「冗談だよ、怒るなよな」
苦笑混じりに宥める和矢を、シャルルは冷ややかに眺めて言う。
「開口一番に冗談か。フン、随分といいご身分だな」
「だから、悪かったって、な、謝ってるだろ」
厄介ごとに、足どころかたぶん首まですっぽりはまっているだろう友人を助けにきて、女装が趣味かと聞かれれば、シャルルでなくとも怒りたくもなるだろう。
和矢は自分の失言を後悔したが、いまさら取り消すのは無理だった。
「あのまま帰ろうかと本気で思ったね」
その眼差しから、まだ怒りは消えない。だいぶ薄らいではいたが、物憂げな青灰の瞳が冷ややかさを増しているが和矢にはわかる。
彼は参ったと額に手を当てた。
「今回は全面的にオレが悪い、よな・・・おまえの言う通りにするよ」
妥協策を提案する。その言葉に、シャルルの瞳がキラリと光った。
「へぇ。例えば?」
そこにわずかな喜びが混じったのを、和矢は敏感に感じ取る。
「…おまえ、いままでの…」
それこそ、演技じゃないのか?
その予感は、不幸なことに的中した。
「おや、カズヤ君。オレは君の冗談が通じないほど心の狭い人間じゃないぜ」
いまとなっては、勝ち誇ったような笑みを浮かべている友人を、和矢はまじまじとみつめる。
「おまえなぁ・・・」
だが、先ほどの自分の失言を、彼が予測できるとは思えなかった。
とすれば、そのスキを狙っていたということなのだろう。
まさに、火にいる夏の虫、とは自分のことだ。
和矢は苦笑するのだった。
「参った。なんだよ、何かいい案でもあるのか。早くしないとパーティーが始まっちまうぜ」
シャルルはニヤリと笑う。
「簡単なことさ、そもそもおまえの婚約者をめぐる争いなんだろ。だったら、だれもが納得せざるを得ない婚約者を、打ち立てればいい。それこそ相思相愛ぶりを、あのローズ嬢に見せ付けてやったらどうだ」
和矢はわずかに息をついた。
「言っても、自分が相応しいって聞く耳持たず、だ。その結果がこのパーティーだよ」
「だから、簡単なんだろ」
いってシャルルは、からかうようなほほえみを浮かべる。
「要は、この数々の候補者をすべて打ち破って、堂々と君の隣に立てばいい。誰も、文句は言えない」
和矢はむっとして言い返す。
「それができたら苦労してない。だいたい、美恵ちゃんは、剣の使い方なんて知らないよ」
「ミエ?ああ・・・そうだね」
言葉とは裏腹に、その瞳は自信に満ちていた。浮かぶ微笑はどこか挑発的でもある。
「だったら他の奴に、任せればいいさ」
「そんな都合のいい相手、いたらとっくに」
そこまでいって和矢は、はっとして、シャルルをみた。
まさか。
「どうしたんだい、ピーター」
不敵な笑みを浮かべる、美しい女性。
そのための、女装?
「おい、おまえ…」
すっとシャルルは立ち上がった。
ほっそりとした肢体に、纏いつく柔らかなドレス。
たしかに、彼ならば、あのローズと並んでも引けを取りはしないだろう。
「この案に、乗るかい?」
決めるのは君だと、その瞳は告げていた。
和矢は驚いたように、シャルルを見上げた。
「なんで、だ?」
シャルルは微かに笑った。
「何が」
「オレのため、じゃないよな。どちらかといえば、その女装は美恵ちゃんのためだろ」
ふっとシャルルは口の端に笑みを含んだ。
「なぜそう思う」
「このままにしておけば、美恵ちゃんが勝てないのは明らかだ。結局ローズは自信に見合うだけのものを持っているんだろうから、オレは彼女の婚約者にさせられる。本当のことを言えない限り、オレは彼女に逆らえないからね。そうすれば美恵ちゃんが傷つくよ。それくらい、わかる。おまえが変えたいのは、その状況だろう、違うか」
突き詰めるように瞳を見据えられて、シャルルは微苦笑した。
相変わらず、勘のいい男だ。
あきらめたように、息をつく。
「責任ってもんがあるからな」
風に遊ばれる髪をおさえながら、シャルルは視線を上へと向け、まぶしそうに目を細めた。
「彼女を最初に選んだのは、オレだ。放ってはおけないだろ」
彷徨うようなその視線は、庭の端のほうへといた美恵に、収束した。
ふっと眼差しがゆるまるのを、和矢は優しくみつめている。
こんなふうに気づかない場所で、彼は人を包むのだ。
遠慮がちな思いやり、けれども彼女は、それを喜ぶのだろうか、和矢は思う。
「シャルル…」
もし彼が優勝すれば、いや、きっとするだろうけれども、そうなればたしかにローズの矛先はシャルルへと向かうだろう。そうすれば彼女に対する害もなくなるに違いない。けれどもその状況を、本当に彼女が喜ぶのだろうか?すべてシャルルに代わってもらって、それで喜べるような女性だっただろうか?
「あの、さ。・・・本人に聞いてみたいんだ」
シャルルの視線が、ゆっくりと和矢に向けられた。
和矢はちょっとだけ笑った。
「おまえの申し出、すごい嬉しいし、その気持ちは彼女も喜ぶと思うんだ。けど、なんていうかさ、それじゃおまえひとりに全部押し付けるみたいで、彼女いやがるかもしれないだろ。せっかくここまで頑張ってきたのにさ、いまさら全部おまえが取り上げちまう形になったら、嫌な気分にさせるかもしれない。オレの考えすぎかもしれないけれど・・・だったらそれはそれでいいけどさ、ここでオレ達だけで結論を出しちゃいけないと思うんだ。だから、今の話を直接彼女にして、おまえから聞いてみてよ。どうしたいかって」
澄み切った夜のような瞳に優しいきらめきが浮かびあがって、彼がどれほど彼女を大切にしているかを、シャルルに伝えた。彼は黙って和矢の言葉を聞いていたけれど、やがて参ったと首を振ると、いったん立ち上がりかけたからだを椅子へと戻し、少しふて腐れたような顔で、肘をついた。
「随分と甘いな」
その声が、どこか幼く響いて、和矢に昔を思い出させる。
幼馴染だったふたり、思えば随分長く、時間を共有してきた。
「おまえほどじゃないと思うけど」
クスッと笑って、和矢が応じる。シャルルの瞳を、優しさが通り過ぎた。
「では甘い王子のために、本日のメイン・ディッシュをお届けすることにしよう」
え、と首を傾げる和矢に、シャルルはバチンと音のしそうな大きなウィンク。
「オレの言う通りにするって、自分の言葉を覚えてるだろ」
「あ、ああ・・・・そりゃもちろん、覚えてるけど」
何をする気だ?
けれどもそういう和矢自身、不安よりも期待の方が大きかった。
朝日のようにきれいな光を浮かべる、漆黒の瞳。
「ぶち壊すのか?」
物騒なことを楽しそうに口にする。
シャルルは長い指を唇に当てるようにして、しっと、ささやいた。
「そいつは最終手段だな」
そして秘密の相談でもするように、和矢の耳に何やらささやくと、ぽんとその肩を叩いた。
和矢は力強く頷き、すぐにでも、会場へと降りていこうとする。
その背中にふりかかる、皮肉げなシャルルの声。
「やばくなったら、言えよ」
和矢は振り返らないまま、軽く手をあげると、庭へと続く階段を降りていった。
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