語のあとで

「和矢っ!?」

 最初に声をあげたのは美女丸だった。

「お兄ちゃん!」

 次いで明美が

「カズヤ」

 リューが

「生徒会長…」

 NAOが、そしてなつきが。

「和、矢」

 その多数の声の前で、ピーターは参ったというように首を振ると、苦笑してルイをみた。
 彼女は頷くと、説明を始めた。

「疑わないで信じて欲しいんだけど」

 その前置きは、あまり意味をなさなかった。

「この人、和矢じゃないのよ」

 どよめきが起きる。

「ええっ!?だってどっからどうみてもお兄ちゃんじゃん」

 明美の声に、リューも頷いた。

「他人にしては似すぎてるよ。別人だなんて・・・記憶でも失ったの?」

 ルイは首を振った。

「本気で和矢じゃないわ。その証拠に美恵ちゃんはいないでしょ」

 そういわれると、なぜかみんなが納得したような顔をした。

「・・・・・・で、百歩ゆずってそれを信じるとして、だ」

 険しい表情で、美女丸が言った。

「こいつは誰だ?何故ここにいる?本物の和矢はどうした」

「長くなるからさ、みんな適当に座って」

 ルイの言葉に、彼を囲むようにみんなが集まった。
 マリウスはまだベッドで寝ている。

「シャルルは?」

 明美の視線に、ルイは微笑を返した。

「本物のお兄様のところへ、行ったみたいよ」
「えええええええ!?」
「こっちのことは、任せたって。ね、ピーター」

 彼はコクンと頷いた。

「ピーター?」

 NAOが不思議そうに尋ね返す。

「それがあなたの名前?」
「そう。僕の名はピーター・クルゥス。カズヤとは下の世界で出会って、いまは僕の代わりをしてくれている」

 なつきが訝しげに目を細める。

「何。下の世界って」
「ああ、最初から話さないとね」
「お願い、ピーター。また繰り返させちゃうけど」

 ルイの言葉に軽く頷くと、彼はそのたくさんの瞳の前で、この世界について話し始めた。
 それはひとつの物語だった。


「僕たちは自分達を包む世界を、ネバーランドと呼んでいます。
 なぜそう呼ばれているのかといわれれば、気づけばそうだったとしか、僕には説明できません。
 このネバーランドは、少し前まで、とても緑豊かな美しい世界でした。
 そこで僕を含めた住人たちは、静かに暮らしていたのです。
 たぶんあなたがたと同じように、多少の違いはあるかもしれませんが、ごく平凡に毎日を送っていました。
 それがふつうで、それ以外の世界を、僕たちは考えたこともなければ、想像したこともありませんでした。
 僕はこの世界で生まれ、育ちました。妹達と一緒に。
 母も父も僕達にはいません。ここはそういう世界です。
 ごく例外的に、両親のいる子供達もいますが、それはたとえばこの地を治める王であったり、それを継ぐ者が必要な場合のみです。
 僕は生まれたときから、ピーターと呼ばれていました。クルゥスという名は、土地の名前です。
 クルゥスという名の土地に住むもの、という意味で、ピーター・クルゥスというのが僕の名前です。
 あなたがたにしてみれば、僕の話はおかしく思えるかもしれませんが、僕達にはすべて当たり前のことですし、それがどうしてと言われても、説明できません。
 ですが案外そんなものだと僕は思います。
 以外にきちんと説明できることは、少ないものです。
 いつの間にか受け入れ、馴染んでいる、それが自然の姿でしょう。
 ところが、あるときこの世界に、異変が生じました。
 さっき僕が口にした、下の世界、そこに気づくと僕たちは移されていたのです。
 たしかに予兆はありました。
 突然夜が何日も続いたり、そうかと思えば雨がやまなかったり、まるで世界のリズムが崩されたかのような異変が、それ以前に起こっていたのです。
 原因はわからず、対処の仕様もなく、僕たちはただこの異変がおさまるのを待つしかありませんでした。
 そんなときです。世界が上の世界と下の世界に分かれだしたのは。
 もちろん、目には見えません。けれども異変は空気で感じられました。
 少なくとも僕にはわかりました。世界に変化が起ころうとしている事が。
 そして気づけば、下の世界にいました。
 下の世界というのは、上の世界からみれば、湖の中にあります。
 そして下の世界からみれば、上の世界は空を越えたところにあります。
 まるで一枚のヴェールが、上と下を分離している、それくらいの境界しかそこには存在しません。
 下の世界は、以前の上の世界のように、緑豊かな場所でした。
 ですから他の住人達は、特に気にとめていないようでした。
 たしかに、かえって住みよい世界かもしれません。
 何も不自由はなく、時々ヤリが降るくらいで、けれどもそれは周期的ですから予報は簡単にできます。
 皆はあえて上の世界に執着する理由を持ちませんでした。
 けれども僕は、そんな世界には満足できなかったのです。
 なぜなら、そこに彼女の姿がなかったから。
 彼女がいなかったから・・・・」


 ため息のようにそうつぶやいて、ピーターはのめりこむように宙をみすえていた。


「いまとなってはもう夢なのかもしれない。けれどもたしかにあの夜、僕は魔女をみました。
 世界の秩序を乱し、僕達を下の世界へと追いやって、彼女を奪った魔女の影。
 彼女を包むかのようにその影は巻きつき、僕から彼女を奪っていった。
 そして翌朝にはもう、僕たちは下の世界へと追いやられていました。
 幻かもしれない。その実体をみたわけではないから。
 けれども事実、彼女はもういなかった。そして世界は奇妙に歪み始めていました。
 気づくものはいませんでしたが、僕にはわかるのです。
 この世界がとても不安定なことが。
 僕の望みは、この世界をもとへと戻すこと。
 そして彼女をこの手に取り戻すこと。まるで人質のように奪われた彼女を助け出したいのです。
 そのためにここへ戻ってきました。あなたがたの友達に身代わりを頼んでまで」


 ピーターは淡々と語った。
 みんなは黙ってその話を聞いていたけれど、やがてわけがわからないというようにアンドリューが首を振った。

「ちょっと待ってよ。それと、マリウスのからだの異変と、いったい何の関係があるの?」

 ピーターは不思議そうな顔をする。

「マリウス?それは誰?」
「僕たちは、彼を助けるためにこの星へ来たんだよね」

 美女丸が頷いた。

「そうだ。怪しげなメッセージを送ってきたのは、おまえらじゃないのか」

 ピーターは首を振った。

「知りません。たしかに助けを求めるまじないはしたけれど。あなたたちはそれで来てくれたのではないのですか?」

 今度はなつきが首を振る。さっぱりわからないといった顔で。

「違うわ。あれはほとんど脅迫状よ」
「そんなものを出した覚えはありません。だいいち僕らは、あなたがたがどこから来たのかもよくわからないのだから」

 ルイは腕を組みながらため息をついた。

「そうなのよね。さっきからどうも話が食い違っていて」
「シャルルは何か言ってないの?」
「さぁ」

 ふっと苦笑をもらした。

「考えてても、教えてくれない人だから」

 その言葉に、思わず皆が納得した。
 本人がいなければどうしようもない。

「で?お兄ちゃんはその下の世界とやらにいるわけなのね。シャルルもいるんでしょ。
じゃああたしもそこへ行かないと」
「ストップ。そうじゃなくて」

 やれやれといったように、ルイが口を挟んだ。

「あたし達はこっちですることがあるのよ」
「なんだ?」

 美女丸にみられて、ルイはほっと息をついた。

「お姫様奪回」
「・・・?」
「シャルルが最後にそう言っていたそうよ」
「そんな・・・」

 NAOが信じられないといった顔をする。

「だって・・・場所がわからないじゃないですか」
「それくらいこちらで探せと、そういうことか」

 ニヤッと笑って美女丸は、不敵なほほえみを浮かべた。

「悪くないな。やっと冒険らしくなってきた」
「けど手掛かりが何もないのに、どうやって探すの?」

 アンドリューがそう聞くと、美女丸はその視線をピーターへと向けた。

「奴が知ってるんじゃないか」
「いや・・・僕には分からない」
「心当たりもないのか?」
「・・・・・」

 ピーターはしばらく考えるようにしていたけれど、やがてぽつりと、つぶやくように言った。

「僕は彼女のことを・・・・・何も知らないんだ」
「なにもって、一緒にいたんでしょう?」
「たしかに僕たちは出逢ってから、ずっと一緒だった。
 お互い惹かれあって、離れていることが苦痛だったから。
 けれども、それ以前のことは、何も知らない。
 彼女がどこで生まれて、どうしてそこにいたのか」
「聞かなかったの?」

 ピーターは小さく笑った。

「必要なかった。僕にとって大切だったのは、彼女がそこで微笑んでいる、たったそれだけのことだったんだよ」

 そういう想いもたしかに存在する。
 彼の瞳に映る彼女は、いつもほほえんでいた。
 いつでも。・・・・・いや、違う。
 たったいちどだけ、彼は彼女の涙をみた。

「あ・・・・」

 記憶が甦る。それまで彼の中に埋もれていた、彼女の涙。
 あれはいつだったか。いつだったか。思い出そうとしても思い出せない。
 次第に胸が苦しくなって、思い出そうとすればするほど、そのときの彼女のかなしみが流れ込んできて、気づくと彼は、頬を濡らしていた。

「ピーター・・・・?」

 彼は苦しそうに胸を抑えると、いまにも消えそうな声でつぶやいた。

「彼女が・・・・泣いている・・・・・」





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