そのときルイは、泥棒学入門のテキストを作成中だった。
これは案外、時間のかかる作業であった。問題は、製本方法にある。
特殊な薬を使用しなければならず、その手間が面倒なのだ。
単に中身について書くだけならば、使い慣れたPCで簡単に書けるだろう。
だがしかし、そのあとに続く作業は、和紙を作るくらい丹念な操作が必要だった。
「よお、苦労してるな」
ふらりと製本室に入ってきたのは、誰もが一目置く、風紀委員長。
「苦労してるわよ!」
怒鳴るようにそういって、彼女はハケを片手に振り返った。
「こういう単調な作業って嫌いじゃないけど、飽きるわ」
「教科書つくりも楽じゃないってか」
「内容より製作過程が、面倒よ」
「手が止まってるぞ。余計終わらないんじゃないか」
ルイは仕方なさそうに、再び作業に取り掛かる。
「なによ、手伝いに来てくれたんじゃないわけ」
美女丸は軽く笑うと、暗幕に寄りかかりながら、いった。
「甘酸っぱいにおいがしたから、ちょっと顔を出しただけだ」
「ああ・・・納得」
ルイは傍に置いてある液に目をやる。
それは透明の液体だったが、ほのかにオレンジ色を呈していた。
「成分の一つはみかんの汁だもんね。長い間ここにいるとわかんなくなるけどさ」
そういって彼女は、でも、と続けた。
「せっかくだし、手伝っていく気ない?」
その言葉に、美女丸は苦笑した。
「オレ、細かい作業に向いてないんだ。力仕事のときにでも呼んでくれ」
「・・・了解」
そうしてルイは、ほっと息をつくと、再び紙をハケで塗り始めた。
全体にまんべんなく、その溶液を染み込ませる。
泥棒学入門のテキスト、それは即ち。
「怪盗は忍者とは違うのにさ。やんなっちゃう」
これは伝統なのだが…。
「あぶり出しとは、いまどき古風だな」
そういって美女丸はニヤッと笑った。
「うちの書庫にも幾つかそういうものがあるぜ」
「年代が違うでしょ」
「魔境で作るよりはマシと思えよ」
さらりととんでもないことをつぶやいて、美女丸は部屋を出て行った。
ルイはその言葉に、冷や汗を流した。
魔境のテキスト・・・そら恐ろしい。
こっちは、魔境作成法を習わなくてはならないではないか。
ああ、あぶりだして、まだ良かった。
そう思って彼女の作業は、ほんの少しだけスピードアップした。
そのとき、窓の外に不審な気配を感じ、ルイは瞬間的にカーテンを開けた。
「だれっ!?」
そこにひとりの女の子がいた。
その子はぎょっとしたようにルイを見、彼女が険しい表情をしていたので、
逃げ出そうとした。が、それを許すほど彼女は甘くなかった。
「ちょっと待ちなさい」
猫のように身軽な身のこなしで、その子を捕まえる。
手首が細い。
「ここの生徒!?」
見たことのない顔だった。
少なくとも、ルイの知っている中には、いない。
彼女は泥棒学入門の特別講師であり、また、この講義は必修であるため、
おおよその生徒とは面識があるはずだった。が、こんな子、みたこともない。
彼女の顔がすっと真剣になった。
まさかとは思うが、スパイか?
ルイは一呼吸置くと、まるで見定めるかのような視線を、その子に向けた。
彼女は怯えたような眼差しで、ルイを見返した。
「あの・・・」
その沈黙を最初に破ったのは女の子の方だった。
「わたし、怪しいものじゃありません」
それは怪しい人間が使う常套句だったので、ルイは気を引き締めた。
あやしくない、という人間ほどあやしいものはいない。
これは泥棒にとっては禁句だ。自ら白状しているのと同じである。
それが故意なのか、彼女ははかりかねた。
さて、どうでるべきか。
そう思うルイの前で、女の子はようやく少しだけ落ち着きを取り戻していた。
いまのいままであまりに突然の出来事に、自分のペースを保てなかったのである。
だが次第に彼女は状況を整理できるようになり、自分のすべきことがみえてきた。
こうなると、彼女はなかなか一筋縄では行かなかった。
「はじめまして、今度この学園に編入してきた、NAOと申します」
にっこり笑って、彼女はそういった。
社交辞令的な笑みは、彼女の得意分野のひとつで、初対面の人間との接し方を
彼女は十分心得ていた。
「今日がはじめてなのですが、理事長室に行く途中迷ってしまったみたいで」
ルイは驚いたように、目を大きくした。
なにに驚いたのかといえば、その態度の変化、にである。
ついさっきまで、怯えた猫のようだったその目に浮かんでいるのは、
丁寧な感じのするほほえみだった。それがいままでの彼女とうまく重ならず
ルイは少し戸惑ったのだ。かえって、疑惑が押し寄せる。やはり、スパイ?
たが、相手にしてみれば、まさかそんなことを思われているなど、夢にも思わない。
よって、相変わらずにこっとしてルイを見ている。彼女は知らないのだ。
ちょうど目の前にいるこの女性が、学園外持ち出し禁止の泥棒学入門テキストを
作成中だったとは。だがその彼女の態度が、余計ルイを不審がらせた。
なんで笑っているのだろう?
なにかやましいことがあるとき、人はそれを隠すために愛想をばらまく。
だがそれは、泥棒たるもの、決して行ってはいけないことだった。
そうテキストにも載っている。果たしてこの子は何者なのだろう。
ふたりの思考はまったくトンチンカンな方向へ流れていた。
「あの、学園の方ですよね。もしよろしければ理事長室の場所を教えていただけますか?」
何も言わないルイに不安を感じつつ、NAOはそういってふたたびにこっとした。
ルイはどうしたものか、考えていた。
自分で怪しいものではないといい、にこにこ笑う彼女。
そういわれてみると、あやしい。でも本当にあやしくないのかもしれない。
判断が、難しい。
しかも彼女は、理事長室の場所を知りたがっているようだ。
それはこの学園の要ともいえる場所だった。
部外者には、教えられない。
ルイはしばし考えた末、ほっと息をつくと、右手を差し出した。
「あのさ、気を悪くしないでもらいたいんだけど、証明書、ある?」
NAOはビックリして、いった。
「なんのですか!?」
「なんでもいいよ。あなたがこの学園の生徒っていう証明になれば」
「あたしのこと疑ってるんですかぁ!?」
その声はいままでの大人しめのものとは全然違っていた。
「ひ、ひどいわっ、なんて学校なのよ。あたしはねえ、ようやくこの学園の
編入試験に合格したのよ。応募なんて7回もしちゃったわよっ。
それでようやく小論が認められて、合格通知をもらったときなんて
誰もいない部屋で小躍りしちゃったくらいなのに、そんなあたしを疑うなんてーーーー」
あぜんとするルイの前で、彼女はむっとルイをにらむと、悔しそうにいった。
「いいわよ。自分で探すわよ、理事長室くらい、みつけてみせるわ」
そういって背を向けるNAOを、ルイはぼうぜんとしてみていたが、たまらず。
「わははははははは――――――」
大声で笑い出した。NAOはその声にぎょっとして振り返った。なぜ笑われるの!?
んもう、なんって失礼な人かしら!!
が、そのときには、腕を捕まれていた。
「ごめんごめん、NAOちゃん、だっけ。わかった、認めるって」
ルイはそういって彼女に笑いかけた。
NAOはその突然の変わりように、一瞬戸惑ったものの、さっきの対応を根に持っていたので
素直になれず、そっぽをむいた。その態度が、かえってルイをほほえませるとも知らずに。
「本当にごめんなさい。でもね、悪気はないのよ。あなたもここに入れば
次第にわかってくるでしょうけど」
そういって、少し表情を引き締める。
「ここにはいろんな企業秘密がゴロゴロ落ちてるわけよ。いまもちょっと
そういった類の仕事中でね。神経がピリピリしてたわけ。この学園、敵には事欠かないし」
物騒なことをあっさりいって、ルイはクスッと笑った。
「でもねえ、あなたにも責任はあるのよ、NAOちゃん」
いわれて、NAOは注意深く相手を見つめる。今度は何を言われるのか、予測がつかなくて。
そんな彼女の前で、ルイはからからと可笑しそうに笑った。
「ほら、さっきもそうやって、防御の構えだったじゃない。だから少し疑っちゃったわけなの。
変に繕われるとね、なにかやましいことがあるんじゃないかと思っちゃうのよ、
でもそういうのとは少し違うみたいね。それが、さっきのあなたの力説でわかったから
信じる気になったわけ。オーケー?」
NAOは言葉につまった。なかなか痛いところをついてくれるではないか。
だがこれくらいでは、営業スマイルに変化が起こらないのはさすがといえばさすがである。
「あら、なんのことでしょう。私はいつも同じですわ。でも信じてくれてありがとう。
理事長室に案内してもらえるのかしら」
ルイはかすかに笑った。
「いいけど、そこに彼のいる確率は極めて低いわね」
「えっ・・・・」
「おや、顔色が変わったけど。ははぁん」
ニヤリと笑って、ルイは顔をのぞきこむ。
「あなたも理事長ファンね。これはまた、楽しくなりそうだわ」
とっさに首を振れなかったNAOは、しばらくルイを見返し、そして相手の瞳のなかに
からかうでもない、優しい光をみつけると、この人と友達になれそう、と思った。
「あなたも、ってことは、あなたもね」
「そりゃあもう。長いわよ、わりと」
「関係ないわ、長さなんて。要は、程度の問題よ」
挑戦的な視線を向け、NAOは相手の出方を待つ。
そんな彼女の前で、ルイはむぞうさにいった。
「それもまあ嘘じゃないけどね。けど時間は無視できないよ。
どんなに頑張ってもそれだけは越せないからね。長く一緒にいればそのぶん近づける。
それだけその人をみてられる。その事実は変わらない。もちろん、それは結果じゃないけど。
自己満足ともいうかな。あたしはだから、わりといまの状態が気に入ってるの」
NAOは返す言葉をみつけられなかった。
それはいままでいわれたことのない内容で、すぐには飲み込めない複雑さを感じる。
この人、深いわ。
そう思った。
「・・・・あ、あの」
そして彼女が何か言おうと、口を開きかけたときだった。
反対側から陽気な声が飛んできたのは。
「ルイ姉ーーーーどうしたの!?」
とっさに振り返って、そこに3人の女性の姿をみつけた。
ショートとロングとセミロングの髪の3人だ。
「あっきー、美恵ちゃん、と、そちらは?」
「紹介するわ。さっき友達になったなつきちゃん。今度編入してきたんだって」
「へえ、奇遇だね」
ルイはそういって、NAOをみる。
「この子も、編入生みたいだよ。珍しいね、こんな時期に、この学園に」
「ふふ、修学旅行に呼ばれたみたいだね」
美恵がそういうと、あっきーもニヤッと笑った。
「たしかに。旅行は人数が多いほうが楽しいからね」
「全校生徒何人くらいかな?」
「ん。そんなに多くないと思うけど、500人以上はいるかな」
「宇宙船は大きくないとね」
そんな話をし出した美恵とあっきーに、ルイは首をつっこんだ。
「なになに。宇宙!?って、修学旅行の話?」
「そうみたいだよ。シャルルが、言ってた」
「・・・・・はああ」
なんともいえない声を出し、ルイはなつきをみる。
「どうも。一応講師のルイです」
「あたしはなつきです。どうぞよろしくね〜」
「こちらこそ」
そこにNAOが加わった。
再び、営業スマイル。
「NAOです。今度編入してきました♪」
「お。よろしく」
「よろしくね〜」
それでなんとか5人が顔見知りになった。
すると話題は、自然に修学旅行へと移っていく。
いちばん喜んでいるのが、あっきーだった。
「宇宙だよ〜。う・れ・し・い」
「あっきーちゃん、好きだもんねぇ」
「そうだよっ。はやく行きたいな〜」
と、そこに偶然、黒髪の生徒会長が通りかかったものだから、黄色い悲鳴が生じた。
「和矢〜」
彼はその声に気づくと、ゆっくり近づいてきた。
ほほえみは優しく、相変わらずの会長である。
「よお、みんなお揃いで。何の話?」
美恵が元気良く答えた。
「修学旅行のことだよ」
「修学旅行?・・・そんなのがあるのか?」
驚いたといったように、和矢は目をパチクリさせた。
「冗談だろ。アイツがそんなことするわけ」
それに被せるような、あっきーの声。
「だって本人が場所を指定してきたもの」
なつきが頷く。
「わたしもその場にいたけど、たしかに、聞いた」
「意味ない嘘つくとも思えないけど?」
ルイがそう付け加えると、和矢は腑に落ちないといった顔をした。
そして彼は右手をアゴに軽く当てて、しばらく考えていたが、
やがて降参といったように首を振ると、無造作に髪をかきあげて、息をついた。
「考えても無駄だな。アイツの考えが読めるはずもない。直接本人に聞いてみよう」
その言葉に、なつきは不満だった。
「あなたはどうして、そんなに信じられないの。修学旅行なんて、どこでもしてることなのに」
和矢はふっと彼女に視線を向けた。ふたりは初対面だった。
「君は?」
「今度編入してきた、なつき、よ」
「ああ、編入生か。じゃあオレも自己紹介しとくよ。
一応この学園の生徒会長をしている、黒須和矢。よろしくな」
「こちらこそ」
そういってなつきは、差し出された和矢の手を握り返した。
それをみて安堵のため息をもらしたのは、美恵だった。
彼女は、ふたりが頬にキスをしあったらどうしようか、ドキドキしていたのだ。
お互いフランスの習慣を出してきても、おかしくはない。
わかっちゃいるけど、それは理性の問題であって
「感情はそうは簡単じゃないのよねぇ・・・」
「え、なんかいった?」
「ううん。なんでもないよ」
笑ってごまかして、美恵はひそかにほっとしていた。
もちろん、だれも知る由はない。
「せっかくだから、楽しみましょうよ、修学旅行」
なにもしらないNAOが、その場をとりなすようにそういうと、和矢はところで、と続けた。
「どこ行くって?」
3人が同時に答える。
「アンドロメダ銀河」
「―――――!?」
和矢の目が点になる。
「なんだって?!」
信じられないといった様に3人をみて、深く息をもらした。
いったいなんだって、そんなことをいわれて平然としているんだろうか。
その神経が、わからない。
「ちょっと聞くけどさ」
苦笑しつつ、彼はいう。
「君たちは、それきいて、なんか変とか思わないわけ?」
「別に思わないけど」
その暢気さに、彼は少しむっとした。
暢気というより、能天気といったほうがいいかもしれない。
「なんで思わないんだよ」
だが強い口調でいわれれば、反論したくなるのが人情である。
とりあえずルイが応戦する。
「シャルルなら、なにしたって驚かないわ」
その返答に、和矢は頭を抱え込みたくなった。
ある意味正論だけに、手におえない。
「けどなぁ、ものには限度ってもんがあるだろ。
なんでこの人数を連れて、宇宙になんて行けるんだ。
しかもアンドロメダ銀河だって?いったいどれくらい距離があると思ってるんだよ。
人の一生のうちにたどり着けるわけないだろ。もう少し天文学勉強しろよな」
決め付けるようにいわれて、彼女達はむっとした。
特に天文学なんて言葉を出されれば、黙っているわけにはいかない者がひとり。
「ちょっと和矢」
けれども適度な仲介人の存在は貴重だった。
「あっきーちゃん、やめときなよ。水掛け論になるだけだよ」
そういわれて、彼女はふっと口をつぐんだ。
たしかにここで和矢と言い争いしても、意味はない。
「じゃあ手っ取り早くシャルルに聞きに行こうか」
「ああ、それがいいな」
ふたりの意見がまとまって、異存者は出なかった。
特にNAOなどは、これで理事長にあえる、と、内心でほくそえんだくらいだ。
「じゃ、結果報告、待ってるわ」
そういって、製本室へと戻るルイを見送りながら、なつきがぽつんとつぶやいた。
「けど探すの大変なんじゃない?」
和矢は不思議そうな顔をする。
「なんで?」
「だって、広そうだし、この学園」
「放送があるだろ」
「・・・・無視されそう」
「嫌がりそう」
「かえって出てこなさそう」
一気にいわれて、和矢は多少気分を害しつつ、ポケットから、携帯を取り出した。
「じゃあ直接呼び出すよ」
そういって、驚く4人の前で、短縮ボタンを押す。
さすが夫たるもの、妻とはいつでも連絡がとれるらしかった。
――プルルル、プルルル、プルルル
なお、この番号を知っているものはごく少数であるのはいうまでもない。
女性ではただひとりだけ、である。
そしてその人物が、ここにはいないことを、念のため付け加えておくことにしよう。
――プルル, ガチャ ・・・
『なんの用だ』
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