市町村合併について
蒲原町議会議員
宮田英男
蒲原町の歴史
当町は、縄文時代初期のころから、台地に人々が集落を形成し、居住していたものと推定され、多くの遺跡が発見されている。
有史以後における蒲原郷は、承平元年(927)に出版された「和名類聚抄」に地名が初見され、庵原郡6郷(安倍有度から富士川までの、西奈、大井、河奈、庵原、興津、蒲原)の宿駅として開かれたと記されており、蒲が一面に繁茂していたため、その名が生まれたともいわれる。
当時、現在の富士川を挟んで広く蒲原郷といわれたが、鎌倉期に入り、富士川右岸一帯を蒲原宿というようになった。鎌倉幕府創設により東西交通の要地となり、戦国時代には今川、武田、北条氏の軍略的、地理的に重要な接点としていくたびか戦火を浴びた。
その後、江戸時代に入り東海道の宿駅として繁栄してきた。
昔の東海道は、新田から古屋敷を通り、六本松(中学校の南側)を経て、富士川を船で渡ったが、元禄12年(1699)8月の大津波で宿の大半を流出したため、宿場を山麓に移して現在に至るまちなみの基礎が形成された。
安藤廣重が世界的に有名な東海道五十三次「蒲原夜の雪」を描いたのもこの時代である。