間制限と書いてタイムリミットと読む

 そこはまるで宇宙を思わせるような光のない空間だった。
 転ばずに歩けるのは、足もとに誘導するかのような線が光っているからだ。
 こちらも先ほどと同様に蛍光塗料であろう。

「和矢、待って」

 美恵の声は心細く響き、それが届いたのか、やがて遠ざかるはずの足音が近づいてきた。

「死にそうな声出すなよ。どうしたんだ」
「だって何も見えないよ。暗いよ」
「これからが面白いんだぜ」
「そうなの?どんなふうに?」

 相手の顔がみえずに続く会話。
 けれども声だけで安心できる。
 低くてしっとりとした優しい声。
 彼が導くように彼女の肩に手をまわす。

「ほら。はやく来いよ」
「え?いまついて来いっていった?」
「ん?」

 なぜか突然明るい声になった彼女に彼は首をかしげつつ、
 とりあえず主賓を中へと誘導した。

「ちょっとお兄ちゃん。妹より美恵ちゃんが大事なのね!」

 とはもちろん、明美の声。

「アンドリューがいるだろ。だいたいおまえが暗闇が恐いなんて初耳だ」

その返事に、明美はわりと素直に頷いた。

「たしかにあたしも初耳だわ」

 兄は冷や汗を浮かべる。

「おい・・・」
「なんとなく、いってみたかっただけよ。暗くて沈黙じゃあ、二重苦でしょ」

 美女丸が参ったといったように首を振った。

「小学生の遠足の付き添いだな」
「あ。いいかも」

 後ろにいたなつきが、そういって同意する。

「めちゃ厳しい先生っているよね。でも案外そういうときっていちばん楽しんでいたりするの」

 そういえば隣にいたNAOも

「わかります。そして不思議と密かに生徒に人気があったり」
「偏屈と意地悪は別物かな」
「いやぁ。難しい質問ですね」

 そんなふたりの会話に、アンドリューが加わった。

「でも間違いないのは、その両者を兼ね備えた見本がいるってことだね」

 一瞬の沈黙のあと、皆がこぞって頷いた。
 と、そのとき、絶妙なタイミングで

「面白い話をしてるな」

 冷ややかな声が空から降ってきた。そう、まさに空から。
 突如起こる光の氾濫。
 大海原のごとく波打つ光の中で、皆がまぶしくて目を細めたが
 やがて彼らはそれがどんな部屋であるのかをみることができた。
 天井はきれいな半円のドーム。
 360度見回してもどこにも切れ目はなく、いま通ってきたはずの道さえわからない。
 色は光のせいだろうか、どこもかしこも純白に輝いてみえる。
 いままでそこは暗黒世界だったはずだ
 けれどもいまは光の踊る天使の去った天国のような華やか過ぎる空しさを呈していた。
 光と闇の変換。
 どちらかを失えば片方が自ずと浮き上がる。
 けれどもどちらかが存在しなければどちらの存在も成り立たない矛盾。

「まぶしいよ」

 美恵はシャルルの方を向こうと顔をあげる。
 彼の声は上から届いた。

「いまだけだ。急激な変化に眼が慣れるのに時間が掛かる」
「どうして」
「どうして?」

 奇妙そうに問い掛けるその声に、彼の声が少し興味を帯びたようだった。

「その質問の意味を訊こうか」

 かすかに笑いを含んだ声と、余裕。
 だが美恵は素直に答えるだけだ。

「なんでこんなことするの?これがあなたなりの出迎え方?」
「そうだ。お気に召さなかったかい」
「そういうわけじゃないけど・・・」

 美恵は次第に慣れてきた目を上へと向けた。
 ぼんやりと白金の髪が視界にうつった。

「まるで見て欲しくないみたいだよ」

 彼の横にひとりの少年が立っていた。
 さっき屋上で出会った彼だ。
 美恵は突如、話題を変えた。

「あなたの弟?」

 この突然の台詞に、彼はとっさに返事ができなかった。
 美恵はやっと彼をみることができた。
 動揺さえ顔に出ない人だけれど、それは防衛本能と似ているのだろうか。
 そんなことをぼんやり考える。

「なぜそう思う?」
「直感」

 彼女らしいその答えに、彼はかすかに笑った。
 腕を伸ばし、隣の少年の頭にぽんと手を乗せる。

「知り合いの子だ。名はマリウス・オクトーブル。残念ながら弟ではない」

 そういった瞬間、それまでその空間を満たしていた、わけのわからない空気が和らいだ。
 緊張が解けたかのように、明美の声がする。

「あーー驚いた。そうよね、シャルルに弟なんて」

 和矢もかすかに苦笑ぎみ。

「君らしい発想といえばそうだけど・・・オレもそんな話聞いたことなかったし。
まあな、似てるとは思うよ。けど弟ってのは無理があるだろ。年齢的にも」

 たしかに年齢という問題は大きい。

「さっきのアンジュっていうのは、じゃあなんの冗談だったのかしら」

 ほっと息をついてなつきが皮肉げに聞くと、シャルルは優雅にほほえみを返した。

「オレは一言も嘘はいっていないつもりだが」

 儀礼的なほほえみを浮かべつつ、その視線は相変わらず冷ややかで、青灰の瞳は怠惰なまでに無感情だ。

「その意味を君がわかるかわからないか、そこにまで責任を持つ義務はないな」
「相変わらず冷たい人ねぇ」

 感心したような声がして視線を移せば、美恵たちがいるのとは反対側のセクションにルイの姿があった。

「よ。お久しぶり。あたしも仲間に混ぜてね、修学旅行」

 そういってニッコリ笑うその姿は、教師というよりは生徒のようにみえた。
 NAOは嬉しそうにお辞儀を返す。

「ごいっしょできて嬉しいです」
「ま。ありがと」

 シャルルはチラと彼女の方に視線を向けたが、特に何か言うわけでもなく、今度は美恵に視線を向けた。

「言いたいことはそれで全部か。ほかに質問は」

 全部かといわれても・・・。
 美恵にしてみれば、思いつくままに口にしているだけだ。
 彼女は、しばし考えていたが、やがていちばん肝心のことを訊いていないのに気づいた。

「行き先はどうやって決定したの?」
「決定したのではない。決定させられたんだ」
「させられたぁ?」

 すっとんきょうな声を出した美恵に、シャルルは皮肉げに笑う。

「もっといえば、先にその理由があって、修学旅行など口実以外の何物でもないってことだな」
「口実って・・・そんないまさら・・・・」

 悪びれる様子もなく淡々と話すシャルルを、美恵はぽかんと見つめ返すだけだった。
 いまいち頭が整理できない。
 それを助けるかのように、和矢が、口を開いた。

「もっと詳しく説明しろよ。オレ達にわかるように」
「あたしも聞きたい!」

 となつきが言えば、NAOも

「あたしもです」

 その前では美女丸が

「当然だろ。話せよ」

と、眼をキッとさせ、ルイはやっぱり、という顔でシャルルをみていたし、明美はなぜかリューを締めながら

「なによーーどーーいうことよーーーちょっとシャルルーーーー」

と興奮を隠せない様子だった。
 リューは息をするのが精一杯でそれどころではなかったようだが。
 そんな参加者達の様子を上から見下ろすようにみていたシャルルだったが、やがてほっと息をつくと、邪魔そうに前髪をかきあげた。

「ある夜、マリウスの母親から連絡を受けた。マリウスが変だと。それでどう変なんだと聞いたら、高熱にうなされているということだった。それでオレはすぐに彼の家へと行って診察したんだが、どこにも異常はみられなくてね、自宅では埒があかないと思い、今度はオートゥ・エコールで検査を受けさせた。が、結果は同じ。異常なしだ。だが明らかにおかしい。こんなに高熱が続いていて、異常がないわけがないからな。それでオレはこの事態を重くみて、独自に調べることにしたんだ。現代医療の最先端の設備を誇る研究所へ連れて行き、本当に異常がないのか徹底的に調べた。そしてその結果、本当にわずかだが、彼のからだから電波が出ているのがわかって、さらにそれについて調査を続け、その波はある方向に向かって流れていることがわかった」

 予想もしてなかったシャルルの話を、参加者達は驚いたように聞いていた。
 そのうちにも目は光に慣れ、彼の姿を上のほうにみることができた。
 高さにしてちょうど建物の2階、シャルルはそこに立っている。
 白金の髪は光を散らし、乱反射したその光は彼自身に纏いついた。
 いつも冷ややかな青灰色の瞳はただ静かに宙をみつめ、その華やぎの中で彼は静かだ。
 けれども時折隣の少年に目を向けるとき、その眼差しは聖母のような慈愛を宿していることに、まだだれも気づかなかった。

「2週間ほど時間が必要だった。その場所を限定するために。アルディの誇る次世代型スーパーコンピューターを並列処理してさえそれくらいの時間が掛かるなんて、それだけでもう、この地球上が発信源ではないのは確かだ。だがまさかアンドロメダ銀河とはね、オレも予想外だったよ。いささか遠すぎる。かといって、放っておいたら衰弱死しかねない状況だった。彼を死なせるわけにはいかない。けれども物理的異常がからだにみられない限り、治療法もできない。ならば結論はひとつだ」

 いってシャルルは、その瞳に強い光を浮かべ、挑むように笑った。

「電波の発信源である場所へ行き、原因を探り、取り除く。不可能を可能にかえるのはそれほど難しいことではないからね」

 勝ち誇ったようなほほえみのなかに、一筋の強いきらめきがあって、それが彼を動かしていた。
 聞いていた参加者達は、いつになく熱のこもったシャルルに驚き、あるいは見惚れていたが、やがてそのなかでもいちばん冷静だった美女丸が、腕を組みながらシャルルを見上げた。

「ひとつ質問だ。オレの目からその子はどうみても健康体にしかみえんが。もう治ったんじゃないのか?」

 その問いにシャルルはふっと微笑を含んだ。
 揶揄するような視線を、美女丸へと向けながら口を開く。

「この子はまだ幼稚園に入る前の年齢だ」

 美女丸は最初なにをいわれているかわからないようすで眉をひそめたが、その言葉の意味を理解するやいなや

「うそだろ・・・・」

と絶句した。

「だったらこっちも助かるんだが」

 ほっと息をついて、シャルルはかすかに笑う。

「さっき彼の母親から連絡があってね。マリウスが突然ベッドの中から消えたと」
「消えた?」

 美恵の言葉にシャルルは頷くと、参ったというように首を振った。

「ああ。比喩ではなく、消えた、だ。話によると彼女のみている前で消えたそうだ」
「で、おまえはそれを信じたのか?」

 意外そうな和矢の声に、シャルルは皮肉げな笑みを浮かべる。

「そうだ」
「おまえらしくないな」
「オレはデカルトじゃないぜ」

 ニヤッと笑ってシャルルは、挑戦的に和矢を見返した。

「自分の目で見たことは信じる主義だ。ま、トリックがないとはいわないが」

 和矢もそれに応戦する。

「オレはマリウスのもとの姿・・・もし彼が本当におまえのいうように幼稚園前の年齢だとしての話だけど、そいつを知らないわけだ。で、おまえの話はあまりに現実離れしている。説得力に欠けると自分で思わないのか」

 シャルルは浅く笑うと、軽く腕を組んで和矢をみた。

「ごもっとも。さすが生徒会長」

 からかうようにいって、クスッと笑う。

「だが君はひとつ勘違いをしているよ、和矢。オレがいつ君を、いや君たちを説得しようとしたんだい」

 驚く和矢の前で、シャルルはふぅっとその瞳に嘲るような光を浮かべると、冷ややかな声でいった。

「先に質問したのは君の連れだ。オレはそれに答えたに過ぎない。信じて欲しいなどとは一言もいった覚えはないが」

 その言葉に和矢は絶句した。
 まさかそう返してくるとは、思ってもみなかったのだ。
 だがいわれて、その言葉を彼らしいと思わずにはいられなかった。
 そうだよな、こういうやつだよ、こいつって・・・。

「ちょっと待ってよ、シャルル」

 その後ろで、今度は明美が口を開いた。

「じゃあなんで修学旅行なんてもんになったのよ。あんたの性格なら、ひとりで行ってしまうのが常じゃない?」

 あまりといえばあまりの言葉だったが、シャルルは面白そうに明美をみた。

「ほお。いい質問だな」

 褒められて、明美はエッヘンと胸を張る。

「まあね。だてにあんたの幼馴染してないわよ。だいたいあんたは昔から」

 そうしてしばらく明美は昔話をしていたが、やがて話が逸れているのに気づいて慌てていった。

「ちょっと。だから質問してるのはあたしで」
「アッキ・・・僕をにらまないでよ」

 リューにやつあたりしつつ、明美はむっとしてシャルルを見上げる。

「どうなのよ。答えてよ、あたしの質問」

 シャルルの瞳の中を、一瞬、かなしげな光が過ぎった。
 彼はそれを隠すように視線を伏せると、いつもと変わらず冷ややかな声で、いった。

「答えはそう難しくはない。すべての事象は結果であり同時に原因となる。今回マリウスに起こった出来事も、突然のようにみえるが、その流れのひとつに過ぎない。つまりある原因のもとに起こった結果であり、同時に修学旅行という現象を引き起こす原因となったわけだ。オレの目的は、その原因を取り除き彼をもとに戻すことだけだ。・・・が、ひとつだけ予想外の出来事が起きた」

 そこで言葉を切ると、シャルルはぽつり、つぶやいた。

「エーテル・ダファン・・・」

 思い出すように、美恵がいう。

「それって、これから行く予定の惑星の名前よね」
「直訳すると・・・子供の魂?」

 明美がなんとはなしにつぶやいて、不思議そうな顔をする。

「で、それがどうしたの?」
「向こうから連絡をよこしたのさ」

 投げ捨てるように言って、シャルルはチラッとマリウスの方をみた。
 突然時間を超えて大きくなってしまった彼。
 言葉までふつうに話せるのは、単純にからだが大きくなったというわけではない。
 とすれば精神も?
 だがそんなことは理論上ありえないことだ。
 人体という有機物なら、あまり現実的ではないにしろ、何らかの作用で大きさが変化することは考えられる。
 けれども精神は別のものだ。
 実体はない。脳と考える人も多いが、それは当たっているようで当たっていないようにシャルルには思えた。
 問題は形成過程にある。どのようにそれが作られるのか、それは決して物的問題ではないはず。
 だとすれば、これほどに奇妙な現象もありえまい。
 だが、先ほど和矢にもいったように、実際彼はそれを目の当たりにしていたし、否定するだけの材料をいまだ手にできずにいた。
 とすれば、あとは仮定を立てていくよりない。
 手持ちのデータをすべて統合させ、僅かな狂いもでないような仮定を。
 その段階で彼は、ありえない、とか、考えられない、などという曖昧な要素をすべて排除することにした。
 ありえないとすれば、なぜありえないのか。
 いままでなかったからか。だがそれは決して存在の否定にはならない。
 考えられないとすれば、それはどの立場からの結論か。
 想像力の不足を自ら認めるようなものではないか。
 そうして無駄なものを省き、実際の存在を組み立てていくと、おのずとある仮定が導き出された。
 現実離れしているとは、誰にいわれるまでもない、自ら認めるところだ。
 だが、では現実とは何か。
 シャルルは自問する。
 夢と現実の差異とは何だ。
 それを明確に定義できなければ、現実離れ、という言葉そのものを説明することはできない。
 彼は、まだその答えを手にしてはいなかった。
 だがひとつだけ、彼にとって譲れない夢が確かに存在する。
 それを守るために、彼は夢とも現実ともつかない世界にまで、足を踏み出そうとしているのだ。
 このメンバーと一緒に。
 なぜ、一緒に?

「・・・探し物をしなければならない」

 ひとりごとのようにシャルルがつぶやいた。
 意外な台詞に、質問者である明美が、きょとんと彼を見返す。

「なんか落し物でもしたの?」
「違う」

 彼女は久しぶりに彼の冷たい視線を浴び、背筋が凍りつきそうだった。
 う・・・衰えてないわね・・・・ああ、寒い。

「何を、探すんだ?」

 慎重な和矢の問いに、シャルルはかすかに笑う。

「さてね」

 はぐらかされて、和矢はむっとした。

「おい!」
「別に焦らしてやいない。本当に知らないんだ」

 苦笑混じりに声に、嘘だろ、と黒い目が見開かれる。

「さっきいってた向こうからの連絡って・・・・向こうって・・・あの・・・」

 戸惑うようなNAOの声に、シャルルは軽く頷いた。

「今回の行き先だ」
「なんていってきたの?」

 ルイの表情は、険しい。
 シャルルは感情を込めず、その言葉を口にする。

「青い惑星の子よ。おまえの天使を助けたければ、こちらへ来て子供の心を拾え。願いは叶えられる。もし拾えなければ永遠にそれは失われる。我が惑星の名はネバーランド」

「ネバーランドって・・・・」

 美恵がつぶやくようにいって、リューが頷いた。

「僕、読んだことあるよ」
「あたしだってあるわよ」

 明美の声に、なつきとNAOもそれぞれ頷いた。

「有名な話だものね」
「むかしはハウスの名作劇場でもやってたし」

 その話に、ルイが乗る。

「でもあれは、途中から随分暗かったけど・・・原作と違って」

 美女丸が違うというように首を振った。

「原作はかなり残酷だぞ。特に最後の方なんて、ファンタジーの世界とは程遠かった記憶があるが」
「エーテル・ダファンって、あなたがつけたのね」

 なつきの言葉に、シャルルは皮肉げな微笑を浮かべた。

「ネバーランドを夢の楽園と訳す気にはなれなくてね」
「でも子供の心って何かしら。まさか心臓ってわけじゃないわよねぇ・・・シャルル外科医だし」

 和矢は顔をしかめる。

「名声が宇宙にまで広がってってか・・・迷惑な話だなぁ」
「それならかえって楽でいいさ」

 あっさりいってシャルルは、ほっと息をついた。

「問題は、違った場合だ。あまりに要求が漠然としていて、こちらとしては対処の仕様もない。いわれた通りにするしかないのは不本意だが、人質をとられている以上やむをえないな」
「待って!」

 そのとき、それまで一言も口を開かなかったマリウスが、叫ぶように言った。
 彼はくいいるようにシャルルをみていた。とてもかなしそうな瞳だった。

「ボクのせいであなたをそんなところに行かせたくはない。シャルル、そんなわけのわかんない要求を呑んじゃ駄目だよ。ボクは全然平気だよ。このままでいい。もうどこも痛くないもの。年なんてどうだっていいよ」

 シャルルは静かに首を振る。

「そういうわけにはいかない」
「大丈夫だよ!」

 シャルルは両手をマリウスの肩に起き、かがみこむと、その瞳を彼の瞳と重ねた。
 良く似ているふたつの瞳。まるで過去と現在がそこで交錯しているような。

「よくお聞き。マリウス。時間というのは君の思う以上に重要なものだ。人は順番に年を重ねていかなくてはならないんだよ。たとえばその間にどんなに辛いことや哀しいことがあったとしてもね、それはすべておまえの財産になる。どうだっていいなんていっちゃ駄目だ。オレはおまえにそんな偏った生き方をさせたくない」

 マリウスの瞳はシャルルに吸い込まれる。
 シャルルは安心させるかのように、力強く頷くと、ふっとその眼に笑いを含んだ。
 それは自信に満ちたほほえみだった。

「なに。心配は無用だ。むこうにどんな意図があるかは知らないが、彼らはあとで後悔することになるだろう。オレを相手にしたことをね。まあ見てろ」

 そういって身を起こすと、シャルルは視線を下にいる参加者達に向けた。

「聞いてのとおりだ。これで事情はすべて説明した。参加するかしないか、今決めてくれ。無理強いをする気はない」

 だれより先に返事をしたのはマリウスだった。

「ボクは行くからね!」
「・・・・どうしても?」
「当たり前だよ!」

 強く叫んで、マリウスはにらむようにシャルルをみた。

「だって自分のことだもの。他の人に迷惑をかけるだけで高みの見物なんて、そんなのは恥ずべき行為だ。あなたはボクがそんな人間でもいいの!?」

 シャルルは静かにマリウスを見つめていたが、その言葉にほっと息をつくと、参ったといったように首を振った。

「わかった」
「本当!?」
「ああ。たしかにおまえの言う通りだ」
「やったあ!」

 パッと嬉しそうに笑ったマリウスにつられる形で、リューが口を開いた。

「僕も行くよ。いいよね」

 他のメンバーも次々に続く。

「ここまできてやめるわけないじゃん。かえってワクワクするよ」
「と、彼女もいってますし、それに個人的に興味あるな、その惑星に」
「もちろんご一緒させて頂きます・・・少しでもお役に立てれば嬉しいです」
「行くわよー。なんでいまさら訊くの?」
「探し物は得意よ。職業柄ね。微力ながらお手伝いするわ」
「困ったときはお互い様だろ」
「シャルルと一緒に旅行ってだけで嬉しいわよ。あたしは」

 みんなそれぞれ素直な感想をもらしたが、だれひとり降りるものはいなかった。
 たしかにそういうふうな選び方をした。
 最初から、そういう試験だった。
 彼は自嘲する。
 そう、試験だった、抜き打ちよりも悪質な。

「でもさぁ」

 まるでその心を読んだかのようにタイミング良く、美恵が口を開く。

「楽しかったね、宝探し」

 シャルルは、驚く。
 楽しかった?
 その言葉が信じられない。
 だがそんな彼女に同意するかのように、NAOが頷いた。

「ええ、修学旅行はすでに始まってましたよね。すでに日常を離れてました。毎日がドキドキして、不安でもあって、でも期待でもあって、ふつうに生活してたんじゃ味わえない緊張感に興奮して」
「ああ、わかる」

 なつきも同意する。軽く手で頭をさわりながら

「気持ちの持ちようじゃないけど、気持ちがピリリと引き締まる感じだった。いまもそうだけどね」
「こっちは振り回されたがな。夜中に呼び出されたのは久しぶりだ」

 ニヤッと笑って美女丸がいえば、和矢もそうだな、と眼を細めて笑った。

「事件は歓迎しないけど、心は案外正直だ」
「血が騒ぐ、か?」
「それはおまえだろ」

 いってふたりは、クッと笑い出す。
 やたら明るいそのムードに、シャルルは自分の選択が間違ってはいなかったことを知る。
 さっきの明美の質問の答えがそこにはあった。
 彼は軽く首を振ると、わずかに笑いを含んだ眼差しで参加者達に向けた。

「脱落者はいないわけか」

 辛辣な口調ではあったが、彼の表情はいつもより少し柔らかいように美恵には思えた。

「結構。では好きなところへ座ってくれ」

 再び暗闇が訪れ、参加者達は身近なイスに腰掛ける。
 それはプラネタリウム特有の、上を見やすくするような仕掛けはなされていなかった。
 美恵は不思議に思って隣に座った和矢に訊く。

「ねぇ、このイス変だよね」
「そうだな。けどあいつのことだから、何か考えがあるんだろ」
「だよね、きっと」

 納得する彼女の耳に、シャルルの透明な声が心地よく流れ込んだ。

「諸君を、アルディ学園プラネタリウム館の最初の客として歓迎する」

 その言葉が合図であるかのように、星が浮かび上がった。

「えっ!?」

 だが彼らはもっと別のことに驚いた。
 たしかに頭上の半球に星がある。
 けれども頭上だけではなく足の下にも・・・・。

「なに、これ・・・」
「嘘でしょう!?」

 見渡す限り360度、球面体としてその部屋は存在していた。
 彼らがいるのはちょうど球の中心。
 上にも横にも前にも空間が存在する。
 星はあたり一面じゅうに散らばっていて、彼らは自分の真下に、頭上と同じように広がる星をみることができた。
 まるで宙に浮いているように。
 なぜそこに留まれるのか、時間が経過するにつれ、わからなくなる。
 そこに床は存在しない。
 なのに彼らはそれに支えられている。
 静かに響く、シャルルの声。

「人は外界の情報の大部分を視界に頼っている。だからそこに偽物の情報をあたえると、途端に信じてしまうんだ。見ているものがそこにはない、とは、ふつうは思わないからね。コペルニクスの扉と同じさ。ここに宇宙なんてものは存在しない。けれども幾らでも作り出せる。ここは夜の空を映すプラネタリウムではなく、宇宙を映し出す場所だ。上を向くも下を見るも君たちの自由だ。そしてそのうちに、いつしか君たちはこれが擬似空間であることが気にならなくなっていくだろう。それくらい、視覚の情報に人は作用されるからね。ではしばしの別れを。ゆっくり楽しんでくれ。オ・ルヴォワール・・・」

 彼の声が吸い込まれるように消えて、そこに星々が沈黙していた。



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