その世界には、秩序があった。
だから成り立つことができた。
そして、それを保つだけのエネルギが存在した。
しかし、長い時間をかけて、そのエネルギは、少しずつ、姿を変えていった。
たとえば人に。
たとえば森に。
たとえば夢に。
たとえば愛に。
エネルギの総和は、常に一定に保たれる。
だから消えたわけではない。
ただ、変化していっただけ。
それを、認めることさえできたなら、こんなにも苦しまなくて済んだのに。
そう、アリータは思うのだけれど、執着することさえも、そして苦しむことさえも、この世界が認めた形だった。
なにひとつ、異質なものなどなかった。
だれが認めようと、認めまいと、存在している、ただそれだけが事実であり、許された証拠なのだから。
「お願い、パパ、ママ。彼を、・・・ううん、今は彼らを、解放してあげて」
あの人たちは、私たちとはあまりに違う。
元は同じだったかもしれないけれど、それでも今は、明らかにかけ離れている。
「バカを言うな。ようやく手に入れたというのに」
秩序は、保たれなければいけないのだ。
どんな手段を用いてでも。
「なぜおまえはそんなに、あの者たちをかばうのだ」
「・・・そうじゃないよ。わたしが願うのは」
パパとママが、自由になること。
けれどそれは、空を震わせはしない。
「もう時間がないのよ。アリータ。このままではすべてが、失われてしまうのよ。もうずっと守り続けてきたものが」
守り続けてきたもの?
アリータは、違和感を拭えなかった。
それはあまりに、不自然なものだった。
「でもそれは、誰かに奪われたのでもなければ、強引に捻じ曲げられたものでもないでしょう? ただただ、そうなっていっただけでしょう? どうして受け入れてはいけないの」
「お前は本当にどうしてしまったんだ」
「どうかしてしまったのはパパとママの方よ」
「アリータ」
「自然であることに執着してしまったら、もう自然でいることなんて、できないんだよ。そんなふうにいろいろ企んだりするのは、おかしいんだよ。どうしてわかってくれないの」
「我々は執着などしていないわ。ただあるがままにと望んでいるだけよ」
「だから、あるがままに、拘っているじゃない」
「拘っているのではない。それが正しいんだ」
「ほら。今度は、正しいことに、拘ってる。正しくないことは、だめなの? でも、じゃあ、正しいって何?」
「永遠に変わらないものだよ。それは」
じゃあ、永遠ってなに?
しかし、それをいっても、もう意味はなかった。
アリータは、受け入れた。
今この瞬間の事実を。
「ねえ、パパもママも知ってるよね。この世の理。変化し続けること。歩みを止められないこと。何もとどめておけないこと。なのに、それ自身は、決して変化しないものだという。それはいったいどういうことなんだろう」
アリータは、もう迷わなかった。
時は満ちたのだ。
「例外があれば、それこそすべてが成り立たなくなるんだよ。それは存在してはいけないバグなの。だからわたしは、それを排除しなければいけないの。わかってくれるよね、パパ、ママ」
自分には、それだけの力があることを、知っていた。
いまはもう、すべてを思い出した。
なすべきことを、知っていた。
「もう、ゲームオーバーね。この進化ステップは、深刻なエラーのため、強制終了します」
声の感じが、変わった。
アリータはほとんど、機械音のように言った。
「人工知能エトワールは、5分後に、全進化プログラム及び全データの抹消を開始します。それまでに必要なデータはバックアップを取ってください。繰り返します、人工知能エトワールはーーーー」
サイレンが鳴り響いた。
このアナウンスは、全世界に流れた。
フランス語だった。
「ちょっと、なんか変なこといってるけど、これはいったい」
なつきが怪訝な顔を向けると、和矢、美女丸、アンドリュー、明美の4名も同様に、シャルルを見た。
「なんだよ、人工知能エトワールって」
シャルルはこともなげに答えた。
「遺伝的アルゴリズムをベースに開発した、新しい人工知能だ」
「だから、なんでそんなもんがあるのかって訊いてるんだよ!」
苛立つ和矢を横目に、シャルルは少し残念そうな顔をした。
「エラーか。あと少しだったな・・・」
「なにが?」
話にあまりついていけない明美は、無邪気に聞いた。
それでシャルルも、少し気が緩んだのか、素直に答えた。
「ん。最近、脳にわりと興味があって、ずっと独自に研究をしてたんだ。それで、仕組みがだいたい理解できたから、暇つぶしに人工知能を作ってみたんだが、ついでに遺伝的アルゴリズムを組み合わせたところ、進化の速度が予想以上に早くてね。世界がひとつ出来たから、ゲームにしたんだ。けど、外部からデバッグできないという致命的な問題があって、仕方ないから内部に入り込んでデバッグしてたんだが・・・ここにきてエラー終了だ。致命的なバグがあったようだな」
流暢なフランス語で説明してシャルルは、ほっと息をついた。
「ま、仕方ないね。自分で作ったとはいえ、勝手に進化した世界だ。エラーがあれば全消去されるようにしてあるから、早く戻ったほうがいいだろうな」
あら、そうなの。
と、言いそうになって、ちょっと待てよと、明美は懸命に頭を働かせた。
「よくわからないんだけど、ゲームって何? あたしたちは修学旅行に来たのよね? ここは地球じゃないのよね?」
シャルルは馬鹿にしたような目を向ける。
「そんなわけあるか」
「ーーー?!」
「常識で考えろよ。そう簡単に宇宙に行けるわけがないだろ」
「ーーーー!!!!!?」
「なんだ、おまえ、本気でここが地球外惑星だとでも思っていたのか。冗談だろ」
明美は言われている意味が、まったく理解できなかった。
それで和矢の方をみると、彼は何とも言えない表情をしていた。
「おにいちゃん、まさかおにいちゃんまで・・・」
「・・・・・・・・・まあ、そんなことだとは思ってたけど」
「えええ?! なんで?!」
「直接聞いたわけじゃないけど、こいつが修学旅行に行くなんて言い出した時点で、なにかあるなとは思ったよ。しかも宇宙だろ。無理だろ、それはいくらシャルルでも」
「び、美女兄は?!」
「割と楽しめたな」
あっけらかんとそういって笑った美女丸をみて、明美は、仲間をほかに求めた。
しかし、他のメンバーはといえば、だれもフランス語を理解できていない。
なつきを除いて。
「なつきさん・・・・まさかあなたまで?!」
「んー、まあ、言われてみると、そんなもんかなあと」
「なんで冷静なの?! なんでみんなそんな物分りがいいの!? おかしいでしょ!!!」
「でもほら、しょせん修学旅行で、宇宙とかありえないし。空気の問題とか、聞かされてないし。夢みたいなものなのかな、という気はしていた」
だめだ、やはりみんなおかしい。
明美は、必死に日本語でシャルルの言葉を説明し、ほかのメンバーに同意を求めた。
しかし彼女は、シャルルの言葉をよく理解できていなかったため、日本語はめちゃくちゃだった。
「ちょっと聞いてよ! ここは地球で、シャルルが人工知能で宇宙をつくって、遺伝的アルゴリズムで進化したんだってよ、ありえないよね。ひどいよね!!!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・はい?」
「人工知能で宇宙?」
「シャルルが進化?」
「そうじゃなくて!」
もはや、なにがなんだかわからない。
そのうち、ブザー音が鳴り出し、警告が繰り返された。
「あと3分でデータ消去を開始します。繰り返します、あと3分で」
なぜか、警告はすべてフランス語だった。
「いや、基本的に言語は仏語設定にしてある。これまでもすべて仏語だったが、自動翻訳機能でそれぞれの母国語に変換されていた。エラーによって、翻訳機能がストップしたんだ」
さよですか・・・。
もう明美は、誰のことも信じられなくなりそうだった。
最後の頼みとばかりに、美恵に言った。
「怒っていいよ。美恵ちゃん。こんな馬鹿にしたことってないんだから」
美恵は苦笑したが、和矢をみてから、ぽそっといった。
「うん。でも全部が嘘で安心したかも・・・。」
ローズなんて女性は、存在しなかった。
それはとても、彼女を安らかな気持ちにさせた。
「何にせよ、ゲームオーバーだ。早く戻ったほうがいい」
少し真剣な表情で、シャルルは言った。
「データ消去がはじまると、脳に障害が出る恐れがある」
「ゲームオーバー、か」
ルイが、その言葉を繰り返す。
「そうね。そろそろ潮時だわ。戻りましょう」
さらっとなつきが言えば、NAOも頷いた。
「これ以上、物忘れがひどくなったら大変です」
それを聞いて、美女丸が笑った。
「今も相当なんだな」
「ち、ちがっ・・・」
といえないのが、つらいところだった。
「それで、どうすればいいの?」
アンドリューが尋ねる。
「帰りたいと願えばいい」
「ーーー願う?」
「強く思うことだ」
「それくらいわかるよ!」
むっとしたようにアンドリューはシャルルをにらんだ。
「僕を馬鹿にしてるの?」
「聞いたから答えたまでだ」
「そうじゃなくて、願うだけでいいのかって質問」
「だからそう言ってる」
今度はシャルルがむっとした。
「おまえはオレの言葉が信用できないのか」
「そうじゃないけど」
「ここは脳の世界だ。願えば叶う。それだけだ」
シャルルは少しだけほほえんだ。
「君たちがどんな夢をみたかは知らないけれど、少しでも楽しんでもらえたなら、幸いだ」
心をコントロールするような真似はするな、という約束が、彼の中に強い光を放ち続けている。
けれども彼は、すでに数回、その約束を破ってしまった。
なぜなら、それは人を動かすとき、自分の思い通りに物事を運びたいとき、非常に有効な手段と成りうるためである。
それくらい、ひとは心ー感情ーというものに振り回される生き物だと、彼自身、身をもって知っている。
しかし、同時に、それなくして、何かを成し遂げることはできないのだ、ということも、知っていた。
だから彼は、良くも悪くも、その最大の原動力を、コントロールしようとしてしまう。
自分自身のものは言うまでもなく。
「わたしは、あなたと一緒にいられて、それだけで楽しかったわ。シャルル」
ルイが、そういって微笑みを返すと、シャルルは一瞬驚いたように目を見開き、やがてふんわりと、頬をゆるめた。
「光栄だ」
言葉は堅苦しかったけれど、その表情は、とてもくだけたものにみえた。
「マリウス、いつの間にか、いなくなっちゃったね…」
アンドリューは残念そうに言う。
「彼はプログラムの一部だから、エラーとともに消えたんだろう」
「せっかく、可愛い弟ができたと思ったのに」
しかし、言ってから、あれ、と首をかしげた。
「でも、最初からいたよね? 少年の方は。この星につく前から」
「たしかにいたわ!」
明美が同意すると、みんな一様に頷き、そして、背中に少し、薄ら寒いモノを感じた。
「おい、シャルル。ゲームって、どこから始まってたんだ?!」
和矢がおそるおそる訊くと、シャルルは意味ありげにニヤっと笑った。
「ナイショ」
「おい!?」
「種明かしは、二流のすることだ」
そしてどんなに聞いても、彼は教えてくれなかった。
「いい加減、時間がないぞ」
美女丸の声。
「願えばいいんだな」
シャルルは強く頷く。
「じゃ、オレから行く」
そうして、世界から、ひとりずつ、姿が消えていく。
はじめに美女丸、ついで明美、NAO、なつき、アンドリュー、和矢、美恵・・・・最後に残ったのは、ルイとシャルル。
「また、二人になったね」
冗談っぽく、ルイが言う。
「ここはあなたが作った世界なの?」
「・・・そうとも言えるし、そうじゃないとも、言える」
「そうやってすぐに、誤魔化すのね」
「人聞きの悪い」
シャルルは心外そうな顔をした。
「この上なく正確に答えただけだ」
「先に行くわ」
ルイは言って、にっこり笑う。
「アナタを残して行ってあげるんだから、必ず戻ってきなさいよ」
「・・・・・・・・・ったく」
彼はまいったというような顔をすると、苦笑混じりに言った。
「ウィ」
「メッシ」
そして彼は、ひとりになった。
警告音は、大きくなる一方だ。
あと30秒で、この世界は消えていく。
その事実の前で、シャルルは、不思議に心が落ち着くのを感じた。
あまりに余計なものが多すぎる。
一度全てを消去してしまえれば、どんなにか楽だろう。
けれども、それができないからこそ、生きていけるのもまた、疑いようもない事実だった。
願うだけでいい?
それは簡単すぎるというよりは、むしろ彼にとって高すぎるハードル。
あえてそんな手段にしたのも、たぶんその誘惑に、一瞬でも耳を貸してしまったから。
何かを望むことは、自分を固定することに似ていた。
どこにも行けなくなる。
その窮屈さが、苦しくもあり、甘美な誘惑でもあることを、いまはもう、知っているから。
帰ろう。
FIN.
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