ぐはぐな心とからだ

 2日目の夜だった。
 美女丸達はその日朝から和矢や美恵、あるいはシャルル、ルイを探すために基地を離れ(便宜上、もといた場所をそう呼ぶことにする)探し回ったが、髪の毛一本ほどの手掛かりも発見することができなかった。
 それで再び日が暮れる前に基地へと戻ってきたのだが、全員一日中歩き回っていたせいで、疲れ果てているため、いつもの元気がない。
 美女丸はさすがに日頃鍛えているせいか、いつもと変わらず元気だったが、他のメンバーは疲労感を隠し様もなかった。
 なかでも明らかに顔色の悪かったのが、マリウスである。

「だいじょうぶかい?」

 リューもあまり元気とはいえなかったのだが、それでも(仮の)弟を労わるくらいの元気はあった。

「平気、です・・アンドリュー兄さん」
「そんなこといったって・・・」

 その言葉が嘘なのは、一目瞭然である。
 彼は途中から歩くのも困難になり、美女丸が彼を背負っていたのだが、それでも顔色は青ざめ、呼吸は荒かった。
 先に彼を連れて帰ろうと美女丸は提案したのだが、当の本人がそれを拒む。

「だいじょうぶです。僕のことは気にしないで下さい」

 その言葉を繰り返すばかりだ。その強情さは、みためのあどけない彼からは想像もつかないほどで、夏の空のように澄んだ瞳に強い光を浮かべ、彼はきっぱりと断言した。

「僕はだいじょうぶですから、はやく皆を探しましょう」

 結局その熱意に誰も逆らうことができず、捜索は続けられたのだった。
 もっといえば、彼は美女丸の背に乗ることさえ強行に拒んだのだが、そのときのなつきの言葉に、折れた。

「気持ちは分かるけど、冷静に考えてみればわかるでしょう。あなたがそのまま無理してひとりで歩いてペースダウンするのと、自分のわがままを抑えて彼におぶってもらうのと、この状況ではどちらが妥当な選択かしら?」

 その言葉にマリウスは、にらむようになつきをみたが、彼女が真っ向からその視線を受け止めると、クッと唇を噛んだ。

「・・・・わかりました」

 美女丸は何もいわず頷くと、マリウスを背に乗せた。

「ちょっと、なつきさん!」

 明美がむっとしたようになつきの肩をたたく。

「今の言い方って少しひどいわ。もうちょっと言葉を選ぶとかできるでしょう!?」

 彼女はマリウスとはライバルの関係にあったが(これもおかしな話だが)、どうも彼を嫌いにはなれず、それどころかやはり可愛い弟のように思えてしまうのだった。

「選んでも伝える内容は同じだったら、変に遠まわしな言葉を選ぶ方が酷ってものだわ」

 そういってなつきは苦笑する。彼女にしても、憎まれ役を好きで買って出たわけではない。

「でも・・・かわいそぉ・・・」

 ぼそっとつぶやいた明美に、なつきは小さく笑った。

「素直で優しい人ね、明美さんって」

 明美は、あっけにとられた。
 そんなことを言われたことなど、いままで一度もなかったのだ。実の兄にさえ。
 この人っていい人かもしれない。
 明美はマジマジとなつきをみた。
 彼女はまっすぐ前を向いていて、その横顔は知的な女性のものだった。
 細くて長い首がショートの髪型によりいっそう強調され、どこか華奢な印象を与える。

「不思議な人ですよね」

 なつきをみていた明美に、NAOがそう声をかけた。明美は彼女から視線を動かさず、頷く。

「ほんと、いままで出会ったことのないタイプだわ」
「でも彼女も理事長ファンですよ」

 笑いながらNAOが言うと、明美はぎょっとしたようにNAOをみた。

「本当っ!?彼女もシャルルが好きなのぉ!?」
「はい。だって本人がいってましたもの」
「な、なんてこったい・・・」

 明美はたらっと冷や汗を流す。
 自分の想い人がやたらともてるのは知ってはいたが、最近とみにその傾向が激しくはないだろうかい。
 あの冷たさとか、意地悪さとか、性格の悪さとか、そういうものはもはや彼の欠点にはなっていないようである。それどころか、ただ優しいだけの男なんて、という声が、明美の知っている範囲でもかなり聞こえてくる始末だ。
 ・・・なにげにライバル多すぎ・・・・。
 これはなんとしてでも既成事実を作らなくては!
 と、とんでもないことを考えていた明美嬢だった。




「顔が赤いよ、マリウス」

 けれども事態はもう少しだけ深刻だった。
 なんとか基地へと戻ってきたマリウスの呼吸の荒さが、尋常ではない。
 だいじょうぶというのは、もはや彼の口癖になりつつあり、なんの信憑性もなかった。

「ちょっとこっち向いて」

 コツンと額をくっつけて、アンドリューは目を丸くした。

「すごい熱っ!」

 その声に、美女丸も手を伸ばす。たしかに、熱が高い。

「水とタオルを用意しろ。氷もだ」

 NAOと明美が同時に頷き、バスルームとキッチンへ駆け込んだ。
 美女丸はひょいとマリウスを抱えると、彼の部屋へと運ぶ。
 呼吸が、荒い。
 なつきとアンドリューも付き添った。

「ほんと・・・大丈夫ですから・・・僕のことは心配しないで・・・」

 寝かされてからも、マリウスはうわごとのようにそんな言葉を口にした。

「馬鹿ヤロウ。そんなからだで、心配しないわけがないだろう!」

 怒ったように美女丸が言うと、隣でアンドリューが唇に指を当てる。

「しっ。美女丸さん。駄目だよ、大声だしちゃ」
「・・・・すまん」

 彼は横を向くと、悔しさを噛みしめるようにぎゅっと目をつむった。
 自分のせいだと思えた。
 もっと無理やりにでも連れて帰れば良かった。
 マリウスの気持ちが分かったからこそ、無理に引き返そうとはしなかったのだが、そのせいで彼に無理をさせたのだ。結果、こうして彼は熱を出してしまった。
 もしあのとき引き返していればこんなことにはならなかったかもしれないのに・・・。
 そう思うとたまらない気がした。
 苦しそうなマリウスの呼吸が聞こえてくる。
 代われるものなら代わってやりたいと思わずにはいられない。

「マリウス・・・」

 彼は枕もとへと行き、さっきよりずっと苦しそうに呼吸を繰り返すマリウスへと呼びかけた。

「ごめんな、無理させちまって。オレにうつせよ。そして早く良くなってくれ」

 そのとき、ドアが内側へと開き、白い容器に大量の水と氷を入れたNAOと、タオルをどっさりかかえた明美が入ってきた。

「これで足りるかな」

 そのあまりの量に、美女丸は苦笑する。

「おまえ。そんなにどうする気だ。服でも作るのか?」

 すると明美は、はっとしたような顔をして、あり余るほどあったタオルを思い出した。

「そうだわ。美女兄、賢い!」

 そしてあっけにとられる美女丸に、手にしていたタオルを押し付けると、脱兎の如く部屋を出て行った。

「あいつ・・・どうしたんだ・・・」

 NAOは、さぁ、と首を傾げつつ、もっていた容器を近くのテーブルに置くと、タオルをその中へ入れ、じゃぶじゃぶ濡らした。
 十分に氷水を含ませ、軽く絞って、美女丸に渡す。

「サンキュ」

 それをマリウスの額にのせると、美女丸はかなしげに笑った。

「小さいな…」
「え?」

 NAOは一瞬聞き取れず、思わず声を出す。

「この子のからだ・・・ずっと背負ってたけど、軽かったんだ。ああ、まだ小さいんだって思ってさ、いまもこうしてみていると、頼りないくらいにちっこくて、ああ、まだ子供なんだって思い知らされる」

 ふっと笑って美女丸は、思い出すように目を細めた。

「けど、すごいよな。昼間みたいにああやって、自分の全部の力を懸けるようにして、意志を主張できるんだからさ。このちっこいからだのどこにあんなエネルギーがあるんだろうって思うよ。子供ってほんと、不思議だよ」
「この子の場合は、赤ちゃんなのよね・・・まだ」

 なつきがひとりごとのようにそういった。
 彼女はさっきから黙ったまま、マリウスの頭を撫でている。
 やさしくそっと触れるように。

「僕、今夜はずっとマリウスについてるよ」

 リューがこれだけは譲れないとでもいうように、押し付けるように言った。

「みんなはちゃんと休んでね。これ以上倒れたら大変だもの」

 美女丸が首を振る。

「オレがみてる。体力的にも君だって徹夜はつらいはずだ」
「平気だよ!僕はもう守られているだけの子供じゃないもの。だってシャルルに頼まれたのは僕なのに、こんなふうになっちゃって・・・・僕の責任だ!」

 叫ぶようにそういったリューが痛々しかった。
 美女丸は何かを言おうとしたが、リューの強い眼差しにぶつかり、そこに決して譲らないとする強い意志を感じて、ほっと息をつくと、参ったというように首を振った。良く似ている。本当の兄弟のように、このふたりは。
 けれども彼にしても同じ過ちを二度も繰り返す気はなかった。

「わかった。そこまで言うのなら、とりあえずはおまえに任せる、アンドリュー、だがこれで明日おまえにまで倒れられちゃたまらんからな、交代制にしよう。時間が来たら迎えに来る。そしたら交代だ。文句はないな」

 アンドリューは少し間をおいて、頷いた。

「ありがとう。美女丸さん」

 そのとき、なつきが、ひとりごとのようにいった。

「あたしもここにいるわ」

 一瞬、誰も反応ができなかった。
 なつきは視線をマリウスから離さないまま、つぶやくようにいう。

「ここにいるわ・・・。この子はまだ赤ちゃんよ。母親が恋しくて泣いてしまうもの」

 わずかに伏せられた瞳に、愛しさが浮かびあがって、彼女をマリウスに結びつけた。
 この突然の参戦に、男性陣は何も言えない。

「・・今日一日中歩いて、からだは大丈夫なのか?」

 かろうじて美女丸がそういうと、なつきは軽く笑った。

「知らないわ。そんなこと。でもこの子をみているのがいちばん安心できるの。
 このまま部屋に戻っても気になって眠れず、きっと寝不足よ。
 あたしは自分の気持ちに素直に行動してるだけ。他のことなんて、今はどうでもいい」
「ずいぶんと自分勝手だな」

 むっとして美女丸はなつきに視線を向けた。

「それで今度は君が倒れでもしたら、どう責任を取るつもりなんだ」
「それはお互い様でしょう。あなただって今日一日皆の指揮を取って、この子を背負って、だれより疲れているはずよ。違うとはいわせない。なのにアンドリューを心配して交代性なんて言い出して。あまり自分を過大評価しない方がいいんじゃないのかしら」
「なんだと・・・・」

 そうしてふたりは真正面からにらみあい、どちらも譲る気配をまったくみせずに冷戦に突入しかける。そのとき、マリウスが苦しそうな呼吸の合間、うわ言のようにつぶやいた。

「・・ママ・・・・・・・」

 そして無意識に手を伸ばしたマリウスの手を、なつきがそっと握ると、彼はふぅっと安心したように眠りに落ちた。なつきが勝ち誇ったように美女丸をみる。

「ここにいてもいいわよね」

 美女丸は悔しそうな顔をしたが、

「勝手にしろ」

 そう吐き捨てると、ジロッと視線をアンドリューに向けた。

「後で来る。マリウスを頼んだぞ」

 リューはビクッとしながらも、力強く頷いたが、とばっちりもいいところである。
 NAOは、自分はどうしたらいいのだろうと思い、行動を決めかねていたが、ドアに向かった美女丸に目で合図され、あわてて彼のあとを追った。どうやら来いという意味らしい。
 そしてバタンと扉を閉めると、NAOはようやくほっと息をついた。
 あー恐かった。
 けれどもまだ隣には美女丸がいて、彼女は何を言われるのかドキドキしていた。
 さすがにここで愛の告白を期待するほど、おめでたくはできていない。
 そんな彼女の前で、美女丸はチラッと腕にしていた時計を確認すると、ぼそっといった。

「君は睡眠時間が短い方か?」
「?」
「だから、あまり寝ないタイプか聞いてるんだ」

 NAOはあっけにとられつつ、頷いた。

「ええ。まあ一応は」
「だったら今18時40分だから、夜中の1時には起きれるか」
「大丈夫と思いますけど」

 それがどうしたんでしょうか?
 と聞く前に、美女丸は勝手に結論づけた。

「じゃあ1時に起こしに行く。ノックで起きるな?」

 勝手に進んでいく話に、NAOはついていけなかった。
 一体何の話をしているんだろうと思いつつ、もしや・・・逢引!?
 ずいぶんと古風な単語がNAOの脳裏をかすめる。
 若い男が人目を忍んで女のもとへいくとなれば、もうそれしかないではないか。
 まあ、若様ってば意外に積極的。
 でもわたしにはシャルルという心に決めた人が・・・
 と、すっかり舞い上がるNAOの耳に、美女丸の怒声が響いた。

「おい!人の話を聞いてるのか!?」
「え、ええ、大丈夫です。1時ですね。はい」

 とっさに頷いてNAOは、まあこれも運命ね、とやはり勝手に結論づけた。

「じゃあ頼む。たしかにあれくらいの子には母親が傍についてやるのがいちばんいいのかもしれんからな」

 ?
 母親、ですか?

「さっきはついカッとしたが、なつきの言うことも一理ある。オレだけより、君もいた方がいいと思うんだ。すまんな、つき合わせて」

 それでNAOは、彼の言いたいことを理解した。
 あ、そういうことね。
 同時に、あまりに都合のよい自分の解釈に赤面する。
 うっわー〜恥ずかしい!
 そうしてひとり顔を赤らめるNAOに、美女丸は怪訝そうな顔をした。

「熱でもあるのか?」

 NAOはあわてて首を振り、愛想笑いを浮かべると、お先に失礼しますという挨拶もそこそこに自分の部屋へと駆け込んだ。
 とてもじゃないが、美女丸の顔を凝視できなかった。





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