装の苦悩

「おい。本当に大丈夫なのか?」

 ひとりの女性が眠っている。少し苦しそうな顔をして。

「身体に異常はみられない。少し熱はあるが…」

 額に手を当てながら、彼は安心させるようにほほえむ。

「疲れが出たんだろ。マリウスと違って大人だ。心配するほどのことじゃない。
 一晩ぐっすり眠れば熱も下がるだろう。ま」

 いって立ち上がりながら、からかうような眼差しを向けた。

「だれかさんが看病でもしてやれば、すぐにでも治るんじゃないか」

 驚いたような視線を返す。

「シャルル…」
「いろいろ無理してたんだろうな、…たぶん、心身ともに」

 つぶやくようにいってシャルルは、彼女に視線を移しながらわずかに目を細めた。
 そうすると彼の雰囲気は一変する。
 冷たい氷のような冴えた眼差しは、春の日差しよりなお柔らいで、彼女に向けられた。

「精神と肉体は別のもののようにいわれるが、それはある意味正しくない。
 たしかに精神は肉体を越えることがあるかもしれないが、かといって肉体が疲労すればそれなりに精神にも影響を与えるし、逆に精神的に疲れれば身体の抵抗力は弱まる。この両者は密接な繋がりがあるんだ。心は身体の一部という考えもある。だからこそ医者にだって精神科医がいるだろう。・・・彼女が倒れたのは、それほど驚くことじゃない。むしろいままで元気だった事の方が驚きだね」

 淡々と医者の口調で説明するシャルルだったが、眼差しだけが解剖するような冴えたものとは違っていたわるようなやさしさを含んでいた。
 和矢はその説明を黙って聞いていたけれど、やがてかなしげなほほえみを浮かべると、参ったといったように髪をかきあげた。シャワーを浴びてきたばかりで、その髪はしっとりと濡れていた。

「オレのフォローが足りなかったんだ・・・」

 かなしげな眼差しは、眠りの世界を旅する彼女に向けられる。

「思えば当たり前だよな。突然こんなわけのわからない世界に連れてこられて、いくら大丈夫って口でいってて笑っても、人の心はそんなに鈍感にはできちゃいない。ましてや彼女は・・・とても繊細で人の心の動きにかわいそうなくらい敏感な人なのに・・・苦しくないわけなかったんだ。なのに、あの笑顔に安心して・・・そのことに気づいてやれなかった・・・」

 そんな顔しないで。
 もし彼女が起きていたなら、そういってまた、笑っただろうか。
 安心させるように。
 そんなふうに自分を責めないで。
 だって本当に楽しかったから。
 嬉しかったから。
 あなたのそばにいられて。
 あなたをこんなにも近くでみつめることができて。
 だから・・・。
 彼女の心が彼を癒そうする。けれどもいまは彼女は深い眠りに落ちていて、彼はただ見守るしかできなかった。
 もどかしい。
 何もできない自分が。
 彼女の助けになれない自分が。
 そんな思いをかかえて、和矢は思わず頭を抑える。
 両手で、苦しそうに頭を抱えて、そんな和矢の肩にそっと手を置くと、シャルルはわずかに首を振った。

「だから、心配する事はないといったろ。そのうち目覚めるよ。一応解熱剤は置いていく。飲まなくても大丈夫とは思うが、もし気になるのなら飲ませても構わない」

 そういって錠剤を二粒手渡した。

「あれ?こっちは…」

 シャルルは軽く笑う。

「胃腸も少し弱っていたようだからな」

 和矢は驚く。

「普通に食べてたぜ!?」
「だったら、体質的なものかもしれない。ま、こっちの方も心配するほどではないが」
「・・・サンキュ」

 笑顔を見せて、和矢はいった。
 シャルルはふっと笑うと、シャワーを浴びてくるといって、出て行った。
 ここはピーターの家。部屋の外ではティナ達が様子を聞こうと待っていた。

「あ、あのぉ…」

 よって、部屋を出たシャルルは彼女らにつかまった。
 シャルルははじめてこの家の住人に出会う。
 彼女が倒れたあと、とりあえず診察しようということでここに連れてきたのだ。
 だれの許可もとらずに。
 一応この家の主であるピーターの許可は得ているのだから、問題ないといってしまえばそれまでだが、さすがにシャルルも、挨拶くらいはすべきだと思ったらしい。

「これは、失礼」

 にっこりとほほえんで、いつもの毒舌は抑えて友好的な態度を示した。
 が、彼はいま、女性である。ティナは、息を飲むほど美しい彼女に、見惚れていた。
 カルアもキルトも例外ではない。
 純粋に、彼は美しいのだ。・・・いや、彼女は、というべきか?

「私はシャルル・ドゥ・アルディといいます。ピーターとは古い付き合いで、知人が倒れたもので部屋をお借りしました」

 そういってにっこりほほえみを浮かべれば、もう誰がなんと言っても完璧な美女のできあがりだ。
 3人はぽかんと見惚れて、あわてて自己紹介をはじめた。

「あ、私はティナ。ピーターの妹よ。まさか兄があなたみたいな綺麗な人と知り合いなんて知らなかったわ。どうぞ兄をよろしく」

 そういって軽く膝をまげて挨拶をすれば、隣でカルアが、少し頬を赤らめるようにしてシャルルを見上げる。

「僕はカルアです」

 ペコリとお辞儀をして、けれどもそれ以上は何も言わなかった。他に言うことが思い浮かばなかったのだ。

「なんだいふたりとも、だらしがないな」

 その横でキルアが、自分だけは違うとでもいうように強気な姿勢を示した。

「オレはキルア。はじめまして、シャルルさん。あなたにあえて光栄です」
「それはどうも」

 わずかにほほえんで、そう返す。もちろんこれは儀礼的なものでしかなかったのだが、初対面でそれをみわけるのは至難の業だった。
 本当の彼を知れば、この3人はさぞかし第一印象の違いに驚く事だろう。
 それは後の話として。
 いまのシャルルは、ずいぶんと愛想の良い客人(しかもとびきりの美人の)だった。
 彼はいまのところ、女性である必要がある。
 もしかすると、彼女の変わりにならなければならないからだ。
 それを彼自身が十分にわかっていたので、迂闊な態度はとれなかった。
 それにしても、こんなに薄い生地を纏っているのに、なぜだれも疑わないのか、不思議といえば不思議である。
 なにしろいまの彼の服装ときたら、柔らかい素材の足首までのホワイト・ブルーのロングドレスに、同じ生地で作られた長いマントのようなものを羽織っている。これがローズ家のメイドの正装であった。
 しなやかな肉体が薄い生地越しに感じられる。触れればすぐにでも男性とわかるだろう。
 おまけに袖の部分はゆったりめになっていて、動けばちらりと二の腕がのぞく。
 それでもバレないのだから、いかに彼が女性的な優美さを纏わらせているか、おわかり頂けるだろうか。
 そして最後に、少し長めの髪が、ゆったりと柔らかく首筋から肩にかけて流れ落ち、その繊細でエレガントな雰囲気は、まさに女性そのものであった。
 よってだれも疑う理由を、持ちえなかったのだ。
 それ以前に、この世界では男性が女性の格好をするなどということはありえない、という公共の常識があったのかもしれないが。

「ところでシャワーをお借りしたいのですが、よろしいでしょうか」

 しかしシャルルにしても、決して女装の趣味があるわけではなく、この場はそうそうに切り上げたかった。
 ティナが頷く。

「ええ。どうぞ遠慮なく。場所はわかるかしら?」
「ありがとう。ピーターに聞いたので大丈夫です。では失礼します」

 その後ろ姿を、3人はぽかんとみつめていた。
 まるで夢でもみているように。
 ただひとり、キルアだけが、ティナの方がずっと可愛い、と密かに思っていたのだった。




「ったく、冗談じゃないな・・・」

 ぬるめのお湯を頭からかぶりながら、シャルルはほっと息をつく。
 両手で髪をかきあげて顔に湯を浴びながら。
 ふだん彼が使っているものとはあまりに違う備品だったが、どうやらこの家はわりといい暮らしをしているようだ。
 もちろんアルディ家に比べれば太刀打ちできるはずもないが。
 そこまで望んでも仕方がない。
 だいいち、この旅行は彼が望んで起こしたものだ。
 あきらめるよりない。
 彼は観念する。
 こうしてシャワーを浴びて寝られるだけでよしとしようと。
 普段の彼ならありえないその妥協に、彼の決意の強さが滲んでいた。
 どんなことしてでも―――。

 十分にそのお湯を浴びたあとで、カランを捻ってシャワーを止める。
 そのとき、カチャっと音がして、カーテン一枚隔てた向こうで声がした。

「シャルルさん。寝巻き、ここにおいて起きますね」

 ティナの声である。シャルルはとっさに背を向ける。
 シルエットでも男と女の区別くらいはつくだろう。
 彼女がそれに気づかなかったのは、幸運としかいいようがない。
 再び音がして、ドアが閉まる。
 シャルルはめずらしく脱力すると、シャワールームの壁に寄りかかった。
 参った・・・。
 彼は冷や汗を浮かべる。
 女性のふりはいいとして、もしバレたら、いったいどんな誤解を受ける事だろう。
 人の言う事など気になりはしないが、それでもあまりに不名誉な誤解を受ける事は避けられそうもなかった。
 そしてタオルを巻いて脱衣所に出ると、置いてあった服に気づく。
 彼の顔色が変わる。
 信じられないといったようにその服をみて、これを着て寝る自分を想像して吐き気がした。
 おい・・・冗談だろ・・・・・。
 彼の冴えた思考も、この異様な状況の前では活動を停止していた。

 ・・・・・・・。



「あら、シャルルさん」

 キッチンにいたティナが、廊下を通る彼に声をかける。

「あの寝巻き、気に入りませんでした?」

 残念そうにいう彼女に、シャルルは猫をかぶり続ける意志を既に放棄していた。
 要は男だとばれなければいいのであり、下手に出る必要はない。
 シャルルは二度と余計なことをされないように、いつもと変わらない冷ややかな眼差しを彼女に向けると、遠慮もなく吐き捨てた。

「あんなのは趣味じゃない。はっきりいえばおせっかいだ。金輪際余計な事はするな」

 青灰の瞳が珍しいほど不機嫌そうな光を湛えていた。


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