太陽系。
それはその名の通り、太陽を中心とした星の集団。
銀河系の端に位置する。
太陽。
それは自ら輝きを放つ恒星。
惑星はその周りをまわる。
万有引力という抗えない力でお互いを惹きつけあって。
太陽。
それは絶対的な存在。
圧倒的な存在。
地球を優しく見守る母、たしかにそれは嘘ではないけれど、それは彼女のたった一面に過ぎない。
近づきすぎれば命を落とす。
彼女は地球を照らしているのではない。
ただ内に秘められずに放出しつづけているだけだ。
ちょうどいい場所に地球が存在していただけで。
視界は星に奪われた。
宇宙そのものに光は存在しないけれど、無数の星々がそれを提供してくれた。
けれどもそれも結果論。
星はだれかのために輝いているわけでは、決してない。
「きれい・・・」
ごく単純な感想は、だからこそ正直だ。
美恵はうっとりとつぶやいて周囲に広がる空間をみつめていた。
まるで夢の中にいるかのように、現実味がない。
このまま目が覚めても、たぶん納得できただろう。
ところが幸か不幸か、これは夢ではなかった。
彼女はその場に立ち尽くし、最初こそ見惚れたけれど、次第に、不安になった。
「和矢?」
呼ぶとすぐに声がした。
「なに?」
それで美恵は多少安心した。
とりあえずひとりではないらしいことが確認できたからだ。
「どうかした?」
優しい生徒会長は、彼女の声にわずかに含まれていた不安を敏感に感じ取り、掬い上げると、光が彼を彼女の瞳に映し出せるだけの距離に、ゆっくりと近づいてきた。
「どうか、したの?」
身を屈めるようにして彼女の顔を覗き込み、安心させるように笑顔を見せる。
「ううん。なんでもない」
美恵は首を振って、俯いた。
闇が微妙に揺れて、お互いの距離を不安定にした。
「だったらいいけど。あまり痩せ我慢するなよ」
ぽんと軽く肩をたたいて、和矢はやさしくいった。
「恐いときは恐いって、不安なときは不安だよって、君はそういっていいんだ」
何故突然そんなことをいわれるのか、美恵にはわからなかった。
その意図を問いたくて、美恵は顔をあげると和矢を見返した。
光が少し足りなくて、一歩、近づいた。
「あたしを誰かと比べてるの?」
「誰かって?」
「だって、君はって、今いったでしょ」
鋭いつっこみに、和矢は苦笑した。
「参ったな。そんなつもりじゃなかったんだけど・・・」
じゃあどんなつもりだったの?
その問いが口まで出かかって、けれども美恵は口を閉ざした。
質問攻めなんて可愛くない。
もっと素直でいたいのに、どうしてかきつくなってしまう気がする。
他の誰に対しても、こんな苛立ちは覚えない。
それは、それくらい彼という存在が、彼女の中で締める割合が大きいことを意味していた。
「ごめんなさい」
謝ると、ますます和矢は困った顔をした。
「なんで謝るんだよ」
「だって和矢を困らせちゃったみたいだから」
「そんなことないよ」
ふわりと笑って、和矢はいった。
「けど、サンキュな」
そのとき美恵は気づいた。
彼は雰囲気まで含めた自分のすべてでほほえむんだって。
からだの一部分だけじゃなくて、彼の全部が相手のために緩むんだって。
それはきっと彼がそうして人を大切にしている証拠だろう。
同時にそれくらい自分の中に自分のための部分を残していないことなのかもしれないけれど。
みていて切なくなるのもきっとそのせい。
じれったくなるのも、もどかしくなるのもすべて。
「なにが、サンキュ、なの」
なにもサンキュ、じゃない。そんな言葉はこの場にはあまりに不釣合いだ。
「お礼言われるようなことなんて、してないのに」
「ごめんなさいの、お礼だよ」
「そうなの?」
初めて聞いたといった彼女の表情に、和矢はかすかにほほえむと、
そうだよ、といって目を細めた。
「君のごめんなさいは、オレを気遣ってくれた結果だろ。その気持ちが嬉しかったら、オレの返事は「ありがとう」ってなるわけ」
「なんか・・・変だよ、それ」
「そうかな」
「そうだよ」
ごく自然に、彼は話す。
けれども彼の言葉は、彼女には優しすぎて、それじゃ立場が逆で、もどかしい。
優しくしたいのは自分。
もらってばっかりで、返せていない。
なのにありがとうは反則だ。
「反則だよ、ほんと…」
ぼやくようにつぶやくと、和矢は、え、と不思議そうに首を傾げた。
「何か言った?」
「別に・・・・たださ」
美恵は内心で息をつき、話題を変えるため視線を和矢から離した。
「すごい星だね」
あまりに脈絡のない繋ぎ方だったが、和矢はその辺をつっこむわけでもなく、そうだな、と頷いてみせた。
「映像とわかってても、圧倒されちまう」
いつもとはほんの少し、声のトーンが違っていた。
噛みしめるような、実感のこもった、深い音色。
「和矢は宇宙が好きなの?」
美恵の問いに、彼は曖昧に笑った。
「さあ。どうかな」
その返事に彼女はあきれる。
「簡単なことじゃん。思ったまま答えてくれればいいだけだよ」
そういった美恵を、和矢は少しまぶしそうに見つめ返した。
「そうだな」
「そうよ」
けれども彼はほほえむばかりで、答えようとはしてくれなかった。
凄まじい光を放射する太陽が、彼女の目に映る。
その姿はそれほど大きくはないが、それは距離の問題だった。
本当はとても大きい。
近づくことができなくて遠くから見るばかりだから、時々それを忘れてしまうけれど。
はるか遠くにある冥王星すら引きつけるほどの質量がそこには存在するのだ。
優しい光を降り注ぐ太陽。
近づくものを容赦なく溶かす太陽。
制御という言葉は自然界には存在しない。
それは人が作り上げたものだ。
もし太陽が己を制御できるのなら、地球は奇蹟の星になどならなかったに違いない。
彼女は自らのエネルギーを自らの中に抑え込もうとしたかもしれないから。
やはりそれも結果論だ。
無制御のままエネルギーを解放し続けたからこそ、命吹き込まれた惑星がある。
その熱で生命の生まれる可能性を奪われつづける惑星もあれば、逆に熱が届かず凍り続ける生命もある。
けれどもその結果を誰も恨んだりはしていない。
無秩序の中に不思議に秩序が存在しているから。
かえってそこに無理が加われば、余計な歪が生じて少しずつ、狂っていくに違いない。
それもやはり結果論と割り切れるのだろうか。
自然界でなら、可能。
けれども人でいる限り、たぶんそれは不可能。
世界とは全くおかしなものだ。
人は制御を生み出した。
同時にそれは制御できないものの存在を明示するに他ならない。
自然界には秩序がある。
制御は必要ない。
人間にはそれができない。
だからたぶん、自然界と人間は微妙なバランスで秩序を保っているのだろう。
制御できない気持ち。
自分以外のものに積極的に関わろうとする気持ち。
自分が受けた傷より何倍も相手の痛みを感じたり、自分が嬉しいより何倍も相手の喜びを感じたり、傷つけられても幸せだと思えたり、優しくされてもかなしかったり、常に制御よりも一瞬早く存在する感情。初めから理性しか持ち合わせなければ、それはすでに理性と呼ぶにふさわしくない。
けれども、理性と感情を埋めるものがあるのなら、話はより複雑になる。
優しくしたいというのは自然に沸き起こるものでありながら、ときに思いやりという制御に姿を変える。やさしさは太陽よりもあたたかくて、宇宙のように広く深くて、それは理性であり、同時に感情であり、つかめなくて、なのに存在していて、あいまいなもので、大切なものだ。
「地球が見える」
和矢の言葉に、美恵は振り向いた。
「えぇっ!?」
突然目の前に現れた惑星に、彼女は仰天する。
予想以上に大きくて、近づきすぎていて。
もちろん、勝手に映像が近づいてきたのだが、それに気づく余裕は彼女にはない。
目と鼻の先に、地球があった。
彼女がテレビや写真などでみたことのある地球、そのままが、そこにはあった。
彼女の倍くらいの大きさのきれいな球。
青く輝くのは太陽に向けられた面で、彼女はちょうど太陽と地球の間に立っていた。
彼女は無意識に手を広げ、そっと抱きしめた。
まるで無邪気な赤ちゃんのように、その地球は彼女の腕に馴染んだ。
大きかった地球は、いつのまにか彼女の両腕にちょうどおさまる程度の大きさになっていた。
彼女は確かに地球を抱いていた。
「なんでさわれるの?立体映像なんだよね?」
明らかに物理的な手ごたえが彼女の腕にある。
地球は彼女に抱かれ、嬉しそうに笑う。
それにつられて、空間そのものが揺れるような気がした。
「ほんとだ。おかしいな」
和矢の手も、地球に触れる。
それさえシャルルの作り出した偽物なのだろうか?
だとしても、意図がわからない。
「もしかして本物とか・・・」
「まさか」
美恵の心配を和矢が笑って吹き飛ばす。
いくらなんでも本物であるはずがないのは、美恵にもわかったが、なぜだかどうしようもない不安に駆られるのだ。もしかして触れてはいけなかったのではないだろうか。そんな声が心の中でして、彼女を脅かせる。
「そんな顔、するなよ」
ふわっと肩に手が触れて、見上げると和矢が、いつものようなやさしいほほえみを浮かべて、彼女をみていた。
「大丈夫。恐くないよ。考えてみればすごいじゃん。君、地球を手にしているんだぜ。ぜひ感想が聞きたいな」
安心させるように冗談っぽくいって、クスッと笑う。
その黒い瞳に、美恵は恐怖や不安を吸い取られた。
まるで掃除機みたい。
どんなときでも、あなたはそうやってわたしの心をきれいにしちゃえるのね。
余計なもの全部吸い取っちゃって、でもね、そうして吸い取ったものを、あなたが抱えるのはイヤだよ。
それくらいなら、返して欲しい。
ひとりでなんとかできる。
それよりも知りたいのは、じゃあ和矢の心はだれが掃除してくれるのかってことだ。
どんな人間だって、心にチリ一つ落ちてないなんてことは、ない。
そういうときがあるかもしれないけれど、いつもなんて、絶対ない。
なのに彼はそういう素振りさえ、みせない。
強い人だ。
でもたまには掃除させて欲しい。
彼の散らかしたものを、ひとつずつ拾って、片付けてあげたい。
彼のプライベートルームに、入れてもらいたい。
そう願わずにはいられなくて、正面からまっすぐに和矢を見返した。
和矢はその強い眼差しに、驚いたようだった。
彼女の言葉を、瞳で感じる。
どうかした?
そう問い掛けることで、彼はその凝視から逃れようとしたが、それより早く美恵が、口を開いた。
「あのね、震えているみたい、この小さな地球」
かなしそうな光を瞬かせて、彼女はわずかに首を傾げた。
「当たり前だよね。たくさんの生命をその身にずっと抱えているんだもん。人の心を含めて、たくさんの願いを受け止めてるんだもん。でもすごい生命力を感じるんだ。生まれたての赤ちゃんを抱っこしてるみたい。無邪気な瞳でにこって微笑まれて、体重全部預けられて、ああ、この子を守ってあげなくっちゃって、よく思ったけど、いまもそのときと同じ。目もないけどね、重さもあまり感じないけど、なんだか守ってあげなくっちゃって、おかしいかな。だってね、本当に震えてるんだよ」
優しさに包まれる。でもそれよりも包んであげたい。
守られるのではなくて、守ってあげたい。
彼女の腕の中で、その地球は本当に無防備だ。
と、そのとき、そこから強い光が放射された。
スペクトルが渦を巻き、あたりの空間が変な形に歪む。
彼女が驚きのあまりそれを手放すと、地球は尋常ではない輝きを放ちつつ、上のほうへとあがっていった。
物凄い重力を感じる。息ができない。
「時空間移動装置かっ!?」
耳慣れない言葉がして、彼女は力強い腕に抱き寄せられた。
「しっかりつかまってろ!」
うん・・・。
彼の少し高めの体温が気持ちよかった。
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