人のふりみて我がふり気づけ

 そのあとで残りのメンバーがそれぞれ目を覚ました。
 順番としては、最初にNAOがぼんやりと目を開け、状況をよく理解していないのか、むくりと起き上がると突然正座をして手をついて

「おはようございます」

 と、丁寧な朝の挨拶をしていたかと思いきや、その横で明美が目を覚まし、目をこすりつつキョロキョロと周囲の様子を見回して一言

「ここどこ?」

 その視線をアンドリューに向けた。

「おはよう、アッキ」
「ん。ねえリュー、なんかみんなそろってるけど、どうしたの」
「どうって・・・」

 困るアンドリューに助け船を出したのは美女丸だった。

「修学旅行に来たんだろ」

 修学旅行・・・・・・そうだ!
 その言葉に明美はポンと手を打った。

「その通りよ!」
「・・・・・」

 嬉しそうにいう明美に、誰も返す言葉がなかった。

「でもなに。それにしては何もない部屋ねぇ。あら、それにシャルルがいないわ。美恵ちゃんも、ついでにお兄ちゃんもいないじゃない。あとルイ先生の姿がみえないし・・・」

 そこまでいって、明美の頭にはある図式が出来上がる。
 お兄ちゃんと美恵ちゃんがいないのは、まあいい。
 でもまてよ。ってことは、残る組み合わせって―――――。

「えええええええええ!?」

 ひとりで青くなったり赤くなったりする明美だった。
 美女丸はほっと息をつくと、つきあってられんといった顔で、けれども簡潔に状況を説明した。そういうところが、彼が彼であるゆえんであろう。

「和矢と美恵は外の様子を見に行った。そのあとシャルルが出て行き、気づけばルイがいなかったというわけだ。おまえに奇声を上げさせるような出来事は何もないから黙ってろ」

 ジロッとにらまれて、明美は一瞬だけひるむ。
 けれども免疫というのは恐ろしかった。なにしろシャルルの冷凍光線を何度も浴びている身である。彼女はすぐに態勢を整えると反論に移った。

「何もないって何よ。だって彼女がシャルルと一緒にいないってどうしていえるの。それにねぇ、何かあってからじゃ遅いのよ。そしたら奇声どころじゃすまないんだからね」

 美女丸は女のヒステリーは苦手である。同時に、感情的に耳元で叫ばれる真似も好きではなかった。ただでさえ気の長くない性格ではあるが、相手が気が知れている昔馴染みであればなおさらである。
 彼はうるさそうに耳をおさえる。

「あー。わかったわかったからもっと小さな声で話せ」

 そしてそのやる気のない返事が、さらに明美の気に触ったのだった。

「ちゃんと聞いてよ!!」
「だから聞いてるだろ!」

 もはやどっちもどっちである。
 と、傍観者であったリューは思ったが、口を挟むほど恐いもの知らずではなかった。
 実をいえば、ほとんど趣味のようなものだ。このふたりは兄と妹のような関係で、和矢がああいう性格であったため、美女丸の方がなんでも歯に絹きせない言い方をし、昔からよくケンカをしては仲直りという算段を繰り返していたのだった。

「おまえの言いたいことはわかったよ。じゃあなんだな、ひとりで心配してろよ」
「ひっどーい!もうちょっと言い方ってもんがあるでしょ!」
「だからさっきからいってるだろ。おまえが勝手に話を先に進めてるじゃないか」
「・・・だって・・・・」

 明美の表情がふにゃぁっと崩れそうになる。それをみて美女丸はしまったという顔をし、参ったと首を振ると、頭に手をかぶせて、グイッと自分の胸に押し当てた。

「なんだよ、おまえ。自分からいっといて・・・」
「だって・・・だって美女兄がぁ・・・・」
「ああ、悪かったよ。オレが悪かったから、ほら、元気出せ」
「・・・・・ん」

 それをみながら、リューはほっと息をついた。
 ふたりの言い争いが長く続かないのは、圧倒的な力の差以前に、いつも美女丸が途中でリタイアするからなのだ。

「彼らって、いつもあんな感じなんですか?」

 こそっと尋ねるNAOに、アンドリューはクスッと笑って答えた。

「よくわかんないけど、そうみたい。ずいぶんアッキ・・・アケミの性格知ってるみたいだもの、美女丸さん。それに、ちょっと似てるかもしれないし」
「似てる?ふたりが?」

 驚いたような顔をするNAOに、リューはしっと唇に人差し指をたてると、声を落としていった。

「聞かれたら、怒られるから、内緒ね。ふたりともさ、バカ正直で意地っぱりなんだ」
「・・・・はぁ」
「けど、心がとってもあったかい人たちなんだよ。ね、そう思わない?」

 こそっと視線を向ければ、そこには、弱ったといった顔で小さな女の子をなぐさめる不器用な少年の姿があった。切れ長の瞳がキツイ印象を与える、ふだんの風紀委員長は、いまはどこにもいない。そして、ぱっと見美少女で大人びた印象を与える生徒会長の愛妹は、少し甘えん坊の可愛い少女だった。
 見た目というものは、実はそれほど意味がない。心に残るのはもっと違った、その人のもつ雰囲気とか、表情とか、あるいはなにげない仕草だったり、滅多にみせない一瞬のスキだったりするのだから。
 NAOはその様子に、納得してうなずいた。表情がやさしくなるのが、自分でもわかった。

「そう・・・ですね。なんかとっても、あったかいです」
「でしょ。でも本人達は、案外気づいてないんだよね」

 おかしそうにそういうアンドリューに、NAOは心の中で首を振る。

 違います。
 それはお互い様でしょう。
 そんなふうにやさしく人をみつめられるあなたが、もっとすごいです。
 そしてきっと、そんな自分に、あなたは気づいていないんでしょうね。

「なんかいった?」
「いいえ。なんでも」

 じっと見つめていたら、突然視線が合ったのでNAOはとっさにふせてしまった。
 アンドリューはきょとんとしつつも、そう?といって、納得したような、しないような。

「あのふたりも無事仲直りしたみたいだし、他のふたりも起こした方がいいかな」
「そうですね」

 そういったとき、NAOの肩に手がのっかり

「もう起きてまーす」

 なつきがひょっこり顔をだした。

「おはようございます」

 にっこり笑ってそう挨拶をしたなつきに、NAOもリューも丁寧に挨拶を返した。

「あ、おはようございます」
「おはようございます」

 その素直な反応に、なつきは嬉しそうに目を細めた。
 可愛い。

「話は途中から聞こえてたんだけど。無責任な理事長様ねぇ」

 からかい半分でそういうと、リューはなぜか、まるで自分のことのように申し訳なさそうな顔をした。

「すみません・・・」
「あら。あなたが謝ることじゃないわ」

 なつきはそういって笑うと、それに、そうじゃなくっちゃね、とつぶやいた。

「なにが、そうじゃなくちゃなんですか?」

 生真面目に尋ねたNAOに、なつきは、あら、聞こえちゃった、といって、ふふっと笑った。それは見るものをドキッとさせるような、少しコケティッシュで、大人の女性にしかできない、そんな表情で、リューなどは顔を赤らめたほどだった。

「だって、彼、シャルルって呼ばせてもらうわね、シャルルみたいな人って、完璧主義っていうのかしら、なんでも自分ひとりでやってしまいたいタイプじゃない?でもそれは、他の人の手を借りるのが嫌いっていうよりは、むしろ自分でした方がはやくて無駄がないって感じで、行動するのも、他の人と一緒が嫌いというより、いちばん無駄の少ない道を選ぶと自然にそうなるっていう、ポジティブよりはむしろネガティブだと思うのよ。安全パイを取るっていうかね、傲慢よりは、細心の注意をいつもどこかで払ってるっていう気がするわ。だから私、ゾクゾクするくらい惹かれるのよ、そのギャップに。だってそうじゃない。ひとりで解決しようとするのは、それが誰にとってもいいからよ。今回だって、ひとりで出て行ったみたいだけれど、彼は決して自分のために動いていないんだもの。どこかちぐはぐでしょう。でもそれがすごいらしくって、あたしはいま、納得してるわけ」

 彼女の口から語られるシャルルは、とても有機的で、そこに彼を想像することができた。
 NAOはうっとりと脳裏に理事長の姿を思い描き、思ったことがそのまま、口をついて出た。

「攻撃は最大の防御じゃないんだわ・・・防御そのものが、彼には攻撃になっているみたい」

 なつきはかすかに笑った。

「そうね」
「違います!」

 突然上がった大声に、驚いてその方向をみれば、マリウスがまっすぐに彼女たちをみていた。
 深く澄んだ真っ青な瞳に、わずかに悔しそうな光を滲ませて。

「ひどいよ。勝手にシャルルを創り上げないで!彼はとても優しい人なんだ。強くて優しくて正しくて、彼はボクの憧れなんだよ。そうやって決め付けてしまわないで。少しもチグハグなんかじゃないでしょう。あんなにまっすぐな人を、ボクは他に知りません!」

 あぜんとする3人の前で、マリウスははぁはぁと息を切らせながら、それでも強い光を浮かべてにらむように彼女達をみすえた。
 NAOとなつきは顔を見合わせ、アンドリューはぼうぜんとマリウスを見つめ返す。
 けれどもやがて、3人は同時に笑い出した。
 マリウスはわけがわからず、それでも緊張をとかずに、まるで戦いを前にした戦士のように、からだじゅうを強張らせている。

「大丈夫だよ、マリウス。心配しないで」

 最初にそういったのは、アンドリューだった。
 安心させるように、ニコッと笑って頷く。

「そうだよね。シャルルは優しいよね。それは僕も彼女達もみんな知ってるんだよ。ただ表現方法が彼に似て多少素直じゃないだけで。僕たちはみんなシャルルの味方だ」
「・・・素直じゃないなんてこと、ありません」
「うん。あのね・・・」

 いったい彼がどんな接し方をしていたのか、アンドリューには想像ができない。
 シャルルはこの少年にとって、まるでヒーローのように映っているらしい。
 あのシャルルが、そんなふうにストレートに優しかったというのだろうか?
 まさか。
 皮肉をいうことはあっても、滅多に褒めることはないし、それが身内にしてもそうなのだから、この少年が何ものかは知らないけれど・・・・と、そこまで考えて、リューは思い出した。
 そうか。彼はまだ赤ちゃんみたいな存在だったんだ!
 いまはこんな見かけだからつい忘れてしまうけど、いくらシャルルだって、ろくに口もきけない子供に対して、皮肉も意地悪もないだろう。
 ああ、そうか。だから彼はシャルルの本当の姿を知らないんだ。
 けれども、納得がいったとはいえ、なんの解決にもならなかった。
 まさか「実はシャルルは意地悪でひねくれもので、辛辣な皮肉屋なんだよ」といったところで、信じてもらえるわけもなければ、そう説明する理由すら見当たらない。
 考え様によっては、どちらのシャルルが本当かなんて、誰にもわかるものではないのだ。
 うーん。なんて説明すればいいんだろう。とりあえず話をあわせておいた方がいいのかなぁ・・・。
 考え込むアンドリューの隣で、それまで黙ってマリウスをみていたなつきが、ゆっくりと口を開いた。

「ね、マリウス君、だっけ」
「はい」
「君はまだ小っちゃいからわかんないと思うんだけどね、だれか人がいて、その人に抱く印象なんて、百人いれば百通りあっていいわけよ。同じものをみても、きれいと思う人もいれば、思わない人もいるでしょう。それと同じことなの。だから、あなたがシャルルをどんなふうに思っててもいいし、それはあなたにとっての真実なんだから、大事に取っておけばいいわ。でもね、人に押し付けちゃ駄目よ。あなたにとってのシャルルと、あたしにとってのシャルル、あるいは彼にとって、彼女にとってのシャルルは、極端にいってしまえば違う人なんだから。そしてたぶん、シャルル自身にとってのシャルルもね」
「・・・・・・・」

 マリウスはじぃっとなつきをみた。
 なつきは表情も変えずに見つめ返した。
 やがてマリウスは、はぁっと息をつくと、その目に感嘆にも似た光を浮かべ、ニコッと、人懐っこい笑みを浮かべた。

「よくわからないけれど・・・ありがとうございます。きっとボクは、とても大事なことを聞いたんですよね。教えてくれたこと、感謝します」

 素直にいわれて、カァッとなつきの頬が赤くなる。

「いや。偉そうなこといっちゃって」
「ううん。嬉しいです。ちゃんと説明してくれて、それが、とっても嬉しいの」

 はにかむような笑顔は、みている者だれもが、ほほえみたくなるような魔法をもっていた。
 リューはマリウスにゆっくり近づくと、しゃがみこみ、いい子いい子するように頭をなでた。

「すごいぞ。マリウス。僕にも思いつかない言葉だったよ。きっと君は・・・とても愛されてきたんだね」

 その言葉に、マリウスは嬉しそうに頷く。

「ええ。母は僕をとても愛してくれてます。それにシャルルも。僕には父親がいないけれど、シャルルがいるから。彼もとても僕を愛してくれているんです」
「そっか。シャルルが・・・・うん。良かったね、マリウス」

 リューは少し悔しかったが、それは不条理な感情だと知っていたから、それには気づかないふりをしていった。

「じゃあね、覚えていてよ、そのシャルルが、彼の留守中に僕に君を頼んだんだ。だからなにか困ったこととかあったら、遠慮なく僕にいってね。僕も君が大切だよ、マリウス」

 マリウスはぱぁっと顔を輝かせる。

「本当!?」
「もちろん。いまから君は僕の弟だ」
「じゃあ、アンドリュー兄さんって呼んでもいいですか?」

 その言葉に、今度はリューが嬉しそうな顔をした。
 彼は末ッ子だったので、兄さんなどと呼ばれたことはなかったのだ。

「もちろん!」
「うわぁ。嬉しいなぁ」

 素直に喜ぶマリウスをみて、リューはますます心に誓う。
 これからはシャルルに代わって僕がこの子を守るんだ、と。

「おやまあ、すごい展開になってきたわね」

 美女丸と和解の成立し終えた明美が、首をつっこんできた。
 そして成り行きを見て取ると、エヘンと胸を張っていった。

「じゃあ、あたしのことは明美姉さんって呼んでいいわよ。あたしとリューは兄妹みたいなもんだから」

 リューはぎょっとする。

「アッキ・・・いったい何を」
「いいじゃない。あたしもこんな可愛い弟が欲しいわ」

 言って明美は、ニコッと、天使のようなほほえみを浮かべる。

「ね、マリウス君。あたしはシャルルとも仲良しなのよ。っていうか、将来彼の奥さんになる予定だし。ってことで、あたしたちも仲良くしましょう」

 そうして手を差し出したのだが、それまでニコニコしていてマリウスの顔から、すぅっとほほえみが消えた。

「・・・マリウス・・?」
「あなたじゃ駄目です」
「え?」
「シャルルの奥さんは、もう決まってるんです」

 一瞬の間があった。それはとても恐い間だった。
 そして凍りついた時間の後で、マリウスはごく当然のことのように冷ややかに言い放ったのだった。

「彼は僕の母と結婚して、ずっと一緒に暮らすんです。邪魔しないで下さい」

 ファザコン?
 いや、父じゃないのだから・・・。
 それにしても、もしここに和矢か美恵がいたら、いっただろう。
 確かにマリウスはシャルルの弟だと。
 それくらい、このときのマリウスの冷たい表情は、シャルルにそっくりだったのだから。



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