の手,魔の手


 花嫁選びの勝負は、ほとんどローズの圧勝といってよかった。
 知識、教養、そして剣技。
 どのジャンルをとってみても、確かにローズにかなうものはなかった。
 けれどもそのことを、美恵は仕方のないことだと受け止めることができた。
 悔しい思いはあったけれど、それはローズの努力の結果なのだ。
 統治者として生まれ、絶えずそのプレッシャーの中で生きてきた、彼女の痛ましいまでの努力を美恵はいまなら感じることができた。
 でなければ、あんなふうにはなれない。
 あんな目は、できない。
 名目は彼の花嫁選び。
 だからこそ負けられないと頑張った。
 でもいい。仕方がない。彼を渡す気はないけれど、彼女のすごさは認めよう。
 美恵はそう思っていた。
 ところが、ほとんど勝利を手にした向こうが、その結果に納得していなかった。

「勝負にならんな」

 嬉しそうというよりは、ローズの顔はむしろ不愉快に近かった。

「なぜこれしきのことができない。なぜそれでピーターに相応しいと思える。おまえのその自信はどこから来るんだ」

 残り一種目となったとき、ローズは美恵の前へとあらわれた。
 供も連れないで。呼吸は乱れていなかったが、顔色は悪かった。

「自信なんてないよ、最初から」

 美恵は困ったようにいって、ちょっとだけ笑った。
 その態度に、ローズはますます険しい顔になる。

「笑うだと?おまえは負けるんだぞ、このあたしに。悔しくはないのか」
「そうだね。くやしいって気持ちはもちろんあるけど、勝負に敗北はつきものだし。あなたのすごさは認めるよ」

 さっぱりした表情で美恵が言う。ローズはわけがわからないというように、大きく首を振ってみせた。

「あたしには理解できない」

 クスッと美恵は笑って、でも、と強調するように付け足して言った。

「彼のことは別問題だからね。その気持ちだけは、あなたにだってちぃーーーっとも負けてないんだから」
「なんだよ、それ」

 ローズはむっとしたように美恵をにらむ。

「あんたわかってるのか。これはその勝負だって。このままいけばあたしがピーターと結婚する。最初からそういう約束だ」

 美恵はコクンとうなずいた。

「それは知ってる」
「だったらお前の気持ちがどうであれ、おまえはピーターとは一緒にいられない。それでもそんな冷静でいられるわけか」
「冷静、ってのとは違うと思うんだけど」

 うまくいえないな、と美恵は思った。
 彼女はここ数日で、シャルルにいやというほど特訓を受けたし、勉強もさせられた。そのすべては今日のためで、彼女は彼女なりにそれをクリアしてきた。だからくやしいけれど、後悔はない。
 そういうことをローズに伝えたいのだが、どうやら根本的なところから、ずれてしまっているらしい。
 勝ち負けを重く考えているのだ。
 だからそれ以外が目に入らない。
 少しだけ、かわいそう、とも思った。
 それはきっと、それくらい彼女が統治者という立場に縛られているからだろう。
 勝手も負けてもいい、そんな自由さを、彼女は知らずに生きてきた。

「たとえばこういったらわかってくれるかな。この勝負に勝っても、負けても、あたしはなにも変わらないと思うんだ。ただ勝敗がつくだけで。だから平気なの」

 ローズは不審者でもみるように美恵をみた。
 彼女の言っていることが、少しもわからない。

「決定的な違いだろ。勝つことと負けることでは。おまえは馬鹿か?」
「失礼なこというね」
「じゃなければ最初から勝つ気がないか」

 間違いではないかもしれない。
 美恵はとっさにローズに言葉を返せなかった。
 もちろん勝ちたかった。けれども心のどこかで、無理と知っていたのも事実。
 数日の努力で何かを変えられるほど、世の中は甘くできてはいない。
 しかし、この間をローズは、彼女の肯定と受け止めた。

「ほお・・・ずいぶんなめた真似してくれるな、アンタ」

 三白眼に剣呑な怒りが浮かんで、それはまっすぐに美恵に向けられていた。
 あわてて訂正しようとするが、その言葉さえ許されない。

「ふざけるなよ。いままでのはお遊びかい。そいつはさぞかし愉快だったろうな。こっちの本気を餌に酒でも飲むつもりだったのかい。はん、まったく愉快な話だよ」

 言葉とは裏腹に、より険しさをました瞳は、苛立ちさえ含んで底からギラリと光った。

「ち、違うくって、もちろん勝つ気は」
「黙れ」

 ぴしゃりと遮って、ローズは真正面から美恵を見据えた。
 静かな凝視に含まれるのは、荒々しいまでの彼女の怒り。

「訂正する必要はないさ、お嬢さん。あたしは別に怒っちゃいない。本気を出すも出さないも、そんなのはアンタの勝手だからな。けど最後くらいはマジでいこうぜ。どんなに全力を出しても敵わないってことを、アンタのからだに教えてやるよ。・・・そっちに選択権をやる。ダンスなんて甘ったるいもんじゃなくて、アンタの得意なのを選べよ。最後の勝負だ。その勝者が、ピーターの花嫁になる」

 ローズの全身を、暗いオーラが覆っていた。
 美恵はその迫力に、もう何を言っても無駄だと感じ、ただ、彼女を見つめ返すことしかできなかった。

「返事は?」

 冷ややかな彼女の声。いままでみたこともないほど、静かで、暗い瞳。

「・・・でもそれじゃ、あなたのほうが一方的に不利だよ」

 いままでの勝負すべて、ローズのものだった。
 それをゼロへと戻して、最後の勝負にすべてをかけるなど、美恵にのみしか利点のない申し出だ。
 そう言う意味で彼女はいったのだが、不利、という言葉をローズは違う意味に解釈したようだった。

「すごい自信だな」

 軽く笑う。けれどもそれさえ、ひどく乾いたものでしかなく、なぜか彼女のほうが追い詰められているようにさえみえる。
 美恵はいたわるような眼差しを、ローズへと向けた。

「そうじゃないよ。だってこのままいけばあなたが勝つんだよ?」
「やるのか、やらないのか」

 牙を向く獣のように、いつになく余裕のないローズ。
 何をそんなに恐れているのか、美恵には痛々しくさえ思えた。

「・・・いやな眼だな」

 ローズは舌打ちをする。

「つくづく気に触る女だ」

 同情めいた視線を向けられ、居心地の悪さを通り越した。
 なにもかもが気に触る。ローズは自分の焦りを知っていた。

「それで、あんたの得意な事は何」

 意味のない勝負なのだ。
 もはや決着はついている。
 けれどもやめられない。
 彼を奪っていく女性、いっそ殺してしまえば楽かもしれないけれど・・・
 彼はもう彼女のものなのだ。
 心も身体もすべて。
 たとえ死んでも自分のものにはならない。
 決してならない。
 完全な敗北だ。
 だったら最後に、一矢報いる権利くらい、あってもいい。
 そうでもしなければ、それまで彼と過ごした日々も想い出もすべて、彼女と一緒に連れていかれそうだった。

「得意かはわからないけど、泳ぐのは好き」

 美恵は、素直にそう答えた。
 ローズはうなずく。

「わかった。では最終競技は遠泳だ。ちょうど近くに島がある。距離にして30分も泳げばつく程度だからちょうどいいだろう」

 こうして最終競技は、予定していたダンスから、遠泳へと変えられた。
 美恵は和矢に事情を伝え、ローズと海へ行く事を伝える。
 彼はわかったと頷き、シャルルを待ってすぐに行くといって、彼女を見送った。
 無理するなよ、とは言わなかった。
 言葉の代わりに、両手で肩をぽんぽんと二回たたいただけ。
 けれどもそれで充分だった。
 応援してくれてる。
 しっかり見ていてくれている。
 それだけで、あふれるくらい勇気をもらえた。

 彼の漆黒の瞳だけが、彼女に魔法を掛けることができる。

 運命までは、操れないけれども・・・・








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