探しの終着地点,図書館迷宮


 アルディ学園図書館1階、中央ロビーに彼らはいた。
 美恵、なつき、NAO、そして美女丸である。
 4人は先に行って待っているはずの和矢を探してウロウロしていたが、 なかなか彼を見つけられずにいた。
 館内アナウンスもしてもらったが、まったく反応はない。
 それでとりあえず、この図書館でもっとも人に会う確率の高い中央ロビーに座って 作戦会議をすることにしたのである。

「まったくどこにいったんだ、和矢のヤツ・・・」

 やれやれといった顔で、美女丸はイスに腰掛けながらほっと息をついた。

「場所はここに間違いないはずだけど、えっと地下っていってたっけ」

 美恵の言葉になつきが頷く。

「この図書館、地下はないはずなのに、不自然に広い空間があったんだよね」
「それにしても」

 NAOが感心したように図書館をグルリと見渡した。

「不思議な構造ですよね、ここ。ただ横に縦に広いわけじゃなくって、家みたいに壁で部屋にわかれていて、ちゃんとそれぞれドアがあって、図書館というよりは洒落たビルって感じがします」
「それは思ったよ」

 美恵が同じように周囲を見渡しながらいった。

「驚いたもん。ここの見取り図みて」
「なにが?」

 彼女の言葉に、なつきが尋ねる。

「いやね、まさかあんなに複雑な部屋割りになってるとは思ってなくてさ。いままで何度もここに来てたけど、今回改めて設計者の凄さを感じたよ。本当に美しいね、この建物。外形とか内装とかはもちろんのこと、構造すべて含んだあらゆる面で美しいって感じたよ」

 NAOがカツンと爪先で床をたたいた。

「良く見ると床のタイルも凝った幾何学的模様ですよね。微妙に一枚一枚が違う多角形なのに、どうしてか隙間なく並んでいて、一見バラバラにみえるのに全体がまとまると秩序立ってるっていうのがすごいなぁって思います」
「あの人らしいわ」

 クス、と笑ってなつきがいった。

「どんなことにも手を抜かない完璧主義って印象を受けたもの。まさにその通りってわけね。あら、珍しい」

 そういって彼女は立ち上がると、ロビーの中央にある円柱の側面のようなカーブを描く壁に近づいていった。

「これは少し変わったオブジェね。鏡かと思ったけれど少し違うみたい。奥行きがあるわ。透明な壁なのね。部屋になってるみたいだけど、入り口はないのかしら」
「だから、あるんだろ、どこかに」

 低い美女丸の声がして、その言葉にみんなはっとした。
 ああ、・・・・そうか。

「とんだフェイクだ。西洋人はこれだから」

 とっくにからくりを見破っていたのか、とくに感動するわけでもなく、美女丸がわずかに顔をしかめた。

「あの設計図をみれば、一目瞭然だ。この図書館自体が巨大な円柱形で、その中央がぽっくりくり貫かれてるとなれば、そこになにかあるってのはどんなバカでも考えつく。ただ、階段をはじめとする螺旋的構造でごまかしてるようだから、いままでだれもその構造に気づかなかったんだろうな。ここまで人の感覚誤差を巧みに利用するなんて、ずいぶんとイヤミな奴だ」

 美恵がふふっと笑う。

「褒めてるんだよね、美女丸」

 そういうと彼の顔がカッと赤くなった。

「バッ、誰がだ!」
「どうも表現がいまいち素直じゃないけど、相手の能力を認めてるってのは、わかります」

 NAOにまでそういわれて、美女丸は横を向く。

「勝手にいってろ」

 それで美恵とNAOは顔をみあわせ、クスッと笑った。

「本来の目的を忘れる場合じゃないんだろ。時間制限があるって話じゃなかったか」

 けれども美女丸のその一言に、一瞬にして真剣な表情に戻った。
 そうだった。早く行かないと。っていうか、和矢はどこにいるの!?

「あー。やっぱり一緒にいれば良かったよ」

 嘆くような美恵の声に、ぽんぽんとなつきが肩をたたいた。

「大丈夫。見つかるって。とにかく地下って話だったから、地下へ続く入り口を探しましょう」
「・・・・そうだね。じっとしてても始まらないし」
「地下への扉ですかぁ・・・・関係者立ち入り禁止区域、とかかな」

 美女丸は、先ほど見た設計図を頭に思い描いていた。
 それ自体が芸術作品であるかのように洗練され無駄のないその図。
 中央の空洞へと続く扉はどこにも記されてはいなかった。
 が、和矢はたぶんわかったのだろう。
 何も言っていなかったが、それは自分にもわかると思ったからこそ。
 だったら何としてでもみつけなければならない。
 そう思っていた。
 関係者立ち入り禁止区域、か・・・。
 不思議にNAOの言葉が残った。
 目を瞑る。彼の頭には3Dのようなこの建物が浮かぶ。
 まるで図書館の方がおまけであるかのように彼には思えた。
 木は森の中に隠せ、ではないが、プラネタリウムは図書館の中に隠せ、か。
 ずいぶんと意味深じゃないか、シャルル。
 だがすぐに、その推論の穴に気づいた。
 もしそうだとするなら、最初から彼はプラネタリウムを公開する気がなかったということになる。
 だがそれはどう考えても不自然だった。
 どちらかといえば、先に図書館を作り上げることを優先した、と考えた方が辻褄が合う。
 そのスペースを確保しつつ、あとでゆっくりとそこを自分の満足の行くように仕上げたかったと考えるのは、彼の性格にも合っている。
 彼の性格――それは先ほどなつきもいっていた、完璧主義に他ならない。
 そして付け加えるなら、秘密主義であろう。
 このふたつはたぶん、密接な関係があるのだ。
 完璧主義だからこそ、自分の中ですべての事象がひとつに結ばれ、何一つ矛盾のない、綻びのない状態にしてはじめて、それを表に出すのである。過程というものを人にみせるのが好きではないのかもしれない。
 ふつうなら、自分ですべてを解決できないから、途中で周囲の人間に事情を話してアドバイスを求めたり、あるいは話すこと自体で、自分の気持ちを整理したりするけれど、なまじっか彼はひとりでなんでもこなしてしまうから、そういうことがいっさいないのだ。
 だとすれば、プラネタリウムは、完成すれば公開するつもりであったと考えるのが自然だ。
 とすれば、その入り口をそんなに変な場所には設けないのではないだろうか。
 では、どこか。
 現在この図書館でごく自然に立ち入り禁止になっている場所。
 そこに入れなくても、だれも不思議に思わない場所。
 そう考えていくと、彼にはもうひとつしか心当たりがなかった。

「上に行くぞ」

 途中経過を完全に飛ばして、美女丸は突如そういうと、非常階段の方へと歩き出した。
 気づいているのかいないのかはわからないが、彼自身、過程を人にみせるタイプじゃない。
 女性3人はあっけにとられつつ、なんとなく逆らい難いものを感じて後を追った。
 非常階段で上に行くのは、女性陣は初めてだった。
 ふつうはエレベータか、あるいは装飾の施された螺旋階段を利用する。
 だいいち非常階段とは、非常の時に使うための階段なのだから、多用する方が珍しい。

「どこにいくの?」

 素朴な疑問とばかりに、美恵が訊く。美女丸は振り返りもせず、答える。

「いちばん上だ」
「7階!?って、医学書とかあるんじゃなかったっけ」
「それは最上階だろ。一番上にあるのは屋上さ」
「ここにもあったんだ!?」

 当たり前だろ、というように美女丸が振り向いた。

「穴でも開いてると思ってたのか?」
「いや、そうじゃないけど・・・」
「建物にはふつう屋上があるだろ。じゃなきゃ、最上階は天井なしになるぜ」
「・・・ねずみのすみかがなくなるわね」

 なつきが意味不明なことを言って、深く頷いた。

「・・・・・・・・とにかく、だ」

 気を取り直すように美女丸がいって、再び歩き出す。

「あまり有名じゃないが、ここの屋上は絶好の天体観測スポットなんだ。天文部の観測所もある。それで非常階段で7階より上に行こうとすると、立て看板があるんだ。天文に興味のある者以外、立ち入り禁止、ってな。それでオレはああそうかと納得して、わざわざそれを越えてまで行こうとしなかったんだが、考えてみると意味深だろ。文句が」

 なるほど、と美恵となつきは素直に頷いたが、NAOは他のことが気になっていた。

「一つ質問があるんですが」

 そういって、美女丸に話し掛ける。

「なんだ?」
「どうして非常階段でそんな上までいったんですか?」

 ピタ、と美女丸の足が止まった。つられて3人もそのうしろで止まる。
 やがて美女丸はぼそっとした声でいう。

「・・・昼寝の場所を探しに」

 とても風紀委員長の言葉とは思えなかった。

「いいだろ。別に。オレは屋上とか木の上とか、高い場所が好きなんだ」

 そういってさっさと階段を上り始めた彼の横顔は、真っ赤で、NAOは思わず笑い出した。
 美女丸がムッとして振り返る。切れ長の眼がよりいっそうきつめに感じられ、同時に彼をいつにもまして凛々しく見せた。

「あのなぁ!」

 突然のその大声に、NAOはビックリした。

「きゃあぁっ!!!!」

 のけぞった拍子に思わず階段を踏み外し、バランスを崩しかける。美女丸はとっさに

「危ない―――っ!」

 右手で彼女の手首を強く掴むと、反対側で手すりを握りしめた。重力に逆らおうとするのは並大抵ではない。美女丸は強く手すりを握り、なんとか反動を堪えた。そして体勢が安定すると、ほっと息をつき、参ったといったように首を振った。

「おい・・・脅かすなよ」

 そして、彼女の足場が安定したのを確認して、手を離す。そのままその手を額に持っていき、汗をぬぐった。それくらい彼は緊張していた。
 NAOは呆然として、その場に立ち尽くす。うしろでふたりの心配そうな声がした。

「大丈夫!?」
「NAOちゃん、怪我ない?」

 NAOはただこくんと頷き、強く捕まれた左手をみた。そこは彼の指の跡がくっきりついて赤くなっていた。
 美女丸は彼女の視線を追って、それに気づき、苦笑する。

「悪ぃな。とっさだったから手加減する余裕もなかったけど、加減してたら落ちてたぞ、おまえ」

 ふっと皮肉げな眼差しを向けられた。そのときはじめて、彼をよく見た。
 美馬やイツキ、和矢とは違うぶっきらぼうさ、かといって理事長ほど愛想がないわけではない。
 さっきみたいに照れて赤くなったり、かと思えば自分をとっさに助けてくれた真摯な態度。
 そしていま自分をみる切れ長の眼差しはわずかに笑いを含み、涼しげで、けれども冷たくない。
 思わず、凝視した。相手はそんな彼女の態度に驚いたらしく、思わず目の前に手をかざした。
 NAOははっと我に返る。

「あ・・・・」
「大丈夫か?」

 苦笑交じりだったが、心配してくれているのが、わかった。
 NAOはコクンと頷くと、安心させるようにあわてて笑った。

「す、すみません。もう大丈夫です。どうもありがとうございました!」

 元気良くいって、ペコリと頭をさげる。美女丸はほっと息をついた。

「無事で良かったな。驚いたぜ、今度からはせいぜい予告してから落ちろよ」

 からかい混じりのその口調から、彼の安堵が感じられた。

「重ね重ねありがとうございました」
「いいよ、礼なんて」
「いいえ。もとはといえば私のせいですし。あの・・・笑ってごめんなさい」

 素直なその言葉に、美女丸は少し驚いたようだった。けれども彼女があまりに真剣に自分をみつめるものだから、やがてふっとその眼差しをゆるめると、左頬をわずかにゆがめるようにして、いった。

「別に、いいけどな・・・・・・」

 そのあとで、けどなぁ、とぼやくようにつけたす。

「オレが昼寝しちゃ、そんなにおかしいか?」

 いたずらを見つかった子供のようなその表情に、うしろで見ていた美恵となつきも、笑い出した。ふだん風紀委員長として、一糸の綻びも許さないような厳しさを彼の中にみていた。そういう相手にふと、こんな無邪気な表情をされたら、ちょっと心に動揺が走る。笑いながらも、自然と目が彼にいく。

「おかしくて笑ったんじゃないですよ」

 NAOはあわてて美女丸にいった。

「なんか安心したっていうか、いままで風紀委員長ってすごい近づいちゃいけないようなイメージがあって、まるで自分とは別の世界に住んでるっていう気がしてたんですが、なんていうか、さっきの話聞いて、身近に感じたっていうか、あたしたちと変わんないんだなって思ったっていうか、うまくいえないけど・・・・私、嬉しくって、笑ったんです」

 最後はきっぱりいって、今度はニッコリと笑いかけた。美女丸は、意外そうに彼女の言葉をきいていたが、やがて不器用そうに口を開いた。

「別に・・・何も変わんないだろ。変な気を使う必要なんてないさ。オレはたしかに風紀委員長だけど、そのまえにおまえらと同じひとりの人間だからな・・・・しかも男だ。だから女は守るってのが、風紀委員長であるまえのオレの役目だと思ってるよ。おまえを落としてたら、オレは男失格だったな」

 ふっと笑って、目を細めた。その仕草が大人っぽくって、ドキンとした。

「ねえ・・・彼って、ときどき妙に色っぽくない?」

 なつきがひそっと美恵にささやく。

「うん。いまあたしもそう言おうと思ったよ。無骨そうにみえるけど意外と繊細なのかもね」
「意外と、は余計よ、美恵ちゃん。こういうタイプって、悪くないわぁ」

 うっとりとなつきがいって美女丸をみた。
 美女丸はそんなふたりの会話には全然気づく様もなく(もし気づいていたら、ついいまさっきのやりとりが再び繰り返されたかもしれない)

「とにかく行くぞ。和矢だって待ってるだろうし」

 そういって身を翻し、先頭にたって階段をのぼり出した。
 美恵はその言葉に、はっとする。

「そうだよ。和矢が待ってるんだ」

 それでNAOを抜かすと、あわてて、彼の後ろについた。
 微笑ましそうにそんな彼女をみつめるなつきの目に、NAOの、わずかに明らんだ頬がうつる。彼女はからかいがてら、肩をたたいた。

「NAOちゃん」
「え、はい?」
「どう?ナイトに守られた姫の気分は」

 そういうとNAOは首まで真っ赤になった。

「な、な、なにを。そんなことは全然ありません」
「その顔でその言葉は、まったく噛みあってないよ」

 笑いながら、なつきがいう。NAOはプルプル首を振ると、ジィっと、なつきを見返した。

「あたしは理事長のファンなんです」
「それは知ってるけど、でもいいじゃない。今回、美馬さんも来れないんでしょ?」

 それはNAOも残念に思っていた。聞く所によると、彼女を置いていけない、というのが理由らしい。
 少しかなしかったが、そういう彼の態度がとても真摯に見え、かえって好感が持てた。

「じゃあさ、もしNAOちゃんが興味ないっていうなら、あたし、近づいてもいい?」

 その言葉にぎょっとして眼を見開くと、なつきは意味ありげにニヤっと笑った。

「いい身体してるし、性格も男気があって果敢、照れ屋、けどさっきの様子みる限り、根は優しいし、なにより精神がしっかりしてそう。気に入ったわ」
「だっだっだって、なつきさんも理事長が好きなんでしょう!?」

 NAOの声はふだんよりかなり高めだった。

「ええ。好きよ。たぶんいま世界中でいちばん興味があるわ」

 あっさり頷いて、でも、と続ける。

「だからって彼以外に興味がないわけじゃないもの。近づくくらいなら、関係ないじゃない。あたしね、NAOちゃん、男女の区別なく、好きなところは好きというわ。それが性格の一部でも。だっていいことは伝えてあげたいじゃない。いわないと、わかんないことってあると思うし。あたしいま、美女丸のこともっと知りたいなーって思ってるから、それには近づくのが一番なのよね」
「そ、そんなの駄目ですよっ!!!」

 思わずいって、NAOは自分の言葉にはっとした。
 何を言ってるんだろう、あたし・・・。

「なんてね。冗談よ」

 からからと笑って、なつきはウインクした。

「ちょっとね、からかってみただけ。でも、なんで駄目なのか、理由を聞きたいわぁ・・・」
「なつきさん!!!」
「でも嘘はいってないからね」

 真っ赤になって叫ぶNAOに、なつきは余裕のほほえみを返した。

「いまいったのは全部本当よ。だからいまのうちにいっておいただけ。たしかに彼には興味あるから」

 NAOはもはやなんといっていいのかわからなかった。
 どこまで本気でどこまで冗談か、それが全然よめなくて、思わずまじまじと覗き込んだ、なつきの顔を。そんな彼女になつきはニコッと笑って返すだけ。どうかした?そんな飄々とした態度が、一種のポーカーフェイスに似ている、とNAOは思った。えらい相手とライバルになりそうだ。・・・え?どういう意味で?
 自分で自分の問い掛けに、疑問符を投げかけた、そのとき。

「NAOちゃーん、なつきさーーーーん!?」
「おい!なにグズグズしてるんだ。置いていくぞ!!」

 上から声が降って来る。いつものキビキビとした風紀委員長の声。

「はぁーーーい」

 ふたりは同時に返事をして、カンカンと音をたてながら、非常階段をのぼり出した。
 まあ、いっかぁ。
 NAOはのぼりながら考える。
 まだ先は長そうだし、考えることならいつでもできるわ。
 いまは深く考えないで、とりあえずはプラネタリウムを見つけなくっちゃ。
 そしてあの人と一緒に修学旅行へ行かなくっちゃね。

「あるといいね、入り口」

 なつきも同じ気持ちなのか、横からNAOにそう話し掛けた。

 カンカンカンカンカンカンカン――――

 その金属音は、まるでプレリュードのように、ふたりの心を上手に誘惑していった。





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