筋縄では、いかない

 美恵が放送室から直接講堂へ来ると、そこにはもうすごい数の生徒が集まっていた。
 連絡の放送から、まだそれほど時間は経っていない。
 なのにこれほど迅速な対応をするというのは、それくらい生徒達が『修学旅行』という響きに 惹かれている証拠であろう。
 彼女は入り口付近の群れをかき分けつつ、なんとか中のほうへと入り込んだ。
 和矢達を、探す。けれども見渡す限り、そこにさっきまでのメンバーはみえなかった。

「やほぉ、美恵ちゃん」

 肩をたたかれ振り返ると、そこに理事長ファン3人娘がそろっていた。

「放送聞いて、お昼もまだなのに来ちゃったよ」

 少し興奮気味にそういったのは、ほんのりと頬を赤らめたあーきゅん。
 理事長に会えるという喜びが、彼女を満たしているのだろう。
 いつもより饒舌に、彼女は続けた。

「すごいよね。噂では地球外って話じゃない?さっすが我が愛しの理事長さまですわ」
「あ、また敬語になってる」

 笑いながらそういったのは、手で自分をあおぐようにしていた、佐倉。
 彼女は暑がりであり、この熱気にかなり耐えられなかった。

「それにしても暑いね。クーラー入れて欲しいくらいだよ」

 苦笑混じりにそうつぶやくと、それに対する返答があった。

「これでも、一応入ってるんだよ、さくちゃん」

 見るとそこに、見知った顔があった。他に知らない顔もふたり。

「あっきーと・・・えっと、新人さん?」

 それを聞いて美恵は噴き出した。

「やださくちゃんってば。ここはアイドル養成学校じゃないよ」

 その例えが気に入ったあっきーは、ふふっと笑った。

「養成するまでもないよね、あちこちにアイドルが散らばってるもの」

 皆が同時に頷いた。美恵が、嬉しそうに笑って、絶妙な相槌を打つ。

「アイドルといってもいろいろあるんだけど、たとえばジャニーズって年じゃ、絶対ないよね」
「そうそう」

 軽く頷いて、佐倉がいった。

「まず根本的にさ、本人達がいやがりそうじゃん。なにもしなくて目立つけど、だからかえって なにかしてまで人前に出たいタイプじゃないし」
「和矢も?」

 ひやかし混じりに、あっきーが横槍を入れると、美恵がブンブン首を振った、縦に。

「あたりまえだよ、あっきーちゃんっ。和矢は絶対みんなのアイドルタイプじゃないもん!」

 いやに力説する彼女に、明美はにんまりと笑った。

「美恵ちゃん、それは希望じゃない。つまりお兄ちゃんを、そんなふうに皆のにしたくないのよね」
「う・・・・」

 図星をさされ、彼女は口篭もる。それをみて、ふふっと笑ったのは、あーきゅん。

「可愛い、美恵ちゃん。でも同感だわ。理事長には、そうはなってほしくないもの」

 その言葉に、そこにいた全員がピクリと反応し、皆の気持ちを、あっきーが代弁した。

「それくらいなら、死んだ方がマシだと本気でいうでしょう、あの人なら」

 皆、深くふかぁく頷く。それ以外に想像できそうもなかった。

「ところであたしたち、何の話してたんだっけ?」

 ふと、佐倉がそういった。
 皆いっせいにお互いの顔を見合わせ、きょとんとする。
 さすが類は友を呼ぶとはよくいったもので、だれもなかなか最初の話題に戻れなかった。
 しかしすぐに、なつきとNAOの顔をみて、美恵とあっきーは思い出した。

「そうだよ。新人さんじゃなくて、転入生を紹介しようとしてたんだった」

 そしてやっと、当初の目的に戻れそうだったとき、違った方向から、声がした。

「オケ部に話はつけてきたよ」

 そういって歩いてきたのは、イツキと、美馬。と、さくら。

「あれ、さくら!?どこいたの〜?」

 不思議そうに尋ねるあっきーに、さくらは意味深な笑みを返し、彼女の耳元でこそっと囁いた。

「家庭科室」

 ――なるほど。
 言葉にはしないで、頷く、ふたりは視線を交わしあい、にこりとほほえみあった。

「どうぞご勝手にってさ。また我がまま坊やのワガママが始まった、とは、誰の言葉かわかるかい」

 クスクス笑いながらそういって、美馬は皆を見回した。
 視線が少なくとも一回、重なって、それだけで女子生徒の大半は、頬を赤らめた。
 強力なまでに独特の雰囲気、彼の視線に触れるだけで、なぜか心臓がドキドキするのだ。
 それはわりと付き合いの長い明美でも例外ではなく、彼女は色白の頬をうっすらとピンクに染めながら、にらむように美馬をみた。

「ちょ…っと貴司。少しは遠慮しなさいよ!」

 美馬は不思議そうな顔で明美を見返す。するともろにその視線を浴びる羽目になり、しかも僅かに細められた眼差しは、深みのある色気を生み出して、よりいっそう彼女の顔は赤くなった。
 な、なんでよ・・・免疫ってできないわけ!?
 だれかワクチンでも作ったら、ノーベル賞ものよ、きっと。
 などと、どこかの誰かにでも聞かせたら、冷ややかな侮蔑を頂きそうなことをかなり本気で考えて、明美はほっと息をついた。

「降参」

 美馬はますます不思議そうな顔になる。

「だから、何が?」
「知らないっ、純ちゃんにでも聞いてよ!」

 ほとんどやけくそでそんなことをいって、明美はプイと顔を背けた。
 美馬は苦笑して、答える。

「あいにくと、彼女はいま里帰り中なんだ」

 その言葉に、NAOがピクリと反応した。
 彼女!?
 彼女って、どういう意味の彼女かしら、女性の代名詞の『SHE(彼女)』?それとも…
 あああ、気になる、気になる・・・・けど、聞けないわ、いくらなんでも!
 ひとり葛藤するNAOの横で、なつきはわりと冷静に美馬を分析していた。
 ふむ、いい男よね、さっきからそうは思うんだけど・・・・
 彼女はそれ以上の感情を、彼に抱くことはできなかった。
 どちらかといえば、そう。

「マブダチになりたいって感じかしら」

 思わず、心の声が言葉になった。
 彼女は一瞬あせったが、皆が自分を注目しているので、開き直ると、笑っていった。

「あはは。ごめん。ほら、美馬さんだったかしら。いい友達になれそうって感じがしたのよ。 なんかね、あたし、思ったことはすぐ口にしちゃうんだ。いいことは伝えたいって思ってね。 気、悪くしたら申し訳ないんだけど・・・」

 美馬は驚いたように彼女の言葉を聞いていたけれど、ふっと彼独特の、優しさと皮肉が入り混じったような微笑を唇の端に浮かべ、彼女をみた。

「それは光栄だね」

 言葉はそれだけだったけれど、彼の眼差しが、緩やかで、なつきは少し安心した。
 ほ。気にしてないみたい。良かった。

「ところで、和矢は?」

 美恵が我慢できずに、そう聞いた。イツキはニコッと笑うと、親指をステージの方に向けた。

「理事長を迎えに行ったから、もうすぐ、あそこに現れると思うよ」
「・・・そっか」

 少し落胆を含んだ彼女の声に、イツキがやさしく尋ねる。

「どうかした?」
「ん・・・別にいつものことなんだけどさ。なんでこうもシャルルとばっかり・・・」

 思わずつぶやいて、美恵ははっとし、あわてて首を振った。

「ううん、いいのよ、シャルルと和矢の間に割って入れるなんて思ってないし」

 それは彼女の本心だった。シャルルを大切にしない和矢は偽物だと思う。
 それはわかっていた。けれども、理性と感情は別のところに存在する。
 噛みあわない。だからそのふたつはどちらも自己主張を始めて、美恵は時々混乱するのだ。

「でも・・・」

 波が浮き沈みするように、彼女の言葉もあっちをいったりこっちをいったり、サーフィンしているみたいに変動が激しかった。

「時々は、他のことにも目を向けて欲しいって、思っちゃったりするんだ・・・わたしって」

 自分でも何が言いたいのか、よく分からなかった。
 イツキは黙って聞いたいたけれど、美恵が参ったといったようにため息をつくと、ぽんとその肩を励ますようにたたき、きれいな茶色の瞳でまっすぐ美恵をみて、屈託なく、笑った。

「わかるよ。でも大丈夫。そんな君の気持ち全部、受け止めてもらえばいいんだから。 ね、美恵ちゃん、男ってさ、わりとキャパシティ広いんだよ。人にもよると思うけど、 たとえば生徒会長なんて、きっと君が思う以上に広い心で、包んでくれると思うな。 だからかえって誤解させて、大切な人を傷つけたり、しちゃうのかもしれないけど、 きっと君なら、そんな上辺に惑わされないで、彼を見つめ続けてあげられるよ。頑張って」

 そういった彼の瞳の中で、優しさだけが煌めいて、彼の言葉を美恵に信じさせた。
 彼が本気で応援してくれているのを感じて、美恵はなんだか泣きそうになった。
 それであわてて目を伏せるようにして、なんとかこらえると、少し冗談交じりに、言った。

「やだ。イツキってば、相変わらず優しいんだから。それに本当にきれいに笑うようになったよね。 これも全部さくらちゃんのせい?」

 イツキはクスッと笑って、彼女の耳元に唇を寄せる。

「ご名答。けど」

 いったん言葉をきって、ドキッとするくらい、やさしい声を出した。

「あなたにとても感謝しているから、今度はオレがあなたを応援したいんだよ、美恵ちゃん」

 美恵は何のことかわからず、きょとんとする。

「なんで?」

 イツキは一瞬迷って、すぐにニコッと笑った。

「ん・・・わかんないのならいいよ。オレが覚えているから」
「ふーん?」

 腑に落ちないながらも、美恵は頷いた。
 別に問い詰めるほどの話でもない。

「随分仲良さそうじゃン」

 元気のいい声がして、ガバッと同時に肩を抱かれた。

「おふたりさん」
「さくらちゃん」

 美恵が振り向くと、彼女はなんともいえない複雑な表情をしている。
 笑っているのに、どこか不安そうで、けれども強気な、瞳。

「妬かれちゃったみたい、あたし」

 嬉しそうに美恵がいうと、より嬉しそうにイツキが笑った。

「ん。オレって果報もんだな」
「ぎゃっ・・・な、なにすんのよ!」

 動揺するさくらに、イツキは余裕の微笑を浮かべるばかり。
 本当にいつのまにか、ずいぶん立場が逆転しているようである。

「何って、決まってるじゃん。愛し合うもの同士がすることといったら」

 調子に乗るイツキの頭を、さくらはペンと掌でたたくと、イツキはおどけてペロッと舌を出した。
 どうやらこのふたりは、漫才コンビにもなれるらしい。
 と、そのとき、前触れもなく大きな声がした。

「さくら!?」

 突然自分の名を呼ばれて、彼女は反射的に振り返る。
 そこにはなつきが、驚いたような顔をして、立っていた。

「さくらって、あの、さくら!?ほら、わたし、なつきよ。な・つ・き」

 さくらはしばらく考えていて、やがて

「あーーーーーーーーーーーなつき!!!!」

 そういってふたりは、手に手を取り合って飛び跳ねた。

「なつきって、あのフランス在住のなつきよね。うっわー。アルディ学園に来たんだね!」
「そうなの。黙ってて驚かせようと思ってね。でも実際に会えて嬉しいよ」
「わたしも嬉しいよーーー。んもう、あっきーってば、人が悪いわね、黙ってるなんて」

 突然話を振られて、ぼぉっとしていたあっきーはビックリした。

「え?なに?何の話??」

 そして、さくらとなつきに気づく。
 それで、ひらめいた。ああ、なるほど。

「そいえば文通友達だったよね。紹介しようとして、うっかりしてたよ」

 イツキが驚いたように、なつきをみた。

「あなたがさくらの文通友達!?」

 その声に、さくらははっとした。
 これはやばい。話題を変えなくては。
 本能的な直感でそう悟った彼女は、思いつくまま口を開いた。

「ほらほら、こっちだけで盛り上がってちゃ悪いよ。美馬さんが妬くでしょう」

 イツキは驚いたように美馬をみたが、彼は楽しそうに佐倉達と談笑していた。
 それで、いささか不審そうにさくらを見る。

「別に気にすることないじゃん。どうかした?」
「い、いやあねえ、ほら、だから、もうひとり転入生が」
「あっちで、美馬さんたちと話してるけど?」
「・・・・だからね、美恵ちゃんが」
「あたし?」

 美恵が不思議そうに答える。

「何?別にあたしはどうもしないけど?」
「う・・・だから、あっきーが」
「へ?」

 いえばいうほど、イツキの不信感を誘ったさくらは、結果的に、彼を正解へと導いた。

「ははん。なにかなつきさんに聞かれてもまずいことでもあるのかい」

 さくらの顔色が一瞬変わったのを見逃すほど、イツキは鈍くはなかった。
 いつも優しい光を浮かべている瞳が、ふっと真摯な光をたたえる。
 そんな彼は、凛とした強さを感じさせ、大人の男性を思わせた。

「ふーん、いいこと聞いちゃった」

 ふっと笑って、横目でさくらをみる。そうするともう、彼女に勝ち目はない。

「な、なによ。別にまずいことなんてないわよ。ね、なつき!」

 目に力を込めて彼女をみると、なつきはなつきで、この状況を楽しんでいるようだった。
 さくらは焦る。う・・・このままじゃオモチャにされてしまうわ。
 どうしよう。
 だがそのとき、まさに天の使いか、彼女をこの状況から救う声が降ってきた。



「皆さん、集まってくれてありがとう」



 美恵がピクンと反応する。
 ステージをみれば、そこにマイクを手にした生徒会長が立っていた。

「最初に連絡事項をひとつ。午後の講義の時間を30分遅らせます。
 以後、すべての時間を30分だけ後ろへずらします。
 チャイムもそのようになりますのでご了承下さい」

 きびきびと話す彼は、指導者のように堂々としていて風格があり、さすが生徒会長と思わせた。
 いつもの優しい、あるいは照れたような顔の彼からは想像もつかない。
 だがたしかに、彼には人を導く力がある、と美恵は思っていた。
 彼の優しさが、性格が、そういう面をほとんどといっていいほど表に出さないが、 ひとたび彼が本気になったら、きっとモーゼのように力強く、やさしく、 人々を導くことができるだろう。そう感じていた。

「っと。これでいいな。ほら、もったいぶってないで出てこいよ」

 苦笑とも呆れ顔ともとれる顔を、彼は舞台の袖に向ける。
 そこからこぼれる、皮肉混じりの声。

「別にもったいつけてるつもりはないね。あんなに煩い中で話す気にはなれなかっただけだ」
「それがもったいつけてるっていうんだ。おまえが声を出せば、一瞬にして静まるだろう」

 答えの変わりに聞こえる、軽い笑い声。

「生徒会長に与えた役目はご不満かい」

 その言葉に和矢はやれやれと肩をすくめた。

「もういいよ。いいからほら、さっさと来い」
「ああ、ライトはつけなくていい。ここは客席より、ずいぶんと暑いんだ」

 姿が見えなくても、その声がするだけで、海の底のような沈黙が訪れる。
 ものすごい圧迫感、共に訪れる息を飲むほどの緊張と、そして待ち望む期待。
 彼の声が響くだけで、雰囲気が、陽気な虹色から空の果てのような深い蒼へ塗り変えられる。
 そこにいたすべての生徒の視線が、一点に集まった。
 暗幕が揺れる。袖に人影がみえる。ゆっくりと近づいてくる。
 足音。カツン。カツン。カツン――――。



「やあ、諸君」


 マイク越しの彼の声は、肉声よりわずかに硬質な響きを帯びた。

「突然の呼び出しにも関わらず、こうして集まって頂けて光栄だ」

 そういって彼は、皆の前へと姿をみせた。
 白金の髪を肩にこぼし、皮肉げな微笑を含んだ瞳は冴えた青灰色。
 講堂の壁を飾るステンドグラスから漏れる光を、全身に浴びて輝きを身に纏いながら。

「私は無駄なことは嫌いでね、さっそくだが本題に入らせてもらう」

 言葉と言葉の間に訪れる間。それさえ彼は巧みに操って、聞く者の意識を高めるのだった。
 そして完璧なタイミングで、もっとも効果的な言葉を口にする。

「諸君は修学旅行について知りたいようだが、あえて私から説明するまでもないだろう。
 それはその名の通り、学を修めるために行われる旅のことだ。
 決して遊びに行くわけではない。よって、全員を連れて行く気はない。
 今回予定している人数は、せいぜい10名程度だ。参加希望なら」

 そこで彼は、ふっと笑って、皆を見渡した。

「その権利を自ら勝ち取るがいい。その意志で私を納得させてみろ。これは私からの挑戦だ」

 わずかに浮かんだ微笑は、いつもより少しだけ好戦的な匂いがした。



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