<<美恵の一人称>>
うわぁ・・・・。
あたし、なんかすごくない?
だって和矢の腕の中にいるよ。
それにシャルルが立ってるし、彼の腕にいるのは、マリウス君だ。
なんか眠ってるみたい。
でもあたしも、意識あるはずなのに、からだも動かせないし声も出ないや。
おっかしいなぁ。ちゃんと、見えるのに。
見えるといえば、でも変なのよね。
その外側が、まるで宇宙の果てのように何もなくて、なのにグルグル回ってるの。
なにもないのに何かが回ってるなんて、自分でもおかしな表現だと思うんだけど、でも回ってるんだもん。いろんな色の光がさ。赤とか青とかだけじゃなくて、いままでみたこともないぐちゃぐちゃの色だったり、あるいはきれいなモノトーンだったり、時々星が散ったり、闇が生まれたり、時間が弾んだりして。
和矢、なんか真剣な顔してる。
シャルルはいつもと変わらないかな。
どこか斜に構えたような。
まるで自分は違う世界にいるって誇張するかのような、距離を置く青灰の色。
あたし、時々思うんだよね。
この人本当に、ちゃんと孤独なんだろうかって。
そんなこといったら、数多い理事長ファンに殺されかれないんだけど、でも、思うんだよ、シャルルの孤独って、たしかに彼の望みに反して生まれるんだろうけれど、でも彼自身がそれを望んで、その中で安心しているんじゃないかって。
気づいたらひとりだったっていうのが、不安で、それを避けるために無意識に、彼は孤独を好んでいるような気がするよ。だから平気。どこかでちゃんと受け入れている。かなしいけれどわかってる。彼は自分の弱さを知っている人間なんだと思うんだよ。
そしてね、反対に、和矢はひとりじゃない状況にいるから、かえって独りぼっちなんだと思う。
シャルルの独りは能動的。和矢のは受動的。でも和矢はシャルルと違う意味で強い人だから、だれにも頼れなくて、だれにも心を預けられなくて、自分自身にさえ心を預けられなくて、彼の心はいつでも風に流される。捕まえる人がいない。だれにも捕まえて欲しくないって、思ってる。でもそれは嘘だって、彼は気づいているのかな。
二人の間に入り込むなんて、あたしにはできないんだ。
そんなの無理だって、とっくに知ってるもん。
いまだってふたりにしかわからない話をして、和矢、あたしを抱きかかえながら、ちっともこっちをみないでシャルルと話してる。思えばあたし、いっつも和矢の横顔ばかりみてる気がするよ。でもね、時々ふっとあなたが正面からあたしをみると、あたしは息が止まりそうになるんだよ。呼吸するのも忘れて、その黒い瞳に吸い込まれてしまうの。
優しさなんていらないんだよ。あたしは贅沢なの。冷たくされれば悲しいけどね、優しくされると切ないの。優しさはあなたの心の隙間なんだよ、和矢。だからそこに風が流れていってね、あなたの心を持って行っちゃうの。そんなふうに思ってるなんて、あなたはきっと夢にも思わないんだろうけどね。
「いつもそうだよな、おまえはさ」
少し拗ねたような怒ったような、珍しい、感情的な和矢の声だった。
「なんでもひとりでやっちまう。オレ達が知らされるのは常に解決後だ」
彼の表情がこの姿勢じゃ見えない。でもあたしにはわかる。彼は悔しいんだ。
「生憎とひとりでやっちまえるもんでね」
ほほえんで、シャルルはそういったけれど、彼の瞳にわずかな緊張が浮かんでいた。
「誰の助けも必要ない」
「・・・嘘つき」
あたしは目を瞑る。その方が彼の表情がみえるような気がした。
きっとにらむように見据えている。シャルルのこと。
少し妬ましい、シャルルが。こんなふうに和矢を感情的にさせられる人は多くないもの。
「だったら最初からおまえはひとりでやっただろ。オレ達を巻き込むことなんてしなかったはずだ。なのにそうしたってのは、おまえが判断を下したんだ。自分ひとりでは無理だってさ。それはよっぽどのことじゃないのか」
うっすらを目をあけると、シャルルはまっすぐに和矢をみていた。
わずかに頬を歪めるようにして、その様子は怯えているようにもみえた。
やがてシャルルはゆっくりと口を開いた。
「失うことには慣れている。いまさら恐れるものなど何もない。そう思っていた。実際、いまでもそう思っている・・・自分に関してはね。けれどもこの子には何も失って欲しくはないんだ。望むままに自由に生きて欲しい。オレはそれをみていたい。オレの手にできなかったものを、彼に与えてやりたい。そのためなら何でもする。たとえば誰かを騙すことも。だれかを犠牲にしても構わない。カズヤ、たとえそれが君だとしてもだ」
ビクッと和矢が震えたのがわかった。
シャルルは苦しそうにみえた。けれども彼の瞳は冷静さを保っていて
あえて線を引こうとしている。それがあたしにはわかったし、たぶん和矢にもわかったんだと思う。
だって彼はそんなシャルルの肩を優しくたたくと、ささやくようにいったんだもの。
「いいさ、おまえの好きにしろよ」
あたしはその言葉を聞きながら、ああ、和矢だって、思った。
おかしいね。そんな彼の優しさがあたしはかなしかったのに、でもそういわないとここにいるのが和矢じゃないような気がして、そういった彼に安心さえしていたんだから。
「けど勘違いはするなよ。これから何があるかわかんないけど、犠牲だなんて思わないし、騙されたとも思いやしない。一緒に来たのはオレの意志だよ。他の皆だって同じだろ。だれもお前の思うほど、お前の思い通りに動いたりなんてしないぜ、シャルル。少し過大評価だな。人は意志で行動する生き物なんだろ。だったらすべての責任を自分で持とうなんて考えるな。皆それなりに大人だ。自分の責任は自分で取るさ。おまえはおまえのしたいことを、おまえ自身の責任においてすればいい。オレにできることなら手伝うからさ」
あたしは泣いてしまいそうで、あわてて何度も瞬きした。
なんだか見つかったらいけない気がして。
決して盗み見とかしてる気はないんだけど、なんとなく、入ってはいけない雰囲気があって、悔しかったけど、でも不思議に心があたたかくて、とても幸せな気持ちだった。
「けどひとつ教えて欲しいな。そんなに大事なマリウスって、おまえの何?」
シャルルは黙って彼の言葉を聞いていたけれど、その質問に視線を伏せると、腕の中に眠るマリウスをみた。
「・・・弟だ」
一瞬間があって、ふっと空気が緩んだ。
「ああ・・・だと思った」
「彼は知らない。一生言うつもりもない」
「カゴの中には入れたくないって?」
「それもある」
あたしは自分の直感があたったことに驚きながら、次第に優しくなるシャルルの表情に見惚れていた。だってそのときのシャルルは、いままでみたどんな彼よりも穏やかで、慈愛に満ちたほほえみを浮かべていたから。まるで聖母マリアのように。
けれどもやがて彼はふぅっとそのほほえみを消し、瞳には哀しみが滲んでいた。
「彼が生まれたばかりの頃、アデリーヌ…彼の母親がいったんだ。子供はアルディの名を背負っていない方が幸せになれる気がすると。たしかにその通りだろう。だからオレは、そのとき決めたんだ。生涯この子に兄と名乗り出ることはしないと。アルディの名から彼を守ろうとね。それが兄として弟にできる最大の贈り物だと思って、アデリーヌの知人と称し、いままで彼の成長を見守ってきた。そしてこれからもずっとそうするつもりだったんだが・・・まさかこんなことになるとはね」
そういって視線を伏せたシャルルは、とても自嘲的で、あたしは声をかけたかったが、やっぱり声はでなくて、なにもできない自分がもどかしかった。
けれども彼はすぐに感情を整理すると、顔をあげた。
そのときはもうすっかりいつもの彼と変わりなく、あたしは彼の意外なまでの強さを感じて、そのブルー・グレーの瞳のなかに、強い意志を感じて、驚いた。
あたしはもしかして、この人を誤解していたのかもしれない。
「おまえの弟か・・・」
和矢の声はやさしかった。
「ってことは、彼女の言う通りだったって訳だ」
からかうような声に、シャルルの苦笑が届く。
「まったくだ。女の勘ってやつは侮れない」
和矢の笑い声がする。すごく、楽しそう。
「おまえの言葉とは思えないな」
「そんなことないぜ。オレは女性にはそれなりの敬意を表することにしている」
「なんの冗談だ?」
「真実さ」
そういって軽口を叩き合うふたりがすぐ傍にいて、あたしはとても幸せな気持ちで目をつむった。
彼らの話し声が子守り歌のようにやさしく脳裏に響いて、あたしは次第に、夢の世界へと連れ去られていった。
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