入者第一号、現る

「シャルル、修学旅行しよう!」

 何の前触れもなくあっきーは彼の部屋にやってくると、なにやら計算ソフトを走らせていたシャルルにそう持ちかけた。彼は黙って液晶モニタをみていたが、やがて彼女に視線を走らせ一言。

「1週間待て。そうすれば結論は出る」

 意味深な言葉をつぶやいて、再び液晶に視線を戻した。
 彼女は断られるとばかり思っていたので、その言葉に喜び勇んで出て行った。さっそく、どこに行こうか考え始める。

 やっぱり想い出に残るのが良いよね。

 ちょうど、泥棒学入門の臨時講師であるルイ姉とすれ違ったので、彼女を捕まえて相談してみたが、彼女の返答はいたって明瞭だった。

「やっぱり修学旅行といえば京都でしょう!それっきゃないわ」

 なるほど、京都か・・・。
 あっきーはけっこう心惹かれた。
 というのも、彼女はそこへ一度しか行った事がなく、ぜひもう一度行って、二条城あたりを散策してみたいと思っていたからだ。けれども、彼女はたったひとりに聞くだけではいけないと思い、学食でハンバーグ定食を食べていた美恵にも相談してみた。彼女はいたって乗り気で、真剣に考えてくれたが、なんと答えは

「生徒会長と一緒なら、どこでもいいや」

という、参考になるんだかならないんだか、なんとも困ったものだった。

「美恵りーん。それじゃ困るわ!具体的にはどこが良いの!?」
「だからどこでもいいって」
「それじゃ決まらないのよ!国内?国外?それとも宇宙とか!?」
「えー宇宙?・・・・ああ、いいかも、月のブランコに和矢と一緒に乗るなんて
けっこうロマンティックじゃん」
「うー・・・・それじゃメルヘンよ。だいたい月なんて結局いつでも丸いんだし」
「あ、そっか。そうだよね。あはははは」

 そういって屈託なく笑う美恵につられて、ついつい彼女も笑ってしまった。
 結構忘れっぽいたちである。

「お。今日の日替わりランチはハンバーグセットなのね。おいしそう〜」
「あっきーちゃん、お昼まだ?」
「そういえば忘れてたよ。一緒していい?」

 そういって彼女は、すぐに日替わりランチを麦茶付きでもらってきた。ちなみにメニューは、和風ハンバーグサラダ付き、コンソメスープ、そしてランチの3点セットである。

「やっぱりこの庶民食堂は落ち着くね〜」

 ゴクゴクと冷たい麦茶を飲んだあと、彼女はそういった。
 美恵も頷く。

「ふつうの食堂はメニューが横文字で読めないんだもん」
「そうそう。日本人に優しくないよね」
「ほんとだよ。フランス語で書かなくったっていいじゃんね」
「でも読める人が多すぎるのもまた、すごいよね」
「いまさらそれをいうと始まらないけどねぇ。で、どこ行くの?」

 美恵の話題転換はいつも唐突だった。
 あっきーは思わずむせ返りそうになりながら、なんとかこらえた。

「う・・・・どこでもいいんだけど。月ってのも悪くないね。
なんせ『世界中をまわって、月まで行こう』だもの」

 今度は美恵がむせそうになった。いや、むせていた。

「ごっほごほごほごほ・・・・失礼・・・・あーーーー苦しかった」

 麦茶を流し込んでなんとか落ち着くと、ほっと一息。そして即座にしゃべり出す。

「あっきーちゃんっ、突然おかしなこといわないでよ。死ぬかと思ったよ」

 あっきーはあははと笑ってごまかした。

「っていうか、そんなに受けなくても・・・ギャグじゃないのよ」
「いや、わかってるんだけどね」

 そうしてふたりがまた脱線しようとしていたとき、幸運にも、声をかけてきた者がいた。

「あのぉ・・・」

 ふたり同時に振り向くと、そこにはみたこともない女の人が立っていた。
 髪は短いショート、男の子みたいにすらりと背が高くてやせ型、首がほっそりと長くてスタイル抜群。その辺の男子よりもよほどカッコ良かった。思わずふたりは見つめてしまい、沈黙が1分、2分。やがて耐えられなくなった女性が口を開いた。

「月まで行くって本当ですか!?」

 一瞬、なんのことかわからなくて、ふたりはあぜんと見詰め合った。
 が、すぐに気づいた。なるほど、いまの会話を聞いていたんだ。
 それで再び女性の方をみると、彼女ははっとしたように慌てていった。

「いえ、別に聞き耳を立てていたとかそういうわけじゃないのよ。
ただ、あまりに楽しそうに話してるんでこっちまで楽しくなっちゃって
そしたら月とか話してるじゃない?そういう未知のものって興味あるんだ。
もし良かったら、話、混ぜてもらえないかな」

 そういってにっこり笑う。その笑顔が気持ちよくて、あっきーも美恵も笑い返した。

「もちろんよ。どうぞ遠慮なく」
「わーい、なんか嬉しいな」

 その女性はニコニコふたりを見つめながら、口を開いた。

「編入早々、友達が出来て嬉しいわ。あたし、なつき。
今度アルディ学園に編入してきたの。よろしくね」

 そういって手を差し出す変わりに、頬にキスをした。

「ちょっとフランスに長くてね。こういう挨拶、いやかしら?」
「ううん。平気平気。でもやり方よくわかんないから、あたしはこっちね。美恵っていうの」

 そういって美恵は手を差し出す。彼女はその手を握り返した。

「あたし、あっきー。よろしくね〜」

 そうして3人は友達になった。

「それにしても月に行くって、本当なの?」

 席に座る早々、なつきはそう切り出した。どうやらよほど気になっているらしい。

「決まったわけじゃないんだけど、修学旅行どこが良いかなって、話してたのよ」

 あっきーがそう説明すると、美恵がそれに付け足す。

「この学園はいろいろ変だから、どこでも行けちゃうのよ」

 変・・・たしかに。
 その言葉はかなり的確だと、向かいで聞いててあっきーは思った。

「そうなんだ。ところで噂で聞いたんだけど、ここの理事長ってすごい人なんだって?」
「・・・・そりゃあもうこの上なく最上級で」

 あっきーの返事に、なつきは目を大きく見開いた。

「そんなにすごいの?」
「あれは凄いって言うのかな、美恵リン」

 美恵は答えようとして、ふっと口を閉ざした。
 あっきーは当然答えが返ってくるものとばっかり思っていたので、驚いて聞いた。

「どうかした?」

 美恵は無言で首を振ると、諦めにも似たため息をついて、いった。

「あっきーちゃん、それは直接本人に聞いたほうがいいかも」
「・・・・・・え」

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、あっきーの背後で設定零度のエアコンよりも冷たい声がする。

「いまの言葉の意味を、是非説明して欲しいものだね、一言で」

 彼女は恐くて振り返る勇気もなかったが、隣にいたなつきは反射的に振り返り、
その顔をみて絶句、ややして、吐息のようなためいきとともにつぶやいた。

「すっごい素敵ぃ〜・・・・」

 それを聞いたあっきーは、またか・・・と思った。
 彼をみれば大抵の人間がそう思うだろう。客観的にみて。
 けれども付き合ううちに、たいてい二通りにわかれる。
 思いっきり惚れ込むか、その逆か。
 そう思う彼女の隣で、なつきはニヤッと不敵な微笑を浮かべた。

「けど、恋したいというよりも、共犯者になりたいって感じだわ」

 おもわず、あっぱれ、と拍手したくなった。
 美恵がその言葉に、こそっとささやく。

「すごいライバル出現だね。理事長ファン、危うし?」

 その目が笑っていた。あっきーはニコッと笑うと、ようやく振り向いてシャルルをみた。

「いまの話聞いてたでしょ、感想は?」

彼は即答する。

「興味ないね」

 その目に浮かぶ光は無機物のように冷たくて、入ってくる光をただ反射しているかのようだった。彼の心は、相変わらず宇宙みたいに遠い。でもそれが理事長だ。
 彼は冷ややかなその目であっきーをみると、表情も変えずにいった。

「で、君の答えは?」

 何をいわれているか、一瞬理解できなかった。彼女にとっては1分前のことでも遠い過去だ。

「答えって、なんの?」

 それで素直に聞き返したところ、侮蔑の視線をいただいてしまった。

「記憶が欠けているとしか思えないな。海馬損傷者か、君は」
「・・・・・つかぬことを聞くんですが、カイバってなんでしょう?
その葉っぱを食べると記憶力アップするの!?」

 その質問が、まずかった。彼はよりいっそう軽蔑を込めて彼女をみた。それでも一応説明してくれただけ、まだ親切といわなければならないだろう。

「海馬は植物の葉じゃない」

 そういって彼は、不愉快そうにため息をつくと、無造作に前髪をかきあげ、にらみつけるように彼女をみた。けれども彼女は、そんな彼の仕草に見惚れて、説明を聞くどころではない。おまけに彼の説明ときたら

「海馬とは正式な解剖学用語ではヒポカンパス、海獣のことだ。
それを日本語で海馬、海の馬と書く。ここでの意味はタツノオトシゴの異名だろう。
いいな、わかったな、もう馬鹿なことはいうなよ」

 彼にしてみれば、彼女に余計な知識を与えても無駄と踏んで、純粋に海馬の説明のみに留めたのだったが、彼女にしてみれば、突然ヒポカンパスなんてカタカナ用語を出されても困るだけである。なにしろ彼女は、世界史を選択していたわりに、カタカナの名前を覚えるのは苦手なのだ。
 それでもせっかく説明してくれたのだから、何か返事をしないと悪いかなと彼女は思い、律儀に頷いて見せた。が、これもまずかった。

「説明ありがとう。つまりカイバは怪獣なのね。で、ゴジラより強いの?」

 この言葉の前に、シャルルは絶句、まじまじと彼女の顔をみつめ、彼女が本気であることがわかると、額を手で抑え、大仰なため息一つ。

「君と話していると気が狂いそうになるな。思考回路がとち狂ってるとしか思えない。
どうしてまともな会話一つできないんだ・・・」

 彼女はその言葉にさすがに動揺した。

「そ、そんなにまずいの・・・・」

 なにせ相手は天下の名医師である。彼の言葉には重みがあるのだ。
 シャルルはふっと顔をあげて彼女をみると、深刻そうに頷いた。

「このオレでもなおせないね。いっそ脳味噌の配線をすべて切って、やり直したらどうだ」

 それで彼女は思わずそれについて本気で考えてしまい、シャルルが皮肉げなほほえみを浮かべていたことに気づくことができなかった。

「あっきーちゃん!」

 美恵がそう声をかけてくれなかったら、きっと彼女はあと2分は考え込んでいたことだろう。  その声に彼女ははっと我に返ると、冷ややかな眼差しの中に明らかに揶揄するような光を浮かべている理事長に気づいた。
 し、しまった・・・。と思った時には、既に彼の勝利は確定だった。
 彼はむっとしてにらむ彼女に、嫌味なくらいの笑顔をみせる。

「どうした。何か言いたそうだな」

 彼女は口を開きかけ、けれどもやがて降参といったように首を振った。

「いい。忘れた。ところでシャルル、こんな所に何の用だったの」

 シャルルは満足そうにほほえむと、腕を組みながら、いった。

「修学旅行の行き先が決定した」

 その言葉に、あっきーのみならず、美恵もなつきも反応する。

「どこっ!?」
「アンドロメダ銀河に属するドゥファン系の第3惑星、エートゥル・ダンファンだ」

 まさにカタカナ羅列攻撃に、あっきーは頭を抱え込みたくなった。
 う、わからない・・・。
 美恵も同じように、難しそうな顔でその話を聞いている。
 ただひとり、一緒に聞いていたなつきだけが、その言葉に興味を惹かれたようだった。

「その名前はどなたがつけたの?――あなたかしら」

 一歩前に出て、彼女はそう訊いた。シャルルは少し驚いたようだったが、ふっと皮肉げにほほえむと、わずかに視線を伏せた。

「さあね」

 そうして、用件は済ませたといわんばかりに、それだけを告げると、身を翻し、彼に不釣合いな庶民食堂から出て行った。
 美恵がほっと息をついてつぶやく。

「相変わらずだね、シャルル」

 あっきーはちょっとだけ笑った。

「まあね。無駄がないというか、多くを語らないというか、あんなもんでしょ」
「あんなもんだね〜」

 美恵も同意する。そしてあっきーは、そういえば、となつきを見た。

「あなたは彼の言葉の意味、わかったのかしら?」
「そういえば・・・そんな感じだったよね。どういう意味?」

 なつきは手をアゴにあてて、少し考えるようにしていたけれど、やがて意味ありげにクスッと笑うと、大人の女性のようにしっとりとした声で、いった。

「まだ内緒にしておくわ。彼とふたりだけで共有するってのも、悪くないから」

 ふたりはぽかんとして彼女をみつめる。
 が、先に我に返ったあっきーが、彼女にしては珍しく、食堂中に響き渡るような大声で叫んだのだった。

「えーーーーーふたりだけの秘密ーーー!?そんなのずるいよぉっ!」

 


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