くて短い一日1

「ぽっぽぽっぽぽっぽぽっぽ」

 美恵はその声に、ふぅっと意識を取り戻した。
 といっても、彼女は眠っていただけである。

「・・・ん・・・・・・?」

 ゴシゴシと目をこすり、

「ふぁぁあああああぁぁ」

 大きな欠伸をしつつからだを伸ばして、やっとそれに気づいた。

「ぽっぽぽっぽぽっぽぽっぽぽっぽ」
「―――――!?」

 大きなふわふわでもこもこの毛玉が、美恵の上で飛び跳ねている。

「ぽっぽぽっぽぽっぽぽっぽ」

 なんだかとっても嬉しそうだ。何が起こっているのかわからない美恵の前で、今度はどこからともなく、美恵の大好きなピンク色をした、少し小さめのふわふわもこもこが、あらわれて、一緒になって飛び跳ね始めた。

「もっももっももっももっももっも」
「ぽっぽぽっぽぽっぽぽっぽぽっぽ」
「もっももっももっももっももっも」
「ぽっぽぽっぽぽっぽぽっぽぽっぽ」
「もっももっももっももっももっも」

 彼女はただあぜんと、その様子をみていた。
 な、なんなんだいったい。
 けれどもそれは本当にどこからどうみても、ふわふわでもこもこで、触ったら気持ちいいだろうなぁという衝動に駆られる物体だった。そこで美恵は思い切って行動に出た。

「――――――――ぽっぽ?」
「――――――――もっも?」

「きゃ〜気持ちいい〜♪」

 両手でぎゅぅっと抱きしめたのである。
 そのなかで、そのふわふわもこもこ達は、動きをとめて、美恵の手の中におさまった。
 観察するように、止まっている。
 美恵は頬ずりをする。
 本当にそれは心の底までしあわせになるような肌触りだった。
 やがて、そのふわふわもこもこは、お互いの様子を探りあうようにすると、ピョコンと美恵の腕の中から飛び出した。
 そして、ぷわぷわと浮きながら、美恵の目の前にきた。
 プルルンとからだをふるわせる。

「おいら、ぽぽ」

 自己紹介し始めた。

「あたち、もも」
「ももは、おいらの妹なんだ」
「ぽぽは、あたちの兄なのでちゅ」

 はあ・・・。
 なんと返事をしていいのか困る美恵の肩に、ぽぽとももは乗っかる。
 そして事もあろうに、こんなことをいった。

『マァマ』

 ―――――!?

 美恵はビックリして、それがしゃべる不思議とか、それが生物かもしれない疑いをいっさいにどこかに投げ捨てて、説明した。

「あたしはあなたたちのママじゃないわよ!?」

 さすがに生んだ記憶はない。
 というか、すでに人間じゃないし。
 毛玉だし。
 いくら心当たりあっても、毛玉の子は生めないよなぁ・・。
 と、彼女は変に冷静に考えた。
 けれどもぽぽとももは首を傾げるようにすると(実際にはただの玉なので首なんてないのだが、美恵にはそうみえたのである。想像力の豊かなお嬢様だ。)

「マァマ」
「マァマ」

 と繰り返して、美恵の肩に乗っかるのである。彼女は困り果てたが、もともと心の優しい彼女は、むげに拒否も出来なかった。だいいち、かわいい。彼女はかわいいものが好きである。
 それでしばらく、させたいようにさせていると、今度は足音が近づいてきて、遠慮もなくドアが開いた。

「ぽぽ!もも!駄目じゃないか、勝手にいなくなっちゃ」

 美恵は、一瞬、見惚れた。
 うわ。かっこいい・・・・。
 そこにいたのは、黒髪の少年だった。
 大きな瞳は、闇のように深い漆黒、すっと通った鼻筋、ぽってりと厚みのある唇、ギリシア彫刻のように彫りの深い顔立ち、どこか野生的な感じのする浅黒の肌、胸のところに木のペンダントがぶらさがっていた。剣の形をしている。
 ぽぽとももは、その少年の肩へと飛び乗ると、その上でぽわんぽわんとはね出した。

「あはは。くすぐったい。やめろよ」

 そういって笑顔をみせる少年は、最初の印象をするりと脱ぎ捨て、優しく、ヤンチャ坊主といった感じで、美恵はなんだか安心した。うん、いい子みたい。
 そんな美恵の視線に、やがてその少年は気づき、大きな瞳を美恵へと向けた。
 じっと、みつめられる。
 観察されているような気がして、美恵は緊張した。
 な、なにいわれるんだろう・・・。
 そんな彼女に対し、その少年はにっこと笑うと、手を差し出した。

「はじめまして。あなたが美恵さんですね。僕はカルアといいます。ピーターから話は聞きました。彼が選んだ人なら間違いないです。どうぞよろしくお願いします、新しいお母さん」

 は、はいぃ?
 美恵は驚いて尋ね返す。

「お、お母さんって、あたしのことぉ!?」

 カルアは、おかしそうに笑う。

「何言ってるんですか、いまさら。ピーターの奥さんなら、僕たちのお母さんじゃないですか」
「・・・・あなたはピーターの息子なの?」

 そう聞くと、カルアは不思議そうな顔をする。

「どうやって彼が僕を産むんですか?」
「ち、違うわよ、産むのはあなたのママでしょ」
「だってピーターの奥さんは、あなたが最初ですよ?」
「・・・・・・・でも彼にはとても大切な人が」

 そういうと、ああ、とカルアは少し視線を伏せた。
 そうすると、彼はどことなく近寄りがたいムードを持った。
 その浅黒の肌のせいだろうか、彼の持つ雰囲気は野生動物のそれに似ている。

「彼女のことは・・・・・残念ですけど、でもそこから立ち直って彼があなたを選んだのなら、僕は構いませんし、あなたを歓迎します。ティナはすごく彼を慕ってるから最初はうまくいかないと思いますが、でも最初だけだと思いますよ。あの人はなんでも長続きしないから」
「おい、失礼なことを言うな!」

 そのとき、ドアがギィっと開いて、もうひとり、違った少年が姿をみせた。
 真昼の太陽のような金の髪、瞳は青、薄い唇。
 カルアとはうってかわった、白皙の美貌、人形のように整った顔立ちは、どこか冷たい印象を与えたが、いまはわずかに頬に赤味がさし、その切れ長の瞳に剣呑な光が浮かんで、カルアをにらんでいた。

「キルト?・・・早いな」
「バカ、彼女の悪口を言われて、黙って寝てられるかよ」
「それで起きたのか?地獄耳だな」

 ハハンとからかうように笑ったカルアに、キルトの不機嫌さは増す。

「君にそんなことをいわれる筋合いはないね。オレがいつ起きようが関係ないだろ」

 言い返せば、相手は一枚上手のようだった。
 カルアは、ニヤッと笑うと

「あいにくとそうでもないんだなァ、キルト君。今朝は大切な新家族のおもてなしをすることになったんで、おまえを起こしに行こうとしてたところだったのさ」

 もっともな理由を披露する。だがさすがに、キルトも黙っちゃいなかった。
 その目により冷ややかな光を浮かべると、興味ないといったようにさめた目つきをする。

「フン、家族なんて知るか。オレは起きたい時に起きる。誰にも邪魔なんてさせないね」
「あらら。お客様の前で失礼なこと言うね、おまえ」
「キャクぅ?」

 嫌味に語尾を延ばしたキルトを気にする様子もなく、カルアは面白いことがはじまりそうだと期待に胸をわくわくさせて、美恵を紹介した。

「こちらが、今日から新しい家族だよ。美恵さんっていうんだ。僕たちの新しいお母さん」

 ふたりの会話をきいていた美恵は、とっさに言葉が出てこなくて、変わりにキルトと呼ばれる少年をみつめた。
 うう、なんかこの子、ちょっと苦手かも・・・。
 そんな彼女の心の声が届いたのか、キルトはじぃっと美恵を見つめ返した。
 ダーク・ブルーの瞳が、突き刺すように美恵を見据える。
 恐いくらい冴えた瞳、けれどもやがて彼はふっとそれを緩ませると、すっと胸に手をあて優雅に一礼した。

「はじめまして、レディ。キルトと申します。どうぞよろしく」

 美恵は、その態度に驚いた。絶対非難されると、なぜか思い込んでいたのだ。
 それでつられて、こちらこそ、といおうとして、彼の瞳が自分ではなくその後ろをみていることに気づいた。
 え?

「おはようございます、ピーター、ティナ」

 みるといつの間に来ていたのか、和矢とティナが立っている。もちろん美恵は、ティナを知らない。

「かず・・・ピーター・・・・その人・・・だぁれ・・・」

 内心、穏やかではない。
 いつのまにそんな綺麗な人と知り合ったのよ!!
 油断も隙もない、と思いつつ、彼女は新たなライバル登場の予感に燃えた。
 それはティナにしても同じだったらしく、彼女は兄の手に腕をまわすと、みせるけるようにしてほほえんだ。

「はじめまして、美恵さん。私ピーターの妹のティナと申します。なんでも聞いてくださいね」

 あんたなんか、あたしに聞かなきゃこの家で何もできないのよ、
 と、その優越感に満ちた目が告げていた。
 いい度胸じゃないの。
 受けてたってやるわ。
 美恵は、和矢の反対側の腕に自分の腕をまわすと、これは私のものよといわんばかりにほほえんだ。

「あら、ピーターにこんな可愛らしい妹さんがいらっしゃるなんて知らなかったわ」

 そういえば、クス、とティナは笑う。

「ああら。それは驚いたこと。彼のこと、何も知らないのねぇ」
「必要ないですから。私は彼という人のことを、誰よりよく知ってるんですもの」
「なんですってぇ?」
「そっちこそ」

 そうしてふたりは見つめあい、もといにらみあい、犬猿の火蓋はきって落とされたのだった。
 当の本人の和矢はといえば、女性ふたりに挟まれて、

 オレ、なにやってんだろ・・・・こんなとこ、あいつに見られたら馬鹿にされるな・・・

 と、苦笑しつつため息をつくのだった。
 そして彼の肩の上で、ぽぽとももは事態をまったく無視して、やたら嬉しそうに飛び跳ねていた。

「ぽっぽぽっぽぽっぽぽっぽぽっぽぽっぽ」
「もっももっももっももっももっも」


「・・・・・・・・・・・・はああ」





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