「熱はすっかりひいたみたいだね」
にこっと笑ってアンドリューが言うと、傍にいた明美も嬉しそうに頷いた。
「心配したわよぉ。すごく苦しそうでさ。良かったわぁ」
マリウスは申し訳なさそうにほほえむ。
「ごめんなさい。皆さんの足手まといになってしまって、僕」
「気にしないで」
そういってほほえんだのは、なつきだった。
「赤ちゃんは熱を出しやすいと相場が決まってるわ」
「そういうもんなのか」
知らなかったと、美女丸が暢気に呟いた。
「父親失格ね」
クスッと笑ったなつきに、美女丸はむっとした顔をする。
「誰が父親だ」
「あら」
からかうような視線を向けながら、なつきはいった。
「どうせなら、母親が誰かを聞いて欲しかったわ」
ゴホゴホっと、朝の牛乳を飲んでいたNAOはむせ返った。
乳製品はカルシウムを多く含むので、必需品である。
「どうしたの、NAOさん」
「な、なつきさんっ!」
「なんだ、NAO、どうしたんだ」
美女丸にまで不思議そうな顔をされて、NAOは解答に詰まった。
「べ、別にちょっとむせただけです・・・・」
わけがわからないという顔の美女丸と、意味ありげに笑うなつき。
それをみて、こういうことには勘のいい明美にはピンときた。
ははん。
彼女は単刀直入である。
「母親はNAOさんなのね」
今度こそNAOは、牛乳を吹き出した。
「おい!?」
熱でもあるあのように顔が真っ赤になる。口数はあまり多くないが、その分態度に出るらしかった。
そんな彼女を、なつきは可愛いと思ってみていた。
ついついからかいたくなるのよね・・・。
物騒なことを考えつつ、さて、どうなるのかしらと、観察を開始する。
どうやら助け舟を出すつもりはないらしい。
「明美も、わけのわからんことをいうな」
とばっちりを食らって、明美はいやぁな顔をした。
とはいえ、たしかに彼女が原因の一端を担っていることに変わりはないのだが。
「鈍いわねぇ、美女兄…」
これだけでも十分彼の不感を買ったのだが、ついついクセで、彼女は続けてしまった。
「そんなんじゃ、オムコの貰い手ないわよぉ」
あたしがもらってあげてもいいけど、シャルルがいるし・・・。
などと、誰にも聞かれていないのにそんなことを言う始末。
この言葉に、美女丸が黙っているわけもなく、ふたりは睨み合った。
「おまえこそ、そんな口の悪さじゃ、嫁の貰い手はないな」
「な、んですってぇ〜!?」
一色触発、ここに新たな火花が登場する。
「シャルルは僕のママンと結婚するんです!」
アンドリューは、頭を抱え込んだ。視線を向ければ、なつきもNAOもお手上げのポーズ。
こうなってはもう、だれも割り込めるものではなかった。
「あんたのママなんて、年寄りじゃないのよ!釣りあわないわ」
本気で応戦したものだから、まだ幼いマリウスもムキになり
「と、年寄りだなんて!ママンはあなたなんかよりよっぽど女性らしいです!あなたこそ」
いったいどこでそんな台詞を覚えたのか
「その若さでシャルルの相手がつとまるとでも思ってるんですか。彼には少しくらい年の離れた女性じゃなければ釣りあいませんね」
そういって、いつもとは打って変わった冷ややかな視線を向けてきた。
明るい太陽のような瞳に、凛とした強い光を浮かべて、明美を睨み据える。
その迫力に、一瞬明美はたじろいだ。
な、なによ、まだ赤ん坊のクセに・・・。
血は争えないものである。という事情を、ここにいる者たちは誰も知らない。
「おい明美・・・論点が違ってるぞ」
美女丸が冷や汗を浮かべてそういっても、頭に血が上った彼女の耳には届かなかった。
この論争に美女丸は最初から入っていない。そもそも彼は頭に血が上りやすくはあるが、それが持続するタイプでもない。
「美女兄は黙っててよ」
そして女のヒステリーは苦手だった。
「いーい?マリウスぼっちゃま。あなたのママンがどんな美女か知らないけれど、シャルルは顔で女を選んだりはしないのよ。それに、子持ちなんて問題外だわ。いい加減無謀な考えはやめて、健全な思考に走るべきよ。ね、そうでしょう?」
笑顔で説得する彼女には、妙な迫力があった。が、それに怯むマリウスではなかった。
それこそ、応じるようなほほえみを浮かべつつ、口では辛辣な言葉を吐く。
「顔で選ばないのなら、あなたにしたって当てはまる。あなたはとても美人だけれど、それだけでは選んでもらえないのでしょう?僕のママンは、たしかに綺麗だけれど、シャルルともとても仲良しで、ふたりはとてもいい雰囲気なんだ。あなたこそ叶わない夢をみるのはやめたらどうですか、明美さん」
この言葉に、彼女の笑顔は壊れた。
「ちょっとあんたねぇ、人が下手に出てりゃいい気になって!」
いつ下手に出たのかは、この際考えないことにしよう。
空気が一気に険悪化し、美女丸とアンドリューがあわてて間に入った。
「落ち着け、明美。相手は年端もいかない赤ん坊だ」
後ろから押さえられるが、その手を振りほどきながら、美女丸をキッとにらむ。
「赤ん坊だか青ん坊だか知んないけどね、こいつ天使のふりした悪魔だわ!」
言われた天使は、アンドリューに宥められていた。
「マリウス、あまり彼女を怒らせるようなこと言わない方がいいよ」
「なっ、ちょっとリュー、あたしのせいみたいに言わないでよ!こいつだってよっぽどひどいこと言ってるのよ!あんたわかってる!?」
目をむいて怒る明美に、アンドリューは苦笑して頷く。
「でもアッキ、君の言い方も随分と挑発的だったと思うよ」
その言葉に、明美はぐっと返事につまった。
たしかに・・・大人げなかったかもしれないけどさぁ・・・。
ブチブチと心の中でつぶやく。
アンドリューはちょっとだけ笑うと、明美に視線を向けた。優しい口調で、宥めるように言う。けれどもそれは優しさを通り越して、まるで愛の告白のように甘く響いた。
「マリウスはまだ君にあったばかりで、君のことを知らないんだよ。だからちょっとくらい的はずれなことをいっても許してあげて。僕は君のいいところをいっぱい知っているよ。アッキはとてもいい子だって、ちゃんと知ってるから」
そんな台詞を臆面もなく言われて、明美の方が顔を赤くした。
聞いていたほかのメンバーも、なんだかこの場にいてはいけないような気になってくる。
もちろんアンドリュー本人にそんなつもりは毛頭ない。
なんて罪な奴…。
あきれて思うなつきと、やはり鈍感な美女丸、そして赤面するNAO、マリウスはきょとんとしてアンドリューを見つめるばかり。
異様な沈黙が訪れる。それを破ったのは、2回鳴ったノックの音だった。
「ちょっといいかしら」
少し低めのルイの声が響いた。
「彼をマリウス君にも紹介しとこうと思って」
そうして、ひとりの男性が姿をみせる。
言わずと知れた、ピーターである。
その場にいたメンバーは、はっと我にでも返ったかのように彼のために道をあけた。
ピーターはルイに促されるように、その部屋へと入ってきた。
「もう・・・大丈夫か」
遠慮がちに美女丸が言った。
「ああ。先ほどはすまなかった」
照れたように笑うピーター。突然泣き出されては、驚きもする。けれども理由を聞いたりはせず、ひとりにしてあげようと、皆はここに来たのだった。
「いいさ。そういう気分の時もあるよ。それより彼は」
代表して、美女丸がマリウスを紹介しようとしたとき、それまで聞いたことのない声がした。
「パァパ・・・」
はっとして声の出所をみれば、そこにはマリウスがいて、けれども明らかにマリウスの声ではない。焦点は不明確で、表情が空ろだった。ピーターはビクッと肩を震わせた。パパ?
マリウスは夢遊病者のように布団から抜け出すと、ふらふらとピーターのもとへと近づいた。
そしてぼうぜんとするピーターに抱きつくと、もう一度うわ言のようにつぶやいて、そしてそこで意識を途切れさせた。
ふっとからだから力が抜ける。
反射的にそのからだを支えたピーターは、瞬間、体中を何かが通り抜けるのを感じた。
まるでその感触を知っているかのような。
そのぬくもりを知っているかのような。
愛しさと切なさがからだ中に染み渡って、気づくと彼はマリウスを抱きしめていた。
そうしている間中、ピーターはとても満ち足りている自分を感じていた。
|