ピーターの花嫁候補選出のための試験は、参加者のすべてが辞退を表明してきた。
もちろん、彼の人気が落ちたためではない。先日のできごとをみて、みんな自分では役不足だと感じたためだ。あそこまでの情熱をみせつけられ、恐怖にも似た気持ちを感じたといってもいい。
運良く選ばれれば、などという甘い考えではもはや太刀打ちできず、かといって女性たちの多くは、それほどの想いを抱けるほど彼を知らなかったし、憧れの王子様ではあっても、運命を共にしたいと願う魂の共有者ではなかった。
よって、実質、名目とも、ピーターの花嫁候補をめぐる争いは、ローズと美恵の一騎打ちとなった。
「え、え〜〜〜!?」
どっさり置かれた書物に、美恵の絶叫がこだまする。
「これ、全部覚えるの!?しかも6日間で?」
「聞こえなかったのならもう一度いってやろうか」
シャルルは、女装をやめていた。
とはいえ、身に纏っているのは、彼が普段着ているようなジャケットやシャツではない。
その服を提供したのは、ティナだった。
「あたしたちを騙してたんですからね、それなりの償いはして欲しいものだわ。はい、これ着て」
あのシャルルに、ここまで強引な態度を取れるのは、彼の恐さを知らないからか、それとも性格か、どちらにせよあっぱれというべきだろう。
彼はチラッと彼女の手にしていた服に視線を走らせたが、とくに文句を言うわけでもなく、それを受け取った。
美恵はその様子を目の当たりにして、驚いた。
あのシャルルが、文句も言わずに人の言うなりになるなんて・・・。
天変地異が起こる前触れではなかろうか。
いや、それともこの星の寿命が近いのか。
はたまた毒キノコでも食べたとか。
そしてその疑問をそのまま彼にぶつけた美恵は、まるでティナの代わりとでもいうように、侮蔑をこめた冷ややかな視線を向けられるはめになったのだった。
「ちょ、ちょっとシャルル」
美恵はたじろぎながらも抵抗する。どうやら冷凍光線も、何度も浴びるうちに免疫ができるらしい。
「あの子とあたしに対する態度、ちょっと違いすぎない?まさかティナに惚れたとか・・・」
その言葉に彼はふっと視線をあげて、驚いたように美恵をみた。
え?
そのいつになく思いつめたような眼差しに、美恵は自分で聞いておきながら、戸惑いを隠せない。
ちょっと、待ってよ、シャルル、あの・・・
「鋭いな」
え、えーーーーーーーーっ!?
美恵は仰天を通り越し、そのまま昇天しそうだった。
そんな彼女の前でシャルルは、ほっと切なげなためいきひとつ、憂いを帯びた瞳をうつむき加減に伏せて言ったのだった。
「そうなんだ。どうも彼女の前に出ると、いつものようにしゃべれなくてね。おまけにここ数日よく眠ることもできなくて参ってるんだ」
美恵は、思わず自分のほっぺをつねった。
イッターーーイ!・・・ってことは、夢じゃないよね。うん。あたしは起きてるわ。
だとすると、これは本当なんだ。
きゃあ。(はぁと)
彼女はなぜか自分のことのように興奮していて、なぜかこのふたりをくっつけなければと、まるでそれが自分の使命のように思い込んだ。
「任せて!」
力強く言って彼女は、シャルルの手首をがっしと握る。
「あたしがなんとかするわ。他ならぬシャルルのためだもの。何でも言ってちょうだい。お役に立つわよ」
すると彼は嬉しそうにふわっと笑った。美恵は思わずドキッとする。不意打ちはからだによくない。いつも怒られてばかりの彼に、こんなふうなほほえみを向けられれば、理性とは違う場所でよろめいてしまう。
「シャルル・・・」
「ありがとう。君に感謝する」
そのいつになく素直な態度に、美恵はじぃ〜〜〜んとした。しみじみ感じる。恋って偉大だわ。あのシャルルを、こんなふうにするなんて。
「さっそくだけど、頼みたいことがあるんだが…」
遠慮がちに言った彼がほほえましくて、美恵は自分の胸をドンとたたいた。
「もちろんよ。なんでもいって。頑張るわ」
すると彼は、まるでその言葉を待っていたかのようにニヤリと笑んだ。
「それは良かった」
え?
なんか急に態度が変わってみたいなんだけれど。
目をぱちくりした美恵の前で、シャルルは不敵な笑みを浮かべた。
「誰もが認める花嫁に、君がなること。それを皆の前で証明すること。そのために努力を惜しまないこと。以上。オレが君にして欲しいことだ」
その突然の展開に、美恵はついていけない。
「待ってよ。何の話をしているの。それとあなたの恋と」
「コイ?」
それこそ何の話だといいたげな表情で、彼は露骨に顔をしかめてみせた。
「いったいどこにそんなヒマが落ちてる。君には状況というものが理解できないわけか」
「わ、わかってるわよ。いまが大変な状況だってことくらい。でも、どんなときでも、運命的な出会いは訪れるものでしょう!?」
「運命的、ね。虚実の世界で暮らしてる君にはぴったりの言葉だ」
小ばかにしたようなその視線に、美恵はむっとして言い返した。
「現実にだってたくさんあるわよ。世の中にはそうやって多くの恋人たちが生まれてるんだから」
「そのすべてが運命だとでも?だとすれば、君のいう運命とやらとオレの思い描くものは根本的に違うってことだね。これ以上話しても時間の無駄だ」
「またそうやって勝手に自己完結する・・・・」
彼と一緒にいる時間が長くなるにつれ、わかったことがある。
何か話していても、あるときふっと、まるでこれ以上こちらに入るとでもいうように距離を置こうとするのだ。
意識的なのか、それとも無意識なのか、それはわからないけれど、ただひとついえるのは、そのとき彼女がとてもさびしいと感じることだった。
「だったら教えてよ。あなたの思い描く運命ってどういうのか。根本から違うって勝手に決めつけないで、言葉にして教えてよ。じゃないと、ずっと理解できないままだわ」
彼は皮肉げにほほえんだ。
「その台詞を言う相手を間違えてるぜ」
「・・・・・・・?」
意味がわからず間ができた。その一瞬の隙をつくように、彼は立ち上がり、出て行ってしまった。
美恵は感情を持て余し、ぼんやりと何もない空間をみつめていた。さっきまでシャルルのいた場所、そこだけ空気の温度が低いような気がする。どうしてだろう。どうしてこうなっちゃうの。どうしてもっと仲良くなれないの・・・・
「オツカレサン」
ぽんと肩に手が乗った。振り返るとそこに、和矢の優しいほほえみがあった。
「あたし、なんか間違ったこといったかなぁ・・・」
美恵は力なくつぶやく。彼ならきっとその気持ちをわかってくれると思って。
和矢は手を離すと、反対側の椅子に腰掛け、軽く足を組んだ。
「ん・・・よくわかんないけどさ、そういうのってないんじゃないかな。あいつにはあいつの考えがあるし、君には君の考えがある。どっちが正しいとか、ないと思うよ」
「それはそうなんだけどさ・・・」
釈然としない美恵をみて、和矢はクスッと笑う。
「けど、ずいぶん仲良さそうにみえたぜ」
美恵はビックリした。
「うそお!?」
「そんな驚かなくても…」
苦笑する和矢に、力説する美恵。
「だって、全然真剣に話聞いてくれないし、こっちがそうでも向こうはからかってるだけだし、いまだって本気でシャルルとティナの未来のために頑張ろうと思ってたのに、けーっきょくだまされてたんじゃん?あたし、ばかみたいだよ」
「シャルルとティナの未来って・・・」
あきれたといった顔で、和矢が言う。
「美恵ちゃん、本気であいつの言葉、信じたの?」
「だってシャルルのあんな顔はじめてみたし・・・」
次第に自分の早とちりが恥ずかしくなり、声が小さくなった。
「そりゃあさ、冷静に考えればさ、こんなときに惚れた晴れたと騒ぐシャルルじゃないって思うけど。でも・・・・・・もしかしたらって思うじゃない」
そんな美恵を和矢は優しい眼差しでみつめていた。
ほほづえをつくようにして、何かを思い出すように目を細めながら、つぶやくように言う。
「あいつ、シャルル、さ・・・どうでもいい人間にあんなふうに話したりしない奴だよ。むかしから・・・とにかく他人と関るのを避けようとするとこあるし、だからティナにも無駄に文句言ったりしなかったんだと思う。結構そういうところあるから、相手にしないっていうか、適当に話あわせて切り上げようとするとこ。なんにでも本気になってたら、あいつの神経もたないからね」
なるほどなぁ、と美恵は感心した。同時に嬉しくなる。
「じゃあ少しは、ほんの少しくらいは認めてもらってるんだ、あたし」
そう言うと、和矢はニヤッと笑った。
「さあ、そこまではわからないけど」
「うっ・・・和矢の意地悪」
頷いてくれるのをほぼ確信していた美恵は、恨めしそうな声を出す。
彼は楽しそうに笑うと、いたずらっぽく片目をつむってみせた。
「オレも、さ、どうでもいい人間にこんなこといわないぜ」
「・・・・・・・」
意味ありげな台詞に、美恵の頬は赤く染まる。
それってどういう意味かしら・・・。
それってつまり、えっと、えーっと・・・・。
「カズヤって、誰?」
そのとき、ティナが予告もなくひょっこり入ってきて、不思議そうに尋ねた。
ふたりはとっさに顔を見合わせる。
一瞬にして雰囲気が引き締まり、美恵は慌てて言った。
「か、家具屋よ、か、ぐ、や!さっき家具屋さんですっごく可愛い椅子があったんだけどね、それは非売品だからって売ってくれなかったのよ。ほんとひどいよね、意地悪だと思わない!?」
その迫力にたじろぎつつ、ティナはとりあえず頷く。
が、ついさっき、買出しの帰りに家具屋の前を通ってきた彼女は、あれ、と首を傾げた。
「いま改装工事のため、臨時休業ってかいてあった気がするんだけど」
美恵の顔が青ざめる。とっさに和矢が口を開いた。
「あっ、ほら、もう随分前の話だよ。彼女、ときどき思い出したように昔の話をするんだ。まるで年寄りみたいだよな」
ちょっとーーーほかにフォローの仕方はないの!年寄りって何よ、年寄りってーーー!!
と、内心で叫んだ美恵だったが、さすが役者の経験者といおうか、顔に笑顔を貼り付けてにこやかに
ほほえんだ。
「そうなのよ。よくいわれるんだ」
「ふーん?でもお姉さん、さっきっていってたよね」
納得しきれない顔でティナはそういったが、すぐにここに来た用事を思い出すと、ぱっと表情を明るくした。
「そうそう。そんなことより、お姉さんを呼びに来たの。シャルルが連れて来いって」
「シャルルが?あたしを?」
「なんであいつが直接来ないんだよ」
ティナはニコニコ顔で答える。
「いいのよ。あたしの見立てた服を着てくれるだけでジューブン。彼ってほんときれいよねぇ。前にね、心の赴くまま、とにかく自分の理想の服を作ろうって思って作ったことがあったの。だけど着せたいと思う人がいなくって、残念だけどあきらめてたのよ。お兄ちゃんには甘すぎるし。やっぱり服は似合ってこそでしょ。嗚呼、なのに、こんなところで理想的なからだにめぐりあえるなんて・・・・・幸運って落ちているものね。ほんと、あたしの理想そのままの雰囲気なの、彼、サイズもぴったり。手直しする箇所、少しもないんだもの。これで感動しなかったら、女じゃないわ」
一気にまくし立てるように話す彼女の頬は、きれいなピンク色をしていた。
「だからね、あたしいま、すっごく気分いいの。最高よ。なんでも許せちゃうわ。ということだから、お姉さん、一緒に来て」
そしてあぜんとする美恵が連れて行かれたのは、カルアとキルトの部屋だったのだが、ふたりの姿はなく、シャルルがひとりで椅子に座っていた。ティナは相変わらず、満足そうにニコニコしている。
美恵はまじまじと彼を見つめ、彼女の態度に心から納得した。
これは・・・ティナじゃなくても見惚れるよ。
彼が着ていたのは、シフォンのような素材をふんだんに使った王子のような衣装だった。彼女が言うほど甘い雰囲気はそれほど感じられなかったが、中に着ているタイトな素材が彼のしなやかな肉体をなぞっていて、女性のような男性のようななんとも不思議な魅力をたたえている。
妖精の王子がいたら、きっとこんな感じだろうと美恵は思った。
物憂げな青灰の瞳、すっと通った鼻筋、甘い感じのする唇、きれいな輪郭を描いた頬、そこに白金の髪がゆるくこぼれて影を生み、その陰影のバランスが絵画のように美しい。
が、その魅惑的なくちびるからこぼれたのは、甘さのかけらもない冷ややかな声だった。
「この6日間で、この内容をすべて覚えてもらう。ピーターの妻と名乗り続けたいのなら、死ぬ気でやれよ」
そこにあったのは、百科事典のように分厚い資料、計6冊。
換算して、一日一冊。
――根性の見せ所である。
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