そこは無機的な感じのするコンピューター・ルームだった。
主はいまは不在。けれども正面に大きな液晶があって、そこには4人の姿が映し出されている。
その部屋には40数台のコンピュータが並列に接続されていて、どれも休むことなく動いていた。
CPUは、現在市場に出回っているスーパー・コンピューターの31倍と少し。
あるメーカーで開発途中の、現在某大学で仮に用いられているものと比較しても、数段スペックは良かった。
根底で、ニューラルネットワークが用いられている。
エラーを自ら認識し、補正する機能がついていた。
処理速度をみてもかなり常識を覆すものではあったが、そのマシンを40数台並列に用いてさえ、時間のかかるところをみると、その計算量が半端ではなく大きいことが想像できよう。
いったい何を計算しているのか、それを知る者は、ここの主ただひとり・・・。
小さな電子音がした。
静かにドアが開く。
そしてこの部屋の主が姿をみせた。
彼はいつもと変わらず無表情だったが、やや顔色がすぐれなかった。
白皙の美貌が、いまは少し翳りを帯びている。
彼はほっと息をついて手前にあるいちばん小さなマシンの前に座ると、状況を確かめた。
このマシンの名は、リュミエールという。
「現在の進行状況は?」
彼の冷ややかな声に反応して、画面が変化した。
「滞リナク進行中デス。終了マデ30時間28分52秒。当初ノ予定ト比ベテ零コンマ05秒ノ誤差」
彼は満足そうな微笑を浮かべると、ゆっくりとそこに置いてあった椅子に腰掛けた。
高く、足を組む。冷ややかな光をたたえた青灰色の瞳は、壁に埋め込まれた巨大スクリーンへと向けられていた。
「・・・見つけたのは、そこか」
皮肉げな口調とは裏腹に、眼差しが、わずかにゆるむ。
そのときカタン、と音がして、そこにいたもうひとりの存在を伝えた。
彼は驚く様子もみせず、振り返る気配させみせずに、口だけを動かした。
「不法侵入は感心しないね。誰に許しを得た」
「あら、あなたの専売特許じゃない、不法侵入。それに、いまは違うでしょ。あなたはちゃんと、私が来るのを知っていたんだから」
相変わらず素直じゃない返答に、彼はかすかに笑う。
「知らないな」
「嘘。あんな言葉を残しておいて、そんな言い訳が通じるとでも?」
「ああ・・・あれね」
ふっと笑って、はじめて彼は振り返った。
同情めいたほほえみを浮かべ、彼はゆっくりと口を開いた。
「それでこの部屋に来たのだとしたら、それは君の間違いさ。私の意図するところではない」
その言葉に、相手の顔に、はじめて不審が過ぎった。
「うそ・・・」
不安は音となり、宙を震わす。彼は嘲るような眼差しを向けたまま、余裕にみちたほほえみを浮かべる。右手をあごの下にのせるようにして、わざと相手を見つめる。その視線に相手は耐えられず、急かされるように口を開いた。
「うそよ。じゃあなぜあなたがここにいるの。それが何よりの、証拠じゃない」
「たまたま、さ」
あっさりそういって、彼はニヤッと笑った。
「たまたま君のいた場所に、たまたま私が来たんだ。他に質問は」
「・・・・この部屋で何をしているの」
「君は関係のないことだよ、ルイちゃん」
そういって彼は、皮肉げな眼差しをルイへと向けた。
「それとも、自分には関係があるとでも主張する気かい。だったらもう少し君の話を聞いてもいい」
ルイは食い入るように相手をみつめた。
意図を感じる。頷きはしないという計算。拒絶。君には関係ないと論外にいっている。
だがそれをはいそうですかと受け取るわけにはいかなかった。
無謀を承知で頷くしかない。
「あ、あるわよ。関係くらい」
そういうと相手は、へぇ、と嫌味なくらい驚いた顔をする。
「それはどんな?」
疑問形であり、反語形だった。
「おいいよ。聞いてやるぜ」
自分の優位を疑わないものの表情は、けれどもそこに優越感はなく、冷ややかだった。
「それは・・・」
ルイは言いよどむ。そんなもの、あるはずがなかった。
そして、そう簡単に思いつくものでもない。
そんな彼女をみて、彼は軽く笑うと、皮肉げな口調でいった。
「肯定の証明はそれほど難しくはない。実際にそれを示せばいいんだからな。
逆に、否定の場合、そうは簡単にはいかない。無いことを誰の目にも明らかにすることは、予想以上に困難なことだ。だが君は、その肯定の証明さえできない。よってオレは、君の話を聞く必要はないということだね。違うかい」
滑らかにそういって彼女を見る視線はどこか物憂げで、気怠げだった。
勝算のみえる勝負は、退屈以外の何物でもない。
だが彼女は、彼の言葉の意味がよくわからず、不思議そうに、首を傾げた。
「どういうことかしら」
その言葉に、彼は信じられないといったように相手をみつめた。
いったいこの言葉の意味の、何がわからないというのだろう。
自然に言葉が口をつく。
「君には脳がないのか」
悪意など、ない。本気で驚いているからこその、台詞だ。
しかし相手がそう思うはずもなく、彼女はいやそうに彼を見返した。
「そんなわけないじゃない。あなたの説明が、難しすぎるの」
彼は黙ってその言葉を受け入れ、ほっと軽く息をつくと、無造作に髪をかきあげて彼女の瞳に問いかけた。
「なにがわからないんだ」
わずかに焦れたその声に、彼の苛立ちが潜んでみえる。
けれどもそれは、決して相手を責めるものではない。
その証拠に、彼の青灰色の瞳は、冷たい色をしていなかった。
「なにがって・・・・突然肯定とか否定とかいわれても・・・なんのことかさっぱり」
「簡単なことだ」
間をおかず答えると、彼はふっと眼差しをゆるめた。
「たとえばオレが君にペンを持っているかと尋ねたとしよう。君はどうする?」
突然やさしくなった問いにきょとんとしつつ、彼女は考える様子もみせずに、答えた。
「持っていれば持ってるっていうし、持っていなければ持ってないっていうわ」
彼は軽く頷くと質問を続ける。
「では、それを証明せよといわれたら?」
「出してみせるけど」
「それは持っている場合の証明だ。では無い場合はどうする」
聞かれて、ルイはビックリする。
「ないんだから出せないわ。それが無いってことじゃない」
そういうと彼は静かに首を振った。
「駄目だ。それは証明にはならない」
「なんで!?」
「もしかしたらあるかもしれない。その可能性をどうやって否定する」
「ないものは、ないもの。あったら、出してる」
「君が嘘をついているかもしれない」
「そんな!」
叫び返したルイに、彼は畳み掛けるようにいう。
「仮に君が正直者だとしても、君がたまたま持っていることを忘れているかもしれない」
「・・・それは・・・でも・・」
「あるいは、本当にそれを知らないかもしれない。だれかが君の知らないうちに君のポケットにいれた可能性もある」
そういわれると、返す言葉が無かった。ぶぜんとして立ち尽くすルイの前で、彼はふっと笑うと、ゆっくりと彼女に近づき彼女の頭に手を伸ばした。驚くルイの前で、彼は彼女の髪についていた小さなゴミを手に取る。
「ここへ来る途中、ついたんだろうね」
「・・・あ」
「ほら、君は自分がこんなのをつけているのを、知っていたかい」
そういって彼は、それを彼女の目の前に差し出す。彼女は何もいえなかった。
「わかっただろう。無いことを証明するのは、在ることを証明するよりよほど困難だということが。いや、時にはその証明は不可能でさえ、あるだろうね。知らないからといって、それは存在の否定にはならない。人間の及びもつかない領域は、現在の科学でも無数に存在している」
当たり前のことのようにさらりとその言葉を口にした。
不可能。
幾度となく彼によって否定されたその言葉を、彼が口にしているのが不思議だった。
「ねえ、シャルル」
彼は静かにルイをみる。
「何」
「あなたが不可能なんて言葉を使うと、不思議に思えるわ」
そういってルイはクスッと笑った。その言葉の前でシャルルは、薄い唇に自嘲的なほほえみを浮かべると、まるで他人事のように口を開いた。
「いっただろう。不可能の証明は難しいと。オレはただ、可能を証明しているに過ぎない。その量が人より多いか少ないか、せいぜいがそれだけの違いだろうよ」
そういって、ふっと視線を移す。巨大な液晶は、相変わらず4人の姿を映し出していた。
「すべて、同じだ。問題はそこにあるか、ないか、・・・けど、それを判断するのが困難だと言うことを、意外にも多くの者が知らないでいるのさ・・・・彼らのようにね」
いいながら、キーボードに触れる。
途端に、声が部屋に設置されているスピーカーから流れ出した。
「なんで開かないのよ〜!!」
間接的にでも良く通る、美恵の声だった。
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