の夜の不思議1

「・・つきさん、なつきさん」

 からだを揺すられて、彼女はぼんやりと目を開けた。

「あ、れ・・・」
「疲れてるんですよ。部屋で休んで下さい。僕ひとりで大丈夫ですから」

 いつのまに眠ってしまったのか。
 みればまだ、マリウスの手は握られたままだった。
 彼女は、首を振る。

「大丈夫よ」
「嘘です」

 きっぱりとアンドリューは言って、まっすぐになつきをみた。

「もしこれで今度なつきさんが倒れでもしたら、美女丸さんに、それみたことかっていわれますよ」

 なつきは言葉を返せない。たしかに無理をしている自覚はあった。
 それでも・・・彼のもとにいたかったのだ。不思議に目が離せない、この少年のもとに。

「じゃあ、少しだけ仮眠を取ってください。それだけでも違いますから」
「・・・・了解。あなたの言う通りにするわ」

 不思議とアンドリューの言葉を聞く気になった。
 なぜだろう。もしここに美女丸がいたら、何を言われてもここへ残っただろうに。
 そう自分でも思って、おかしかった。自然と、笑みがこぼれる。

「え」

 アンドリューが驚いたようになつきをみた。

「どうしたんですか」
「ん。君は素直でいい子だなって、思ってたところ」

 そういうとアンドリューは、わずかに顔を赤らめた。
 男性というよりはまだ少年、けれども見た目よりずっと、彼は大人だ。

「なつきさんこそ」

 そういってアンドリューは、ニコッと、笑った。

「素敵な女性ですよ」

 照れもなくそういってしまえる彼は、間違いなくフランス人だ、と、彼女は納得した。

「大人の女性をからかうもんじゃないわ」
「まさか!」

 大仰にアンドリューは驚いてみせ、ふたり同時に笑い出す。

「おっと。静かにしてないとね。じゃあちょっと部屋に戻るね。彼のことよろしく」

 アンドリューはポンと胸をたたいた。

「任せてよ」
「お。頼もしい」

 申し訳なく思いつつ、マリウスの手を外す。それをアンドリューが変わりに握った。

「僕、女じゃないけど…」
「関係ないわ」

 なつきはしっとりとほほえんだ。

「その子を想っていれば、母であろうと父であろうと、男でも女でも同じことよ。
 思いの強さにどうして男女差があるっていうの。そういうのは、差別っていうのよ」

 アンドリューは、少しだけ、さびしそうな顔になる。

「けどやっぱり、ママンは、特別って気がするな」
「・・・かもね。男の子の母親を慕う気持ちって、たしかに強い気がするし」
「生まれて最初に出会う異性だもの。何かで聞いたけど、男の子は母親に最初に恋をするんだ。
 彼女が自分ひとりのものだと勘違いして、父親のものだって、わからない。
 でもだんだんそれがわかってくるようになるんだって。彼女が自分のものじゃないって」
「へぇ。興味深い話ね。逆もまたしかりかしら。母親だって、愛する人に似た子供だもの。
 まるで分身のように息子に愛を注いでしまうわ。溺愛っていわれるくらいにね。
 きっと息子が恋人を作って、はじめて子供離れできるんじゃないかしら。
 ああ、この子はあたしの彼じゃなかったんだって」

 いって、なつきは笑った。

「何の話してるんだろうね、あたしたち」

 つられて、リューもクスッと笑う。

「ほんとうだ」

 なつきは大きな欠伸をかみ殺すことができなかった。

「・・ごめん、本当に眠いみたい」
「ゆっくり休んで下さい。もうすぐ、美女丸さんも来ると思いますし」
「あなたも・・・ちゃんと交代して眠るのよ」

 それには答えず、アンドリューはほほえんだ。

「おやすみなさい」
「・・・おやすみ」

 なつきは苦笑すると、こりゃあ離れないかもね、と思いつつ、その部屋をあとにした。







-OtherSide



「壮絶な夜だわね」


 ひとりの女性が、基地の近くを散歩していた。
 人を待っている。大切な人だ。
 夜が空一杯に広がっていた。
 それを空と呼んでいいのなら。

「彼はなにをしに行ったんだい?」
「ん・・・大切な人を助けにね」
「そう…。彼にも大切な人がいるんだね。わかるよ。いつも心配でたまらない気持ち」

 彼女は、少し首を傾げた。

「んー。そう、なんだけど、なんていうかな、あなたみたく素直にそんなこと言いやしないわ」
「そうだね。たしかにそういう雰囲気を感じるよ」

 彼は初対面の彼の印象を思い出す。
 冷ややかな眼差しは、冬の湖を思わせた。
 冴えた青灰の瞳。

「おまえは何者だ?」

 そういった口調は、感情を感じさせない、機械のような無機的な音だった。
 わずかに含む緊張を、彼は感じ取れない。けれどもその場にいた彼女は
 彼の言葉に驚いていた。だれ? どうみたって、和矢じゃない。

「僕は、ピーターだ」

 そういって驚いたのは、彼女ひとりだった。
 彼はすぐに事情を理解した。
 カズヤの知り合いに違いないと。
 それでいて、一目で別人だと見破った鋭さに恐れ入った。
 そうして彼はカズヤや美恵に会った事をふたりに話したのだった。
 それぞれ自己紹介をする。

「シャルル・ドゥ・アルディだ。シャルルでいい」
「あたしは、まあ一応、ルイって呼んで」

 ピーターはそれまでの事情を説明した。
 この世界に起こったことすべて。
 それをシャルルとルイは黙って聞いていたが
 やがてシャルルが、ぽつりとつぶやいた。

「・・・おかしいな」

 何が、と問い返しても、彼はまったく反応を示さず、自分の思考の中に入りきってしまっている。
 こうなってしまっては、もう何を言っても無駄だとルイは知っていたので、黙ってみていた。

 夕暮れ時、朱の光が一粒の涙のように空の端に零れ落ちた。
 その光を反射して、彼の白皙の頬がわずかに染まる。
 そんな彼は奇蹟のように美しく、同時に、夢のように儚かった。








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