走者達の残した波紋

「ダメっ!!!!」

 絶叫のような声が響いて、そのあまりの息苦しさに明美は目覚めた。
 ハアハアゼィゼィ。
 なぜか汗をびっしょりかいている。
 ただいま夜も本番を迎えようとしている時刻。
 いやな夢をみた。
 のだが・・・

「・・・・なんの夢だっけ・・・?」

 一向に思い出せないあたり、彼女はしあわせだった。
 背筋に悪寒が走りそうな嫌悪感と同時に、メラメラと燃える意味不明の感情。
 どうも胸のあたりがイカイカしている気がして、夕食を思い出す。
 朝に炊いたご飯が人気だったため、夕食はみんなで雑炊をつくって食べたのだが、消化という観点からみれば胃に優しいはずである。
 もしや夕食前に食べた木の実が悪かったのかしら・・・。
 でも栗みたいなもんだったし、味もかなり美味しかったわよねぇ。
 うーん、おかしいわ。
 すっかり目が覚めてしまい、彼女は着替えると、部屋を出た。
 最近の彼女は、というか彼らは、ずいぶんと規則正しい生活をしている。
 早寝早起き。いつもは絶対起きている時間から、寝る羽目になって、だからこんな時間に目が覚めたのかもしれないと思った。
 起きてしまったものは仕方がない。
 水でも飲んでこよう。
 そう思ってキッチンへと向かった明美だったが、小さな窓から光が差し込んでいるのに気づいて、窓に近づいた。
 それは開かないように設計されていたが、十分に外をみることができた。
 静かに夜が広がっている。
 そして空に満天の星が。
 光を優しく満たして、それがこぼれてここにまで届いていた。

「きれいね」

 突然うしろから声がして、振り向くとなつきが立っていた。
 まぶしそうに目を細めて。

「あなたも起きちゃったの?」
「ええ。ちょっと寝るのが、早すぎたみたい」

 クスッと笑ってそういう彼女に、明美は笑いを返した。

「やっぱり。美女兄の感覚は古すぎるのよ。早寝早起きが健康なんて、いつの時代の人よって感じ」
「そうね。・・・でも彼は朝が似合いそうだわ」

 明美は大仰に頷いてみせる。

「朝の稽古は欠かさないからねぇ。自然にからだが馴染んでるんだわ。不健康な民間人を一緒にしないで欲しいわねぇ」

 ぷっとなつきが吹き出した。

「ちょっとそれ、自分で言わないでよ」

 え?
 一瞬きょとんとして、あ、といまさらながら自分の言葉に気づいた。

「・・・・どうせあたしは不健康よ」

 ひとりでつっこむ明美に、笑い出すなつき。

「面白い人ね、明美さん」

 明美は赤くなりながら、ごまかすように窓の外に視線を戻した。

「ね、ちょっと出てみない?」

 そうもちかけたのは、珍しく、なつきの方だった。
 明美は意外そうに振り返る。

「こんな夜に?」
「あら」

 なつきは軽く笑うと、その目に少年みたいなきらめきを浮かべて、ウィンクした。

「冒険しなくっちゃ、からだがなまるんでしょ」

 明美はあっけにとられ、すぐにぱっと顔を輝かせた。

「乗ったぁ!」
「よし、じゃ、行こう」

 ふたりはにんまり笑うと、夜は出歩くな、という天下の風紀委員長もとい現在のリーダーのお言葉を見事に破って、音を立てないようにドアを開け、外へと出て行ったのだった。





「んーーーーーー気持ちいいっ」

 大きく両手を広げて、明美は濃紺の空を仰いだ。
 小川のせせらぎが届く。
 そこは朝に洗濯に来た場所だった。
 水面には星の欠片が幾つも浮かんでいて、ゆらゆらと動いている。
 もちろん空が映っていただけだったけれど、なつきにはまるでそれが、本当にそこにあるもののように思えて、じぃっとみつめた。
 やがてそんな彼女に気づいて、明美が声をかけた。

「どうかした?」

 なつきは彼女をみないまま、答える。

「ここにいて、いいのかしら…」

 それはひとりごとのようなつぶやきで、けれども明美は律儀に返事をした。

「美女兄に怒られるってことは、見つかれば避けられないけど、でもま、ばれなきゃ大丈夫よ」

 え、といった顔をしてなつきは、けれどもすぐに表情をゆるめた。

「ふふ。そうね…」
「そうよ。第一ね、提案者はなつきさんよ?そりゃあ、怒られるのは一蓮托生だけど」

 明美は、彼女のいっていることを少し勘違いしていた。
 けれどもその素直さが、ある意味でなつきへの返事となっていた。

「・・・ええ、その通りだわ」

 自分で決めたことだ。
 責任を取れるというのは、実はとても贅沢なことではないだろうか。
 たとえどんなきっかけであれ、そこに自分の意志があるから、責任をとることができる。

「ね、だったら、どうせなら、もうちょっと遠くまで行ってみようよ」

 明美は調子に乗って、そんなことを言い出した。
 驚くなつきに、ニヤリと笑う。

「だってさ、もしばれたとき、思う存分したいことした後だったら、怒られても悔いないじゃない」

 一瞬あっけにとられたなつきだったが、満天に輝く星たちが、彼女をいつもより少し大胆にした。
 ふふっと、笑って頷く。

「いいわよ。こうなったらとことんやりましょう」
「そうこなくっちゃ!」

 パチンと指をならして、ふたりは昼間でもそれほど深入りしない森の中へと、まるで夜に導かれるように、ためらいもなく入っていったのだった。
 もちろんすぐに戻ってくるつもりで。

 けれども世の中、そうそう思い通りに事が運ぶとは限らない。
 だからこそ、人は責任をとることができるのかもしれないが・・・。








「おいっ、みつかったか!?」

 早朝から基地の中がざわめいていた。
 血相を変えた美女丸が、怒鳴るような声でアンドリューに話し掛ける。

「心当たりは」
「全部探したよ。小川にも行ってみたし」
「バスルームもトイレもダメです」

 女性のいそうなところ、ということでNAOも探したが、手掛かりは皆無。

「思いつくところは全部みたつもりだが…」

 少し遠慮がちに、ピーターが言う。
 ギリッと美女丸はくちびるを噛んだ。
 そんな彼はいつもとは比べ物にならないほど、冴え冴えとしていて、怒りが、外側にではなく内側へと向かっているのがよくわかる。
 NAOはなんとか場を明るくしようと、頑張って口を開いた。

「あ、あの・・・ほら・・・・早朝の散歩かもしれないですし」

 美女丸はわずかに視線を持ち上げた、少し歪んだようなその表情が痛々しかった。
 細められた眼差しに浮かぶのは、苛立ちと、燃えるような後悔。

「だったら、二度とこんな真似ができないよう、柱にでも縛り付けてやるさ」

 吐き捨てるような口調でそういうと、力任せに壁をたたいた。
 その音に、周囲が静まり返る。

「で、でも、なつきさんも一緒みたいだし、アッキだって、いくらなんでも」

 なにをフォローしているのか自分でもわからないまま、アンドリューは口を開く。

「もしかして、逆に、だれかがふたりを連れていったのかも、しれないし・・・」

 勝手に出歩くな、という言いつけを破ったとはまだわからない。
 その状況が、かえって混乱を招いていた。
 何が起こったのかわからない。
 だからこそ、苛立ちが募る。
 美女丸は、その言葉にピーターを振り返ると、ゆっくり近づいていき、彼の目の前で止まった。

「悪いな、ピーター」

 そして、彼の耳のすぐ脇の壁に、たたきつけるように手をつく。
 グイッとその目を覗き込んで、いや、にらみつけて、有無を言わさない口調で言った。

「もし昼になってもふたりが見つからない場合、あの約束は反故にしてもらうぜ。お前の事情は知らんが、オレとおまえの大切なものは違う。いまはおまえの知る事だけが、ゆいいつの手掛かりだ。イヤとはいわせん。それでも口を割らないようなら」

 ギラッと、その瞳を奥から光らせる。

「力づくて吐かせてやる。覚悟してろよ」

 いつにないその迫力に、ピーターは返す言葉もなかった。
 そしてどこかほほえみを浮かべて、ルイが、そんなふたりをみていたのだった。
 ・・・・熱い美女丸も、悪くないわねぇ・・・。
 いちばん冷静な彼女だった。






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