走者達の行方(赤い実/裏)

「うわぁ・・・やばいよ、なつきさん」

 周囲が明るくなって、夜明けが訪れたことをふたりは知った。

「やばいわね、明美さん・・・」

 ふたりは参ったといったように顔を見合わせて、そして同時にため息をついた。

「あたし、方向音痴じゃないはずなんだけどなぁ」
「でもなつきさん。現にあたしたち、道に迷ってるよね」
「そんなことはいわれなくてもわかってるわ」

 キッとにらまれて、明美はあわてて口を閉ざした。
 ふだんクールな人間ほど、怒らせると怖いことは身に染みて知っている。

「けれども夜が明けたんだったら、かえって戻りやすくなるでしょ」

 投げやりな口調で言うなつきに、明美は頷こうとして、はっと顔をしかめた。

「それ、無理かも」
「どうして?」
「だって…」

 明美は時計をみる。
 とりあえず、起床時間はとっくに過ぎていた。
 皆が起きて、自分達がいないことに気づいているのは明らかだろう。
 となると、この先の運命は、かなり厳しいものになる。
 言いつけを破るなんてことは、別に珍しいことでもなかったが、今回は事情が違った。
 夜に出歩くという行為が、どれほど無謀なものか、実際迷子になればいやというほどわかる。

「怒られるわ」

 ぼそっと明美がつぶやくと、あら、という目をなつきは向けた。
 ぱちぱちと二回まばたき。

「覚悟の上だったんじゃないの」
「状況が違ぁう!」

 妙なアクセントをつけて、明美は両手で肩をおさえる。想像するだけで寒気がした。

「たしかにねぇ・・・いったわよ。でもそれは・・・全然平気だったわよっていう顔で戻ったときの話で・・・こんなふうに夜通し迷ったあげくに朝帰りなんてしたらねぇ・・・・雷どころの騒ぎじゃすまないわ。稲妻に当たって感電死するわよきっと・・・」

 なつきはきょとんと首を傾げた。

「何の話か分かんないんだけど」
「美女兄よ!」

 明美は叫ぶように言って、ああ、恐ろしい・・・とでもいうように、ブルブルっと肩をふるわせた。

「むかし話を思い出したわ。小さな頃、お兄ちゃんと美女兄と親も一緒に海に行ったとき、肝試し中に蛍の光につられて、ついふらふらぁっとはぐれちゃったのよね。で、当然のことながら辺りは暗くって、あたしはお世辞にも方向感覚が優れているとは言いがたくって、まだ小さかったこともあって、わんわん泣きながらその辺をうろついてさ・・・もちろんお兄ちゃんたちは必死で探してくれたんだけど、みつかったのは明け方に近くって、あたしはお兄ちゃんに抱きついて泣きながら謝ったのよ。もちろん反省してたわ。何をどう考えてもあたしが悪かったわけだし・・・。お兄ちゃんはあたしの無事を確認するかのようにぎゅうって力いっぱい抱きしめて、無事で良かったっていってくれたけど、でもそのとき美女兄は…」

 そこで言葉を区切って、明美はふぅっとなつきを見上げた。
 そのときあまりに彼女が絶望を背負ったような表情をしていたので、なつきはどう反応していいのかわからなかった。

「な・・・・なに・・・・」

 明美は幽霊のようになつきをみて、ふふ…、とやはり幽霊のように笑った。

「思いっきりあたしを怒鳴ったあげく、そのあと一週間は口を聞いてくれなかったわ。お兄ちゃんが言ってた。本気で心配してたって。もっとちゃんと自分が見てればよかったんだって、繰り返し繰り返し自分を責めてさ。全然美女兄のせいじゃないのに。だからお兄ちゃんは、おまえが悪いんだから、仕方ないよってあたしにいったの。それであたしも、深く反省して、もう絶対しないからって約束したんだ」

 次第に言葉は力を失い、いまさらながらとんでもないことをしてしまったと、明美は後悔したが、もはや取り返しのつく問題ではなかった。
 いま戻れば、また怒られるだろう。あのときのように。
 いや、状況的には、あのときよりもよほどひどいに違いない。
 なにしろ二度目なわけだし、おまけにこんな未知の世界で、しかも夜。
 どこをどうとっても、常識的に考えれば、出歩くなどという行為をする方に問題がある。
 明美は青ざめる。
 帰れない!

「ねえ、明美さん」

 黙っていたなつきだったが、やがてぽつりとつぶやいた。

「だったら余計に早く戻るべきなんじゃないかしら」

 明美は驚いて、え、と声を出した。

「だって、怒られるよ?・・・もしかして殺されるかも」
「いや、それはないだろうけど…」

 なつきはあきれたといった顔をする。

「そもそも、問題が違っちゃってるわよ。怒られるのは何故?彼があなたを心配しているからでしょう?人は心配すると怒る生き物だって、何かで読んだことあるわ。だったらまずは、その心配を取り除くのが先決じゃない。それには、早く無事な姿をみせてあげることよ。そりゃあ怒られるかもしれないけれど」
「絶対怒られるって」
「はいはい。でも、それは甘んじて受け取らないといけないお叱りなんじゃないの」
「・・・・人事のようだけどねぇ、なつきさん」

 明美はじぃっと彼女をみた。

「はっきりいって、あたしたちふたりの運命は、地獄よ」

 なつきは少し意外そうな顔をした。

「そんなに、戻りたくないの?」

 明美はうまい返事ができない。
 たしかに、心配かけたのは悪いと思っていたが、だからといってこんな場所にきてまで美女丸と大喧嘩したいと思うほど、エネルギーがあり余ってるわけでもなかった。
 できることなら穏便にすませたい。
 なんとかして、このすべての状況を打破する策はないものだろうか。
 ・・・・明美は考えた。
 考えて、考えて、そしてやがて名案(迷案?)を思いついた。

「そうだわ!」

 ぱっと顔をあげる。なつきは突然の大声にぎょっとして明美をみる。

「ど、どうしたの」

 明美はにんまり笑った。

「地獄の沙汰も金次第よ」
「・・・・・・・・」

 意味がわからず胡散臭げな視線を向けたなつきに、明美は天使のほほえみを浮かべ、それはあるいは悪魔のほほえみかもしれなかったが、まあそれはいいとして、とにかく嬉しそうに笑った。

「要は実力を示せばいいのよ。いつも美女兄の保護下に入らなきゃいけないような子供じゃないってところをみせてやれば、美女兄だってあたし達を怒れないわ」

 なんて名案かしら、と目を輝かせた明美を、なつきは信じられないといった顔でみつめていたが、やがて小さなため息一つ、軽く腕を組みながら、冷静なコメントをくれた。

「まずはその例えが間違ってるわね。まあそれはいいとして、あなたのいう実力って何?どうすればそれを示せるの?それにこれがいちばん聞きたいんだけれど、その実力にこだわって時間をロスした結果、結局それが得られなかったら、帰るのが遅れる分、余計彼の心配を、つまりは怒りのボルテージをあげるだけじゃないかしら」

 明美はその言葉に絶句する。
 な、なんて痛いところをついてくるのかしら・・・。
 けれども、あんなに自身満々に言ってのけた手前、いまさらそう簡単にあとに引くこともできず、かといって名案があるわけでもなく、返す言葉が見当たらなかった。
 明美はその場に立ち尽くし、返事を待つなつきの視線に耐える。
 すると、そんな彼女を神様が不憫に思ったのか、それとも彼女の悪運が近年稀に見るほど強くなっていたのか、その辺は定かではないが、一瞬視界の一部がキラッと光った。

「あれ・・」
「――どうしたの?」
「なんかあっちになにかあるみたい」

 その言葉になつきは振り返ったが、そこにみえるのはうっそうとした森ばかり。

「何もないけど」
「ううん。いまなにか光ったの。ね、どうせだからちょっといってみようよ」

 そうしてうまく話をごまかすことに成功した明美は、なつきの背を押すようにすると、その方向へと、歩を進めていったのだった。



「あれ・・・・いいかおり・・・」

 ふたりの鼻孔を、甘酸っぱい香りが掠めるように通り過ぎた。








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