「全然駄目だな。話にならない」
不愉快そうというよりは、いい加減あきらめた、という口調に似ていた。
そんな相棒をみながら和矢は苦笑する。
「おまえじゃないんだから無理だよ」
「だからオレがやるといったのに、それをいつまでも彼女に話せなかったのは、どこの誰だ」
「・・・だから、オレは」
だから?
眼差しだけで問い掛けられて、和矢は言葉を濁した。
「だか、ら・・・さ」
ここはシャルル用にと用意された別室。もとい、以前にカルアとキルトの部屋だった場所である。
ふたりは現在、ボランティアへ出かけていて留守だった。
それは、彼らの故郷である隣国の難民を少しでも救済しようと、この国の主、つまりはローズが始めた政策の一環であり、希望者が交代で荒地となった隣国や、その狭間にある森へと訪れ、水や食料を配るという作業である。
そうしたからといって、何かが大きく変わるわけでも、彼らの暮らしが良くなるわけでもなかったが、それでも何かせずにはいられないと、彼女自身、そのことを宣言して開始されたものだった。
「大勢の飢餓者の前に魚を一匹落とすようなものだ。ごくわずかの者が、いっときだけの救いを得られるだけで、何の解決にもならない」
この話を聞いたとき、シャルルは皮肉げな口調でそう言った。
「でも何もしないよりはいいわ」
美恵がそう言うと、薄く笑って彼女をみる。
その表情が気に入らなくて、美恵はむっとして続けた。
「それがなければ、死んでた人がいたかもしれないじゃない。そう思えば、やらないよりはやったほうがいいに決まってるでしょう」
「ではその命はどうやって選ぶ?たまたまその人を助けた。ではたまたま助けられなかった人はどうなる」
「それは・・・」
言葉に詰まる彼女に、珍しく彼は容赦がなかった。
「中途半端な施しや労りなど、あってもなくても変わりはない。もし彼らを助けたいと思うのなら本気でやるべきだと思うね。それが無理なら、むしろ放っておいた方が親切だ。この次は助けられないかもしれない人を、一時の成り行きで救って意味があると考えるのは、優位者の傲慢と偽善さ」
最後はほとんど吐き捨てるようにいって、部屋を出て行ってしまった。そのらしくない態度にあっけにとられて和矢をみれば、彼は厳しい表情で宙をにらんでいる。
「ねぇ・・・どうしたの、シャルル」
そう声をかけて、やっと彼は彼女のほうをみた。
「ああ。そうだな…」
対応もどこかぎこちなく、美恵は彼が何かを知っているのだとピンときた。勘だけは鋭いのだ。
「何よ。ふたりだけの秘密?」
和矢は、そこに含まれる微妙なイントネーションに気づいたが、苦笑すると、あえて否定はしなかった。
「ま。そんなとこ」
うっと、言葉に詰まる美恵。いつもなら言い返してくるはずが、そうはならなくて、けれども自分から言い出した言葉の性質上、あとはもう、頷くしかない。
「・・・・悔しいな」
こうなればもう、この悔しさを彼に向かって発散するしか方法はなかった。
「ほんっとあんたたちって、なんでそう相思相愛なのよ」
ぎょっとして顔をあげた和矢に、もう遠慮はしませんとばかり、言いたいことを言いまくる。
「仲いいのはわかるよ?友情はすばらしいし、それを否定するほどあたしは心の狭い人間じゃないけれど、でも周りにいる人の気持ちにも気づいてよ。優しいなら、それくらいのことはわかってよ!」
もはや、自分でも何を言っているのかわからない。美恵は感情の赴くまま、まっすぐに和矢を見つめて言葉をぶつけた。
「大切な人はたくさんいるよ。誰にだって、たったひとりってわけじゃない。あなたにシャルルが大切で、シャルルが和矢を大切なだけじゃなく、他の人も、たとえばあたしもシャルルを大切に思っているし、和矢だって、シャルル以外の人間がどうでもいいわけじゃないでしょう。でもあなたたちふたりは、もっとそれ以上に特別な雰囲気があって、周りの人は入り込めないときがある。幼馴染っていうのはわかるけど、あなたと美女丸だって幼馴染なんだし、そう思うとやっぱり特殊だよ、和矢とシャルル。それが悪いとはいわないけど、でもねぇ、他の人間は、あんたたちの外側で、さびしい思いをしてるってこと、ちょっとは気づいてくれてもいいじゃない。あたしだってあんたたちのことが心配なのよ」
息を飲むようにして、和矢は美恵の言葉を聞いていた。
が、いったい何をどう勘違いしたのだろうか、和矢はわかったというように大きく頷くと、すっと立ち上がり、いたわるように両手を美恵の肩に乗せて、ちょっとだけ笑いながらいった。
「ごめん。君の気持ちに気づかなくて・・・・・好きなんだな、あいつのこと」
まさに、青天の霹靂。目を真ん丸くした美恵に、彼はもういいよ、とでもいうように深く頷いてみせると、安心させるように笑う。
「いいよ。大丈夫。わかったから。…これから気をつけるよ、あんまり君にヤキモチ妬かれないように。うまく行くといいな」
この台詞に、彼女の我慢も限界だった。
「ふざけないでよ!」
彼の手を振り切るように立ち上がると、本気で和矢をにらみながら彼女はいう。
「にぶいにも程があるよ、和矢。あたし本気であんたに怒りを感じてるからね。あたしがいままで誰を見ていたか、もっとその胸に手をあててよく考えてみなさいよ!!!わかるまで話し掛けてこないで!!!!」
そうして彼女は、シャルル同様、その部屋から出て行った。
ひとり取り残される和矢。
どうして彼女があんなに怒ったのか、いくらなんでも、まだ気づかないのだろうか。
彼はそのまま、だれもいない部屋でひとり、考えるように目を閉じていた。
ティナが戻ってくるまでずっと。
そしてその日以来、といっても数日だが、彼は彼女と口を聞いていない。
一時の勢い任せのような感があって、少しすればいつもの彼女に戻るのではないかと甘い期待を抱いていた和矢だったが、さすがに今回ばかりはそうもいかなかった。
目も合わせようとしないし、それどころかみせつけるようにシャルルとばかり会話をしている。
シャルルも、さすがに慣れてきたのか、彼女とずいぶんくだけて接するようになっていた。
とはいえ、その教師ぶりは、まさに容赦のない、の一言に尽きたのだが。
「あれじゃローズに勝つなんて不可能だね」
やる気は、たしかにある。だがしかし、あの量を数日で覚えろというほうに無理があった。
もちろんシャルルにだって、それはわかっている。
けれどもできる限りの、最善は尽くしたいのだ。
「どっちがいい、和矢。彼女の代わりにオレが出て、ローズを負かすのと、このまま彼女を出してローズに負けるのと。おまえに選ばせてやるぜ」
いっときの感情に捕われている場合ではない。シャルルの提案はシビアで、だがこれが現実だった。
「オレは、どっちでもいいよ。彼女に聞いてみろよ」
ヒュっと、尻上がりの口笛があがる。
「優等生」
「やめろ」
本気でむっとした様子で返されたが、シャルルは冷笑しただけだった。
「だったらおまえが決めろよ。オレはおまえに聞いてるんだ、カズヤ。たまには彼女任せにしないで、はっきり自分の意見を言ったらどうだ」
「――――オレは」
そういって彼は、考えるように目を細めた。自分がどうしたいのか、そういえばこの件に関して、深く考えた事はなかったと、今さらながら思い出して。
なぜだろう。その原因を考えてみれば、まず最初に、彼女の顔が浮かんだ。
彼女のしたいように。彼女の望みどおり。
そればかりが、最近の彼が思っていたことだったし、ほとんど口癖のようなものだった。
けれども逆にいえば、それくらい、彼女にばかり負担を背負わせていた事になる。
自分の意見を言うことと、それを強要することとはまったくの別問題だ。
何もいわないですべて好きにしていいと、それはほとんど放っておいているのと変わらない。
オレは、彼女にばかり考えさせている?
そのとき、和矢ははじめて、いままで彼女のために思って口にした言葉の数々が、かえって彼女の重荷になっていたことに気がついた。
好きにしていいよ。オレは君の味方だから。
それはたしかに、いっけん優しい言葉に思えるかもしれない。
けれども、その優しさはまるで蜃気楼のように実体のないもので、彼女の支えになれるほどの力がない。
愕然とする。
なにが、支えてやるって?
だれが、彼女を守るって?
・・・冗談。まったくタチの悪すぎる、冗談だ。
和矢はほっと息をひとつ吐き出すと、夢からでもさめたかのようにまっすぐな視線を、シャルルに向けた。
「聞いたからには、叶えろよ」
不敵な感じのする、いたずらっぽい眼差し。
「ずいぶん偉そうだな」
言葉とは裏腹の、余裕のあるほほえみを浮かべてシャルルは、言ってみろよ、と先を促す。
「彼女に出て、勝って欲しい」
「――わがまま」
けれどもこぼれた笑みが、その答えをとっくに知っていたと、告げていた。
「ついでにひとつ、言ってもいい?」
軽くほほえんで、和矢が言う。
「なんだ」
「美恵ちゃん、おまえのこと好きなんだ」
シャルルの表情は動かない。
「って言ったら、どうする?」
黒い瞳は、微笑を含んでいた。それに気づいて、シャルルはふっと笑い、視線を伏せるようにして答える。
「また決闘でもするか」
和矢は一瞬、驚いたが、そういって顔をあげたシャルルの表情があまりに穏やかだったので、ああ、とつぶやいて、小さく笑んだ。
「ますますツギハギだらけの友情だな」
言いながら立ち上がって、ガラっと窓をあける。
まだ朝の早い時間、風は少し冷たくて清浄で、優雅にその部屋を一周した。
「にしても、おまえ、からだ平気か?」
ここ数日、ほとんど徹夜が続いている。
彼女は隣の部屋で、いまも(たぶん)シャルルの作った予想問題を、必死で埋めているに違いない。
「そういう君こそ」
「・・・・・」
ふたりは顔を見合わせた。
「・・・さすがに寝てられないよ」
「オレ達が寝ようと起きてようと、彼女の脳味噌の動きに変化はないぜ」
皮肉げにそういって、微苦笑する。
「慈善活動と結局同じだな。ローズの事をとやかくいえない」
「・・・それでもせめて、なぁ」
いいながら、和矢は眠そうに目をこすった。
「ひとりよりふたり、ふたりよりさんにん、か…」
このとき、よもや美恵が疲れ果てて居眠りをしてようとは、さすがのふたりも考えもしなかったのだった。(笑)
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