ウンセリングの効能

「―――――ったく、いつまで銅像でいるつもりだ」

 参ったといったように首を振って、シャルルは小さなため息をついた。

「・・・・・・あれ、いつ戻ってたの・・・」

 かろうじて返事はあるものの、感情というものが欠落している。かすかな苦笑。

「もう30分も前からここにいる」
「そうだっけ・・・」

 頭がぼぉっとしていて、何も考えられなかった。振り返ろうともしない。シャルルはそんな彼女をみて冷ややかに笑う。

「君がどんなに落ち込もうと勝手だが、オレの目の届かない所で頼みたいものだね。自分の意志で動けない人間なんて、人形以下だ。どうせカズヤとケンカでもしたとか、そんなところだろ」

 その言葉にピクリと反応した美恵に、シャルルは目を伏せるようにしてかすかに笑った。

「図星か」
「ケンカじゃないわ」

 ようやく、意識が戻ったようだ。シャルルは内心ほっとする。
 彼が戻ってきたとき、玄関は開けっ放しで、そこに彼女が放心状態で立っていた。
 顔色は悪く、いったい何が起きたのかと思ったが、身体的というよりも精神的な問題だとわかるのに、そう時間はかからなかった。
 けれども安心したかといえば、そう簡単にもいかない。むしろ、治療でなおせないという意味ではかえってやっかいだと判断する。彼は医者として、いつでも精神科医になれるくらいの知識はあったが、彼女の場合、まったくの他人という名の患者ではなかった。医者として接するのならともかく、それ以外の立場で人をなぐさめることが、自分にどれだけ向かないか、誰に言われるまでもなく知っている。そしてそのスペシャリストが、いまここにはいな相棒であることも、彼はよくわかっていた。
 こういうときカズヤなら、困ったりはしないんだろうな。
 わずかな自嘲と共に、浮かび上がる無意味な仮定。彼ならば、思うより先に行動しているだろう。無意識に近い素早さで、彼は人を癒すことができる。まるで魔法使いのように、雰囲気を変えてしまう。
 けれども、その仮定がいかに本末転倒であるのか、彼はすぐに気づいた。
 まさにカズヤがここにいないことが、最たる原因に違いない。
 こうなるとお手上げだ。状況の改善を時間に託すしかない。
 そう結論してから30分、辛抱強く待ち続けたのだが、彼女がまるで息をしていないようだったので、さすがに声をかけることにしたのだった。
 だがこれは、彼にしてみれば、本当に珍しい行動だった。動かない状況を、ただ待っている。本来の彼であれば、とっくになんらかのアクションを起こし、状況を変えているはずだ。それは内面的な思考を含めて。彼はそういう意味で、エネルギッシュな男性である。

「あたしが言い過ぎたの・・・」

 その言葉にふっと顔をあげた。やっと時間が動き出したのを感じる。
 それまで彼が待っていた分、時間はやさしく流れてくれた。

「君のおしゃべりは、今に始まったことじゃないだろ」

 そういって皮肉げに笑う。そんな彼に、美恵はふぅっと不思議な気持ちを抱いた。
 まるでむかしからの友達といるような、例えていうなら親近感。
 おかしな話だ。
 彼の青灰の瞳は、美しくはあったけれど、親しみを感じるようなものではないはずだった。
 けれども、不思議と彼女は、すべてを彼に話してみたい気持ちになっていた。
 すべて打ち明けて、聞いて欲しいような、どこか甘えにも似た気持ち。

「ねえ、シャルル」

 ここが地球ではないということが、彼女にそんな言葉を許した。

「そのおしゃべりを、聞いてくれる?」

 まだ頭が少しぼぉっとしていた。シャルルは静かに視線をむけて、わずかに首を傾げた。

「いやといっても、君は話すんだろう。疑問形にする意味がわからないね」

 彼女はふふっと笑った。

「あのね、すごく不思議なんだけれど、あたし、あなたに聞いて欲しいみたいなの」

 彼女は正直にそう言った。それは、飾らない、素直な気持ちだった。
 だからだろうか。その言葉をシャルルは拒めない。

「精神科医が必要なら、相談に乗らないこともない」

 皮肉げな口調とは裏腹に、瞳の奥がほほえんでいた。
 無防備に心を開ける人間がたしかに存在することを、彼は知っていた。そして、自分とはちょうど逆の世界に生きているようなそんな人たちを、無視できないということも。
 夢にも似たきれいな世界の中で生きている人たち。もしかすると心のどこかで、憧れているのかもしれない。むかしからずっと、いまでもずっと、変わらずに・・・。
 青灰の瞳が美しい煌めきを秘めた。まぶしそうに目を細める。懐かしい空気がその場を支配して、気づけば彼の心までそっと包んでいた。

「けど、オレのカウンセリングは高くつくぜ。それでもよければ、どうぞ」

 そう付け足して、クスッと笑う。そのシャルルの表情が、いままでみたこともないほど穏やかだったので、美恵はみとれつつ、彼の言葉を思い出して困ったようにつぶやいた。

「ブラックジャックよりは安い・・・?百万も出せないよ・・・」

 シャルルはチラリと美恵をみる。

「誰だ、そいつは」
「知らないの?天下の名医、ブラック・ジャック」
「名医?」

 その言葉に、少し興味をもったのか、シャルルはわずかに身を乗り出した。

「いまの医学界に、まだオレの知らない名医がいたのか。どこの国の医者だ?」

 美恵は記憶をさぐるように目をつむる。

「たしか、国籍は日本だったと思う。でも医師免許はもってないの。いろいろあって。オペの腕が天才的なのよ。それで裏の世界では」

 断片的な知識を集めて話す美恵に、シャルルは不審そうな視線を向けた。

「そいつは医者というよりも犯罪者だぞ。医師免許もなく手術をして、失敗したらただの人殺しだ」

 美恵はおおげさに首を振った。

「違うよ。だからいろいろあって、免許を取れなかったんだって。でも、すごくたくさんの人の命を助けてあげてるし、本当は代金は百万以上なんだけど、貧しい人からはお金とらなかったりするし」

 シャルルはフンと鼻を鳴らす。

「まるでどこぞの三流漫画だな」

 すると美恵は、何を馬鹿なとでもいうように、シャルルをみた。
 そして彼女のいうことに、

「作者に失礼だよ。超一流の漫画家なんだから」
「・・・・・・」

 この一言で、完全に会話は途切れた。
 せっかく生まれた優しい雰囲気は、あっというまに雲散し、残るのは彼の侮蔑を込めた視線のみ。
 彼は今の話を忘れようとでもするかのように、2回首を振ると、すっと立ち上がって彼女を見下ろした。
 不愉快さを隠そうともせず、刺すように彼女に言う。

「たしかに君にはカウンセリングが必要のようだ。ただし、オレの所に来るのは、現実と虚実の世界が明確に区別できるようになってからにしてくれ」

 その眼差しの冷たかったこと、富士山が噴火しても一瞬にして凍りつくのではないかと思えるほどだった。
 そうして再びその場に残された彼女は、かなしみもすっかり忘れ果て、言いたい事だけいって去っていったシャルルの不条理さに、内心でおたけびをあげるのだった。

 勝手に勘違いしたのはシャルルじゃないのよぉ〜っ、あたしは正常だわっ!

 ・・・この効果を見込んでの会話だったのなら、さすがシャルルと言いたいところだが・・・さて、真実やいかに・・・










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