「ん・・・・」
ふぅっと意識が訪れた。
和矢はシャルルと違って早起きだ。
だれに起こされることもなく自然に目が覚める。
彼はゆっくりとまぶたを持ち上げて、まばたきをした。
視界に見慣れない天井が映る。
ここは・・・・。
思い出そうとして再び目を閉じた。
そしてやがて、思い出した。
ああ、あのまま寝ちまったんだ。
苦笑しつつ、彼女を起こさないようにゆっくりと身を起こそうとして、そのときはじめて和矢は自分が置かれている状況に気づいた。
「―――――!?」
彼のふとんには彼ひとりではなかった。
訪問者が2名いる。
ひとりは、上のベッドに寝ていたはずの美恵。
ベットがひとつしかないので(当たり前だが)彼女に譲ったのだ。
それなのに、なんで・・・・。
いや、それもかなりの大問題だったが、それ以上にもっと大きな問題があった。
反対側の少女である。
彼の方を向いてすーすーと気持ち良さそうに寝息をたてている。
和矢はちょうどふたりに挟まれるような形で眠っていたのだが、気づかなかったのは彼がよほど深い眠りについていたからだろう。
それくらい、疲れていたのだ。責められはしない。
だからといって、この現状を容認するほど彼は悟りを開いてはいなかった。
なんなんだいったい!?
常識というものがこの世の中にあるのなら、いったいどうして男の布団に潜り込んでくるなんてことがあるのだろう。
いや、そんな馬鹿なことはない。なにか誤解しているんだオレは・・・。
かわいそうに、和矢はさわやかな寝起きを満喫することはできなかった。
とにかく一刻でも早くこの状況を逃れようと彼はふたりを起こさないように静かに立ち上がり、近くに置いてあった着替えに手を伸ばした。
今の彼の服装は、肌触りの良い寝巻きである。
これはピーターの服であったが、和矢にちょうど良かった。
ちょうどシルクに似た光沢を放っていて、素肌にとても気持ち良い素材だった。
彼は無造作にその寝巻きを脱いで、自分の服を着ようとし、ふと、動きを止めた。
いつのまに起きていたのか、彼の隣で眠っていたはずの少女が、じぃっと彼をみつめている。
あまりに遠慮のないその凝視に、和矢まで彼女をみつめ返していた。
瞳に力がある。
その少女の瞳の色は翡翠のように美しい緑。
肌は抜けるように白い。唇は薔薇の蕾のように愛らしく、顔全体、造作の整った少女だった。
つまり、かなりの美少女だった。
だが和矢は、幸運かどうかは知らないが、美少女というものを見慣れていた。
基本的に彼の妹もかなり可愛いし、なにより親友が、小さな頃からその辺の女など目じゃないくらいの美少女ぶりを発揮していたのだ。よって、彼の名誉のために言っておくと、ここで彼が彼女をみつめ返したのは、決してその美しさに見惚れたためではなかった。
そして、しばらくその奇妙なみつめあいが続いた後、ぼそっとその少女がいった。
「なにその服・・・・」
和矢は着ようとしていた服を見る。別にふつうの服である。
けれどもその少女は不審そうにその服をみていた。
「だれもそんな変な服着ないよ。趣味を疑うわ、お兄ちゃん」
お兄ちゃん!?
そのとき、和矢はようやく状況を理解した。
ピーターの妹か!
それでやっと肩の力が抜ける。
和矢は視線をあわせるように屈むと、前もって彼に聞いていた名前を口にした。
「おはよう、ティナ」
その少女は、まじまじと和矢を見返した。
「お兄ちゃん、変」
和矢はギクッとしたが、それを顔には出さずにほほえんだ。
「いつもと同じだろう?」
「そんな服はお兄ちゃんの趣味じゃないわ。それにティナって呼び方がいつもと微妙に違うもの。それにその瞳があたしをちゃんとみてないわ。それにそれに」
そうして少女は幾つもおかしな点をあげていく。
それを聞きながら、和矢は内心で冷や汗を浮かべていた。
これはどうも、かなり鋭い少女のようだ。
仮にも血の繋がっている実の妹を騙せるだろうか?
いや、それよりも、騙す必要があるのだろうか?
和矢にはそれが疑問だった。
少女はまくしたてるようにいつもと違うお兄ちゃんを主張し続け、最後にふっと口を閉ざすと、敵意すらこめた視線を、いっこうに起きる気配のない女性へと向けた。
「・・・その人、だれ」
一気に空気が重くなる。まるで修羅場のようだ。
和矢はピーターから、妹がいるということは聞かされていたが、彼曰く「素直ないい子」だそうで、それ以上のどんな情報も与えられてはいなかった。
「・・・いままであたしたちに散々心配させたあげく、新しい女を連れてきたなんていわないでよお兄ちゃん。どうしちゃったのよ!?本当にものすごくおかしいわ。いったいあたしもポポもモモもカルアもキルトもどれだけ心配したと思ってるのよ!」
そういった少女の翡翠色の瞳から大粒の涙が幾つもこぼれ落ちた。
「お兄ちゃんのばかばかばかばかばかぁ!」
ぎゅむっと抱きつかれて、和矢は一瞬事態を把握できなかったが、彼女の濡れた頬を肌に感じ、ああ、寂しかったんだな、と気づいた。
突然兄が姿を消して、彼女はひとりでここを切り盛りしていたに違いない。
気丈に振る舞っていたけれど、本当は寂しくて寂しくて仕方がなかったのだ。
それで昨夜も、兄が戻ってきたことに驚きつつ、彼が眠っていたから、起こすのを遠慮して、でもひとりじゃ寂しくて、布団にもぐりこんでしまったのだろう。
和矢は胸がシクンと痛んで、思わず彼女を抱きしめ返した。
本当の妹だと思って、心から彼女に詫びた。
「ごめん、ごめん、ティナ。もうひとりにしないから。だから泣かないで」
少女は涙をいっぱいためた瞳で兄を見上げ、そこにいつもと変わらない兄のほほえみをみつけて安心した。
ああ、お兄ちゃんだ、本当にお兄ちゃんだ。
それが嬉しくて、彼女はますます兄に抱きついた。
「約束だよ。もうティナを置いていかないで。2回も置いていかれるのは嫌だからね」
そうして身を預けてくるティナをみて、和矢は、はじめてピーターの心配していたことがわかった気がした。
彼が身代わりを頼んだわけ。
最後までこの地を離れることに決心がつかずにいた理由。
たぶんここには、彼を待ち望む人がいる。
彼を失って、ひとりになってしまう人がいる。
彼は選択を迫られ、それでもどちらかを選ぶことができずにいたに違いない。
それでも、そのままここにいることもできず、森へと足を踏み入れたのだ。
戻る気があるのか、ないのか、それさえ自分で決められずに、ただなにかに急かされるように、奪われたものを取り戻そうとして…。
「あれ、お兄ちゃん、少し痩せたみたい」
明るくなったティナの声に、ふっと和矢は我に返った。
そう言えば彼女はずっと彼に抱きついている。
「なんかこう・・・少し細いわ」
離れて、観察するように半裸の姿を見られては、和矢も気まずさを感じずにはいられなかった。
「あのさ・・オレ、その、服着ていいかな」
人のいい和矢は、そういって一応確認を取る。するとティナは、ちょっと待ってて、といって部屋を出て行き、すぐにどっさりと服をかかえて戻ってきた。
「その服、どこから持ってきたのか知らないけど、絶対駄目よ、似合わないわ。お兄ちゃんにはもっと柔らかい感じの色が似合うの。素材も柔らかめがいいなぁ・・・・これとかどう?」
「もしかして、これ、君の手造り?」
「何いってんの。当たり前じゃない。お兄ちゃんがいないあいだ、いっぱい作っちゃった」
そういってティナはニコッと笑った。
その姿に和矢は実の妹を重ねてみた。
服を作るのが好きで、わざわざ自分の服まで作ってくれる。
妹って、みんなこんな感じなんだろうか。
和矢はますます彼女に親近感を抱いた。
実の妹のようにさえ思えてくる。
「ティナ」
「なに?」
ふっと顔をあげた彼女に、和矢は心からの笑顔を向けた。
「サンキューな」
ティナは一瞬、ドキッとした。
実の兄なのに、なんだか突然、違う人になったかのような錯覚を覚えた。
彼女はもうずっと兄とふたりきりだったため、どこのだれよりも兄が好きだった。
けれどももちろんこの気持ちは、純粋な兄妹愛。
彼女はちゃんと、兄の恋人を認めている。
自分の方が絶対いい女だと自信はあったが、けれども兄の目は確かだと信じていたし、なにより心のきれいな女性だった。
その恋人が連れ去られても、兄の態度はあまり変わったようにはみえない。
少なくとも自分達の前では。
たぶん無理をしているのだろうと、ポポもモモもカルアもキルトもいっていたが、みんな何も言わなかった。できることならいつまでもこのままでいたかったのだ。もちろん彼女のことは皆好きだったけれど、突然現れて彼の心を奪ってしまった彼女に、ヤキモチという気持ちがないといえば、それは嘘だった。
みんな複雑だ。でも大切なのは、やっぱり彼が幸せなこと。
それで彼が突然姿を消したときも、どこかでそうなるんじゃないかと思っていたことに気づかされただけだった。心配はしたけれど、それはだれの心配だったのだろう。
ひとり姿を消した彼を心配したのか、残された自分達を哀れんだのか。
でも彼はこうして戻ってきた。
だからもう心配はいらない。
彼女のことはかわいそうだけれど、きっとまたいい人があわられるわ。
そう強引に結論づけ、ティナは頷いた。
が、ひとつ肝心の問題を忘れていたことに気づいた。
「ねえ、お兄ちゃん」
「ん?」
そのとき和矢は、彼女の作った緑の衣装を身に纏っていた。
縄のようなもので腰を縛る。光沢のある素材が彼の引き締まったしなやかな肌によく似合っていた。
うん、さすがお兄ちゃん。
ティナは満足げに兄をみつめる。
そうしていると、兄のいなかった日々が思い出され、寂しさが突然込み上げてきた。
彼女は当初の問題も忘れ、甘えたような声を出す。
「今夜からまた一緒に寝てもいいよねぇ?」
和矢は何の話をしているのか分からない。
「昼寝でもするのか?」
「あはは。やだぁ、何言ってるのよ」
冗談だと思ったのか、可笑しそうに笑うと、ティナは和矢の腕に自分の腕を絡めるようにして顔を覗き込んだ。
「いままでだってエミリィと3人でよく寝てたじゃない。いいよね」
いいよねって・・・・。
和矢はとっさに返事が出ない。
「断っちゃ駄目だよ。いままでティナをひとりにしておいたんだから」
最後の切り札を出すようにそういうと、彼女は腕を離し、そのまま部屋から出て行こうとした。
あわてて和矢は呼び止める。
「ちょっと待って」
「ん?」
「君たちは・・・じゃなかった、えっとその、オレと君は、エミリィとそんなに一緒に寝ていたっけ?」
一瞬きょとんとして、ティナは吹き出した。
「今さら何を真剣な顔していうかと思えば。そりゃあエミリィとお兄ちゃんの仲の良さにはかなわないけど、あたしもエミリィもお兄ちゃんも仲良しでしょう?」
和矢はどう返事をしたらいいのかわからない。
「もう。あまり馬鹿な質問しないでよ」
「馬鹿な質問・・・・かな・・・」
「ご飯作ってくる。お兄ちゃんはもう少し休んでていいよ。きっと皆ビックリするだろうねぇ。楽しみだな」
嬉しそうにそういうティナだったが、そういえば、と、思い出したように付け足した。
「その人は、だぁれ?」
「・・・・・・・」
「まさか本当にお兄ちゃんのあたらしい恋人なの?」
嘘でしょ、と確認するかのように目を向けてくるティナに、和矢は一瞬緊張し、けれどもここでいわなければこの先言うチャンスもないだろうと覚悟を決め、ゆっくりと首を振った。
「違うよ」
「・・・やっぱり」
明らかに安堵のため息をつくティナに、そうじゃなくて・・・と、和矢は続けていった。
「奥さんだ。オレ達、結婚したんだ」
―――――――!!???
ティナの顔が驚愕に歪んだ。
その緊張感の中、美恵はやはり起きる気配も見せず、のんきに眠り続けていたのだった。
「嘘・・・・」
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