同生活IN古城

 明美となつきは、古城にいた。
 そこはフランスの城を思わせるような優美さと華麗さをまつわらせながら、同時に退廃を含んでいて薄暗く、けれどもなにも欠けずに残っている不思議な空間だった。まるで高貴なものすべてが、そこに封印されているかのように。
 明美がみつけた光は、離れの棟にある鏡が反射したものだった。
 そこにのぼるためには、城の奥に位置する長い螺旋階段をのぼらなければならない。
 ふたりはあの日、空腹に耐えながらものぼりきり、その鏡をみつけたのだった。

「それにしても、あたしたちはいつまでここにいればいいのかしら」

 さすがにうんざりといった様子で、明美は繊細な彫刻の施された柱に座り込む。

「救助されるまで、じゃないかしら」

 琥珀色の石に自分の顔を映しながら、なつきは口紅を塗っていた。

「感心するわ、なつきさん。ここにきてまで女の身だしなみを忘れないなんて」

 明美は心からそう言う。

「あたしなんて、化粧品ひとつ持ってきてないのに」
「じゅうぶんきれいよ」

 口角までしっかり塗って、てのひらにキスをして余分な紅を落としながらなつきは言った。

「化ける必要なんてないわ、明美さんは。そのままでじゅうぶんよ。お肌なんて赤ちゃんみたいにつるつるしてて」

 クスッと笑って手を伸ばす。明美は正面から見つめられて、なぜだかドキドキしてしまった。
 彼女は男なら、ラブシーンくらいにはなっていたかもしれない。
 けれどもいくら彼女がボーイッシュでも、細いうなじや濡れたくちびるが、疑いもなく女性であることを示している。
 彼女の指先は、きれいにつめが整えられていて、口唇と同じ色のマニキュアが塗られていた。
 うっわ、大人っぽい・・・。
 思わず見惚れた明美の視線に気づいたのか、なつきがふと自分のつめをみる。

「どうかした?」

 明美はコクンと息を飲んだ。彼女の声は少しハスキィで、響谷薫に慣れていたとしても、それとは違った刺激がある。

「なつきさんの手」
「手?」

 彼女は明美から手を離すと、不思議そうに自分の手をみた。

「あたしの手が、なにか?」
「・・・きれい」
「はぁ?」

 何を言われているのかわからないとでもいうように、なつきはおおげさに首を傾げた。

「なにが?どこが?」
「つめの形がきれいだわ。ウラヤマシイ・・・・それにそのマニキュア。口紅とおそろいでしょ?」

 その言葉に、うれしそうな顔をする。

「当たり。この色に一目惚れしちゃって、揃えちゃったの」

 そうすると彼女は、とても可愛らしい女性になった。
 くるくる表情が変わる人。
 それも性別を超えて、男の人みたいだったり、女の人みたいだったり。
 その鮮やかさに明美は見惚れた。
 はふぅと妙なため息をつく。
 ん、となつきに見返されて、明美は感嘆の吐息をもらした。

「すごいわあ・・・」

 またしても、わけがわからないなつき。苦笑めいた笑みを浮かべる。

「だからね、明美さん。いったいなにを言わんとしてるのか私には」

 わからないのよ。そういって無造作に髪をかきあげる仕草が、その辺の男より断然決まってて、明美は何度目かの感嘆を漏らした。
 が、あっと声を出すと、わけがわかったとでもいうように、勢いよく説明し始めた。

「そっか。そうなのよ。中性じゃなくって、女性なの。ちゃんと。響谷薫もそういうとこあるけど、あの人は女であることを強調しないし、むしろ男性っぽくしてる感じ。でもなつきさんの場合はちゃんと女性でいようとしてるから、その辺の違いなんだわ。あたしはどっちも好きだけどさ」

 なつきはおかしそうに明美の話を聞いていた。

「いまさら男になっても仕方ないじゃない。だいいちあたしは、女が好きだし」
「・・・・・・・」

 疑わしそうな視線を向けられて、あわてて言い直す。

「女であることが、って意味。もちろん男性の方が身動きとれやすそうにみえて、羨むこともあるけど、美しくなれるのは基本的には女性の特権だと思ってる。しかも」

 目元が優しくゆるんだ。だれを思い描いているのか、外側からはわからない。

「それが大好きな人のためだったら、こんな贅沢なお洒落ってないわ」

 明美の頭を、ちらりと不安がよぎった。

「・・・もしかして・・・・シャルルのことをいってたりする・・・?」

 最大のライバル登場!?
 そう思いつつ、息を飲んで様子をうかがう明美に、なつきの視線はからかいを含んだ。

「そうかもしれない」

 微妙な返答に、明美はさらに問い詰める。

「じゃなくって、正直に言ってよ!そうなのね!?」

 けれどもなつきは、頷くことはしなかった。ただはぐらかすように笑って、揶揄するような眼差しを向けるだけ。
 彼女は曲者だ、と明美は思う。こういうふうに肝心な事を言わないのは、まるでどこかの誰かさんにそっくりよ!
 けれども本人にその意志がなければ、いくらつつこうが無駄ということは、そのだれかさんのせいでいやになるほどわかっていたので、余計な体力を使う前に追求はやめにした。

「あーあっ。もう、どうしてあたしの周りには素直じゃない人ばっかりいるのかしらっ!」

 悔し紛れに叫んでみる。なつきは楽しそうに笑って、そうね、と同意した。

「そうねってねぇ・・・・自分がそのひとりってこと、わかってます?」

 あきれたといったような顔をする明美に、もちろんよ、とほほえんだ。落ちてくる髪を耳にかけながら、ふっと目を伏せる仕草が色っぽい。

「でも明美さん。人間だれでも、素直になれる場所もあるものよ」

 そういった彼女は、しあわせのヴェールを纏っているようにみえた。やわらかくて優しい表情。
 明美は思う。きっと彼女はその場所を知っているのだろうと。だからこんなふうに、落ち着いてゆったりと構えていられるのだ。
 そんな彼女が少しうらやましかった。思えば彼女の周りには、その場所をみつけられない人たちが多すぎる。無理をして、平気なふりばかりがうまくて、人に優しくて自分に厳しい人たち。
 彼、はその中でも群を抜いていて、他者にも厳しく、自分には不可能を許さない。
 そんなんじゃダメだよ・・・。
 何度思ったかわかりゃしない。実際本人に、そういったこともあった。おさななじみという立場上、彼は自分を無視したりはしなかったが、それでもどこかで距離を感じていた。他に人に言ったら、贅沢だといわれるかもしれない。あんなに構ってもらって、大切にしてもらって、まだ足りないのかと。
 けれども、全然足りなかった。いまそれを確信する。こんなふうな表情を彼にして欲しいのだ。彼女の言う、素直になれる場所に、自分を選んで欲しい。

「・・・・ひとつ聞いてもいい?」

 頭の中が彼で満ちていくのを感じた。いままでになく強く、激しく、彼を求めている。
 会いたい。
 もう永遠にあっていないような気がした。
 いつもなら、数年に一回会えればいいほうなのに、どうしてだろう?
 この数日がいままででいちばん長く感じるなんて・・・

「なに?」

 明美は自分の中に湧き上がったその感情にあとおしされるようにいった。

「なつきさんのいう・・・その場所・・・になるためには、どうしたらいいのかな」

 彼女は一瞬驚いたような顔をしたけれど、明美の頬がうっすらピンク色に染まっているのをみて、やがて静かにほほえむ。

「それでじゅうぶんよ」
「・・・・?」

 今度は明美が、きつねにつままされたような顔になった。

「あの・・・」
「その気持ちがあれば、じゅうぶんっていったの」

 思いのほかきっぱりと、彼女はそういって笑顔を見せる。

「・・・そんな簡単でいいの?」

 意表をつかれて、明美は間の抜けた声を出した。
 なつきは、あら、とたしなめるように言う。

「簡単って言うけど、だれにでもできることじゃないのよ。もしあなたがそう思うなら、それはあなたのすごさよ。そうしたくてもできない人が、この世の中にはたくさんいるの」

 いつになく低いトーンに、彼女の本気がこめられているような気がした。
 明美は神妙にうなずいた。

「おぼえておく」

 よくわからなかったけれど、冗談やごまかしじゃないのはわかった。
 それに彼女は、少しだけ気づいてもいたのだ。
 その言葉の意味。ただ大切にすることのむずかしさ。彼への想いが微妙に変化している。むかしよりずっと彼を求めていて、その強さがわがままを呼びそうになる。
 何かが変わりつつある。まだよくはわからないけれども・・・。

「さて、と」

 口紅をしまいながら、仕切りなおすようになつきは立ち上がった。

「今日は何をしようか」

 じっとしているのは好きじゃない。ここ数日の共同生活(?)で、それを明美も承知している。

「この辺はどっぷり散策したし、城もけっこう見てまわったし、できそうなことだいたいしたわよねぇ?」

 城には中庭があった。それをみつけたのは、ここに来てすぐ、驚いたことに、その庭園は植物で溢れていた。彼女たちのみたこともないような花と果実、鮮やかな色彩と馨しい薫り。中央には清水が流れていて、やさしい音楽を奏でている。
 その水を飲み、その果実を食べることで、ふたりは苦もなく生活できた。
 なかでも水は絶品で、それを飲むとからだのすみずみまできれいになるような気がした。
 そして清水の流れ込む泉。
 その城にはシャワーがなく、迷った末にふたりはその泉に入ったのだが、つめたくもなく、かといってぬるいわけでもなく、からだにやさしくなじんで汚れを落としてくれた。
 毎晩そこで水浴びした結果、ふたりの肌はすべすべになり、生まれたての赤ちゃんのような、というのはおおげさな比喩ではなかった。
 明美はその効能に感激し、どうにかしてこの水を持ち帰れないものかと密かに考えていたりする。

「困ったときは、初心に戻りましょうか」

 いたずらっぽい笑みとともに、なつきが視線を向けたのは、棟へと続く階段の入り口だった。
 明美は元気よく頷いた。

「オッケー♪」
「ではさっそく行ってみよう」

 言うと同時に歩き出す。

「実はもう一度、あの鏡をみたいだけだったらどうする?」

 明美は、驚いたようになつきの方を向いた。

「なつきさんも?」
「ってことは、明美さんも?」

 が、ふたりの心の中はまったくちぐはぐだ。

「あの鏡は大きくて持ち運び大変そうだもんね。よく実物を前にして練らないと。あたしもさぁ、なんとか泉を持ち帰りたいんだけど、どうしたもんかと頭をひねってたのよ。お互い頑張りましょ」
「・・・・・・・」

 なつきは返す言葉を失って、ただ、そうね・・・と頷いただけだった。
 片手で頭を抑える。
 ここ数日一緒にいたけれど、どうもまだよく、彼女の思考回路が理解できなかった。













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