『―――ちょうどいい。全校生徒を講堂へ集めてくれ』
電話越しに聞く彼の声は、いつもと変わらず繊細で透明な響きを宿した。
「おい。ってことは、本気なのか!?」
『なぜオレが嘘をつく?』
笑いを含んだ、皮肉混じりの声。
『あまり疑り深いのは感心しないね、カズヤ』
「・・・おまえにそういわれちゃ、おしまいだよ」
参ったといったように首を振って、彼はほっと息をついた。
「で、生徒を講堂に呼べばいいんだな?」
その言葉に、あれ、と美恵が首を傾げた。
「いまはオケ部が練習中じゃないの?」
「それにもうすぐ午後の講義が始まるよ」
「――だそうだけど」
下らない、といった彼の言葉が、聞こえてくる。
『そんなのはどうとでもなるだろ。ま、オレはどうでもいいけどね。
修学旅行に関する情報を早く知りたいのなら、集めろ、無理にとは言わない。
忘れたなんていうなよ、聞いてきたのは、そちらだということを』
傲慢ともいえるその態度に、あきれるやら、苦笑するやら、反応は様々だったが
とりあえず和矢はうなずいた。
「ウィ、ムッシゥ。おまえの言う通りにするよ。午後の講義開始を30分遅らせる。以後、同様。
それでいいか」
『結構。では講堂で会おう』
満足そうな彼の声を余韻に、電話は切れた。
和矢は無造作にそれをポケットにしまうと、太陽越しに振り向いて、ニヤッと笑った。
「ということだ、皆さん、協力を頼む」
最初に頷いたのは、そんな彼をまぶしそうにみつめていた、美恵。
「まかせて。じゃああたしは放送室に行くわね」
言うが早いか、駆け出していく。感心してそれを眺めながら、あっきーは口を開いた。
「じゃああたしは、講堂にいって、オケ部に事情を伝えてあけてもらうよ。
ついでに案内してあげるけど、なつきとNAOちゃん、一緒にくる?」
ふたりは同時に頷いた。
「サンキュ。じゃあオレは」
「勿論、シャルルの補佐、ね」
意味ありげに言って、彼女は笑う。
「彼のご機嫌損ねちゃ、あっという間にご破算だもの。任務、重大よ」
和矢はやれやれと言った顔で、ほっと息をついた。参った、と顔に書いてある。
「オレはあいつの家来じゃないぜ。そうそうご機嫌ばっかり、とってられない」
「わかってるわよ」
そういって彼女は、クスッと笑った。
「家来じゃなくて、夫、だものね」
「バッ―――」
むっと赤くなる和矢をみて、何も知らない転入生のなつきとNAOは、なるほど、生徒会長は
理事長の夫なのか、と変に納得していた。
あっきーは満足そうにそんな彼に手を振ると、そんなふたりと一緒に、講堂へと向かった。
「人間、本当のこといわれると、うろたえるものなのよねぇ…」
「ね、理事長って、さっきの理事長よね!?」
たまらず、なつきが質問する。
「そうだよ。あとにも先にも、この学園の理事長はひとりだけ」
嬉しそうにそういう彼女に、NAOがほっと感嘆の息をもらした。
「すっごい素敵な人ですよね」
いやに思いのこもったその台詞に、あっきーは興味を覚えた。
「NAOちゃん、彼のファン?」
NAOはぱっと顔をあげた。
「はいっ」
「そっかぁ」
素直な反応が可愛かった。
「なつきも、さっき、気に入ったっていってたよね」
話題を振れば、今度は少し違った反応が返ってくる。
「そうね。興味をそそるタイプだわ。この人を暴いてみたいっていうような衝動と
触れないで見つめていたいって両極端のふたつの気持ちがあって、胸を震わせるの。
ドキドキするし、ワクワクするし、なによりゾクゾクする男性ね。
でもまずは、そういう先入観抜きで、本当の彼に触れてみたいって、思うかな」
その言葉に、NAOはドキッとした。
どうもさっき会った人といい、理事長に関わる人たちの想いは、半端じゃないようだ。
うーん、すごいことになりそう。しばらくは、様子見ってことで、大人しくしてようかな。
「・・ちゃん、NAOちゃん?」
突然、声をかけられて、彼女は驚いた。
気づくと目の前に、息を飲むような華やかな美貌の持ち主と、優しい雰囲気を身に纏った、屈託のない茶色の瞳が印象的の男性が、並んで立っていた。
それでますます、何が何だかわからなくなった。
実は彼女が考えにふけっている間、たまたま彼らが向こうからやってきたので、
せっかくだからとふたりを紹介し始めたのだが、彼女はついぞそのことに、気づかなかったらしい。
なつきを紹介している間も、彼女は理事長のことや、それをめぐる人たちのことを考えていて、
アンテナが外へと向かっていないようだった。
「え、え、えぇっっっと、あの・・・」
自分のおかれている状況がよく飲み込めていなかった彼女は、焦った。
取り繕うにも、先立つものがなければ、無理である。
それでもなんとかしようとした彼女は、とりあえず自己紹介をと思い、口を開いた。
「はじめまして、今度編入してきたNAOと申します」
ここまでは、良かった。が、それまでの思考が頭から消えず、ついつい、続けてしまった。
「理事長ファンですっ。彼を想う気持ちなら、誰にも負けない自信があります!」
結果、そこにいた者たちは、ビックリしてNAOを見つめ、その視線の前で彼女ははっと我に帰ったのだった。
きゃあっ、わたしってば、聞かれてもいないのになんてことをぉ・・・!!
だが彼らは、この学園でも1,2を争うほどやさしい人であったので、そんな彼女に対して
やさしくほほえむと、形のいい唇を開いて、いった。
「これは丁寧にありがとう。オレは、美馬貴司。いちお、テニス部部長。もとい生徒会役員だ。
困ったことがあったらなんでも言いにおいで」
そして隣にいた彼はといえば、人懐っこい茶色の瞳に笑いを含む。
「元気がいい子、大歓迎だよ。オレは芹沢一樹。美馬さんと同じ、生徒会役員。
部活は、バスケ。よろしく、NAOちゃん」
この対応に、NAOは感激した。こんなふうに言ってくれる人は、そうそういるものじゃない。
「なつきちゃんは、フランスにいたんだって?」
さりげなく話題を振る美馬に対し、なつきは好感を覚えた。
嬉しそうに笑って、答える。
「ええ。どうも縁があるみたいで。よかったら、今度案内するわ」
美馬は丁寧な感じのするほほえみを浮かべ、頷いた。
「ありがとう」
それであっきーは、ひっそりと彼女の耳に囁いた。
「あのね、美馬さんたちもね、よくフランスに行くのよ」
なつきはビックリして、彼を見返す。
「えっ?そうなの!?」
「そうなのって、何が?」
不思議そうに美馬が尋ね返す。なつきはいささかあきれ果てた。
「美馬さん、女の子に優しいのはいいですが、気を使いすぎだわ。
言ってくれればいいのに、案内される必要ないほど、自分も良く行くんだって」
そういうと美馬は苦笑した。その横で、イツキが、クスッと笑った。
「なつきさん。駄目ですよ、そんなふうにいっちゃ。それが美馬さんなんだから」
「え、そうなの?」
「こらイツキ、余計な口はさむんじゃない」
やさしくにらんで、美馬は、なつきに視線を戻すと、静かにほほえんだ。
「別に気を使ってるわけじゃないよ。本当に、ありがとうって思ったから、そういったんだ。
案内してくれるっていう君の気持ちが嬉しかったからね。それも、いけないことかい?」
言葉は静かで穏やかだった。けれども瞳には譲れないとでもいうような強い光が浮かんでいて、
なつきを驚かせた。変に感心してしまう。ここまで言い切れるのなら、たしかにこれが、「美馬さん」
なのだろう。そう思うと、彼の言う意味が良くわかるような気がした。
なつきはイツキの方を向き、軽くウィンクする。
「了解よ、イツキ君」
その意味がわかると、イツキはニコッと笑って頷いた。
「なんだい。ふたりで通じ合って。彼女が、妬くぜ」
からかうように笑う美馬に、イツキは余裕の微笑を返す。
「だったらいいんですけどね、ヤキモチは、愛情の裏返しですから」
「これは強気な発言だ。どう思う、あっきーちゃん」
話題を振られて、あっきーはクスッと意味ありげに、笑った。
「ノーコメントってことにしときます。いまは、ね」
なるほど、と美馬は頷いて、その言葉を繰り返した。
「いまは、ね」
この会話を聞いていたNAOは、イツキには彼女がいるのか、と納得した。
けれどもどちらかといえば、NAOは美馬の方に興味がある。
この人は、どうなのかしら・・・。
だがさすがに、初対面でそんなことを聞けるはずもなかった。
「これからね、講堂に行くところなの。たぶんもうすぐ放送があると思うんだけど」
そういったとき、タイミング良く、学園中のスピーカーから、聞きなれた音楽が流れ出した。
これは、連絡事項などの前に、皆の注意を引きつけるために流す音楽である。
そしてボリュームがしぼられ、間もなく美恵のよく通る声が流れた。
『全校生徒の皆さんに連絡します。生徒の皆さんは、すみやかに講堂にお集まりください。
繰り返します、全校生徒の皆さんは、直ちに講堂へお集まりください。
理事長より、修学旅行についてのご説明があるそうです――』
同じ内容が2回繰り返されて、それが終わると、どことなく学園中がざわめき始めた。
無理もない、修学旅行なんて、思ってもみなかったことだろう。
美馬とイツキも、その放送を聞いていたが、なんとはなしに顔を見合わせ、苦笑めいたほほえみを浮かべた。イツキに至っては降参のポーズを取っている。
さきほどの和矢と、そうは変わらないその態度に、なつきはやはり、疑問を抱いた。
「なんでそんなに不思議なの?あたしにしてみると、修学旅行に驚くあなたたちが、不思議なんだけど」
すると美馬は、ああ、とつぶやいて、わずかに目を細めた。
「別にそれが普通の修学旅行なら、オレ達も別に驚かないし、歓迎するよ。
けど、とてもそうは思えなくてね」
なつきは驚いた。
「なんで?」
「そりゃあ、シャルルがそんなことをするとは、思えないからだよ」
イツキが続けて、クスッと笑う。
「今回の旅行、きっと他の意味が隠されてると思うな」
「裏ってどんな?」
NAOがきょとんとしてそう訊くと、彼はさぁ、と首を傾げた。
「それがわかったら、裏じゃないから、まだなにもわからないけど・・・
それなりに、楽しめそうだ、ねえ、美馬さん」
美馬はくすりと笑う。
優しい感じのするほほえみの中に、潜む、強い意志がのぞいた。
「そうだね。何が起こるか、せいぜい楽しませてもらうとしよう」
あっきーはニコニコして、その言葉をきいていた。
みんながシャルルについて話すのを聞いているのは、それだけで、とても嬉しかった。
「よしっと。じゃあ、皆で講堂に行こう!」
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