、彼は確認するように何度も、何度も彼女の心臓に耳を近づけた。
 そんな彼の姿を、少なくとも二人は、彼女の死を信じたくない行動として受け止めていた。
 どんなに冷たいふりをしていても、彼は本当は優しいのだと、そう信じているから。
 そうして幾らか時間が経過したあと、シャルルは眉をひそめるようにしてつぶやいた。

「おかしいな・・・・・」

 同情するように和矢が言った。

「おまえの気持ちはわかるけどさ、仕方ないよ。おまえのせいじゃない」

 それに対し、シャルルの返答は冷ややか以外のなにものでもなかった。

「当たり前だろ。なんでこの女の責任をオレがとるんだ」

 そのあまりのクールさに、あっけにとられながらも美恵が言う。

「じゃあさっきから、何をしてるの」
「本当に死んでいるのかを調べていたんだ」
「だって、あなたがさっき自分でそういったじゃない」
「死んだとはいってない。心臓が止まったのは事実だけどね」
「・・・・・違うの?」

 最後の言葉は、ルイのものだった。
 シャルルは慎重に言葉を選んで答えた。

「心臓が止まった状態で放っておけば、少なからず死は免れない。だが何らかの処置を施すことで、再び動き出す場合は少なくない」
「それじゃ、早くローズにも」

 そういえばドラマで、医者が心臓にショックを与えているのをみたことがある。
 思い出しながら美恵は、せかすように言った。

「生き返らせようよ」

 どこか日本語がおかしいと思いつつ、彼女は続けた。

「シャルルならできるよ。ふつうのお医者さんにだってできるんだから」

 シャルルは皮肉げにほほえんだ。

「だとしても、時間的に手遅れだな」
「そんな・・・」

 美恵はうなだれる。和矢はそんな彼女の肩をなぐさめるように抱くと、軽くシャルルをにらんだ。

「こんなときくらいそういう言い方やめろよな。何か気づいたんだろ。いえよ」

 シャルルは微笑すると、ローズに視線を戻した。

「結論から言えば、彼女は死んではいない。ただしどういうわけか、心臓はいまだに動いてないけどね」

 彼女の顔から赤味が消えることはなかった。
 たしかにみている分には、眠っているようにしか見えない。
 ルイは一歩前に出て、彼女をのぞきこむようにして言った。

「でも、心臓が止まって放っておいたら、死は免れないんでしょう?」
「普通はね」

 ほっと息をついて、シャルルは再び屈みこむ。
 そして再び彼女を診断しながら、苦笑混じりに答えた。

「もし死んでいるのなら、とっくに体温は下がり、死後硬直の気配もそろそろみえるはずだ。けれども心臓が止まっている以外、彼女のからだは生きている人間と変わりがない。そもそも死という定義づけをどうすればいいのか、それすら定かではない。地球と同じ基準では量れないだろうからね」
「・・・そう、ね。たしかにここは地球ではないわ」

 思い出したように、ぽつりとルイがつぶやいた。
 シャルルが皮肉げに付け足す。

「同じ地球でも、薔薇に還るなんて迷信を、信じてる人間もいるようだが」

 それが何を意味しているのか、わかったのは和矢だけだった。
 小さな苛立ちが彼の中に芽生える。
 自虐的な言葉を、あえて使う彼の気持ちが、わからないとまではいわないけれど、それは聞いている方が、何倍も傷つく言葉だった。

「・・・それはいいとして、これからどうするんだ」

 一呼吸ついて、和矢は言った。
 シャルルは事もなげに答えた。

「そりゃ、ローズを生き返らせるしかないだろ」

 その場にいた全員、虚をつかれた。
 どう考えても、前後の流れが一致しない。

「だって死んでないのに、生き返らせるなんて」

 美恵がしごくもっともな発言をした。

「その方法がわかってるの?」

 ルイがさらに尋ねる。

「あなたにそれができるの」

 冷静な問いだった。彼女の眼は真剣に彼へと注がれていた。
 彼は静かにほほえむと、微妙に問いをずらした。

「できるかどうかは問題ではない。そうしなければならないだけだ」
「なんのために?」
「自分の為に」
「あなたのため・・・?」

 ルイは失笑する。何ばかなこといってるの。あの子の為、でしょう?
 言葉にしたところで認めてもらえるはずがなかった。
 だからあえて口には出さなかった。
 変わりにため息ひとつつくと、突き放すように言った。

「問題なのはできるかどうかよ。意志だけで物事は動いたりしないわよ」

 シャルルはすっとその視線を彼女へと向けた。
 瞳の奥に潜むものは、決して自惚れた自信ではなかった。

「正論だ。だが君は知らないのか」

 彼が抱いていたのは、もっと強い光だった。
 輝きを封じ込めた、内へと向かって凝縮する彼の強い意志。
 黄昏色の瞳は、沈みゆく太陽を映しているかのように、静かにきらめいていた。

「変化を願うのなら、強くそれを望むことだ。今の自分を超える力は、結局は自分でしか生み出せないんだよ」

 ああ・・・・そうか。
 ルイは彼の言葉の熱さに打たれながら、またひとつ、彼という人を知る。
 誰も彼の敵にはなれないのだと。
 たったひとり、彼自身を除いては。
 そしてその度に、彼は昔の自分に打ち勝って、先へと進んでいくのだろう。
 変わっていくのではない。変わりたいと望んでいるのだ。
 何かから遠ざかるように。
 それが何なのかまではわからなかったけれど、そのときルイには、彼が酷く焦っているように思えた。

 そんなにも彼の心を占領しているものが、妬ましかった。








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