すーっと、空気の色が変わっていくのに、最初に気づいたのはマリウスだった。
彼はルイの腕の中で、楽しそうに笑い出す。
それでルイも、感じることができた。
なにかが起ころうとしていることに。
「あれ・・・?」
明美が、きょとんとして、手のひらを差し出した。
「雨が降ってきたみたい」
しかし、彼女のてのひらには、ピンク色のものがのっていた。
「雨じゃない」
「これは・・・・桜の花びら?!」
驚いてなつきは、空を見上げる。
どこから降ってくるのか、わからない。
それでも花びらは、あとからあとから降り注ぎ、世界の色を変えていく。
「なに、これ・・・」
ルイは、目を閉じた。
「記憶かもしれない」
「キオク?」
白金の髪にピンク色の花びらを散らしたアンドリュー。
「この樹の記憶」
ルイは、思い出す。
はじめてここに来たときのことを。
あのときも、桜が満開だった。
それが現実なのか夢なのか、彼女に確かめるすべはなかったけれども。
「たぶんこの樹は、人の想いに反応するんだと思う。だから・・・」
前もそうだった。
彼女が彼のことを想っていたから。
「もしかすると、通じるかもしれない」
あの人のもとへ。
みんなが願ったとしたら。
「力を、もらえるかもしれないなって、思ったの」
美女丸は腕を組みながら、じっと考え込む。
あまりに非現実的すぎて、彼には少し受け入れ難かった。
けれども。
「具体的にはどうすればいい?」
彼は夢を否定しなかった。
この世界には、まだ未知がたくさん眠っていることを、知っていた。
「そうねえ」
特に案があったわけではなかったが、彼女は言った。
「好きなようにこの樹に触れて、大切な気持ちを届ければいいんじゃないかしら」
彼女はマリウスを抱えたまま、ひらりと枝に飛び乗った。
「あたしは、ここにする」
「じゃあ僕は、ここがいいかな」
アンドリューは、木の幹に背を預けた。
「では、わたしは」
NAOは、幹を抱きしめた。
「オレはここがいいな」
でこぼこした根元の隙間に美女丸が寝転ぶ。
「あら、可愛い穴」
なつきは、虚をみつけた。
「えー、みんな早いよ。」
美恵は遅れをとってしまい、キョロキョロする。
「ていうか、和矢はまだ戻ってこないの?」
「あー、ローズと出かけたっきりだよねえ」
明美はアンドリューのとなりに、同じように背を預けた。
「もしかして浮気かもよお? 美恵ちゃん、しっかり見張ってないと」
「えー?!」
美恵は幹の周囲をまわりながら、いい場所を探している。
そのとき、頭上から声がした。
「オレならいるけど?」
見れば、ルイより更に高い場所に、和矢はいた。
「ちょっと、危ないよ!?」
「これくらい平気だよ。木登りは得意なんだ」
美女丸は寝転んだまま、和矢をみて笑った。
「そういえばむかし、よくおまえと登ったよな」
「だな」
目を閉じれば、当時の景色が思い出せた。
お互い、相手より絶対上に行くと決めていたから、いつまでも決着がつかなかった。
「そりゃ、小さいときはいいけど、いまは体重が」
美恵がそう言ったときだった。
「おい、なんかおかしいぞ」
和矢は枝の上に立ち上がった。
「ちょっと、ほんとに危ないから」
しかし、和矢の耳には届かない。
ただ呆然と、何かを見下ろすようにして、立ち尽くしている。
美女丸はすぐに起き上がり、あっというまに和矢のもとへ行った。
さすがに男性2人の重さはきついのではないかと、美恵は気が気ではない。
しかし、それ以上に彼らは何かに気をとられていた。
「なによ。なにがあるの?」
明美とアンドリューも、彼らのしたへと集まる。
「あたしも、そこまで登ろうかしら」
ルイがそうつぶやいたとき、すごい勢いでふたりが降りてきた。
「おまえも早く来い!」
途中でルイの手を引っ張って。
「ちょっ、なんなのよ、いったい」
いつになく強引な彼の様子に、ルイは不安そうな目を向けた。
「どうかした?」
「・・・・・・・・・ないんだ」
「は?」
なにが、と聞く前に、和矢が言った。
「世界が、ない」
理解のできない言葉だった。
「あの、もう少し正確に言ってもらえると、嬉しいんですが」
NAOがおずおずといった感じで口を開く。
「ほかに説明のしようがない」
絶句する以外、何ができるだろう。
しばらくみんな黙っていたが、やはり理解はできなかった。
「じゃあ、いまわたしたちがいるここは、どこなわけ?」
「蜃気楼とか」
冗談で明美が言ったが、笑いは起こらない。
「ちょっと、なにマジな顔してんのよ」
「幻影とかじゃないの?」
ルイは慎重に訊いた。
「それは・・・わからないけど、そうだとして、何のために?!」
「知らないわよ、私に聞かれても」
「このままだと、やばいかもしれない」
そうは言っても、どうすることもできない。
「とりあえず、百聞は一見に如かずっていうし、みんなで登ろうか」
言ってるそばから、なつきは登りだした。
ほかのメンバーもあとに続く。
「えー、無理だよー、こんなとこ登れないってば」
「わかった。背中に乗れ」
「おお!」
明美は嬉々として、和矢の背に抱きついた。
「美恵さんは? 大丈夫?」
アンドリューが、心配そうに顔をのぞきこむ。
「大丈夫じゃないかも」
「じゃ、僕と一緒に行こう」
そしてなんとか、ふたりで力をあわせて登った。
「なに、これ・・・・」
そこで全員が見たものは。
何もない空間だった。
世界が存在していない。
ただ無限が、広がっているだけ。
「これは、亜空間ではないでしょうか」
NAOが、いやに冷静な声で言った。
「亜空間?」
「異次元みたいなものです。ドラえもんのポケットや、タイムトンネルの中のような」
「なんでそんなものがあるの?」
「それはわかりませんけど。もともと世界が3次元か4次元か、あるいはもっとなのか、誰も証明できてないわけですし」
「何があっても、おかしくない、ということね?」
ルイが確認するように言った。
そして、マリウスをみた。
彼はさっきからずっと目をあけて、笑うでもなく、泣き出すでもなく、何かをじっと待っているようだった。
「だったら、信じましょうか」
「なつきさん?」
「ここが本当にドラえもんの世界なら、きっと今いるのは、どこでもドアの中なのよ。だとすれば、出口は一つしかないわ」
「そんな無茶な」
「無茶でも有茶でも、とにかく信じるものは救われる。信じなければ永遠に得られない」
「そうですね」
NAOも、決意を込めた眼差しを、未来に向けていた。
「好きです。信じるっていう言葉は。たとえおこちゃまだと言われても、疑うより、よほどいいと思います」
「僕も好きだよ」
アンドリューの髪の毛には、まだはなびらが舞っていた。
明美はそんな彼を、とてもキレイだと思った。
「それに、ここには余計なものがないから、想いとか、夢とか、そういう普段はいろいろなものに埋もれてしまっているものが、いまはとても強く感じるみたい」
いい感情も悪い感情も。
感情そのものに善悪はないのだとしても。
彼を苦しめたり、癒したり、そういう想いがすべて、そこにあった。
しかし、いまはそんなものは、取るに足らないものだった。
なにより心を占めているものがある。
それ以外はどうでもいいと思えるほどに。
「この世界のどこかに、いるんだよね」
明美が、つぶやくように言った。
だったら、見つけたい。
自分こそが、見つけ出したい。
そのとき、マリウスが、暴れ出した。
「ちょっ、どうしたのそんな、あぶないよ!?!!!」
彼は全身をばたつかせ、ルイは落とさないよう、必死に力を込めた。
しかし、次の瞬間、彼はルイの腕を抜け出し、ぴょん、と飛び降りた。
「きゃあああああああああああああ!!!」
悲鳴が響き渡る。
「マリウス!!!!!!!!」
ルイは迷わず、飛び降りた。
それをみた残りのメンバーも、あとに続いた。
「待って、マリウスくーーーーーーーーーーーーん!!!!!!」
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