晴天の空の下、ローズの少し低い感じのする声が高らかと響き渡った。
「本日、このようにたくさんの淑女の皆様にお集まり頂けて、嬉しい限りだ。私の呼びかけに答えてくれたことをまず感謝したい。同時に、この私に挑戦しようとする貴女方の勇気を評価しよう。貴女方も周知のように、ピーターは私の婚約者だ。たしかに一時期ある女性にその立場を譲りはしたが、彼女は去り、彼は残った」
ここでわずかなどよめきが起きた。
ローズはそれをまったく無視して、淡々と話を続けていった。
「もともと彼に選ぶ権利などないことを、私はここに宣言する。約束は交わされた。父上があのような状態であるいま、確かにピーターは私の夫にならなければならないのだ。たとえ彼がどのような女性を連れてこようとも」
会場がシンと静まり返った。
集まった女性達の目的は、様々である。
純粋にピーターに惚れている娘もいれば、彼の後ろ盾をしている権力に惹かれるものもいた。もっといえば、母としての存在を許されるために、ピーターの子孫を成そうと考えるものもいたかもしれない。その理由は純粋でなくてもローズは一向に構わなかった。
「だが私はこの地を治めるものとして、それほど了見が狭いのもどうかと考えた。よってここに彼の花嫁を正しく選ぼうと貴女達を集った次第だ。もっとも、たしかにきっかけになった女性はいる。何を血迷ったか、ピーターが妻だと言い張る女性だ。もちろん私は認めてはいない」
そういってローズは、その視線をいちばん前に立っていた女性へと向けた。
突き刺すような視線を向けた後、ニヤリと笑う。
「いい度胸だな。私の正面に立つとは、エセ妻よ」
「美恵よ、ミエ!」
むっとしたように彼女は言い返した。
「あったま悪いなぁ。一回で覚えてよね」
「いま何と言った?」
ローズの眼差しが怒りを含む。それにひるむことなく、彼女は言った。
「このあいだも名乗ったでしょ。あたしはあなたがローズって名前なのを覚えてるよ。ってことは、あなたの方が記憶力悪いって思われても仕方ないじゃん」
ピキ、と彼女の秀でた額に青筋が浮かんだ。
「なん、だと」
従者があわてて槍のようなもので美恵を牽制する。
「おまえ、ローズ様に向かって何たる暴言。即刻立ち去れ」
「だってあたしも参加者だもん。立ち去ったら勝負できないじゃん」
「やるだけ無駄だ。だれもローズ様には敵わない」
ひとりがそういって、ギラッと目を光らせた。美恵はピンときた。
「ああ、あなたはローズに惚れてるのね」
こういう勘は鋭い彼女だ。その従者はむっとしたような顔をしたが、図星を指されてムキになるところが、まだまだ甘かった。
「な、何をいうか。わ、わたしは」
「もういい」
冷ややかな声がして、みればローズが払うように手を振っていた。
「誰が勝者か、おまえが言うまでもない。すぐにでもわかることだ。黙ってろ」
美恵は少しその従者がかわいそうだと思った。
それで肩を落とした彼の耳元に、こっそりささやいた。
「気の強さは性格だよ。気にしないほうがいいよ」
従者はビックリしたように美恵をみて、それからかすかに笑った。
彼はローズよりだいぶ年上のようだった。
「知ってる。そこがまた、いい」
彼女はずいぶんと民に人気があるようだ。
あのティナさえ、口には出さないようだが、どこか認めているところがあった。
もちろん立場上というのもあったのかもしれないが。
ローズと会った後、ティナにそのこと告げたら、ああ、といった顔で頷いてみせた。
「もちろん知ってるわよ。でもま、彼女はね、いい女よ。兄が選んでもおかしくはないと思うわ」
少なくとも貴女よりはずっと、と、付け足すのを忘れなかったのは褒めるべきだろうか。
美恵はあのあとで、ピーターとティナが、以前、彼女の家で暮らしていたことを教えられた。
もちろん和矢はそんなことを少しも知らなかったから、彼女とのやり取りを振り返って、冷や汗をかいた。
疑われるようなことをいわなくて良かったと。
「思えばさ、オレ達ってアイツのことほとんど知らないよな・・・」
ぼやくようにいった彼は、苦笑めいてもいたし、あるところでは真剣でもあった。
ふっとその瞳に心配げな光を瞬かせて和矢は言った。
「ボロが出るとか出ないとか以前に、アイツのことが気掛かりだな」
「いまどうしてるだろうね」
美恵が相槌を打てば、彼は小さく笑う。彼女を安心させるかのように。
「ま、なんとかやってるだろ。残りのメンバーに合流でもしてれば、さぞかし楽しいことになってるだろうぜ」
「でも随分と思いつめてたっぽいよ。すごく心配」
心の底から、とでも言うように彼女は深いため息をついた。
そんな彼女に、和矢はほほえむと、もう一度ささやくようにいった。
「平気だよ、きっと」
胸に染み入るような優しい和矢の声。
「なんで?」
訊くと、静かな彼の声がした。
「男だからね」
「はぁ?」
わけがわからないといった顔をする美恵。
和矢は視線を空へと向けて、その向こうにある上の世界へと向けて、つぶやくようにいった。
「きっと何が何でもやり遂げる。一度決めれば、あとはもう行動するのみだからさ、迷いがなければ人は強いぜ。たとえ何を失ってもいい覚悟だったろ、アイツ」
美恵にはやはりわからなかった。
彼の言葉の意味。日本語は理解できるけれども、その意味を納得はできない。
だから少し怒ったように言った。
「何を失ってもいい強さなんて、そんなの嘘だよ。守るのが強さでしょ。そりゃあすべてを手に入れろとか無茶なこと言う気はないけど、あるひとつのためにすべてを失ってもいいなんて思うのは危険思想の一歩手前。もうちょっと明るく考えられないかな。荒野にたったひとり主人公が残る勝利より、大ハッピーエンドがあたしは好き」
和矢は驚いたように美恵をみる。
「美恵ちゃんって・・・・すごいね」
「和矢が重いんだよ」
うっと和矢が言葉に詰まるのにも構わずに、美恵は続けた。
「だいたい、なに?迷いがなければ強いって、それじゃ危ない宗教と似たりよったりじゃん。そんな強さは身を滅ぼすよ。まるでたったひとつしか信じないみたい。他が目に入らなくなる。いつも思うんだけどさ、大切な人を助けるために命を捨てるのは凄いことかもしれないけど、逆のことされたらどうなるんだろ。絶対駄目だといいそうだよね。でもさ、もし相手にとってもその人がそれくらい大切だったら、その人は同じ立場なんだよね。つくづく矛盾してると思わない?」
彼女はいつになく早口だったが、和矢にもその意味は理解できた。
そう。たしかに彼女の言うこともまた事実。
その人のために死んでもいいと思えることはあるかもしれない。
けれども、その人が自分のために死んだら怒るだろう。
人はみんな自分勝手だ。愛の名においても、それはもしかしたら正しくて、逃れられない束縛。
息をつく。参ったと首を振って、和矢は美恵にほほえんだ。
「降参。君がいちばん強そうだ」
その言い回しがやたら遠かった。
「どういう意味?」
褒められたとも思えずに、美恵は慎重に尋ね返す。
和矢はクスっと笑うと、ぽんと美恵の頭を優しくたたいた。
「そのままの意味。最強の女神様ってこと」
「褒めてるの?」
単刀直入なその問いにも、ただ優しく笑って頷くばかり。
「もちろん」
「じゃああたしの言うことを認めるのね?」
けれどもそう聞くと、和矢の表情が一瞬悲しげな色に染まって、彼は困ったような顔をした。
頷くことができない。
「和矢」
美恵に呼びかけられて、久しぶりに自分の名を思い出した。
「ごめん…」
「何が?」
「さあ」
とりとめのないやり取り、彼は寂しそうな顔をして、ぽつりとつぶやいた。
「でも・・・似てるんだ・・・」
彼の瞳が朱に染まった、空が燃えている。
赤は、激しさよりも切なさを感じさせた。
そういう色だった。
「ね、約束してね」
日が落ちて薄闇が漂い始めた頃、思い出したように美恵が言った。
「何を?」
和矢の顔は闇に紛れて、彼の本心をほどよく隠す。
浮かぶのはやさしいほほえみ。漆黒を宿す瞳はいたわるように美恵に向けられる。
その前で美恵は自分の意志をはっきりと伝えた。
「あたし、頑張るから。他の女性に負けたりなんてしないから、だから、応援して」
それが何についてのことかは、すぐにわかった。和矢は強く頷く。
「もちろん」
「本当だよ?」
なにが彼女を不安にさせているのか、和矢にはわからず、不思議に思いながらも、安心させるかのようにほほえんだ。
「他に誰を応援するんだよ」
美恵は珍しく口を閉ざし、真意を問うかのように和矢の目をみた。
「ん?」
どうしたの?
そんな無邪気な視線を返されて、彼女は曖昧に笑む。
「なんでもない・・・けど、本当に本当だよ?あたしだけを応援してね」
「どうしたの。美恵ちゃん」
和矢の表情が少し動いた。彼女の不安そうな顔に引きづられる。美恵は首を振る。
「なんでもない」
「嘘だろ」
「本当に平気」
ふたりの問答はどちらも譲らず、常に引き分けにもつれこむ。
和矢はほっと息をつくと、ぽんぽんと今度は2回、美恵の頭を優しくたたいた。
「約束するよ。他の誰の応援もしない。君だけを見てる」
その言葉にドキッとして、けれども不安は消えなくて、思わず、縋るような目をした。
「でもあたし・・・自信なんてないよ。やる気は誰にも負けないけど、それだけで勝ち残れる勝負なの?あたしはちゃんと和矢の隣に並べる?」
まくしたてるような言葉が、彼女の不安そのままで、和矢は痛そうに頬を歪めた。
ここまで引き込んだのは自分だという気持ちが沸き起こり、なんでもしてあげたいという気持ちになる。
「いいじゃん、勝てなくてもさ」
和矢はそういって笑顔を向けた。
「ピーターの花嫁を選んでるんだろ。別にオレは彼じゃないもの。その時点でもう、こんな勝負に意味はないんだよ。誰が花嫁に選ばれても、その女性はオレじゃなくてピーターを見てる。それ以上騙しつづけることの方が意味ないって思うな。そしたらゲームオーバーってことで、アイツには悪いけど、このお芝居は幕にしよう。だから君は何も心配いらない。好きなようにやってくればいいよ」
美恵はそのときの和矢の表情を思い出していた。
彼はとてもすがすがしい笑顔をしていた。
無理をしていたようにはみえない。
だから彼女にはもう恐いものはなかった。
相手がローズだろうと、彼女とは求めるものが最初から違っている。
ライバルでさえ、ない。
「ずいぶんと自信があるようだな、ミエ」
棘のあるローズの言葉も、もはや気になりはしなかった。
「本気であたしに勝てると?」
美恵は笑う。
「もちろんよ。彼、のことならあたしは負けない。あなたはあたしに勝てないわ」
ふたりは違う人物を求めている。
彼はふたりいる。
それをローズは知らず、美恵は知っていた。
「自惚れた女だ。身の程知らずもここまで来ると呆れるな」
ニヤッと笑ったローズの瞳に、一筋の残酷なきらめきが浮かび上がる。
「せいぜい勝ち残れるように努力することだ」
まるでその言葉が合図だったかのように、ファンファーレが響き渡り、やがて黒い衣装に身を包んだ黒髪の若者が連れてこられた。
ローズは妖しげなほほえみを浮かべると、そんな彼へと手を伸ばす。
美恵の顔色が変わった。
「ちょ・・・」
「まだおまえの夫とは認めていない。勝負がつくまでは、私の婚約者だ」
「おい。そんな無茶な理屈が通るか」
「黙れ、ピーター」
ピシャリといって、ローズはその顔を近づける。
「おまえはまだ自分の立場をわかってないようだな。あたしとの約束を忘れたとは言わせない」
「何をするつもりよ!」
「あまりあたしを怒らせないほうがいいと忠告しておこう」
余裕に満ちた笑みを美恵へと向け、その指で彼の唇をなぞりながらローズは言った。
「おまえの嫌がることくらい容易に想像つく」
彼は屈強な男ふたりに両腕を捕まえられていて、身動きが取れなかった。
「口の聞き方に注意した方がいいぞ」
勝ち誇ったような顔をするローズを、美恵は悔しそうににらんだ。
が、何もいえない。言ったらどうなるか、想像がつくからだ。
ローズは満足そうに笑む。
「物分りが良くなったようで嬉しいね」
「離せっ!」
彼は必死で抵抗するが、力では敵わない。悔しさは美恵よりもむしろ、彼の方が大きかった。
「力づくで人を動かせると思うなよ」
怒りを湛えた瞳を、ローズへと向ける。睨みつけるその眼差しが、いつになく激しい。
ローズはかすかに唇をかんだが、それは誰にも気づかれなかった。
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