ふぇすてぃばる1

 朝一番の亀鳥が鳴いた。

「ノゥ・ストップ・ノゥ・ストップ・ノゥ・ストップ・・・」

 少年が新聞配達のように、大声をあげて紙を撒き散らしていく。
 ふと、なにげなくその紙を拾った人がいた。
 そこに書いてある文字を読むと、面白そうな顔をする。
 書かれていたのは、以下のような内容だった。


『ピーターの花嫁候補募集、詳細については・・・』


 そしてそのあとで、ピーターについてのプロフィールのようなものが付け足されており、最後にローズの署名があった。
 彼のプロフィールは、有名である。
 女の赤ちゃんを腕に抱いて、この世界の守樹である大木の根元のところで発見された少年。
 伝説、というものはこの世界に存在しなかったが、それでも彼は大切に育てられた。
 その義理の父親とでもいうべき存在が、ローズの父親であるのは、誰もが知る事実。
 そして兄妹のように育ったピーターとローズが、許婚であることも。
 けれどもローズがそれを当然のことのように受け止めていたのに対して、ピーターの反応は違った。
 あの優しい黒い瞳に少しかなしげなほほえみを浮かべて彼は言った。

「ごめん…」

 なにが、と聞いても彼の答えは曖昧だった。ローズは気性の激しい女性であり、そんな言葉では納得できなかった。繰り返し、問い詰める。次第にその口調は強まっていく。

「なにが不満だ。私の夫になり、この世界を共に守ればよい。それのなにが不満なのだ?」
「不満とか、不満じゃないとか、そうじゃなくて、オレにはティナもいるし」
「妹?もちろんこのままここにいればよい」
「あいつはここを出たがっている。オレも・・・・そう思ってる」
「何だと!?」

 それを聞いたときのローズの表情は、怒りよりも驚きが勝っていた。

「ここを出てどうする? 第一その必要がどこにある。おまえにとってここはそんなに居心地の悪い場所なのか」
「そうじゃない。とても皆が良くしてくれる。君を含めてね。だけどここは、オレとティナにとって家じゃない」
「父はおまえを、実の息子だと思っているぞ」

 その言葉にピーターは、皮肉げな笑みを浮かべた。

「オレと君が実の子供だったら、その間の婚姻を望んだりはしないんじゃないの」
「・・・・・・」
「君のことはキライじゃないし、君の父上にももちろん感謝している。本当の家族のようだと思ってるよ。けどここには、何一つオレの決めたことなんてなくて、気づけばオレ達はここにいたんだ。だからね、思うんだ。もし今、断る理由がないという理由で君と結婚をしたなら、まるでだれかに決められた道を言う通りに歩んでいるだけになってしまうんじゃないかって。そんなのはあまりにつまらないと思わないか?君だって、なにもすべて父君の命令に従う必要なんてない。結婚相手くらい自分でみつけるべきだ。ずっと考えていたんだけれど」

 そこで言葉を切ると、ピーターはその瞳に強い意志を浮かべて、まっすぐにローズをみた。

「オレはティナとこの家を出る。そして自分で何かをはじめて、何かを見つけて、何を求めているのか、どういう生き方をしたいのか、さがしてみたいんだ。ここにいたらきっと甘い空気に馴染んでしまう。そんなのはイヤなんだよ、ローズ」

 実際、彼女は、成り行きに任せて彼との婚姻を望んでいた。
 断る理由もなければ、彼女は彼がキライではなかったし、むしろ一緒にいて居心地のいい相手だったから。
 彼は性格が穏やかで、優しく、かといって甘いわけでもなく、適度な距離を保ってくれる。
 それにもう小さな頃からずっと一緒にいて、お互いを知り尽くしていた。
 これらの条件を満たす人物など、彼くらいしかいない。
 どうせ生涯を共にするのなら、気心の知れた相手の方がいい、せいぜいがそれくらいの認識だった。
 けれども、今目の前にいる男性は、彼女の知っている、優しい彼とは少し違った。
 自らに問い掛け、挑戦し、何かを得ようとしているひとりの人。
 優しさの中にしなやかな強さが生まれて、彼を違った道へと導こうとしていた。
 その姿が、まるで蛹が蝶に変える瞬間でもあるかのように美しく、まぶしかった。
 ローズはそのときはじめて、彼を幼馴染という束縛から解放し、ただひとりの男性として認識したのだ。
 そして理屈ではなく、彼と一緒にいたいと思った。
 これから彼がどんな道を歩むのか、それを一緒にみたいと思った。
 彼女はまぶしそうに目を細めて、ピーターをみた。

「わかった。おまえの好きなようにしろ。父にも説明しておく。だが婚約の破棄は認めない」

 彼はじっとローズをみつめる。その視線の前で、彼女は軽く笑うと、なんでもなさそうなことのように付け足した。

「無理やり結婚する気もない。その時期でもないしな。だが父がいつまで元気かはわからない。おまえがどうしても一緒にいたいと望む相手が、それまでに現れなければ、おまえを私の夫にする」
「君はそれでいいの?」

 心配そうな顔、それは純粋に彼女に向けられ、彼女はかすかに笑んだ。

「おまえがあたしの心配をする必要はないさ。だいいちこちらからの条件だ」
「君の父上がタイムリミットってわけか」
「あいまいすぎるか?だが私にしても、未来は読めん」

 その言葉にピーターは、軽く笑い声を立てた。

「そりゃそうだ。読めたら恐いよ」

 ローズも笑みを浮かべる。

「だろ」
「ああ。いいよ、それで」

 そしてピーターはクスっと笑うと、その目に甘い感じのする微笑を浮かべていった。

「最初にいったろ。君のことはキライじゃないってさ」

 ローズはプンとそっぽをむいて答える。

「当たり前だ。おまえに嫌われる心当たりなどない」
「可愛くない答えだな。ったく・・・」

 苦笑にも似たつぶやきをもらして、彼はほっと息をついたのだった。



 そして現在、ピーターの婚約者は依然とローズである。
 かつて一度、彼はひとりの女性を選んだ。
 そこで時間制限はなくなった。
 彼が彼女を愛していたのは、誰がみても一目瞭然で、それはローズにすらわかった。
 だからこそ彼女は、彼と彼女の婚姻を認め、新しい婚約者を探すことにしたのである。
 そんな矢先だった、彼女が消え、それを追うように彼も姿を消したのは。
 ローズは密かに思っていた。きっとピーターは二度とは戻ってこないに違いないと。
 けれどもその予想は見事にはずれ、彼は戻ってきた、身も知らずの女性を連れて。
 これを受け入れろという方が無理な話だ。
 一度タイムリミットは破られた。だが彼女は主張する権利を持つ。
 ピーターの婚約者は自分であると。
 あの彼女がいないのなら、あとはどんな女でも変わりないのだと、それすら知った上で、ローズは自分を婚約者と名乗るのである。
 



「集まったか?」

 書類にサインをしながら、そばに仕えていた男性にそう尋ねると、かしこまったような声が戻ってきた。

「はい。思った以上にたくさんの女性が」

 ローズはペンを動かす手を止めないまま、ふっと笑う。

「そりゃ、そうだろ。あたしが選んだ男だ」
「それだけとも思えませんが?」

 クス、と笑みが浮かぶ。それはひどく自嘲的な感じのものだった。

「それも含めて、あたしが選んだ、という意味だ」
「・・・・失礼致しました」
「では行くか」

 ペンを書類の右脇に置いて、ローズは立ち上がった。
 ひらりと揺れたカーテンから風が忍び込んで、彼女の長い髪を揺らした。


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