「うわ、まぶしぃー」
そこは太陽の光が容赦なく降り注ぐ空間だった。
美恵は目を細めて、空を見上げた。
「夏だな」
片目を細めるようにして、美女丸がつぶやく。
「暑いねぇ」
何も遮るもののないその場所では、日陰を探そうとしても無駄だった。
そのかわり、テントのようなものが、ぽつんぽつんと見えた。
「あれが天文部?」
同じ方向に目をやり、彼は頷く。
「そうだろう。他に考えられん」
「行ってみようか」
そういって歩き出そうとしたとき、ようやくふたりが到着した。
「着いた〜」
わずかに息を切らせ、NAOがほっとしたようにいう。
「結構な高さね。思ったより遠かったみたい」
なつきも苦笑しながら、手すりにもたれた。
「そして、暑い」
「行くぞ」
そんな彼女達にあっさりそういって歩き出す美女丸に、ふたりは顔を見合わせ、同時に降参のポーズをした。
「体力の差かな」
そういうなつきに、NAOは苦笑する。
「同感です。でも美恵さんは元気ですねぇ。見習わなくっちゃ」
「あら、彼女には体力よりももっと強い味方がついてるもの」
一瞬NAOは考えて、納得、といったように頷いた。
「恋の力は偉大ですね」
「同感よ」
今度はなつきが答える。そうしてなんとか彼女達は、前をさっさと歩いていくふたりについていった。
そのとき、美恵のよく通る声がした。
「ねえ、あそこにいるの誰かな?」
「天文部の奴・・・・には見えんな」
美恵と美女丸は多少方向を変え、その人影の方へと近づいていく。
「すみませーーーん!」
大声を出しながら近づいていくと、その人物は彼女達に気づき、振り向いた。
けれども暑くて陽炎が立ち込めそうな屋上、まぶしさも手伝ってよく顔がみえなかった。
それにしても、こんな日射病どころか熱射病になりそうな暑さの中、何をしているのだろう。
そう思いながら、距離を縮めるにつれ、次第に姿がはっきりしてきた。
まるで太陽の光のような白金の髪。
一瞬、シャルルかと思った。
けれどもそれにしては背丈が足りない。
そしてどこかふらついているようにみえた。
「なんか様子、おかしくないか」
そういって美女丸は駆け出した。
美恵もあとを追う。
突然走り出すふたりに驚きながら、なつきとNAOもそれに従った。
そして4人が目にしたのは、信じられないくらいきれいな、ひとりの少年だった。
髪は白金、深く澄んだ夏の空のような真っ青な瞳に、細くて伸びやかな手足。
肌の色は白く、白皙の美貌というにはまだ少し幼さが残った。
ふっくらとした頬はうっすらと赤味がかって、愛らしい。
ただ瞳に不安げな光が浮かんでいて、おびえるように、4人をみていた。
「こんなところで、どうしたの?」
身を屈めるようにして、美恵は彼に問い掛けた。
その言葉に少年はまっすぐに彼女を見返した。
「君はこの学園の生徒か?見たことないようだが・・・」
首を傾げるようにして、美女丸も屈み込む。彼はブンブンと首を振った。
「違います」
そういって、驚いたような顔をする。自分の両手をみて、それで顔の輪郭を確かめるように触れて、足をみて、信じられないといった顔で、美女丸を見上げた。
「ぼく・・・・・何歳に見えますか?」
唐突に尋ねられ、彼は驚いたようだったが、相手があまりに真剣な眼差しを向けるので、そうだな、と頭のてっぺんから爪先までみて、答えた。
「12、3ってとこだな」
その言葉に、彼はもう一度信じられないといったように首を振ると、今度は美恵の方をむいて、同じ質問を繰り返す。
「ん。あたしもそれくらいだと思うけど」
なつきもNAOも、同じ質問をされ、同じ答えを返した。
「15歳くらいでも、わからなくはないわ」
彼は目を大きく見開いて、何度も何度も瞬きした後、やっと納得できたのか、ほっと息をついた。
「で、正解は?」
美恵の問い掛けに、困ったように首を傾げる。
「よく・・・・わからないんです・・・」
「わからないって、自分の年だろ?」
奇妙そうに美女丸がいっても、ただ首を振るだけで
「じゃあ生年月日はいつですか?」
助け舟を出すようにNAOがいうと、ためらうように口をつぐんだ。
なつきは黙って彼をみつめていたが、やがてつぶやくようにいった。
「少し・・・・似ているみたい」
「ぼくが?」
ふっと顔をあげてみつめるその瞳は空より深い青。
「だれと?」
揺らぎを知らない純粋なその色が、なつきの心に染み込んでいく。
似ている。たしかに裏表のような対比はあるけれどそのもっと奥で。
「それって、シャルルのことか」
確認するようにいった美女丸に頷いて、なつきはわずかにほほえんだ。
「直感だから、うまく説明できないけど」
「まあな。そっくりというほどじゃないけど、たしかに髪の色とかは」
「そんなんじゃなくて」
そのとき、その少年が、嬉しそうに口を開いた。
「シャルル、シャルルがここにいるの?」
え、と驚く4人の前で、彼はいままでの緊張を一気に解くと、とても嬉しそうに笑った。
天使も顔負けしそうなその笑顔を惜しげもなくむけて
「お願い。ぼくを彼のところへ連れて行って。そうすればきっと何もかもはっきりするから」
そういうと、少し甘えるような目を向け、せがむようになつきの顔をみた。
彼女はあぜんとしつつ、その愛くるしい笑顔を無視できなくて、困ったように、残りの3人を見渡す。気を取り直して美恵が、しゃがみこむと、視線の高さをそろえて、いった。
「ね、シャルルのこと知ってるの?知り合い?親戚?」
彼はクセのない白金をさらっと揺すると、その問いには答えずに、ニコッと彼女に笑いかける。
「お姉ちゃん、ぼくをシャルルのところに連れて行ってくれるよね」
あどけない笑顔は、美恵を陥落するに十分だった。
か、かわいすぎる〜〜〜〜〜〜〜!!!
「いいわ。一緒に行きましょう」
美女丸が驚いたように美恵を見返す。
「おい。勝手にそんなことして怒られるぞ」
「いいもん。だってかわいそうだよ、こんなところでひとりなんて」
「けどなぁ・・・得体の知れない奴がこの学園にいるってだけでも物騒なのに」
風紀委員長としては、あまり勝手な判断もできないのだろう。
美女丸は認めかねるといった視線を、美恵へと向ける。
そして少年へと。
「おまえ、なんでここにいたんだ。何をしていた」
「・・・・気づいたら、ここにいたの。ぼくにもよくわからないけど・・・」
いっこうに要領の得ない答えに、次第に美女丸はイライラしてきた。
もともと気の長い方ではない。
「バカヤロウ。そんな返事に、はいそうですかと納得できるか。いいか、もしシャルルんところに行きたいんだったらな、オレ達を、いや、少なくともオレを説得できるような返事をしてみろ。それができないようなら、おまえを連れて行くわけにはいかん!」
突きつけるようにそういわれて、少年は黙り込んだ。
あわてて美恵が、フォローを入れる。
「ちょっと美女丸。なにもこんなに小っちゃな子に怒鳴んなくてもいいでしょ」
美女丸はそっぽをむいた。
「フン。なにが子供だ。さっきからわけのわからんことばかりいって、何が目的かわかったもんじゃない」
「あの・・・それは風紀委員長としての意見でしょうか」
それまで黙っていたNAOが、おずおずといった感じで口を開いた。
美女丸はチラッと彼女に視線を向ける。
「どういう意味だ、それは」
「美女丸さん自身の気持ちはどうなんだろうって思って、だってさっきいってたじゃないですか」
じっと黙ってみつめられ、NAOは余計なことをいったかしらと思いつつ、いまさらあとにも引けない状況だった。
こうなったらもう、選択肢はひとつしかない。あとは野となれ山となれ!
「オレは風紀委員長である前に人間だって、そういってましたよね。だからこの子を連れて行けないのは、風紀委員長としての立場からなのかなって、思ったんです。でもそれ、違いますよね、だってそれ以前に人間なんだから、その立場より美女丸さん自身の気持ちが最優先されなきゃおかしいじゃないですか」
美女丸は驚いたようにその言葉を聞いていたが、やがてふっと笑ってNAOをみた。
涼やかな切れ長の瞳に、皮肉げなほほえみを浮かべて。
彼のちょうど上に太陽があって、彼はまるでその申し子のようにさえみえた。
橙の光がよく似合う人だ。生命の煌めくような、そんな激しさを秘めているかのように。
「面白いことをいうな、ナオ。だがそれは明らかに間違いだ。立場より個人を優先しろって?馬鹿な。そんなことが罷り通ると思うのか。もしそれが会社なら、あっという間に倒産しちまうぜ。もしそいつが当主なら、そんな家、すぐにつぶれちまう」
そういってかすかに笑ったその目は、けれども少しも笑ってなどいなかった。
NAOはそんな彼の前で言葉を失い、美女丸は淡々とまるで自分に言い聞かせるかのように、強い口調でいった。
「自分のわがまますべて通すのはそれほど難しいことじゃないさ。ただそれに対する責任を負う自信があればの話だがな。自分ひとりの問題だとすれば少なくとも周囲に迷惑はかからないが、たいていのことはそうじゃないものだ。悪いがオレは、オレの立場を優先させてもらう。この子の同行は認められん、風紀委員長として、この学園を守る立場にある生徒会役員として」
少しも譲る気配のない美女丸の言葉に、彼なりの誠実さがみえた。
学園のため、という言葉に、彼の風紀委員長としての誇りが感じられる。
たぶん彼は考えを変えないだろう。
少なくとも、この子の正体が明らかになるまでは。
「お姉ちゃん・・・・ぼくシャルルに会えないのかな・・・・」
かなしそうにつぶやいた少年の頭を、美恵はいいこいいこするようになでた。
彼女にしても、連れて行ってあげたい気持ちは山々だったが、こうも明らかに彼の意志を示されると、しかもそれにはとても筋が通っているので、それを撤回させるだけの言葉が思いつかない。
ただやみくもに主張しても、決して彼の決意は変わらないだろう。
「あのね、あなたがね、自分自身を証明できれば、きっとあのお兄ちゃんも考えを変えてくれると思うんだけど、そうだ、あなたのお名前は?」
彼はその言葉に励まされ、顔をあげるとゆっくりと口を開いた。
「ぼくの名前は」
「名乗る必要はない」
突然、冷ややかな声がして、驚いて振り向くと、白金の髪に光を纏わらせたシャルルが立っていた。
ぱっと、少年が駆け出していく。
「シャルル!」
そしてジャンプするようにして、彼に抱きついた。
4人はぼうぜんと、突然現れた彼をみつめていたが、もっと彼らが驚いたことに、彼はそれを振りほどくでもなく、ぽんぽんと少年の背中を優しくたたいたのだった。
「会いたかったよ、シャルル」
「私もだ。・・・・それにしてはまた、予想もしなかった姿だな」
「あのね、ぼく」
「おっと、話は後で聞くよ。いまは黙って」
そういって少年を静かにさせると、ふっと微笑を含み、さて、と4人に視線を向けた。
「思わぬところで会ったね、諸君。いささか私も予想外だったよ」
言葉とは裏腹に、まるで予定通りといわんばかりの余裕。
「おい。あの子はおまえの親戚か?」
「なぜそう思う」
「だって、似ているもの」
口を挟んだなつきに、チラリと一瞬、視線を移す。
「へぇ・・・」
意味ありげにつぶやき、肯定も否定もせず
「ご想像にお任せしよう」
そういってほのかに笑った。
「今回は本当に予定が狂う。君たちを出迎える気なんてさらさらなかったが、これも一興か」
シャルルの服の裾を、少年がつかんだ。彼は安心させるようにほほえんで、よく似た白金の髪をくちゃっと撫でた。
「大丈夫だよ」
「ん・・・」
少年に向けられる眼差しは、やさしく、慈愛に満ち、そんな彼を目の当たりにして、4人は本当にここにいるのがシャルル・ドゥ・アルディなのかと疑問に思うほどだった。
けれども彼はたしかに本人で、すぐにいつもの冷ややかさを取り戻し、少し物憂げな眼差しを彼らへと向ける。
「この少年は私が連れて行く。君たちは最後まで自らの力で宝探しを続けてくれ」
そういって身を翻して歩き出した。
あっけにとられていた美恵が、あわてて、その背中に呼びかける。
「ちょっと待ってよ。連れてってくれないの!?」
シャルルは肩越しに振り返ると、ニヤッと笑った。
「あいにくそれほど優しくないんだ。それにここで他人の手が入るのは君たちにしても避けたいだろ」
「あたしはそういうことにはこだわらないわ」
美恵の言葉に、シャルルは軽く笑う。
「その柔軟さには恐れ入る、が、君の隣の男はそうは思ってないようだな」
あとを追おうとした美恵は、美女丸に腕を捕まれた。
「やめとけ」
「でも・・・その方が早いし確実じゃない」
「ついて来てもいいけど、君たちのために用意したゴールにはたどり着けないぜ」
「待って」
なつきの声が響いて、シャルルはふぅっと彼女をみた。
「なんだ」
「あなたはその子を連れに来たのね」
シャルルはわずかに目を細める。
「そうだといったら?」
「その子は誰。あなたの、何!?」
「答える義務はないな」
冷ややかにいって、背を向ける。
少年が振り返るようにして、彼女をみつめ、ニコッと笑った。
重なるイメージ。冷たい微笑。似ていない。全然違うもの。
なのにそれはまるでメビウスの輪のような曖昧な境界でしかなくて、なつきは首を振る。
「彼の名前は!?」
食い下がる彼女に、シャルルはかすかに笑った。
「そうだな。名は・・・・アンジュ」
なつきは心の中で繰り返す。
アンジュ
天使?
その意味を尋ねようとしたとき、すでに彼の姿はどこにもなかった。
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