かない扉,開かないのは扉?

 4人は目の前に立ちはだかる大きな扉を、じっとにらむように見つめていた。
 すなわち、美恵、なつき、NAO、そして和矢の4人である。
 イツキはといえば、用事があるとかで先に帰ってしまった。

「開かずの扉、か・・・」

 つぶやくようにいって、和矢は目の前にある扉をながめた。
 彼はちょうど図書館を出て帰る途中、バラ園の近くで彼女達に遭遇したのだった。
 それでイツキの変わりに、といったらおかしいが、女の子3人だけでは、ということもあり、なんとなく一緒に来ることになった。なりゆきというのは、意外にあなどれない。

「知らなかったな、そんな伝説があるなんて」

 それは次のようなものであった。

 むかしからアルディ学園には、開かずの扉と呼ばれる大きな扉が存在する。
 場所は、泉の裏側にある小さな棟。
 そこにはずっと錠が掛かっていて、基本的には立ち入り禁止だった。
 理由としては、建物が古くて危ないから。
 床が痛んでいて、歩いていて落ちてもおかしくはない、という状況らしかった。
 だがそんな理由は、信憑性に欠ける。
 古ければ作り変えればいいのであるし、その費用が出せないような学園ではない。
 なのに放置してあるということは、それなりの意味があるに違いない。
 というような内容の噂がいつからか誠しやかにささやかれるようになった、ちょうどその頃、ある噂が出始めた。
 だがそれは、なんともばからしい噂であった。
 なにせ、その棟では昔、タイムマシンの実験がなされていて、いまでもその歪が残っているために、入ったものは時空間に飲み込まれるのだ、という、よりいっそう信憑性にかけるものだったからだ。
 実際、この噂を鼻で笑った生徒が、錠を無断であけて中へと入ったが、とりたてて何も変わったことはなかったと報告した。が、ただひとつ、入ってすぐのところに地下への階段があって、行き止まりのところに背丈の2倍はある扉があったという。そこは鍵も掛かっていないのに、どうしてか開かなかったと、その生徒はいった。
 この話に興味をもった他の生徒が次々に、その扉を開けようと試みた。
 それである一時期、まるでゴールド・ラッシュのカリフォルニアのように人で賑わったそうだ。
 だがたしかにその建物は古く、突然多数の人間が押し寄せたことにより、老朽化がより悪化し、結果として理事長がその棟を封鎖することになった。
 それ以来、誰一人、この棟に足を踏み入れたものはいない。


「でもさあ、最近ここに来たあたしたちが知らなかったのはいいとして、なんで古株の和矢が知らないの?」

 古株、という言葉に苦笑しつつ、和矢は美恵を振り返った。

「その頃、ここにいなかったんだ」
「え?なんで?和矢も途中から来た人?」
「そうじゃないけど・・・」

 言葉を濁すように口を閉ざした彼に、なつきが、からかうようにいう。

「自主休校中だったとか。あるいは、停学中とか」

 その言葉に美恵が少しむっとした口調でいった。

「そんなわけないじゃん。和矢に限って」

 すると和矢は、わずかに目を細め、その瞳に自嘲めいた光を浮かべた。

「いや、当たらずしも遠からず、かな」

 その声がいつになく皮肉げだったので、NAOは驚いた。
 彼女はそれまでずっと、彼のことを、だれにでも優しくて親切で、陰の部分など全然ない、素のままに生きられる奇特な人だと思っていたのだ。
 まったく疑問なく、それを信じていた。実際そのときまで、彼は彼女の予想通りだった。
 けれどもいま、はじめて彼女の中の生徒会長の像と微妙にずれて、彼女はその意外な差異に驚いていたのだった。
 そんな彼の前で、和矢は視線を避けるかのように、扉へと向き直る。
 ほっと息をつく。

「以前は時々、学校をさぼってたんだ。1週間、長いときで1ヶ月くらい、下手すると2ヶ月くらい留守にしていたこともあったな。たぶんその噂が出た時期も、オレは学園に来てなかったんだと思う。だから知らなくても、おかしくないよ」

 淡々と話す彼にどう声をかけたらいいのか、戸惑った。

「えっと、だから・・・うん、そういうときもあるよ」

 意味不明な同意をして、美恵は明るく笑った。

「人生学校に通うことがすべてじゃないって」

 NAOもコクンと頷く。

「そうです。別にだからどうってことは・・・」
「ま、ね。たしかに」

 なつきは軽く笑うと、さらりと話題を変えた。

「いまはそんなことより、どうすればこの扉を開けられるかよ」

 その言葉に、和矢はかすかに笑った。
 みんなのやさしさが、あたたかかった。

「そうだな」

 感謝をこめてそういうと、気持ちを切り替えるように上を向く。
 自分の2倍ほどある大きな扉。
 まるで行く手を阻むかのように立ち尽くすその扉は、挑戦しているかのようだった。
 通りたければ通るがいいと。
 それはあるいは彼の挑戦かもしれない、と和矢は思った。
 いままでずっと一緒だった、彼。
 多くを語らないかわり、その一言一言に、痛いほど気持ちがつまっている。
 一見わかりにくくて、時にはまったく逆の意味さえ与えかねない辛辣な言葉もあったけれど、決して彼の言葉に無駄な偽りは存在しないことを、長年の付き合いから知っていた。
 すべて、意味がある。たとえ嘘をついたとしても、その嘘にさえ、彼の思いが隠されている。
 もし彼が行動を起こすのなら、そこには必ず何らかの意図が存在するはずだった。
 それはもしかすると、彼のメッセージなのかもしれない。
 だから和矢は放っておけないのだ。
 どんなに過保護と言われようと、彼の傍を離れられない。
 自分をわかってもらえないのがどれほど辛いかという事を、寂しいかということを、彼は身を持って経験していたし、同時にそれを経験させてしまったことがあった、とても大切な人に。
 その人はもうこの世には存在せず、彼は謝ることさえできない。だからせめて、もう同じ過ちを繰り返さないことで、その罪を償いたいと思う。なにより、もう二度とあんな思いはしたくなかった。そのためなら、なんでもできる。たとえ、何を犠牲にしてでも。
 その悲痛なまでの決意をもって、彼はその喪失の傷を塞いでいたのかもしれない。
 彼の眼差しはとてもやさしい。けれどもそのなかに孤独がいっぱいつまっていて、それさえ彼はとてもきれいに隠してしまうけれど、気づくものは、いる。いつも彼を見つめていれば、いつでも彼を求めていれば、彼がときおりみせるその表情に、気づくのだ。彼としても生身の人間。いつでも笑っていることなど、できるはずもない。
 美恵はドキンとして、彼の横顔をみつめていた。
 扉を見上げる和矢。
 なんでこんなに辛そうなのかが、わからない。
 たまらなく切なげではかない、その表情。
 抱きしめてあげたい。
 何も心配はいらないのよって、大丈夫だからそんな顔をしないでって、いってあげたい。
 そう思って見つめる美恵の前で、和矢はふぅっといつものやさしいほほえみを取り戻すと、ゆっくりと壁に近づいた。
 触れるように、指で弾く。微かに音がする。金属の音だ。

「ずいぶんと頑丈な材料みたいだ。体当たりじゃ、破れそうもないな」

 クスッと笑って、振り返った、その笑顔がまぶしくて、切なかった。

「和、矢・・・」
「ん?」
「・・・・なんでもない」

 不思議そうな顔をする彼に、美恵はごまかすように笑う。

「押して駄目なら引いてみろってこと、ないでしょうか」

 NAOの言葉に、和矢は取っ手を思いっきり引っ張ってみたが、やはり開く気配はなかった。
 ためいきが漏れる。

「違うのかなぁ・・・」

 つぶやくようになつきがいって、再びその取っ手を、押してみる。

「少し安易かもね。その噂が本当かわからないにしろ、タイムマシンと過去を結びつけるなんてさ」

 NAOは納得しかねるといった表情だ。

「でも、偽りっていうのが、噂に過ぎないって意味だったら、これほどぴったりすることもないと思うんですけど」
「うーん。たしかにそうなんだけどね」

 美恵も困ったように扉を見上げた。
 ピクリとも反応しない扉。開く気配さえ、みせない。
 このままここにいても、無駄かもしれない。いっそのこと。

「ブルドーザーで壊してみる?」

 にっこり笑ってそういうと、3人はいっせいに美恵をみた。

「ん?」
「・・・・・美恵さんって」
「え?」
「顔に似合わず、物騒だな」

 続きを和矢が笑いながら受け継いだ。

「え゙っ・・・」

 さぁっと美恵の顔から血の気が引く。和矢に物騒っていわれちゃった・・・どうしよう・・・。
 そう思ってチラッと彼の顔を盗み見すると、別段気にしている様子もなかったので、彼女はほっとした。
 良かった。気にしてないみたい。これから発言には気をつけなくっちゃ。
 気を取り直して顔をあげると、美恵は何か手掛かりはないものかと、改めて扉を見渡した。
 他の壁から浮き立つように銀色をしている、その扉。
 取っ手もたぶん同じ素材、プラチナ。
 木材であったなら、あっさりとぶち破ることができただろうが、そうもいかないから、困っている。
 たしかに最終的に壊す方法はあるだろうが、目的は中へ入ることであって、壊すことではなかった。
 第一、中に何があるのか、わからない。
 この中にシャルルがいる?
 そうかもしれない。でもそうじゃないかもしれない。
 そんな中途半端な状況では、強硬手段に出れるはずもなかった。
 近づいてみると、扉の端を一周するように綺麗なレリーフが彫られていた。
 繊細で優美な薔薇と蔦の模様。
 さすがアルディ学園の扉だけある。
 だが今は、あまり感心する気にはなれなかった。
 どんなに綺麗でも美しくても、開かなきゃ意味はない。
 扉の役割は、内と外を繋ぐことなのだ。
 じゃなきゃ、役立たずじゃないの。
 そう思うと、次第に腹が立ってきた。
 そのとき、似たようなことを感じたのか、NAOがぼそっとつぶやいた。

「開かない扉なんて・・・・扉じゃないわ・・・」

 美恵は深く同意する。

「まったくよね。中に入れないドアなんて、ドアの役割果たしてないもん」
「境界線ね」

 ほっとなつきが息をつく。

「越えて欲しくないから、あるのかしら。でも全然通す気がないなら、最初から扉なんて作らないと思うけど・・・変な話」

 NAOが、あっと、声を出した。

「同じかもしれない!」
「え?」

 意味がわからず、ふたりはNAOをむく。和矢は頷くようにして、いった。

「オレも、思ってた。いまの君たちの話聞いてて・・・。開かない扉。偽りの過去。どちらも役割を果していない。でもたしかに存在している。偶然かな、この共通点って」
「でも・・・結局何も解決してないですね」

 冷静なNAOの声に、和矢はやさしくほほえんだ。

「何もしてないよりは、一歩前進したって思った方がいいよ」

 NAOはその言葉に、はっとする。和矢は励ますようなほほえみを、浮かべる。

「少なくとも、オレ達はここに来た。何か共通点があるかもしれないって、思った。それが正しいか、それとも全然見当違いなのか、それはわかんないけどさ、可能性が増えればその分、正解にたどり着ける確率もあがる。そう思った方が、元気も出るだろ」

 美恵が嬉しそうに同意した。

「そうだよ、NAOちゃん。一歩前進、だよ」

 素直な美恵の同意が嬉しかった。

「じゃあ、もうちょいねばってみますか」

 なつきがそういって、腕まくりをする。

「今度は4人で押してみよう。ほら、大きなかぶの話があったじゃない。ねずみ一匹の力も、無視できないってね」

 それで彼らは一緒になってその扉を押したり引いたりしてみたが、髪一筋分も、動くことはなかった。
 呼吸が荒くなる。疲れてきて、次第には、そこに3人とも座り込んだ。和矢は、壁にもたれるように立っている。

「参ったな・・・本気で、開かないぜ」

 苦笑い。今日はこれくらいにして、違った方法を考えた方がいいかもしれないな。
 そう思ったときだった。



「ずいぶん苦労してるようじゃないか」

 聞きなれた皮肉げな声がしたのは。

「シャルルっ!?」

 信じられないといった和矢の声に、シャルルは軽く笑う。

「探し物は、見つかったかい」

 いつものように皮肉げな口調でそういった、彼の声に、けれども和矢はとっさに言葉を返せなかった。・・・嘘だろ・・・おい。
 そんな和矢の姿を、彼は巨大スクリーンでみていた。
 うつむくように下を向いている和矢。
 それを不審に思った。

「どうしたんだ、和矢」

 具合でも悪いのか。
 そう続けるつもりだった。
 けれどもその前に、和矢は音がしそうなほど強く顔をあげると、どこにあるかもわからない小型カメラをにらむようにみた。表情が、険しい。

「・・・ずっとみていたわけか・・・オレ達のこと・・・」

 シャルルは黙って画面越しに和矢をみつめた。
 すぅっと表情が消える。冷ややかな美貌が彼の心を覆って、何を考えているのか、わからない。
 やがて彼は口を開いた。ゆっくりと。

「そうだといったら?」

 瞬間、たたきつけるような声が、シャルルの鼓膜を震わせた。

「ふざけるなよ!!」

 ギラッと怒りをたたえた、黒い瞳だった。いつもの穏やかさはどこにもない。
 それをみて、シャルルの唇に、わずかな自嘲が浮かぶ。
 けれどもそれは、和矢には届かない。

「別に、ふざけているつもりはないけどね」

 嘲弄めいた口調だった。まるで相手をからかうかのような。

「シャルル、おまえ、何様のつもりだよ」

 珍しいくらいに、冷たい口調。それで和矢が本気で怒っていることが、わかった。
 シャルルは黙ってそんな彼を見つめていたが、ふっと皮肉げに笑うと、わざと、はぐらかした。

「別に何様でもないさ。オレはいつでも、シャルル・ドゥ・アルディだ」

 その返答に、和矢は瞳に浮かぶ光を、より険しくする。

「ああ、そいつぁ良かったな。だったら教えろよ、そのシャルル・ドゥ・アルディは、いったいなんの権利があって、人の行動を監視するなんていう真似をするのかをな。見ててさぞかし面白かっただろうね、おまえの言葉に振り回される者の姿は。――冗談じゃない!そんな非常識な真似、していいわけないだろっ!」

 最後は叫ぶようにいってにらんだその瞳の奥に、行き場のない悔しさと裏切られたという思いが、一点の染みのように浮かび上がり、彼の目を曇らせた。
 シャルルは彼をみることができたが、反対に和矢のいる場所からシャルルをみることができなかった。
 だから彼は、余計気づけなかった。そんな言葉を浴びせ掛けられた、シャルルの気持ちに。
 そして相手は、そういわれて謝罪をするような性格ではないことも、いまは頭から抜け落ちていた。
 誰も、何もいえなかった。
 突然始まったふたりの争いは、他者に侵入する余地を与えない。
 和矢は自分の感情に飲み込まれて、そのとき周囲に人がいることさえ、忘れていた。
 ただ悔しくて、彼の行動が許せなかった。
 すべては彼の言葉から始まった。修学旅行。参加希望者への条件。
 何もかもが意味不明だった。けれども、彼女達は真剣に、その答えを探していた。
 美恵を始めとして。彼はそれを近くでみていた。
 だから応援もした。一生懸命なのがわかったから。
 なのにシャルルは、そんな自分達を人事のように観察していたというのか。
 将棋の上のコマのように、冷静にその動きを観察していたと?
 もしそうなら、許せない。いくらなんでも、そんなこと、していいはずがない。

 しばらく、沈黙が続いた。

 シャルルは何も言わず、ただ黙ってスクリーンに映る和矢をみつめていた。
 何も、わかってない。何も、伝わらない。
 その事実が彼に重くのしかかり、彼は動けない。
 そうして長い間見つめながら、彼はゆっくりと気持ちを整理した。
 いまさら、後には引けない。
 否定もできない。ましてや謝る必要性など感じられない。
 ならば結論はおのずと導かれる。
 彼は凍りついたようにスクリーンを見つめながら、表情一つ変えずに、口を開いた。

「君に教えることは何もない。好きなように解釈してくれ。否定はしないよ、私は確かに君たちの様子をみていたのだから。面白がっていたかは別にしてね。付け加えれば、今回、私のとった行動について、誰からも非難される覚えはない。よって、君に責められる覚えもない。以上が私の解答だ。お気に召したかい、生徒会長」

 最後は軽い笑いさえ含んでそういうと、彼はスクリーンのスイッチをオフにした。
 画面が遮断される。
 彼はほっと息をつき、椅子の背もたれにもたれかかった。
 身を纏う空気が、いつになく重く感じられる。

「・・・信じられないくらい、ぶきような人ね・・・」

 その声に、彼女がいた、ということを思い出した。

「嘘はいってないだろ」

 いって、目をつむる。
 ルイはそんな彼を、愛しげに眼を細めて、みつめていた。

「ほんと・・・馬鹿な人・・・・」



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