時間は少し遡る。つまり4人がその扉の前にいた時間へと。
「ちょ・・・どうしちゃったんですかぁ〜・・・」
驚きを隠せずに小声でそう訊いたのはNAOだった。
隣にいたなつきは、ほっと息をついて首を振る。
「さあねぇ」
「少し、ううん、かなり意外でした。彼があんなに激しい人だったなんて」
「あたし達はまだ来たばかりだから、いろんな人のいろんなことが、まだ、見えてない気がする…」
そんなふたりのやりとりには加わらず、美恵はじっと彼をみていた。
彼は壁をにらむようにみつめていた。何かを考えるかのように。
何かを思い出すかのように。
彼の中から興奮が少しずつ、抜け落ちていく。
「あ、あの・・・さ・・・・」
ためらうように美恵が声をかけると、彼はゆっくりと振り返った。
苦笑いにも似たほほえみを浮かべて。
「またやっちまったな」
けれどもそういう彼の顔は、特にショックを受けているようではなかった。
美恵は少し意外だった。彼が傷ついているとばかり思っていたのだ。
「驚いただろ、ゴメン」
「ううん、謝らなくてもいいけど・・・」
戸惑う美恵に、彼はわずかに笑ってみせた。
「いつも、あんな感じなの?」
なつきがそう訊くと、彼は彼女の方を振り返りつつ、苦笑する。
「いつもってのはいいすぎだけど、ま、こんなもんだろ」
その答えに美恵は仰天した。
「うそっ!?」
「いいんだよ、あれで」
彼はほっと息をつき、肩をすくめてみせた。
「たしかに言い過ぎたかもしれないけど、それは反省の余地あるけどさ、あれくらいいってやんないと、あいつには通じないよ。それに皆あいつを甘やかしすぎるんだ。いくら理事長だからって、言うことは言ってやんないと、あいつの為にもなんない。悪いクセだ。全部ひとりで抱え込もうとする、わずかな誤差も許せないってところ」
「じゃ、じゃあそれ知ってて、わざとあんなふうに言ったわけ?」
美恵の言葉に、彼はわずかにだが自嘲めいたほほえみを浮かべた。
「だったら良かったんだけど、あのときはほんとにカッとしてさ、気づいたらいってた。で、あいつが例の調子で返してくるもんだから、ついつい頭に血が上って、見ての通りってわけ」
「でもすごく落ち着いてるんですね、生徒会長」
NAOの言葉に、和矢は否定も肯定もしなかった。ただあいまいな微笑を浮かて。
「過ぎたことは仕方ないよ。あとはもう、認めさせるしかない。行動で示さなきゃ、絶対伝わらないからね。そういうやつだよ、シャルルって」
「さすが長年連れ添ってるだけあるわねぇ・・・」
感心してなつきがいうと、彼はわずかに目を細めて、どこか遠くを見るような表情をした。
彼はみていた。かつて相手を信じられなかった自分を。自分の見たものに、考えに固執しすぎて、真実を見誤りそうになったときのことを。だからもう二度と同じ過ちは繰り返したくなかった。
「人はきっと過去から学ぶんだろうな・・・」
その言葉に、美恵が頷く。
「そうだね。じゃないと、意味のないものになっちゃうのかな」
「じゃあ学ぶためにあるの?」
素朴な疑問とばかりに、NAOが尋ねた。
「そんなこともないと思うけど。能動的というよりは受動的なんじゃないかな」
なつきがいって、NAOが難しそうな顔をする。
「能動的、ですか?そして受動的???」
「ああ、ごめん。なんていうか」
その言葉を、和矢が受け継いだ。
「意識しなくってもさ、通過するだけで受け入れてるってこと。でいいのかな?」
「ん。そんなとこ」
彼はその黒い瞳にからかうような光を浮かべて、なつきを見る。
「けどあいつを認めさせるんなら、とにもかくにも能動的、これが大前提」
なつきはわずかに驚いた顔をした。
「そうなの?」
和矢はクスッと笑って頷いた。
「ん。というよりは必要最低限ってとこだろうな。ってことでとりあえずは」
「彼の挑戦を受けてそれを破って凱旋パレード?」
美恵の言葉に、和矢は目を大きくし、ついで笑い出した。
「いいね。それ。ぜひそうしようぜ。あいつの驚く顔が目に浮かぶよ」
「うわ。楽しそう。あたしも仲間に入れてね」
なつきに続いて、NAOも手をあげる。
「はい。はーいっ。私も。参加希望」
「じゃあ皆で、謎解きと参りますか」
「うんっ」
意気投合した4人は、開かない扉にいったん見切りをつけると、外へと出た。
いつのまにかすっかり夜の風貌を湛えて、闇がそこに佇んでいた。
泉の流れる音が静かに響いて、夜の空気をよりいっそう静寂なものへとしている。
かすかに星がみえた。一等星、二等星、それくらいまでならくっきりと。
「きれいだね〜」
なつきが嬉しそうに空を見上げる。自然と足は止まって、4人は夜空を仰いだ。
月は新月を少し過ぎたばかりの細くて鋭い猫の爪のような三日月だった。
星の明かりを邪魔しないように淑やかに浮いている。
雲は見渡す限りない。風はほとんどなかった。
「こうしてみると、宇宙の無限さに慄きそうになるよ」
美恵がそういって、感嘆にも似たため息をついた。
その横で和矢が、ひとりごとのようにつぶやく。
「そうだな。けど時間は流れ続けてるって思うと、不思議な気分だ・・・」
NAOが感心したようにいった。
「いまみてるものと、つい1分前にみたものは、もう何かが違ってるんでしょうか。
そう思うと本当に不思議です。こんなに雄大なのに微細なまでの正確さで時が刻まれているなんて・・・まさに宇宙ですね」
「え?」
きょとんとしたなつきに、NAOは説明した。
「宇宙って漢字は、時間と空間を示しているそうなんです」
「へえ、そうなんだ。すごい、NAOちゃん、物知りっ」
「いえ、たまたま本で読んだだけで・・・」
謙遜するNAOにほほえんで、なつきはゆっくりと思考を廻らせた。
ほんとうにきれいな風景。どうしてこんなに感動するんだろう。
どこにでもあるのかもしれない光景なのに、まるでいまここにしか存在しないような・・・。
時間と空間と。ああ、それで宇宙なのか、だからこんなに切なくなるのかな。
その瞬間には失われてゆくものだから・・・。
取り留めのないその思いが消えていく前に、それを言葉にしたいと思った。
「一瞬の美しさって、たしかにあるよね。すぐに消えゆくものだから。・・・まるで
手にした瞬間溶けてしまう雪のように・・・それは星の輝きと似ているのかもしれない。
その瞬きはまさに、もう既に失われたもので、
光の速さをもってしても気が遠くなる程の「過去」から届く瞬き、なんだよねぇ」
美恵がうっとりと星をみながら、頷いた。
「本当に目を奪われるよね。あたしも昔から、プラネタリウムとか大好きだったんだ」
「あ、あたしも」
「私もよ〜」
それで女性3人、再び意気投合して、話し始めた。
和矢はなんとはなしにその話を聞いていたが、やがて、はっとして顔をあげた。
「わかった!」
盛り上がっていた女性陣は、その声に驚いて、同時に彼の方を向く。
「え?」
「わかったって・・・」
「シャルルのなぞなぞが解けたの!?」
期待と興奮に満ちた眼差しを向けられた和矢は、その前で自信たっぷりに頷いてみせた。
「ああ、わかった。いまの君たちの話が、その答えなんだ」
夜の神秘さを湛えた黒い瞳に、喜びが光のように溢れていた。
(後編に続く)
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