められる条件

 ルイは目的地へと向かっていた。
 辺りには、誰もいない。
 明かりはなく、暗闇さえ鳴(な)りを静(ひそ)める通路。
 まるで侵入者を拒むかのように。
 けれども彼女は構わず進み続けた。
 このような状況には、慣れている。それくらの経験なしには、泥棒学入門の講師になど、 なれるはずがなかった。

「それにしても・・・すごいこと言い出すわね・・・」

 言葉とは裏腹に、ほほえみを浮かべ、彼女はつぶやく。

「まったく彼らしいというか、なんというか・・・」

 歩きつづけているうちに、明かりがみえてきた。
 そこはたぶん、彼の指定した今回の戯れの終着地点。
 いったいどれくらいの人数が、集まっているのだろう。
 彼は10名程度といったが、それ以上か、あるいはそれ以下か。
 もし多い場合、どのようにして参加者を決めるのか、彼は口にしなかった。
 それはつまり、彼が予想していたからである。
 そうはならないと。
 彼女は慎重な足取りで、その光の漏れる方へと近づいた。
 出口は、もうすぐだ。




 つい先日、突如開かれた全校集会の場で、彼は公言した。

『参加希望なら,その権利を自ら勝ち取るがいい。その意志で私を納得させてみろ。
 これは私からの挑戦だ』

 よく通る少し低めの声が講堂に響いたのは、その直後。

「あたし、参加希望しますっ!」

 シャルルはわずかに、ほほえみを浮かべると、その声の持ち主をみた。

「これは元気の良いお嬢さんだ。ではその動機について教えてくれ」

 青灰の瞳に、一瞬針のような鋭い光が浮かび上がり、彼女には、これが彼の審査なのだとわかった。

「動機は・・・」

 言葉を探す。いまの自分にもっとも相応しいのは、なんだろう。
 嘘はつけなかった。偽物が彼に通用するはずがない。
 即座に見破られ、不合格の烙印を押されるだけだろう。
 キレイ事を並べる必要はないのだ。自分は本当に、参加したいのだから。
 その気持ちが誰にも負けないことを、わかってもらえばいい。
 そう言い聞かせて、彼女はできるだけいつもと口調を変えずに、言った。

「好きだからです」

 集約すれば、たった一言で終わる。
 彼は皮肉げな口調で返す。

「主語はいいとして、目的語が抜けているな」
「それは、難しいけど」

 ちょっと困って、彼女は首を傾げた。それをみて、シャルルは冷ややかに、ほほえむ。

「そんな曖昧さで、私を納得させられると思ったのかい。随分と甘くみられたものだ」

 彼女は慌てていった。

「別に曖昧なわけじゃないよ。多すぎて目まぐるし過ぎて、よく見えないだけ。
 旅行も好き。みんなでわいわいやるのも好き。宇宙に行ってみたいっていうのも本当だし、 冒険したいっていうのも本当。上手くいえないけれど、でも嘘はいってない」

 シャルルは黙って彼女の言葉をきいていた。軽く腕を組み、彼女をみつめる。
 その瞳にはわずかに興味深い光が瞬いていた。
 彼女の言葉の素直さが、シャルルに興味を抱かせたのだ。
 彼は考える。悪くないかもしれないと。
 けれどもそれを決めてしまうほどの強烈なインパクトを、彼女は彼に与えることができずにいた。
 それで彼は、その結論を求めて、彼女にある質問をした。

「君は先ほどから『好き』という言葉を多用しているが、その言葉の意味を教えてくれ」

 用心深くみつめるシャルルの前で、彼女はさほど考える様子もなく、あっさりと言った。

「意味はないよ」

 その答えに、シャルルはさすがに、意表をつかれたようだった。
 一瞬、反応が遅れる。

「意味が、ない?」
「当たり前じゃん」

 何を馬鹿なことをきくんだといわんばかりに、彼女は言って、おかしそうに笑う。

「なにいってるのよ。好きと思えば、それが好きということなんだから、意味なんてないわ。 無理やりいうなら、心の動きの一種よ。でも心ってものがそもそも何なのかよくわかんないんだから、その一部分だってわかるはずないでしょ。考えたこともないよ、そんなこと」

 あまりに平然とそう言ってのける彼女に、シャルルは相好を崩す。
 メチャクチャなようでいて、なかなか核心をつく答えだと思った。

「悪くない答えだ」

 そもそも質問が、曖昧だった。
 彼はそれを自覚した上で、あえてそう尋ねたのである。
 だが彼女が、予想以上にその質問をきれいにとらえて、素直に返してきたことが、シャルルを満足させた。

「いいだろう。君が修学旅行参加者、第一号だ、おめでとう、美恵ちゃん」

 瞬間、それまで波を打ったように静まり返っていた講堂が、わっと沸き立った。
 同時に幾つもの参加希望が名乗りをあげ、大騒ぎになる。
 シャルルは彼女に対していたときとは、明らかに異なる冷ややかな微笑を浮かべて、そんな生徒達を見ていたが、あまりに大騒ぎになってくると、うんざりだといわんばかりに首を振って、ほっと息をついた。

「わめくな。私の耳を壊したいのか」

 わずかに彼の声が聞こえ、生徒達は口を閉ざす。そのなかでシャルルは不愉快そうにいった。

「二番煎じは結構だ。これ以上応じる気はない。いま名乗りをあげた諸君は、諦めてくれ。 人の真似をして権利を勝ち取ろうというその精神が気に入らないね。ああ、知らん振りしてくれるなよ。あとで調べればすぐにでもわかることだ。それともうひとつ。諸君らも聞いて知っているだろうが、今回の行き先は地球外だ。危険じゃないとはいい難い。それを覚悟の上、というのはもちろんだが、様々な意味で女性ひとりというのは問題がある。よって、男女のペアを組むことを要求する。お互い、協力して危険を回避してくれ。美恵」
「は、はいっ」

 名前を呼ばれて、彼女はドキッとした。
 そんな彼女に、シャルルはクスッと笑うと、わずかにからかうような眼差しを向けた。

「全校生徒の前で躊躇なく名乗り出た君の行動力に、敬意を表するよ。特典をつけてやろう。好きな奴をひとり選ぶがいい。その相手が君のパートナーだ。もちろん、相手に断る権利はない。どうだい?」

 そのときまた、悲鳴ともつかない声が講堂のあちらこちらからあがったが、シャルルは完全に無視した。
 美恵は、突然降って沸いた幸運に、胸のドキドキが納まらなかった。
 い、いいのかしら、気づいたら声を出してたってだけなのに・・・。
 尋ねるようにシャルルを見返すと、彼は珍しくもやさしくほほえんで、彼女の答えを待っていた。
 この瞬間、いったいどれほどの理事長ファンが、彼女になりたいと思ったことだろう。
 だが美恵にとっては、それはさほど嬉しいできごとではなかった。
 それよりも、彼女が望むものがある。彼女はそれを、口にする。

「じゃあ、生徒会長を是非」

 その言葉に、シャルルはわずかに目を眇めた。
 カズヤ?
 驚いたような、意外そうな、けれどもどこか納得したような、そんな眼差し。
 青灰色の瞳のなかに、めまぐるしく様々な感情が行き来し、いつになく彼を揺らしたが、すぐに彼はそれらのすべてに決着をつけると、形のいい唇に、薄い笑いを含んで、彼女に視線を戻した。

「結構。君の望みを叶えよう」

 そして、親愛なる友へと、視線を移す。
 皮肉げな眼差しを、彼に向けて。

「ということだ。カズヤ。さすが人気者だな、生徒会長殿」

 和矢はわずかに顔を赤らめていたが、そこにこめられた皮肉に気づいて、ニヤッと笑った。

「おまえほどじゃないよ、シャルル。この学園のシンボルともいえる理事長には、負ける」

 シャルルはそれを聞いて、クッと笑った。

「あっさりと敗北宣言なんて、負けず嫌いの君らしくないね、と言いたいところだが」

 揶揄に含まれた信頼が、青灰の瞳に浮かび上がり、黒色の瞳をとらえる。

「今だけは譲るとしよう。その言葉は了解の印と受け取らせてもらうよ、生徒会長」
「・・・・オーケー」

 ふたりのやりとりを、ぼうせんとみていた美恵だったが、その言葉に、はっと我に返った。

「ほんとうに!?」
「約束は、守る」

 ふっと笑ってシャルルは、美恵の方を向くと、軽く腕を組み、わずかに目を細めた。

「だが君も、自分の言葉に責任を持つのを忘れるな。選んだのは、君だ」

 美恵は力強く頷いた。

「もちろんよっ」

 シャルルはゆるく笑って、無造作に髪をかきあげた。

「せいぜいお手並みを拝見させてもらうよ」

 そして、視線をわずかにあげて他の生徒達を見渡すと、その形のいい唇をゆっくりと開き、マイクロフォンを通さずに、ささやくような声で言った。

「偽りの過去が眠る場所で、待っている」

 その言葉を置き土産にして、彼はゆっくりとステージを去った。
 突然夜が訪れたかのように、そこは空っぽになる。
 生徒達のざわめきが漣のように押し寄せる。
 けれどもそれはまるで、何もない荒野を風が通り過ぎるかのような、むなしさを感じさせるばかりだった。






 ルイはその集会の様子を人づてに聞いていた。
 それでも臨場感は伝わってきた。
 今回のラッキーガールと称されたのは、美恵。
 多少の嫉妬と羨望の入り混じったその渾名は、あっという間に学園中に広がった。
 だがその話を聞いたとき、ルイは不思議に思ったことがある。
 もしそのとき、彼女が彼自身を指定してきたのなら、彼はどうしたのだろうか。
 そうはならないと知っていたからこそ、彼はそのような条件を出したのだろうか。

「ま、どちらにしても、理事長ファン以外に当たる確率の方が少ないのは事実よね・・・」

 自分なら、間違いなく彼を選んだだろう。
 そう思って、ルイはほほえんだ。
 これは彼女だけの秘密だ。
 きっと彼は、知らない。
 いや、たぶん他の誰も、知らないだろう。
 伝える気は、ない。
 たしかに彼女は例に漏れず、理事長ファンである。
 先日、編入してきた子にいったことにも、嘘はない。
 けれども・・・・足りない。
 全然、少しも足りていない。
 それはとても不思議な気持ちなのだ。
 呼吸すればするほど苦しくなるように。
 食すれば食するほど飢えるように。

「・・・・言葉が、みつかんないわね」

 ぽつり、つぶやいた、その言葉が硬質の壁に反射して、もどってきた。
 彼女の中に流れ込む。幾重にも幾重にも反射は繰り返される。
 流れ込む。繰り返し繰り返し。巻き込まれそうなほど。



 やがて彼女は出口へとたどり着いた。
 最初に目に入ったのは、薄まった闇と、おびただしく点在する――


「ニセモノ、か・・・・・たしかに」



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