盛大なファンファーレのあと、いよいよパーティーは始まろうとしていた。
「最初の課題は剣技だ」
ローズ自ら指揮台のようなものにのぼり、内容について説明する。
「ピーターは、幼少の頃から私の剣技の相手をしていた。それほどの腕前だ」
そこまできいて、端の方にいた美恵は、つまりローズも「それほど」の腕前なのか、と冷静に納得した。
「そんな彼の妻ともなれば、腕の立つ女でなければならない」
ちょっと待ってよ!
美恵は口を挟みたくなる。
そんな彼の妻なんだから、弱くたって守ってもらえるじゃないの〜。
それで直接、その反論をローズにすると、彼女は鼻で笑った。
「守られるだけの女になるつもりか。そんな奴、あたしは認めんね」
だから、だれもあんたに認めて欲しいなんていってないのよ。
彼がいいっていってんだからいいでしょ!
が、そういったところで、先日と同じ言い合いを繰り返すだけなのは目に見えている。
その結果が、今日のこの有様だ。
「つまりこういうことか。おまえは剣技で勝ち残る自信がないと」
図星をさされて美恵は口をつぐんだ。
そ、そーよっ、悪かったわね。
だってそんなもん、生まれてこの方、あたしは見たことはあっても触った事もないのよ、そんな重そうな剣なんて!
だいたい女が使うものじゃないでしょ!?
と、内心でわめくものの、言葉にできないこのつらさ。
みれば他の女性達は、とくに驚いている様子もみえず、どうしたのかしら…とのんびりふたりの会話を傍観しているようだった。
つまりここでは、女が剣を使うのは当たり前と言う事だろう。
黙ったままの美恵をみて、ローズはそれを肯定と受け取り、ははんと優越感に満ちた笑みを浮かべていった。
「口ほどにもないな。どうやら直接あたしと勝負するまでもないようだ。残念だよ、ミエ」
少しも残念そうじゃない顔でそんなことをいわれると、どんなに善良な人間でもむっとする、かもしれない。
美恵は悔しげに唇を噛んだが、どうにもならなかった。
だいたい、一度も剣を扱ったことのない人間が勝ち残れるほど、勝負の世界が甘くできているわけがない。
それでも、和矢の傍にいるためには、その権利を勝ち取るためには、だれにも負けることはできなかった。
「勝つわよ!」
はったりだろうと嘘になろうと、気持ちだけは絶対負けない。
薄茶色の瞳が決意を秘めて強さを増す。
「その台詞は、ひとりでも打ち負かしてからいいな」
冷たく言い捨て、ローズは不愉快そうな顔をした。
「守られようとするその気持ちが気に入らないね。剣は精神を鍛えるものだ。あんたのような甘い考えをもってる限り、あたしにどころか誰一人、勝つことはできなかろうよ」
その言葉が、美恵の胸にまるで剣のように振るわれた。
ローズの瞳がいままでになく冷たさに満ちる。
まるですべてを拒否するかのような、それは氷のような刃で、美恵は突然の彼女のその憎しみさえ感じさせる瞳に恐怖のようなものを感じた。
いままではどこか、からかい混じりの口調だった。それが突然、豹変したのだ。
ローズは興ざめしたとでもいわんばかりに、踵を返すと、そこから降りようとした。
そのときだった。
「おまえ・・・」
会場がざわめく。他の参加者達も、何が起こったのかわからず、ただその場に立ちつくした。
美恵もまた、同様で、なぜそこに和矢がいるのか理解できない。
「動かないでオレの話を聞いて、ローズ」
その声は彼らしい優しいものだったが、彼は彼女の首に短剣を突きつけていた。
腕を首に回して、彼女の動きを封じている。逆に少しでも彼女が身動きをすれば、その剣の先は容赦なく彼女の首に食い込むであろうことは、疑いようもなかった。
「たしかにオレは、あなたに逆らえる身じゃない。それはわかっているよ。けれどもこれはあまりに彼女に――美恵に不利だとオレは思う。なぜって、彼女は剣の使い方を知らないし、ここにいる君を含め、他の女性達が当たり前だと思っていることを、そうは思わないできたからなんだ。あなただって勝負は公平に行いたいでしょう、ローズ」
彼女は黙って彼の言葉を聞いていた。けれども彼がいい終わると、むっとした顔で彼をにらんだ。
「それで。この剣は何の真似だ。あたしが断れないようにするためなんていうんじゃないだろうな」
彼はニヤリと笑う。
「あいにく、念には念を入れようと思ってね」
「薄情な男だな」
「もうひとつある。こうすればあなたの信望者達は、手を出せないだろ」
たしかに誰も、そこに割って入ることはできなかった。
彼女を失う事は、この国の終わりを意味している、迂闊に、手は出せない。
「それになんだ、その言葉使いは。アナタ、だと?随分他人行儀じゃないか。婚約者殿」
笑う余裕がローズにはあった。それどころか彼女は、彼の腕の中で動こうとさえする。
すっと首筋に傷ができる。彼は信じられないといった顔をした。
「おまえ・・・何を・・・」
彼女の白皙の肌に赤い血が滲む。それを痛がる様子もみせずにローズは笑んだ。
「まだまだ甘いなお前は。むかしから、人を傷つけるのをひどく恐れるところがあった。いまでも変わらない。あたしを人質にとるなんて、少しは成長したのかと思えば、これくらいで何を驚く?」
彼女の笑みはどこか艶めいて、挑発するようでもあった。
「こんな剣一本であたしを動かせると思うなよ、ピーター。おまえが欲しいのなら、こんな命くれてやる。刺すなら刺せよ。ただし一息で殺せ。お前にあたしを殺れるほどの欲望が、あの女にあるのなら、あたしはすっぱりおまえを諦めるよ。ほら、殺れよっ!」
最後は命令するようにそう言った。彼は動く事ができなかった。むしろローズの方が、その剣に自分の首を押し付けようとする。彼の肩がビクッと震える。その一瞬の隙を彼女が見逃すはずもなかった。
「甘いぞ!」
叫んで、緩んだ彼の腕から逃れると、意表をつかれた彼の腕に蹴りを入れる。カランと短剣が落ちて、即座にローズはそれを拾い、彼の方へと向けた。その間わずか3秒足らず。鮮やかな身のこなしだ。
「形勢逆転ってわけだ」
皮肉げにそういったローズだったが、彼は悔しそうな顔をするよりは、心配げに眉をひそめて彼女を見返した。正確には、その血が滲んだ首筋を。ローズは軽く笑ってそこに触れる。
「こんな傷、明日にでも治る」
彼は首を振って謝った。
「ごめん…」
「謝るのか?あたしに?―――なぜ」
「君を傷つけようなんて、思ってなかった。なのに・・・ごめん」
彼の黒い瞳に、くっきりと自己嫌悪の跡が刻まれて、その表情をいつになく暗くする。ローズは息を飲む。謝られる理由が彼女にはわからない。むしろ彼女は嬉しかったのだ。真正面からぶつかってきてくれた彼を。自分に刃を向けてきた彼を、頼もしく思ったくらいだ。なのに、なぜ?
そのとき、少し低めの良く響く声が、怒りをはらんで彼女にぶつけられた。
「ちょっと、ローズ!!!」
みると美恵が、いちばん前まで出てきていた。むっとしたように、ローズをにらんでいる。
「あんた、何よ!さっきあたしにあんなこといっときながら、何なのよ、今のは!!」
あまりに頭にきているせいで、舌がもつれそうになる。
それでも本人に直接言わない事には、気持ちがおさまりそうにもなかった。
「何のことだ」
訝しげな顔をするローズに、美恵はその怒りをぶつける。
「あんたさっき言ったわよね。守られるだけの女になるつもりかって。それを聞いてね、あたし反省したわよ。たしかにそれは間違ってるって思ったわよ。悔しいけどあんたの言い分を認めたわ。守られるんじゃない、守れるようになりたいって、でもそれはあたしだってずっと思ってきた。そしてさっきあんたの言葉をきいて、ああ、同じ気持ちなんだって思ったから、黙ってたのよ。けれど、いまのみてて、あんたは全然わかってないって気づいた。あんたの守ると、あたしの守るは、根本的に違うのよ」
ローズはすっとその表情を固くした。
「何が言いたい」
美恵はもうそんな彼女が恐くない。自信があった。この人はわかっていない。だからあんな、残酷な真似ができるんだと。大きく息を吸う。それから美恵は、ローズを見据えて一口で言った。
「ふざけないでよ。彼の心を利用しないで。彼の優しさを利用しないでよ。なんなのよ、さっきのあんた。自分の命を餌にして、最低もいいところだわ。冗談じゃないよ。何もわかってないじゃない。人の心を、彼の優しさを弄ばないでよ!」
明朗な彼女の声は、会場中に響き渡った。
「だれがだれを守るのよ。人はね、からだだけで生きてるんじゃないのよ。その剣で肉体は守れるかもしれない、でもいまのあんたの行動は彼に刃を向けたわ。いいわよ、上等じゃないの、あんたがそういうつもりなら、あたしは彼の心をあんたから守ってみせる。もう絶対、あんなふうに傷つけさせたりしないんだから!」
シン――――と会場が静寂に包まれた。
彼女の言葉が終わってから、言葉を発するものがいなかったから。
ローズは燃えるような眼をして宙をにらんでいた。
その怒りは、誰に向けられていたのだろう。
剣が手から離れて、鈍い音をたてた。
拾うこともできず、彼女はただそこに、立ち尽くしていた。
そのときピーターは・・・いや、和矢、は・・・
「―――もう、いいよ」
気づけば彼女の後ろにいて、そっと背後から彼女を宥めるように抱きしめた。
「大丈夫だから。オレは全然、平気だから・・・」
耳元でしっとりした彼の低音が響いて、彼女の心に優しく染み渡る。
それでようやく、彼女は我に返った。
それまであたまに血が上って、なにがどうなのか、よくわかっていなかったのだ。
「か・・・ピーター・・・」
一気に顔を赤らめた彼女には、けれども気づかずに、和矢はクスッと笑うと、ささやくようにいった。
「ほんと君って・・・・すごい」
わずかにかすれた彼の声に、美恵の心臓は急加速。このままいけば壊れるのではと心配になるほど、その鼓動は早かった。
「けど・・・・ありがと」
髪の毛に埋めるように、キスをされる。その感触に、ふっと意識が飛びそうになる。前で組まれた腕が、意外に太いのに気づいて、その筋肉がとてもきれいで、指が少し骨ばっていて、背中に感じる体温が熱くって、夢の中にいるように意識がふわふわした。
和矢…。
心の中で呼びかける。
口には出せないけれど、ここにいるのは和矢。
他の誰でもない、世界でいちばん優しくてカッコいい、彼女の大好きな和矢なのだ。
彼女は何度も何度も口には出さないでその名前を呼んだ。
和矢、カズヤ、かずや・・・・。
その度に胸が熱くなる。
呼吸が苦しくて、意識が遠のきそうだった。
「和、矢…」
つぶやきが、彼女の口から漏れる。え、と和矢が聞いたときには、彼女のからだから力が抜けていた。そのまま彼の胸に倒れこむようにして、目を閉じる。
「美恵っ!?」
ああ、呼び捨てで呼んでくれたのね、嬉しいわ。
そんな悠長なことを思いながら、彼女はそのたくましい腕の中で、意識を手放したのだった。
「シャルルっ、来てくれ!」
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