ただ、会いたかった。
それだけだった。
存在というものは、まるで電波のようなもの。
あるところでは受信できて、あるところでは受信できない。
その強度も場所によって全然違う。
だから、待っていた。
いちばん強く感じられる場所をみつけるまで。
そして、ついにそのときは来た。
近づいていくのを感じる。
どんどん距離が縮まっていく。
もう少し、もう少し、もう少しーーーー。
そしてついに、彼は、その人に、出会う。
「マリウス?!」
さすがに驚いたのか、らしくない声をあげるその人を、マリウスはようやく、見つけた。
「おまえ、どこから来たんだ?」
もちろん答えることはできない。
それでも、彼の腕の中で、喜びを全身で表現した。
ふっと表情がやわらぐのを、見るのが、好きだった。
「まったく神出鬼没だな」
それはむしろ彼の方だったが、いつの間にか、立場が逆転していた。
「・・・怖くなかったか?」
答えられるはずがないとわかっていても、問いかける彼の視線は、どこまでもやさしくて。
マリウスは、ぎゅっと小さな腕で、彼に抱きつく。
頬をすりよせると、良い香りがした。
彼はそんなマリウスを愛おしそうにみつめながら、やさしく、髪を梳いた。
「元気そうで、良かった」
安心したように、目を閉じる。
頬を寄せて、肌と肌が、触れ合った。
柔らかい感触が、お互いの生を伝え合う。
お互いの無事を伝え合う。
マリウスは小さな手のひらを、ぺたりと彼の頬に当てる。
何かを確かめるように、ペタペタと何度も何度も、触った。
彼はしばらく、マリウスのしたいようにさせていたが、やがて彼を自分から離すように、両手で抱き上げた。
その瞳は、それまでのやさしさをするりと脱ぎ捨てていた。
冷ややかな眼差しは、彼が何かを決意したことの証のようでもあった。
「少し待っておいで。すぐ、終わらせるから」
でもマリウスは、彼から離れようとしなかった。
待つのはもういやだった。
一緒にいたかった。
そんなマリウスに苦笑しながらも、彼はもう、表情をゆるめない。
彼が一度決めたことは、必ず成し遂げられる。
そういう決意の仕方を、彼はするのだから。
そのとき、空間を伝って、奇妙な振動を感じた。
それはどんどん大きくなり、やがては歪となる。
ほどなくして、その空間は避けた。
「イタタ・・・。って、ここはどこ? マリウスくーーーん」
ルイはぐるりと周囲を見渡し、そこに、彼を見つけると、動きを止めた。
マリウスに向ける優しさとは、まったく異なるやさしさが、そこにはあった。
「え?? うそ・・・」
らしくない、動揺。それさえ隠すことも忘れて、彼女はただ、呆然と立ち尽くす。
彼の表情もまた、少し変化したけれど、彼はそれを、きれいに隠した。
「まったく、騒がしくなったな」
腰に軽く手をあて、やれやれといったため息。
「どこから来た?」
「・・・・・亜空間」
「漠然とした答えだな」
「じゃあ、未来でも過去でも、どっちでもいいわよ」
投げやりなルイの言葉。彼は皮肉気にほほえんだ。
「ここは現在だと思うけどね」
「・・・・本当に?」
なぜそんなことをいったのか、彼女自身にもわからなかった。
「たぶん、ね」
そんな彼を目の当たりにして、ルイはもう、止めることができなかった。
心が、溢れる。誰かが言っていた。心は液体だと。
本当にそうだと思った。でなければ、こんなに溢れ出したりはしない。
「なんて表情をするんだ」
彼は手を伸ばすと、彼女の目もとに触れた。
もう少しで、こぼれ落ちるのを、防ぐために。
「あなたが・・・悪いわ。こんな無茶をして。どうして」
彼は切なげに頬をゆがめた。
「そばにいてほしいなんて、贅沢は言わない。約束する。だけど、いなくならないで。それだけでいいから」
どこにいるのかわからないのであれば、特に心配などしないのだ。
普通であれば。
けれども、こんなわけのわからない世界で、急に姿を消すのは、反則だ。
生死さえも知りえない。そんな状態に、耐えられるはずがない。
「大切なものが、あるんだ。どうしても失えないものが。そのためならオレは、何度でも君を裏切るよ」
触れるゆびさきが、震えた気がしたのは、たぶん気のせいだったのだとルイは思う。
けれども彼の瞳に嘘はなく、どんな言葉でも、それが彼の本当の気持ちなら、彼女を傷つけることはできなかった。
「いいわよ。裏切っても。その度にまた、信じるだけだから」
「ーー君は、強いな」
ほっと息をついて、彼は上を向いた。
「違うわ。そうなりたいと、思っているだけよ」
本当は全然違う。だけど、彼の前では強くありたかった。
あなたと釣り合うようになりたいから。
そんなことを言えば、また彼は、あの自嘲的なほほえみを浮かべるのだろう。
「他の奴らはどうしてる」
そういえば、とルイは首をかしげた。
「どうしたんだろう……」
なんとなく、気配でみんながついてきたような気がしていたが、いまはどこにもいない。
「いつの間にか、はぐれてしまったみたい」
「単独行動を好むのは、相変わらずか」
「そういうわけじゃないけれど……」
結果的に、そうなってしまい、ルイは反論しきれなかった。
今回はだいぶ、グループ行動重視で来たつもりだったが、ここにきて、ついいつものクセが出たのだろうか。
「いや・・・でも今回は不可抗力よ・・・」
言い訳がましく、ルイは言った。
「だって突然、マリウス君が落ちるんだもの」
「どこから?」
「しいていえば、樹の上かしら」
「それでここに来たのか」
「そうよ。なぜかはわからないけれど」
「どこかで繋がっているということか。時間か空間か、それとも違う媒体か・・・」
彼は考えるように右手を顎にあてた。
「それにしても、何もない空間ね。さぞかし退屈だったんじゃないの」
ようやく調子を取り戻したルイが、彼を見て笑った。
「おかげさまで」
「どのくらいいたの」
「感覚的には、2日か3日か、そのくらいだが、時間の速度が一定とは限らないから」
ルイは驚く。
「時間って、一定じゃないの?」
「当たり前だろ。君は相対性理論を知らないのか」
知る由もなかった。
「名前だけは、知ってるけど」
「いいか、相対性理論には、特殊相対性理論と一般相対性理論があるが、主に時空に関するのは、後者だ。そもそも相対性というのはーーーーーーーーーー」
彼は懇切丁寧に説明してくれたが、彼女には途中からまったく理解できなかった。
「というわけだ。わかったか」
わかりません、とは言えない雰囲気だった。
「・・・なんとなく」
「今度追試をさせてもらう」
「はあ?!」
「教師陣にも、これからは試験を課す必要があることが、良くわかった」
「なんで・・・」
「教育というのは、教えられる側より、教える側の方の能力が絶対的に効いてくる」
「それはそうかもしれないけれど」
「君を見て、不安になった。そもそも教師陣は教えるに値する能力を有しているのかと」
ほかの教師の苦情が、聞こえてきそうな展開だった。
「でもねえ。あたしは物理や科学を教えているわけではないし」
「偏った知識は、むしろ危険だというのを、君は知らないのか」
「だけど、あなたみたいにオールラウンドを制覇するのは、並大抵のことでは無理よ」
「結果はともかく、努力は必要だろ」
そう言われれば、何も言えないルイだった。
「降参。勉強します」
「そうしてくれ」
「まーったく。あなたはほんと、どこにいても変わらないわねえ」
それは嬉しいことだと、ルイは思った。
「どんな環境でも、自分を見失わないで、落ち着いていられるのは、心が強いから?」
「環境ごときで、いちいち自分を変えていられるか」
「自信過剰な人」
それは褒め言葉だった。
「それで、どうすればここから出られるのかしら」
来た道は、戻れそうにない。
そもそも落ちてきただけだし。
「ここはどこ?」
「詳しくは調べないとわからないが、おそらく、世界の裏側だろう」
「裏側?」
耳慣れない言葉に、ルイはきょとんとした顔をする。
「世界って、裏があるの? 裏の世界って、違う意味では使うけれど・・・」
「いわゆる日常過ごしている、目に見える世界を表と呼ぶのなら、ここは目に見えない方の世界なんだろう。波長で層が分かれているのかもしれない」
「なぜ波長の話になるの?」
彼は、またか、といった顔をした。
「君は少し勉強不足だな、ルイ」
「・・・だから、わたしの専門は」
「電磁気学は、この世界の法則の一部だ。電磁波は、世界を満たしている。目には見えないだけでね」
「はあ・・・」
「極論を言えば、すべての生命も固有の電磁波を有している。言い換えれば、エネルギー場をね。だから、影響を受けずにはいられない。この世界は、少しその影響が極端に出る傾向にあるとオレはみている」
「・・・・・」
わかるようでわからない説明に、ルイは頷くことができない。
そんな彼女に構うわけでもなく、彼はこともなげに言った。
「つまり、電磁場に干渉できれば、ここから抜けられる」
「・・・・どうやって?」
「特異点を探す」
「何それ?」
「事象の連続性が成り立たない地点のことだ」
「・・・・?」
質問に答えてくれるのは有り難いが、彼の説明はルイの頭の中でグルグル渦を巻く。 とりあえず方向性を変えてみることにした。
「その、特異点を、どうやって探すの?」
すると彼は、少し憂鬱そうなため息をついた。
「それが少し厄介だ」
「見つけるのが、難しいのね」
頷いてみせると、ジロリと睨まれた。
「そうじゃない。結果を出しても、知る手立てがないんだ」
「・・・なんで?」
そういうと、信じられないといったような目を向けられた。
「君はオレの話を聞いてなかったのか」
聞いていたけど、理解できなかっただけとは、言いにくい。
「そう、ね・・・閉じ込められているものね」
当たり障りのない言葉で、なんとかごまかそうとする。
しかしその魂胆は、ミエミエだったらしく、いやそうな顔をされた。
「物理的な断絶は問題ではない」
もはや、口を挟む勇気もなかった。
「電磁波というのは、現代の通信手段の要だ。それがここでは使えない」
「ああ、そういうこと」
ようやくルイにも、話が飲み込めた。
「つまり、計算して結果が得られても、それをここで受信できないってことね」
「そうだ」
理解できたのはいいが、ではどうすればいいのかというと、ルイには皆目見当がつかなかった。
彼に思いつかないことを、自分に思いつくとはとても思えない。
けれども何か言わなければ、名誉挽回できないと考えた彼女は、とりあえず思いついたことを言った。
「マリウス君を媒体にしてみたら? だって彼が、ここに連絡通路を作ってくれたわけだし。いまは一方通行だけど、頑張れば双方向の通信ができる可能性はないかしら」
すると彼は、驚いたような顔でルイをみた。
「君は」
馬鹿か、と続くとルイは確信していた。
「天才だな」
どうせ馬鹿ですよ、と言いそうになって、思わず耳を疑う。
彼は珍しく、相好を崩した。
「あまりに非論理的かつ非現実的すぎて、思いもつかなかった」
まったく褒められている気がしない。
しかし彼は本気で感心しているようだった。
「だが、そもそも世界自体が非現実的なのを思えば、君の意見は試してみる価値はある」
「でも、試すって言っても、何をすればいいのか」
提案しておいて、ルイは無責任なことを言う。
そのとき、マリウスがまるで彼女の言葉を聞いていたかのように、手を伸ばした。
「どうした、マリウス」
彼はその手を、ぎゅっと握る。
どこか切なげなその表情に、いま何を想っているのか、きいてみたかった。
彼に抱かれたまま、マリウスはもう片方の手ものばす。
今度はルイが、その手を握り締めた。
すると、視界が暗転した。
強烈の目眩のようなものがする。
立っていられず、けれども手を離したくはなくて、なんとかこらえていると、肩を抱かれた。
「大丈夫か?!」
うっすら目を開けると、彼もまた、青ざめていた。
「目が・・・」
しばらくじっとしていると、気分が落ち着いてきた。
おそろおそる目を開ける。
すると、みたこともないような場所にいた。
「ここは・・・どこ?」
彼は信じられないといった様子で、周囲を観察していた。
よく見ると、そこは白い壁て取り囲まれている円柱のような部屋で、しかも壁がほとんどみえないほど、巨大なディスプレイが何台も埋め込まれている。
どの画面にも、描かれているのは同じ球体だった。
ただし、画面ごとに表示のされ方が違い、色鮮やかなものがあるかと思えば、矢印で埋め尽くされているもの、ほとんど一色で描かれているものなど、様々だった。
「なにこれ……」
まるでSF世界に紛れ込んだような気がした。
「コンピューター・ルームだ」
息を飲むような、彼の声が聞こえる。
「コンピューター室?」
「さっき話した特異点を計算させていた場所だ。どうやら結果が出たらしい」
壁に近づくと、ボタンを押す。すると壁の中から、操作用と思われるキーボードが現れた。
彼はマリウスをルイに預け、両手でコマンドのようなものを打ち込み始めた。
ディスプレイの中の球体が、動き出す。
それにつれて、色もめまぐるしく変化した。
ずっと見ていると、まるでそれは地球のようだった。
地軸を中心に自転している。
しかし、地球と明らかに違う点があった。
そこに描かれていたのは球体ではなかった。
薄い膜が幾重にも重なっているので、一見すると球体のようにもみえるのだが、それはたまねぎのような構成だった。
膜の間には、隙間があった。けれども一点だけ、その隙間が存在していない場所がある。
どのディスプレイ上でも、その位置だけが、他とは異なる色であったり、矢印であったりしていて、ルイはこの場所こそが、特異点と呼ばれるものなのだと気がついた。
「この場所って・・・どこかしら」
彼が再び何かを打ち込むと、この惑星の3次元映像が重なって見えた。
画面は次第に拡大され、特異点がピックアップされる。
そこに映し出されたのは、ルイがよく知る場所だった。
「・・・・・・そっか、そういうことなんだ」
これまでのことが、ストンとはまった。
「知っていたのね?」
彼は画面をみつめたまま、口だけを動かす。
「可能性として高いとは思っていた」
「これで証明されたわけね」
「いや」
彼はホッと息をつくと、無造作に髪をかきあげ、ルイを見た。
「実際に確かめるまで、仮説は仮説にすぎない」
「こんなにはっきり結果が出たのに?」
「ただの計算結果だ」
あっさりいって、画面に視線を戻す。
ルイは、何をそんなに気にしているのだろうと彼の視線を追い、そこに表示されているものに気がついた。
日付と、時間。そして時間は、画面の中で、進み続けている。
それとともに、表示される映像も変化していき、あるところで、画面が真っ暗になった。
彼の動きが、止まる。
それが合図でもあったかのように、また視界が暗転した。
再び目を開けたとき、彼女は、最初にいた空間へと、戻っていた。
腕の中では、マリウスがニコニコと、ルイを見ていた。
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