こに在るもの

 ルイは眠ったようにそこでじっとしているシャルルを、しばらくの間黙って見つめていたが、やがてぽつりとつぶやくようにいった。

「なぜあんなものを作ったの」

 シャルルは本当に眠っていたわけではないらしく、その言葉にわずかに反応した。
 目を閉じたまま、答える。

「別に。とりたてて深い意味はない。ただ・・・」
「ただ?」
「・・・知って欲しかった。どれだけ自分の認識というのが視覚に左右されるのか。思い込みがどれくらい危険なものなのか。実際に体験させるのがいちばんいいと思った」
「じゃあ、そう言えばいいじゃないの」

 憤然として、ルイが言う。シャルルは軽く笑った。

「人に教えられて何になる。自分で見つけなければ意味はない」
「でもあれじゃ、突き放しているとしか思えないわ」
「だったら、それでもいい。それで挫けるようじゃ、とうてい彼らの目的は達成できないからね」

 少し投げやりな口調は、彼らしくなかった。
 だからルイはそこに、僅かに潜む彼の無理をみつけた。
 口にこそ出さないけれど、彼は明らかに彼らを信じているのだ。
 いや、信じていたのだ。
 けれどもさっきのやりとりから、相手が彼の意図に少しも気づくことなく、一方的に責められて、しかも彼のいちばん信頼する友人にそうされて、彼は信じることができなくなった。
 だから、投げやりになる。でも本当は、それでもまだ、信じたがっている。
 その気持ちが目を閉じた彼の横顔から伝わってきて、ルイは、ほっと息をついた。
 本当に素直じゃない。

「あなたは少し、厳密すぎるわ。そしてなんでもきつく縛りすぎる。いくらあなたがそう思っていても、相手に伝わらなきゃ意味はないのよ。期待を裏切られたからって、その瞬間にすべてを閉ざして背を向けてしまったら、もう二度とその誤解はとけないわ。それでもいいの」

 彼は皮肉げな口調で言った。

「だから、構わないといっている」

 ルイは焦れったくなって、先ほどの彼の言葉を持ち出してくる。

「おかしいわよ、そんなの。あなたさっきいったわよね、肯定の証明は否定よりも簡単だって。 でも違うじゃない。あなた、できることをしようとしてない。ほんの少し勇気を出せば変えられるのに、それに手を出そうとしない。できるとかできないとか、関係ないじゃない。しようとしてないじゃない。だったらさっきの話に信憑性なんてないわ。あなたの言葉、信じられない。できる、できないよりも、もっと大事なものがあるんじゃないの。そうであるか、よりも、そうしたいか、が大事なのよ!」

 次第に興奮してくるルイの言葉に、シャルルは重そうに瞼を持ち上げた。
 それを、彼女に向ける。
 青灰色の瞳には刃物のように切れがあって、にらむでもなく、ただ見ているだけなのに、彼女は恐怖を感じずにはいられなかった。そこに明らかな隔たりがある。彼はたしかに彼女を見ていたけれど、彼女は彼に分析されているようにしか思えなかった。
 やがて彼は静かに口を開いた。

「わかってるじゃないか」

 それがあまりに意外な言葉だったので、彼女は驚いた。彼はわずかに目を細めて、ほほえみを、浮かべる。

「そうだよ。君の言う通りだ。問題は人の意志さ。何を望むのか、そのために何をしなければならないのか、どうすればいいのか、どうしたいのか、その結果、人の行動が決まる。そこに個人というフィルタが入るけどね。たとえばすべきことを知っていても、できない人間がいる。したいことがあっても、それを行動に移せない人間もいる。逆に、一見不可能に思えることでも、それを可能に変えられる人間もいる。そこには様々な要因が絡んでくる。能力ばかりじゃない。過去の経験、記憶、そして譲れない想い。それらが時に人を臆病にしたり、あるいは先へと進む力をくれたりする。信じられない行動を誘発することだって、ある」

 いいながらシャルルは、いまは何も映っていないモニタに視線を移した。

「オレが今回の参加者に求めるのは、自分の望みを叶えるために、ちゃんと自分で行動できることだ。だから、課題を出した。本気で参加したいのなら、どんな形にしろ答えをみつけるだろうと思って。別に正解を見つけて欲しかったわけではない。ただ知りたかったんだ。どれくらい本気で行きたいと思っているのか。その気持ちが本物なのか。好奇心も悪くない、それが中途半端なものでなければね。心でいくら願おうとも、それだけでは、足りない。そのために時間を使って、頭とからだを使って行動を起こしてこそ、その願いは本当のものになる。それを君は厳しいと感じるか。けど君は、ここにたどり着いたわけだから、オレの条件は一応クリアしてるってことになるんだけどね」

 透明で冷ややかな彼の眼差しが、わずかにやさしくなって、ルイを見た。
 彼女はとっさに、言葉を返せなかった。
 なぜなら、彼の言葉は彼女の予想を遥かに越えていて、彼を責める要素を失ってしまったから。
 けれども、たしかに、厳しいとは思った。
 そこまでして、厳選して、いったいどうしようというのだろう。
 単なる修学旅行にしては、いやに、慎重だ。

「あなたの狙いは、わかったわ」

 それだけをいうのに、なぜか息切れがした。

「彼らを見ていた理由も、わかった。でもどうして、なんでそこまでする必要があるの。 修学旅行よ。楽しく、行きたい人みんなで、行けばいいじゃない。 無理に宇宙なんて行く必要ない。もっと身近なところに、みんなで行けば問題ないわ」

 彼はふっと、自嘲的なほほえみを浮かべる。

「修学旅行、か」

 一瞬、その瞳が緊張を孕んだようにみえて、ルイは驚いた。
 そんな彼女の前で、シャルルは視線を伏せるようにして表情を隠すと、つぶやくようにいった。

「そうだね。君の言う通りだ。修学旅行にしては少し・・・遠すぎる、ね」

 その言葉に、ルイはますます不審を募らせたが、それ以上シャルルは何も言おうとはしなかった。
 それで結局彼女は、その部屋を去った。
 そのあとで彼も、軽いチェックを行った後、コンピュータールームを出て行った。
 することは山のようにある。
 しばらく学園を留守にする、その前にかたづけなければならない仕事は少なくない。
 後任をジルに頼んだが、そのための引継ぎもしなければならなかった。

 そのすべてを無駄なくこなして、シャルルは次の日の早朝、ある場所へと、足を運んだ。
 彼が指定したその場所。

 偽りの過去の眠る場所。

 正解者は、いないはずだった。
 だからそこへ彼自身が、参加者を呼ぶことになるはずだった。
 けれども、彼をしてさえ、予測できないことが起こった。

 入った瞬間、珍しく、彼の顔色が変わった。

 まさか、嘘だろ――。

 そんな彼の肩を抱き寄せる腕がある。低くてやさしい声がする。

「あまり人を甘くみるんじゃないぜ、シャルル。見つけたよ、おまえの答え」

 シャルルはぼうぜんと彼を見返し、そして、彼がいつもと変わらないまっすぐな瞳をしているのを知って、そのなかに輝く強い意志のきらめきをみて、参ったといったように、首を振った。

「降参だ・・・・歓迎するよ」

 そして顔をあげて、ほほえんだ。

「ようこそ、偽りの過去の眠る場所へ―――」

 それは花の蕾がほころぶようにやさしくて、夢のようにきれいなほほえみだった。




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